2018/9/8

『ポップ・アイ』・・・象と旅するロード・ムービー  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します
映画『ポップ・アイ』より


家内と映画を観に行くと二人で2200円。但し、問題は「同じ映画」を観なければイケナイ事。だから我が家では、めったにこの割引を使う事は出来ません。「同じ映画館で別の映画を観ても割引だったら良いのに・・・」とは家内の弁。


この制度を利用して観に行ったのは『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』『未来のミライ』と全てアニメ映画。さらには映画代は私持ちというのが暗黙の了解。それでもアニメなんて見たく無いという家内を、さんざん拝み倒して、「息子がこの監督好きなんだよ、きっと話が合うよ」なんて家内の琴線に触れるマジックワードを囁いたりしてみます。

本当はアニメ映画以外も一緒に観たいのですが、私の実写映画の趣味は普通の人とズレているので、多分家内は退屈してしまうでしょう。かと言って、話題のハリウッド映画なんて、お金出して観たくも無いし・・・。

ところが、先週、家内が休日に暇だと言うので、映画でも行こうかとネットで検索したら「タイ」の映画を見付けました。我が家は息子の保育園時代から20年以上、タイ人のお母さんのご家庭(ご主人はアメリカ人)と家族ぐるみの付き合い。家内や子供達はタイにも一緒に遊びに行っています。

「これ、タイの映画だってよ。観て観ない?」と誘ったらOKを頂きました。勿論、映画代は私持ち。場所は渋谷のユーロスペース。

■ 象と旅するロード・ムービー ■


私はその国の現状を知るのに、旅行以上に映画が役立つと考えています。映画には観光地を旅行しただけでは分からない、その国の裏事情や、庶民の生活や文化が詰まっています。

私はタイには行った事は有りませんが、仕事で出かけた東南アジアの国々では、よくフラフラとマーケットや裏通りや郊外を散策するので、観光地以外のアジアの素顔はある程度は知っています。一緒に仕事をすると、国によって随分と国民性が違う事も良く分かります。

ネットに載っていたタイ映画の『ポップ・アイ』のスチル写真からは、そんなアジアの国の肌触りが伝わって来ました。

<ここからちょっと粗筋>

歳を取り、事務所でちょっと邪魔な存在となった著名な建築家のタナーは、ある日観光用の一匹の象に出合います。彼は子供の頃、田舎で象を飼っていましたが、泣く泣くその象を売った事があります。彼は街で出会った象を、かつて飼っていた象の「ポパイ」と確信します。

タナーは思わず象を買い取り、家に連れて帰ります。彼の家は広い庭がある豪邸・・・。ところが、夜中に象が家の中に入り込んでしまい、妻が激怒して家を出てしまいます。実は夫婦仲は最近冷え込んでいたのです。

庭で象を飼う訳にも行かず、タナーは象を500km先の故郷に還す事に。ここから象と中年男の旅が始まります。途中、様々な人と出会い、人の縁に導かれる様にして故郷に向かうタナーでしたが、500kmの道のりは遠い・・・。

何の変哲も無いタイの田舎を永遠と象と旅をするロードムービーですが、これ「名作」認定します。とにかくロードムービーって演出が過剰だっり、突飛な事件が起こると興ざめなのですが、かといって2時間近く、ただ移動するだけの映像を観るのは退屈です。その匙加減が難しい。

何も起きないロード・ムービーの代表格がウィム・ヴェンダースの『都会のアリス』だとするならば、山田洋二の『幸せの黄色いハンカチ』は、丁度良い塩梅に小さな出来事が繋がって行き。最期に再会というメインイベントが起こる。

『ポップ・アイ』はちょうど、その間って感じで、淡々としているけれども、退屈もしない映画。なんだか、自分も象と一緒に旅をしている・・そんな錯覚を覚える様になると、後はスクリーンに流れる時間に身を委ねるだけ。ちょっと眠気も覚えながらも2時間が過ぎて行きます。

途中、家内が寝てないかチェックしていましたが、結構真剣に観ていました。むしろ、私がウトウトしたら、肘で小突かれました・・。

■ 過剰な映画が氾濫する中でキラリと光る ■

所謂ミニシアター系の作品は結婚するまでは散々観て来ましたが、ある程度のバリエーションを観てしまうと、「感動」する様な作品にはなかなか出会えなくなります。

かといって、ハリウッド映画の様に計算されつくされ、「さあ、感動してください」って感じの映画は全く受け付けません。そんなこんなで、最近は年に2〜3本、仕事の合間にたまたま上映してる映画を観る程度になってしまいました。

映画ファンと言うのが恥ずかしい状況ではありますが、何故だか、フラリと入った映画に外れは少ない。昔から映画はスチル写真で観るかどうか決めていますが、スチルに魅力のある映画にハズレは少ないというのが私の持論です。

『ポップ・アイ』もスチルに惹かれました。

監督はシンガポールの新鋭、カーステン・タン。台湾のホウ・シャオエンに似た肌合いの監督です。人物と観客の距離感が絶妙な監督。

主演は、かつてはタイのプログレッシブロックシーンで名を馳せたというタネート・ワラークンヌクロという方。何と映画初出演だそうですが、なかななの演技でした。(というか演技をしていない所が絶妙に良い)

この映画、見どころといか聴きどころは音楽です。タナーの携帯電話の着信音はニーノ・ローター風だったり、エンディングはエンニオ・モリコーネ風だたりと、映画ファンには心憎い選曲。そしてタイの歌謡曲が日本の演歌に似ていたりと聴きどころも満載。


ところで、劇場を出た後の家内の感想はというと・・・・特に有りません。実は私も何も語る事が無かった。ツマラナイ作品だったからでは無く、言葉にしなくとも、何となく心に浸透して理解できる作品だから。


こういう映画、一生、記憶に住み続けるんですよね。そういった意味でもホウ・シャオエンや小津安二郎に近い監督だと思います。

予告映像を紹介しますが、予告でダイジェストにしてしまうと、この映画の良さは伝わり難いですね。





最後にこの映画を名作としているのは、象に乗って旅するのでは無く、象と一緒に歩いて旅をする点。この違いは大きい。
2

2018/7/7

『湯を沸かすほどの熱い愛』と『アンダーカレント』と『UNDER CURRENT』  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します
『湯を沸かすほどの熱い愛』より


■ 観たいけど観れなかった映画『湯を沸かすほどの熱い愛』 ■

2年程前に、中野駅のトイレに行く通路にしばらく『湯を沸かすほど熱い愛』という映画のポスターが貼られていました。その隣には「拳銃撲滅」とか「クスリは身を亡ぼす」系のポスターが貼られていたので、私はしばらく風呂屋の防犯ポスターと勘違いしていました。

赤の筆文字で書かれた作品タイトルが園子温作品かと勘違いさせますが、中野量太という方の監督・脚本作品。2015年に公開されましたが、その年の日本アカデミー賞を6部門獲得するなど、映画ファンには評判の良い作品でした。

私も観る気満々でしが、オダギリジョーが出演していると知って止めました。彼の事を嫌いなのでは無く、近年ドラマなどで散見する彼の演技が好きで無かったから。オダギリジョーと言えば彼のデビュー作である『仮面ダイダー・クウガ』の、なんとも初々しい演技が印象に残るだけに、最近の見た目「和製・ジョニー・ディップ」で、何となく浅野忠信?的な焦点を少しハグラカシタ感じの演技は好きでは無かった・・・。

だから、観たいけど観れない・・・。そうして、とうとう劇場に足を運ぶ事はありませんでした。

■ amazon Prime は見逃した映画を観るには良い ■

amazon Prime で動画を観はじめてから、アニメは良く観るのですが、実写映画はほとんど観ません。何故なら観たい映画が無い。ハリウッドや日本の話題作は有るのですが、その手の作品が苦手な私は作品リストをスクロールして溜息をつくだけ。

ただ、『青い春』みたいな映画がたまに混じっていたりするので、一応タイトルはチェックしています。すると先日、『湯を沸かすほどの熱い愛』が無料で観れる事に気付きました。無料ならオダギリジューがツマラナイ演技をしていたら視聴を止めてもいいか・・・・そう思って観始めました。

■ 緻密な脚本に舌を巻く ■

『湯を沸かすほどの熱い愛』、噂に違わぬ素晴らしい作品でした。私はこういう映画が観たいんです。特に杉崎花の演技が光っています。女優がある年齢の時に、一瞬だけ演じる事が許される演技、蝉が蛹から羽化する瞬間の、透ける様な青白さを思い出させる瞬間が、しかりとフィルムに記録されています。ちょっと『花とアリス』の蒼井優を思い浮かべました。

銭湯を営む一家の主が突然失踪します。後に残されたのは母と娘の二人きり。風呂を薪で沸かすのは重労働ですから、店を閉じてパートで生計を支える宮沢りえ演じる母親。かわいいけれど、同級生の女の子達から虐めにあっている高校生の娘。母は夫の失踪という現実に耐えながら、健気に娘を育て家事をこなしています。

ところが、彼女は末期ガンの宣告を受けます。余命数か月だと。その日は落ち込みますが、直ぐに探偵を雇って夫の居場所を突き止めます。夫はなんと隣町で若い女と住んでいた。早速アパートに乗り込み、夫をオタマでぶん殴り、癌である事を告白して家に連れ帰ります。とんだ肝っ玉の据わりぶりです。しかし、夫と共に家にやって来たのは10歳位の女の子。夫の子だと紹介されます。

街でばったり再会した一夜限りの関係を結んだ事のある女性に、「あの時の子供が居る」と突然打ち明けられた。そして少女を残して彼女は失踪してしまいます。夫はその後、アパートで少女の面倒を見ていたと。頼りないけれども心の優しい男では在る様です。

死を目前にして母親は娘の為に父親を取り戻し、そして妹まで作ってしまいます。そんな寄せ集めの様な家族ですが、母親を中心に次第に結束してゆき・・・・。

序盤の粗筋を書いてしまいましたが、この作品の凄いのは綿密に練られた脚本。最初の洗濯を干すシーンや、タカアシガニを食べるシーンなど、何気ない日常シーンが全部複線となり、後半に向けて大きな意味を持ったり、暗示になったりするのはスリリングです。

様々な「母親と娘」の関係を、一つの家族を通して幾重にも描く傑作です。


結末が許せる人と、エええ!!と思う人に分かれると思いますが、私は大好きなエンディングです。一週間で4回も観てしまいました。


■ 無性に豊田徹也の『アンダーカレント』が読みたくなった ■

クリックすると元のサイズで表示します
『アンダーカレント』 豊田徹也 より

『湯を沸かすほどに熱い愛』を観ている途中から、この作品が無性に読みたくなりました。2005年に発刊された豊田徹也の『アンダーカレント』という漫画。

こちらも夫が蒸発した風呂屋が舞台です。風呂屋を再開する為に組合から紹介されてやって来た男と、夫に逃げられた女の話です。男は自分の事を語りたがりませんし、いつフラリと居なくなるかも分からない。それでも、いつしか男は頼りになる存在として彼女を支え、近所にも溶け込んでゆきます。

一方、妻は探偵を雇って夫を行方を追いますが、その過程で浮かび上って来るのは自分の知らない夫の姿。出身地や過去だけでは無く、自分と暮らしていた頃の夫の実体も彼女にはアヤフヤなものに思えて来ます。

一方、彼女は子供の頃から水の中に沈んでゆく悪夢に苛まれています。怖いのか、安心しているのか分からない不思議な夢です。首を絞められながら沈んで行く・・・。そんな彼女の夢の原因が、近所の女の子の失踪から明らかになります。そして、遠い過去の糸が手繰り寄せられてゆく・・・。そして夫の隠された事実も明らかに。

実はこの作品、映画以上に映画らしい。話の展開は重層的で慎重。人々の言葉の裏には、本人すら気付かない思いが隠れています。『湯を沸かすほどの熱い愛』の監督は、この作品を読んで着想を得たのでは無いかとい私は妄想しています。

作品が少なく、知名度の低い豊田徹也ですが、『アンダーカレント』は日本のマンガの中でも屈指の名作だと私は思っています。

日本では知名度が今一つですが、フランスでは高く評価されている漫画家です。フランスのマンガ賞を獲得しています。雑誌に掲載された受賞告知が下の画像。

クリックすると元のサイズで表示します

ところで、この作品に出て来るクセの強い探偵を主人公にした『珈琲時間』短編も発表されています。これも面白いです。

■ 『アンダーカレント』の表紙は『UNDER CURRENT』 ■

クリックすると元のサイズで表示します

ところで漫画の『アンダーカレント』の表紙は、ジャズファンが観れば『UNDER CURRENT』である事は直ぐに分かります。

ギターのジム・ホールとピアノのビル・エヴァンスのデュオによる名盤ですが、静かな水の中で静かに沸き上がるインプロビゼーションは緊張感に溢れています。マンガの表紙を見る度に、「マイ フェーバレット バレンタイン」のイントロが浮かんで来ます。



本日は、映画、マンガ、音楽の連想ゲームでした。
2

2018/4/16

エンタテーメントの極致『グレーテスト・ショーマン』・・・ディズニーとMTBの合体  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します
『グレーテスト・ショーマン』より

■ 娘に勧められて『グレーテスト・ショーマン』を観に行った ■

TVが無いので映画など何が流行しているのか全く知らない私。そんな私に娘が『グレーテスト・ショーマン』という映画が面白かったと興奮して話し始めた。

私 「何が面白かったの?」
娘 「入口でペンライトもらって、コスプレの人とか居て・・・」
私 「そういう内容の映画なの?」
娘 「サーカスの映画だよ」
私 「コスプレの?」
娘 「歌ってもいいの。声かけても。ガヤなんてタイミングピッタリだし」
私 「何の話しをしてるの?」
娘 「だから、応援公演」
私 「映画を観に行ったんじゃなかったの?」
娘 「だから、映画を応援しながら観るの、バルト9で」

どうやら、娘の行ったのは『グレーテスト・ショーマン』という映画のファンの為の上映会で、上映中にペンライトを振ったり、スクリーンと一緒に歌ったり、コスプレしている人が居たり、スクリーンに声を掛けたり(ガヤと言うらしい)出来るらしい。要は『グレーテスト・ショーマン』のディープなファンの為の特別上映会。

私 「ところでお前、この映画のファンなの?」
娘 「ううん。初めて観た」
私 「・・・・」


娘の「楽しかった」は、「スクリーンと一緒になって楽しむ人達を見て、楽しかった」という事らしい。ただ、その後、映画の内容を全部ネタバレしてくれました。・・・私的には『グレーテスト・ショーマン』を観る必要が無くなりました。

■ 家内がどうしても行きたいと言うから・・・観てみた ■

その後も娘はメールで「観た?観た?」と催促して来る。家内は友人にサントラを借りて来て予習に余念が有りません。

日曜日の朝に何やらパソコンで調べていると思ったら、池袋で今夜開催される「応援公演」の予約を取ろうとしています。

私 「これ夜遅過ぎだよね、終わるの11時過ぎだし・・」
妻 「でも、もう応援公演が終わっちゃうよ。バルト9は終わっちゃったし」
私 「いきなり応援公演ってハードル高く無い?映画じゃなくてファンを観に行くみたいだよ」
妻 「確かに」

こんな会話をした後、午後2時になっても未練がましく予約画面を眺めている家内。

妻 「ねえ、まだ席がだいぶ空いてるよ」
私 「応援公演ってファンが少ないと寂しく無い?何見に来たのか分かんなくなっちゃうよ」
妻 「それもそうね・・・。ねえ、じゃあ普通の上映に行こうか」
私 「それなら良いよ」

という事で、夕方から久しぶりに夫婦で映画に出かけました。お互い50歳を過ぎているので安い。

■ ディズニー映画だった・・・ ■

妙な盛り上がりを見せている映画なので、あまり期待していませんでしたが・・とても楽しめました。

これ、ディズニーのアニメ―ション映画だよね・・と思いながら観ていたら、脚本は実写版の『美女と野獣』の監督のジェニー・ビックス。とにかく細かい事は観客に考えさせない。骨格のしっかりしたストーリーに印象的なシーンを散りばめて、後は歌で押す。エンタテーメントに徹しています。

音楽は『ラ・ラ・ランド』のベンジ・パセック&ジャスティン・ポールのコンビ。完全オリジナルだそうですが、私、サントラを聴いていて80年代のMTB黄金期のクイーンやジェネシスやホイットニー・ヒューストンとかTOTOとかを思い出してしまいました。この時代までが商業音楽が生き生きしていた。キャッチーでポップだった。

ちょっと懐かしいメロディーをてんこ盛りにして、今風のアレンジで処理すると、一度聞いただけでノリノリで歌える楽曲が出来る。これ、簡単な様で結構難しい。特に盗作とか、パクリと訴えられないギリギリのラインを狙っています。冒頭なんてクイーンの「We Will Rock You」そのまんまですが、こうも堂々とやられるとパクリと言うのが野暮。

ディズニー映画はアラン・メンケンの耳に着いて離れないメロディーを巨力な推進力にしていますが、『グレーテスト・ショーマン』も、音楽のキャッチー度合いでは引けを取りません。

■ ロングバージョンのミュージッククリップ ■

映像も素晴らしいのですが、ミュージッククリップの手法だなと思ったら、監督はそちらの畑の人でした。

様は『グレーテスト・ショーマン』はディズニー映画的な分かり易い脚本を、ミュージッククリップの手法で演出した作品。『フラッシュ・ダンス』の進化系の映画ですね。

■ 空中ブランコのシーンは圧巻 ■

内容なんて気にせずに音楽に身を任せ、ゴージャスなショーを楽しむ・・・そんな映画ですが、空中ブランコのシーンは圧巻でした。

CGに席巻された昨今のアメリカ映画で、「生身」の人間の「技」がこれほど素晴らしいものだと再認識されるシーンです。

クリックすると元のサイズで表示します
アン役のゼンデーヤさん

空中ブランコ乗りのアンを演じたのはゼンデーヤという女優。スタント無しと書かれていますが・・・素顔も可愛い。

■ しばらくサントラを楽しめそうだ ■

私の中では『グレーテスト・ショーマン』はロングバージョンのミュージック・クリップ。だからしばらくはサントラを聴き込んで、その後はカラオケで熱唱するのが正しい楽しみ方。

その先に有るのは・・・「応援公演」なのでしょう。


ところで映画は面白かったの?と聞かれると・・・「木が全部持ってった」というのが家内と意見の一致をみた回答。



それでも家内は応援公演に未練が有る様で、娘に「もう一回行く?」と聞いてました。答えは「もう充分」だそうです。



■ バーナム・ミュージアムと言えば・・・スティーブン・ミルハウザー ■

実は私、バーナム氏が実在の人物とは知りませんでせいた。『バーナム博物館』の名はスティーブン・ミルハウザーの小説で知っていたのですが・・。奇妙な博物館の話で、イルカが出て来る事しか覚えていません・・・。マジック・リアリズムと呼ばれるジャンルの小説です。

ところで実際のバーナム氏は150年前にサーカスを大成功させた実業家で、アメリカンエンタテーメントの元祖をも言えるお方。ただ、その後は政治家に転身し、禁酒活動家などもされていたとか。

映画では「フリークスも家族」みたいな人道主義を提示していますが、実際のバーナムさんは「フリークスは見世物」をストレートにやる様な人物だったとか。


3

2018/4/8

タルコフスキー並みに眠い『ブレードランナー 2049』  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します

■ あまりに周囲が勧めるので『ブレードランナー 2049』を観た ■

映画の続編というものに嫌悪しか覚えない私は『ブレードランナー 2049』を観ていませんでした。それでも知り合いの多くが、「観ないと損する」とか「絶対に観ろ」と強く勧めるので、仕方なくDVDを借りて来ました。

それで感想を書きます。

「記憶が有りません・・・・。」  以上。

■ タルコフスキー級の睡魔に襲われる ■

確かに休日の昼間に酒を飲んでから見始めた私も悪かった・・・。開始10分で眠気に抵抗できなくなり、気付けば物語は中盤。Kが何故か「自分探しの旅」に出ていました。その後、再び睡魔に襲われ、覚醒したらヨボヨボのハリソンフォードが出ていました。さらにうとうとして起きたら、レプリカント同士が首を絞め合っていました。・・・以上!!

しかし、近年、これ程までにお金が掛かって出来の悪い映画を観た事が有りません。中身が空っぽなのに、間延びした思われぶりな映像の垂れ流しで救い様が無い・・・。

こういう「神秘主義」的な映画はタルコフスキーに任せておけば良い。観客が勝手に映像のそこかしこに「啓示」を見付けて喜ぶ様な演出は前時代の遺物で、アナログ的な演出です。

実は私、若いころ、タルコフスキーを「神」だと信じてました。だから大学時代に『スターウォーズ』や『ブレードランナー』について熱く語る友人を冷ややかな目で見ていました。そんな子供の映画じゃん・・・って。

でも、今タルコフスキーを観たら速攻で寝て最後まで起きない自信が有ります。これ、タルコフスキーの映画がツマラナイのでは無く、今の時代の速度に合わないというだけの話ですが。当時の社会主義国家の監視の中で、SF作家達はフィクションで体制を批判し、タルコフスキーはそれを映像による「神話」に昇華していた。そういう背景が有るからこそ成り立つ映画だった。

S映画Fといえば『スターウォーズ』や『2001宇宙の旅』の様に未来をイメージされるセットや小物が登場するのが当然の時代に、野原を彷徨い歩くだけの『ストーカー』の衝撃は物凄いものがあった。「物」では無く「気配」を描く事でSFが成立する事に興奮した。

ところが『ブレードランナー 2049』は、徹底的に作り込まれた未来の風景にタルコフスキー的な神秘主義を持ち込んでしまったから、相殺効果で何を表現したいのかが分からなくなっています。

そもそもタルコフスキーの映画って、低予算でSF映画を製作する為に生まれた演出方法であって、巨額の製作費を費やして作る映画では有りません。

■ マトリックスの続編と同じ間違いを犯している ■

本来、SF映画というのは低予算のB級映画で、ちょっとトホホな感じがする所をアイデア一発で切り抜けるというのが魅力のジャンルです。

『バックトゥザフューチャー』にしてもデロリアンが火を噴いて疾走する所に予算を割いて、後は普通の日常が描かれるから面白い。マトリックスの1作目も、キアヌ・リーブスが弾丸スローモーションでが避ける事が全ての映画。

『マトリックス2』になると、バーチャルな世界の外側が描かれますが、これが絵に描いた様なデストピアで全然新しく無い。キッレッキッレな1作目の片りんも感じられない駄作になってしまった・・・。

『ブレードランナー 2049』も同じ過ちを犯しています。確かにオリジナルの『ブレードランナー』は素晴らしい映画でした。それまでSFが描いていた理想の未来像とは180°異なるデストピア系の未来像は、この作品が確立して、その後のSF作品は皆その影響を受けた。

霧と酸性雨で煙るロスアンゼルスの映像は多くの人の脳裏に焼き付いていますが、実は雨はエアカーを吊り下げているワイヤーがどうしても映ってしまうので、苦肉の策で降らせた雨だった。こういった幸運な偶然の結果、オリジナルのブレードランナーの世界観が確立されたのですが・・・それを現代のCG技術で緻密に再現する事に私は何ら意味を見出せません。

さらに、オリジナルは「刑事物」として物語にしっかりとした骨格が有りましたが・・・新作は「自分探しの旅」で物語の推進力が非常に弱い。それを風景と思わせぶりな間で引き延ばしているので、睡魔に襲われるのは当然。

■ 落ちは「子供が生まれていた」では・・・ ■

この映画の最大の失敗は、「レプリカントが子供を産んだ」という根本的な設定。

「道具であるレプリカントに生殖能力を付加するバカが何処に居るんだよ!!」と一言突っ込んで終了!!。

前作の「レプリカントと人間の間に愛が生まれる」という結末は、現代も繰り返されるテーマで色あせませんが、「子供が生まれる」というのは現実的でも科学的でも無くSFとして到底受け入れられない。

■ 『BEATLESS』の爪の垢でも煎じて飲め ■

『ブレードランナー2049』のスタッフはSFが何かを理解していないのでは無いか?

そもそもオリジナルの『ブレードランナー』は人間の模造品であるレプリカントが人間になろうとする葛藤が観客の心に響くのに対して、今作の主人公にはその葛藤が無い。彼は自分の記憶が「模造記憶」で無いとするならば、自分は「生まれて成長した存在」であるかも知れない可能性に戸惑いこそすれ、その事に彼は価値を見出しているとも思えません。彼の恋人はバーチャルなAIですから、生殖に意味は無い。

むしろ、バーチャルなAIがレプリカントとしての体を獲得して、主人公が生殖を達成する為に奔走する話だったら私は納得したかも知れません。エッチは人類の根源的なテーマですから。

確かにAIが生身の人間に憑依してSEXしてました。その後、娼婦が「あなたの中を見たわ。空っぽだったわ」と言う一言が、私的には一番面白いセリフでした。「AIの中身が空っぽ=自我を持たない」という現代風のテーマに触れながらも、この作品のAIは、あまりにも人間的でシラケてしまいます・・・。

SFというジャンルが、「科学技術の進歩がもたらす社会の変化をシミュレート」するものであるならば、現在刺激的なテーマは、やはりAI技術が私達の生活をどう変えるかという点が最もホットでは無いか?

従来、SFはAIが自我を持つ事に興味を抱いていましたが、AI技術が現実的となる一方で、その限界も理解される現代においては、AIと人間の関係性を突きつめてゆく『BEATLESS』の様な作品こそが現代的だと私は感じています。


確かに『BEATLESS』のアニメは残念が出来ですが、原作は面白い。脳が興奮します。だから、眠くなるどころか、電車を乗り過ごしてしまいます。


タルコフスキーは別格として、『ブレードランナー2049』は眠くなる時点で映画として面白くないんですよ。でも、多くの人が「怖くて批判出来ない」空気が有る。「傑作」と言わないと自分の中の「ブレードランナー教」が崩壊すると恐れている・・・。


・・・・本日は余りに周囲が「傑作」と持ち上げるから仕方なく観てみたけど、TSUTAYAの360円を返せと世界の中心で叫びたくなる映画の評論を書いてみました。


いや、待てよ、この作品は「ブレードランナー教徒」に課せられた試練なのかも知れません。眠気に打ち勝つ事で信仰の証を立てるという・・・。しまった!!、酒なんて飲んで観ると罰が当たるかも知れない・・・。

あ、でもフィリップ・K・ディックの原作の邦題は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』だった。ならば、眠りに落ちて正解なのかも。



他人が苦労して作った作品を酷評するのはイケナイ事ですが、きっと勧めてくれた方々が感想を聞いて来るに違いない。その時に「クソ!!」とか言っちゃわない様に、こっそろブログでガス抜きしました。でも、細かいディテールの感想を聞かれそうだから・・・もう一回も観ようかな。シラフで。
1

2018/1/20

マンガの実写化はこうで無いと・・・『青い春』  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します
『青い春』より

■ 初めてamazon prime に入っていて良かったと思う ■

amazon prime の年会費を収めているのに、動画の無料視聴が出来ると知らなかった私。数か月前のその事実に気付き、プライム・ビデオのページを開くのですが・・・アニメしか見るものが無い。映画『長い言い訳』を見直せたのは良かったのですが、その他の実写映画で観るものが無い・・・。

そんな折、『青い春』という映画を興味本位で観始めて、10秒で名作と確信しました。何故かって、画面からきちんと映画の空気感が伝わって来たから。

■ マンガ原作を実写化する意味 ■

『青い春』は松本大洋のマンガの実写化です(原作未読)。松本作品を実写化して成功した先例に窪塚洋介が主演した『ピンポン』が有ります。あの作品は、マンガの雰囲気を良く残して成功しています。まさに「実写によるマンガの再現」。

『ピンポン』では成功していた「実写によるマンガの再現」ですが、この手の作品は駄作が多い。話題の『コウノトリ』も、あの髪型を見ただけで観る気が失せます。何か勘違いしています。マンガはデフォルメを得意とする表現ジャンルですが、実写でそれを真似る必要は微塵も無い。実写には実写の「お作法」というものが有るのです。

『青い春』はマンガを下地にしながらも、その表現は抑制的で、実写映画の作法に則った作品。

「実写映画の法則」って何かと聞かれたら、私は「人物の実在感」と答えます。フィルムやスクリーンという偽物の二次元の中に、体温や役者の周辺の空気感をどれだけ再現出来るか・・・この一時に尽きる。それは単なる「リアリティー」では無く、表現としての統一感。監督が、役者も背景も光も音響も、全て自分の支配下に置いた時に出現する「空間」。それが映画の作法に則った時のみに出現する次元だと私は妄想しています。

『青い春』ではマンガ原作独特の「ケレンミ」もしっかりと残しながらも、豊田利晃監督はフィルムの中の次元を完璧に自分の支配下に置いています。

■ タランティーノよりも純粋な暴力のオンパレード ■

落ちこぼれ男子校の不良グループは、「ベランダゲーム」で新年度の番長を決める。屋上の手摺の外側に立って、体を外側に投げ出して、何回手が叩けるかという度胸試し。今年の番長は8回手を叩いた九条になりますが、彼は何を考えているか分からない寡黙な性格。但し、カリスマ性が有り、不良達の一目を置いています。

不良達は将来の目的も無く学校に通っていますが、学校だけは好きな様で、授業はサボるものの、校売のおばちゃん(小泉今日子)と親しかったり、校長(マメ山田)と不思議な交流を続けています。

そんな気ままに見える不良達ですが、抑えきれない「焦燥」を誰もが抱えています。それは漠然とした不安や焦りに見えますが、根本的な所では九条のカリスマ性に対する潜在的な嫉妬なのかも知れません。

彼らのコミュニケーションは暴力を基本としています。グループの外側への暴力は結束を意味し、グループ内の暴力は、伝わらぬ思いを相手にぶつける手段として機能します。

九条の幼馴染の青木は、九条のパシリと揶揄されても気にしていません。九条と彼の間には小学生時代からの不思議な繋がりが有るからです。しかし、些細な事からその繋がりに自信を持てなくなった青木は九条に敵対する様になります。それは「オレを見てくれよ」という悲痛な叫びですが、感情を表に出さない九条は、その叫びに応える事は有りません。次第に追い詰められた青木は・・・屋上に立ち、一人ベランダゲームに挑みます。

普通の方が見るには暴力描写が過激で「見るに堪えない」作品ですが、その暴力からは「キリキリ」とした切実さと純粋さが伝わって来ます。

暴力を特徴とする監督にクエンティー・タランティーノが挙げられますが、彼は日本のヤクザ映画から「暴力の快感」だけを感じ取っただけで、暴力と表裏一体の「純粋性」には気づいていません。

『青い春』の暴力は、ライアン・ゴズリングが内気な「逃が屋」の役を好演したニコラス・ウィンディング・レフン監督の『drive』に似ています。何かを守る為の純粋な暴力。

『drive』のゴズリングが守ったものは無力な母子ですが、『青い春』で不良高校生達が守ろうとしたのは、形のはっきりしない彼らの居場所だったのでは無いか・・・。

■ 暗い青春映画の金字塔の一つになるだろう ■

青春映画と言えば、アイドルタレントが出演してやたらチャラチャラとした作品を想像しがちですが、「暗い青春映画」も数多く存在します。ぱっと思い浮かぶのは岩井俊二監督の『リリい・シュシュのすべて』。

私などはキラキラした青春の思い出は少なく、明るい青春映画に共感を覚える事は難しい。そんな、暗い青春を送った方ならば、この作品の素晴らしさも理解出来ようかと・・・。



本日は、良識的ま大人や、婦女子なら絶対に眉を顰めるであろう素晴らしい映画の『青い春』について、簡単に紹介しました。



最期に松田龍平っていい役者ですね。改めて関心しました。
1


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ