2020/10/7

『TENET』と『Reゼロ』・・・どちらが面白い?  映画
 

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『TENET』より




『ダークナイト(バットマン)』のクリストファー・ノーランの新作『TENTET』を観ました。

『劇場版クレヨンしんちゃん』と迷いましたが、平日の昼間に仕事の合い間に、しんちゃんを観たら、その後テンションアゲアゲで仕事にならないので・・・。

全くの前情報無しに、「ヘぇ〜〜、クリストファー・ノーランの新作なんだ」程度の乗りで選びましたが、どうやらネットでは「難解」だと相当話題になっているらしい。

日本のアニメを見慣れて視聴者ならば「難解」と感じるよりも「雑」だとか「設定が崩壊してるじゃん」程度の映画でした。

ネタバレしてしまいますが、大したネタでも無いので・・・・


1) 未来において核融合技術の副産物として「時間逆転」の技術が開発される
2) 開発者はその装置を「過去を変革する恐れが有る」として過去の時代にバラバラに隠す

3) 未来において過去を変革すべきという勢力が、過去の人類の滅亡を目論む
4) 彼らは未来における様々な不都合が過去の人類の所業によるものと考えている
5) 過去を改変しても、自分達の現在(未来)は変わらないと信じている
6) ある過去の人物をエージェントとして装置に回収に当たらせる

7) CIAのエージェント(主人公=名は無い)がこの、時間逆行装置の回収を命ぜられる
8) 彼は僅かな情報を辿りながら、優秀な協力者を得て、滅亡派のエージェントに接触する
9) 滅亡派のエージェントも時間遡行を使い過去に干渉する

10) お互いに干渉し得る過去に布石を打ちながら現在で対決する


「時間遡行」というSF的ギミックを抜きに観れば、普通の「スパイ映画」。「味方なのか、敵なのか分からない」という緊張感が、人々を物語に引き込みます。

一方、SF的なギミックである「時間逆行」は映像的な面白さを提供はしますが、観客が瞬時に「トリック」を理解するには、多少難解です。

「現在起きている事の中に、過去に遡行した誰かの「仕込み」が紛れている」という事を絶えず意識して観ていないと「スッキリ感」が得られません。「仕込み」を見逃すと、展開に付いて行けないのです。かだら2回、3回と劇場に足を運ぶファンが増えています。

「仕込み」は映像的には「逆回しの動き」として認識されます。

1) 時間遡行中に車を前向きに運転する → 実時間では車はバックで猛進する
2) 時間遡行中に拳銃を撃つ      → 実時間では拳銃の弾は着弾点から拳銃に戻る

■ 結局は「タイムマシンもの」でしか無い ■

不都合な事態が起こると、主人公らは「過去に戻り」そこで「時間を遡行して、不都合を変革する仕掛けを置いて来る」

例えば、「バナナの皮で転ぶ」という不都合に対してて、「誰かが過去に戻り」+「バナナの皮を踏む直前にバナナの皮を蹴り飛ばす」という対処を取る。

この「過去への干渉」が可能なのは、「回転ドア」という装置を用いて「時間を遡行」出来るからで有り、作中でこれを「タイムマシン」とは呼称していませんが、明らかにこれは「タイムマシン」です。


要は、『TENET』は「タイムマシンSFの亜流」ですが、タイムマシンで遡行した時間で遡行した人物は時間を逆向きに進む・・・・これがこの作品のミソ。


時間遡行者と格闘する人間には、彼の放った銃弾は、拳銃に戻る様に見えるし、遡行時間中に遡行者が転倒すれば、正の時間から観測すれば、床からいきなり起き上がる様に見える・・・。

これは映像的には新鮮ですが、実は遡行者にその必然性は全く有りません。バナナの皮をどけたければ、普通に歩いて行って除ければ良い。「タイムマシン」が存在する時点で、遡行者は任意の時間に遡行して、対処を行えるのです。


■ 時間遡行のパラドクス ■

「時間遡行」には制約が有る様です。それは「正の遡行者が観測された時間にしか戻れない」事です。これは「映画の都合」で起こる制約です。

「タイムマシン」が有るのですから、遡行者は任意の時間に遡行しても構わないのですが、そうなると一般的な「タイムマシンのパラドクス」が発生します。干渉された世界と、干渉されない世界が別物では無いか・・・要はパラレルワールドが生じる場合に、時間干渉は果たして解決になるのかという問題。

『TENET』でも「祖父殺し」の命題として言及しています。「タイムマシンで時間を遡行して祖父を殺害した場合、自分はこの世に生まれるのか?」

そこで、このパラドクスを避ける為に、クリストファー・ノーランは遡行ポイントを「過去の正の時間の観察者が遡行者を観測した時間」だけに限定します。これならば、時間遡行者が過去に影響を与えたとしても、その結果は正の時間の観察者の未来に必ず同じ結果をもたらします。要は因果が、この特殊な状況においてはループしているのです。

ただ、ここにも大きなパラドクスが発生します。それは「遡行の起点は何処か」という点。未来における遡行の動機は「不都合な過去を改変する」事。ですから、未来で不都合が起きる度に「遡行」が行われますが・・・この遡行は時系列を持たない。要は、かなり未来からかなり過去に遡行するケースもある訳で、そうなると、今の状態が、どの時点の遡行の影響かに有るのか、視聴者には判断が付かなくなります。

ノーランはこれを「時間の挟撃」と呼称してお茶を濁していますが、結局、「シュレディンガーの猫」では有りませんが、正の時間の観測者が観測した時点で未来が決まって行く・・・そんなパラドクスを「時間遡行」は抱えています。


■ 「分からない」から面白いのか?・・・結論を言おう、ツマラナイ映画だったよ・・・ ■

一部には「分からないから、理解出来るまで何度でも観れる」というファンを生んでいますが、分からないのでは無く最初からトリックが破綻している。

特に、「回転ドア=タイムマシン」の設定を必要とする時点で、「時間遡行」の意味が映像的なトリックだけになっています。

さらに、この一見複雑な設定を強引に押し通す為に、画面は終始、アクションシーンの連続です。誰かが絶えず殴られているか、銃撃戦をしているか、カーチェイスをしている・・・。

観客を醒めさせないテクニックですが、とにかくアクションと大音量と派手な爆破で誤魔化せ!って手法。SF的トリックの破綻を誤魔化しているとも言えます。

大作映画のファンを相手にしているので、これは正解ですが・・・SF作品として観たら如何なものか・・・・。「時間遡行」の映像的な面白さも『マトリックス』の映像的なインパクトに比べたらショボい。


■ 何故か『Re:ゼロ』と比較してしまう『TENET』■

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『Re:ゼロから始める異世界生活』より


私は『TNENT』を観ながら、絶えず『Re:ゼロから始まる異世界生活』を思い浮かべていました。「時間遡行」という共通のテーマを扱った作品だからでしょう。

『Re:ゼロ』の主人公は、交通事故で異世界に転生しますが、彼は魔女によって「不死の呪い」が掛けられています。死んだら、セーブポイントまで戻ってやり直しが出来る。これ、ゲームのルールと同じ。これは主人公の主観的には「時間遡行」です。「タイムマシン=自身の死」なのです。そう考えると『Re:セロ』はタイムマシンSFの亜流です。

『Re:ゼロ』の主人公が時に自殺までもして、救いたいのは「大好きなあの娘」・・だんだん増えて来ますが。彼は戦闘能力が高い訳でも無く、知能が高い訳でも無い。ただ、死ぬ事で過去に戻れるので、未来が有る程度予見出来るだけ。


一方『TENET』の主人公が救うのは「世界の未来」。主人公の名も無きエージェントは、彼が死んでは未来が破滅するかも知れないので、必死に生き抜いて敵に対抗します。彼は戦闘力も高く、知性も高い。

「日本アニメ」と「ハリウッド映画」の根本的な違いはここに有る。人々が憧れるハリウッド映画の主人公は「強く正しい」。一方、アニメファンの共感する主人公は「弱いけれでも、大切な誰かを守りたい」・・・。


私が『TENTET』に対して評価が低いのは、彼がアメリカ型のヒーローで「強く正しい」事が気に入らないからかも知れません。但し、クリストファー・ノーランもそこは分かっていて、敵の妻に主人公は憐憫を感じる事で、主人公に人間の皮を被せようとしていますが・・・取って付けた様な薄っぺらさに違和感を覚えます。

『TENET』の主題は「時間遡行というアイデア」そのものと、その「映像的な面白さ」。登場人物も、物語も、「時間遡行」を引き立てる為に存在する。これでは感情移入する対象を見付ける事は難しい。

一方『Re:ゼロ』の時間遡行は、主人公の愛情表現であり、自己肯定の拠り所であり、視聴者の希望でも有ります。ここには多くの「共感」が存在する。


私は『TENET』と『Re:ゼロ』のどちらが面白いかと聞かれたら、『Re:ゼロ』と答えるでしょう。「トリックやギミック」を「装置」として扱うのか、それとも「存在の必然」として扱うのか・・・この違いは限りなく大きい。


まあ、アニメオタクの偏った視点の評論なので、『TENET』ファンには申し訳無いのですが・・・。
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2018/10/25

『カメラを止めるな!』は映画愛に溢れた傑作だった・・・チープなゾンビ映画と侮るなかれ!  映画
 

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『カメラを止めるな!』より


『若おかみは小学生!』を絶賛するネット記事で比較される事の多い『カメラを止めるな!』。ともに「SNSで口コミでヒット」というのがキーワード。

上映開始は2館だけという『カメラを止めるな!』ですが、内容の面白さから若い人を中心にSNSで評判が広がり、今や全国のシネコンで結構な集客。今年を代表する映画となりました。

「手撮り、長回しのゾンビ映画」と聞いていたので、私は勝手に1999年に話題になった『ブレアウィッチプロジェクト』の様な作品だと勘違いしていました。(これ、怖かったですよね・・・)

内容を書いてしまうと面白さが無くなってしまうので、一言で言えば「映画愛に溢れる傑作で、最後は爽やかに感動します」とだけ書いておきます。

日本映画が本質的に持っている「ある種のチープさ」を逆手に取った傑作です。『若おかみは小学生!』と『カメラを止めるな!』を観ずして、今年の日本映画は語れません。
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2018/9/8

『ポップ・アイ』・・・象と旅するロード・ムービー  映画
 

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映画『ポップ・アイ』より


家内と映画を観に行くと二人で2200円。但し、問題は「同じ映画」を観なければイケナイ事。だから我が家では、めったにこの割引を使う事は出来ません。「同じ映画館で別の映画を観ても割引だったら良いのに・・・」とは家内の弁。


この制度を利用して観に行ったのは『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』『未来のミライ』と全てアニメ映画。さらには映画代は私持ちというのが暗黙の了解。それでもアニメなんて見たく無いという家内を、さんざん拝み倒して、「息子がこの監督好きなんだよ、きっと話が合うよ」なんて家内の琴線に触れるマジックワードを囁いたりしてみます。

本当はアニメ映画以外も一緒に観たいのですが、私の実写映画の趣味は普通の人とズレているので、多分家内は退屈してしまうでしょう。かと言って、話題のハリウッド映画なんて、お金出して観たくも無いし・・・。

ところが、先週、家内が休日に暇だと言うので、映画でも行こうかとネットで検索したら「タイ」の映画を見付けました。我が家は息子の保育園時代から20年以上、タイ人のお母さんのご家庭(ご主人はアメリカ人)と家族ぐるみの付き合い。家内や子供達はタイにも一緒に遊びに行っています。

「これ、タイの映画だってよ。観て観ない?」と誘ったらOKを頂きました。勿論、映画代は私持ち。場所は渋谷のユーロスペース。

■ 象と旅するロード・ムービー ■


私はその国の現状を知るのに、旅行以上に映画が役立つと考えています。映画には観光地を旅行しただけでは分からない、その国の裏事情や、庶民の生活や文化が詰まっています。

私はタイには行った事は有りませんが、仕事で出かけた東南アジアの国々では、よくフラフラとマーケットや裏通りや郊外を散策するので、観光地以外のアジアの素顔はある程度は知っています。一緒に仕事をすると、国によって随分と国民性が違う事も良く分かります。

ネットに載っていたタイ映画の『ポップ・アイ』のスチル写真からは、そんなアジアの国の肌触りが伝わって来ました。

<ここからちょっと粗筋>

歳を取り、事務所でちょっと邪魔な存在となった著名な建築家のタナーは、ある日観光用の一匹の象に出合います。彼は子供の頃、田舎で象を飼っていましたが、泣く泣くその象を売った事があります。彼は街で出会った象を、かつて飼っていた象の「ポパイ」と確信します。

タナーは思わず象を買い取り、家に連れて帰ります。彼の家は広い庭がある豪邸・・・。ところが、夜中に象が家の中に入り込んでしまい、妻が激怒して家を出てしまいます。実は夫婦仲は最近冷え込んでいたのです。

庭で象を飼う訳にも行かず、タナーは象を500km先の故郷に還す事に。ここから象と中年男の旅が始まります。途中、様々な人と出会い、人の縁に導かれる様にして故郷に向かうタナーでしたが、500kmの道のりは遠い・・・。

何の変哲も無いタイの田舎を永遠と象と旅をするロードムービーですが、これ「名作」認定します。とにかくロードムービーって演出が過剰だっり、突飛な事件が起こると興ざめなのですが、かといって2時間近く、ただ移動するだけの映像を観るのは退屈です。その匙加減が難しい。

何も起きないロード・ムービーの代表格がウィム・ヴェンダースの『都会のアリス』だとするならば、山田洋二の『幸せの黄色いハンカチ』は、丁度良い塩梅に小さな出来事が繋がって行き。最期に再会というメインイベントが起こる。

『ポップ・アイ』はちょうど、その間って感じで、淡々としているけれども、退屈もしない映画。なんだか、自分も象と一緒に旅をしている・・そんな錯覚を覚える様になると、後はスクリーンに流れる時間に身を委ねるだけ。ちょっと眠気も覚えながらも2時間が過ぎて行きます。

途中、家内が寝てないかチェックしていましたが、結構真剣に観ていました。むしろ、私がウトウトしたら、肘で小突かれました・・。

■ 過剰な映画が氾濫する中でキラリと光る ■

所謂ミニシアター系の作品は結婚するまでは散々観て来ましたが、ある程度のバリエーションを観てしまうと、「感動」する様な作品にはなかなか出会えなくなります。

かといって、ハリウッド映画の様に計算されつくされ、「さあ、感動してください」って感じの映画は全く受け付けません。そんなこんなで、最近は年に2〜3本、仕事の合間にたまたま上映してる映画を観る程度になってしまいました。

映画ファンと言うのが恥ずかしい状況ではありますが、何故だか、フラリと入った映画に外れは少ない。昔から映画はスチル写真で観るかどうか決めていますが、スチルに魅力のある映画にハズレは少ないというのが私の持論です。

『ポップ・アイ』もスチルに惹かれました。

監督はシンガポールの新鋭、カーステン・タン。台湾のホウ・シャオエンに似た肌合いの監督です。人物と観客の距離感が絶妙な監督。

主演は、かつてはタイのプログレッシブロックシーンで名を馳せたというタネート・ワラークンヌクロという方。何と映画初出演だそうですが、なかななの演技でした。(というか演技をしていない所が絶妙に良い)

この映画、見どころといか聴きどころは音楽です。タナーの携帯電話の着信音はニーノ・ローター風だったり、エンディングはエンニオ・モリコーネ風だたりと、映画ファンには心憎い選曲。そしてタイの歌謡曲が日本の演歌に似ていたりと聴きどころも満載。


ところで、劇場を出た後の家内の感想はというと・・・・特に有りません。実は私も何も語る事が無かった。ツマラナイ作品だったからでは無く、言葉にしなくとも、何となく心に浸透して理解できる作品だから。


こういう映画、一生、記憶に住み続けるんですよね。そういった意味でもホウ・シャオエンや小津安二郎に近い監督だと思います。

予告映像を紹介しますが、予告でダイジェストにしてしまうと、この映画の良さは伝わり難いですね。





最後にこの映画を名作としているのは、象に乗って旅するのでは無く、象と一緒に歩いて旅をする点。この違いは大きい。
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2018/7/7

『湯を沸かすほどの熱い愛』と『アンダーカレント』と『UNDER CURRENT』  映画
 

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『湯を沸かすほどの熱い愛』より


■ 観たいけど観れなかった映画『湯を沸かすほどの熱い愛』 ■

2年程前に、中野駅のトイレに行く通路にしばらく『湯を沸かすほど熱い愛』という映画のポスターが貼られていました。その隣には「拳銃撲滅」とか「クスリは身を亡ぼす」系のポスターが貼られていたので、私はしばらく風呂屋の防犯ポスターと勘違いしていました。

赤の筆文字で書かれた作品タイトルが園子温作品かと勘違いさせますが、中野量太という方の監督・脚本作品。2015年に公開されましたが、その年の日本アカデミー賞を6部門獲得するなど、映画ファンには評判の良い作品でした。

私も観る気満々でしが、オダギリジョーが出演していると知って止めました。彼の事を嫌いなのでは無く、近年ドラマなどで散見する彼の演技が好きで無かったから。オダギリジョーと言えば彼のデビュー作である『仮面ダイダー・クウガ』の、なんとも初々しい演技が印象に残るだけに、最近の見た目「和製・ジョニー・ディップ」で、何となく浅野忠信?的な焦点を少しハグラカシタ感じの演技は好きでは無かった・・・。

だから、観たいけど観れない・・・。そうして、とうとう劇場に足を運ぶ事はありませんでした。

■ amazon Prime は見逃した映画を観るには良い ■

amazon Prime で動画を観はじめてから、アニメは良く観るのですが、実写映画はほとんど観ません。何故なら観たい映画が無い。ハリウッドや日本の話題作は有るのですが、その手の作品が苦手な私は作品リストをスクロールして溜息をつくだけ。

ただ、『青い春』みたいな映画がたまに混じっていたりするので、一応タイトルはチェックしています。すると先日、『湯を沸かすほどの熱い愛』が無料で観れる事に気付きました。無料ならオダギリジューがツマラナイ演技をしていたら視聴を止めてもいいか・・・・そう思って観始めました。

■ 緻密な脚本に舌を巻く ■

『湯を沸かすほどの熱い愛』、噂に違わぬ素晴らしい作品でした。私はこういう映画が観たいんです。特に杉崎花の演技が光っています。女優がある年齢の時に、一瞬だけ演じる事が許される演技、蝉が蛹から羽化する瞬間の、透ける様な青白さを思い出させる瞬間が、しかりとフィルムに記録されています。ちょっと『花とアリス』の蒼井優を思い浮かべました。

銭湯を営む一家の主が突然失踪します。後に残されたのは母と娘の二人きり。風呂を薪で沸かすのは重労働ですから、店を閉じてパートで生計を支える宮沢りえ演じる母親。かわいいけれど、同級生の女の子達から虐めにあっている高校生の娘。母は夫の失踪という現実に耐えながら、健気に娘を育て家事をこなしています。

ところが、彼女は末期ガンの宣告を受けます。余命数か月だと。その日は落ち込みますが、直ぐに探偵を雇って夫の居場所を突き止めます。夫はなんと隣町で若い女と住んでいた。早速アパートに乗り込み、夫をオタマでぶん殴り、癌である事を告白して家に連れ帰ります。とんだ肝っ玉の据わりぶりです。しかし、夫と共に家にやって来たのは10歳位の女の子。夫の子だと紹介されます。

街でばったり再会した一夜限りの関係を結んだ事のある女性に、「あの時の子供が居る」と突然打ち明けられた。そして少女を残して彼女は失踪してしまいます。夫はその後、アパートで少女の面倒を見ていたと。頼りないけれども心の優しい男では在る様です。

死を目前にして母親は娘の為に父親を取り戻し、そして妹まで作ってしまいます。そんな寄せ集めの様な家族ですが、母親を中心に次第に結束してゆき・・・・。

序盤の粗筋を書いてしまいましたが、この作品の凄いのは綿密に練られた脚本。最初の洗濯を干すシーンや、タカアシガニを食べるシーンなど、何気ない日常シーンが全部複線となり、後半に向けて大きな意味を持ったり、暗示になったりするのはスリリングです。

様々な「母親と娘」の関係を、一つの家族を通して幾重にも描く傑作です。


結末が許せる人と、エええ!!と思う人に分かれると思いますが、私は大好きなエンディングです。一週間で4回も観てしまいました。


■ 無性に豊田徹也の『アンダーカレント』が読みたくなった ■

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『アンダーカレント』 豊田徹也 より

『湯を沸かすほどに熱い愛』を観ている途中から、この作品が無性に読みたくなりました。2005年に発刊された豊田徹也の『アンダーカレント』という漫画。

こちらも夫が蒸発した風呂屋が舞台です。風呂屋を再開する為に組合から紹介されてやって来た男と、夫に逃げられた女の話です。男は自分の事を語りたがりませんし、いつフラリと居なくなるかも分からない。それでも、いつしか男は頼りになる存在として彼女を支え、近所にも溶け込んでゆきます。

一方、妻は探偵を雇って夫を行方を追いますが、その過程で浮かび上って来るのは自分の知らない夫の姿。出身地や過去だけでは無く、自分と暮らしていた頃の夫の実体も彼女にはアヤフヤなものに思えて来ます。

一方、彼女は子供の頃から水の中に沈んでゆく悪夢に苛まれています。怖いのか、安心しているのか分からない不思議な夢です。首を絞められながら沈んで行く・・・。そんな彼女の夢の原因が、近所の女の子の失踪から明らかになります。そして、遠い過去の糸が手繰り寄せられてゆく・・・。そして夫の隠された事実も明らかに。

実はこの作品、映画以上に映画らしい。話の展開は重層的で慎重。人々の言葉の裏には、本人すら気付かない思いが隠れています。『湯を沸かすほどの熱い愛』の監督は、この作品を読んで着想を得たのでは無いかとい私は妄想しています。

作品が少なく、知名度の低い豊田徹也ですが、『アンダーカレント』は日本のマンガの中でも屈指の名作だと私は思っています。

日本では知名度が今一つですが、フランスでは高く評価されている漫画家です。フランスのマンガ賞を獲得しています。雑誌に掲載された受賞告知が下の画像。

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ところで、この作品に出て来るクセの強い探偵を主人公にした『珈琲時間』短編も発表されています。これも面白いです。

■ 『アンダーカレント』の表紙は『UNDER CURRENT』 ■

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ところで漫画の『アンダーカレント』の表紙は、ジャズファンが観れば『UNDER CURRENT』である事は直ぐに分かります。

ギターのジム・ホールとピアノのビル・エヴァンスのデュオによる名盤ですが、静かな水の中で静かに沸き上がるインプロビゼーションは緊張感に溢れています。マンガの表紙を見る度に、「マイ フェーバレット バレンタイン」のイントロが浮かんで来ます。



本日は、映画、マンガ、音楽の連想ゲームでした。
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2018/4/16

エンタテーメントの極致『グレーテスト・ショーマン』・・・ディズニーとMTBの合体  映画
 

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『グレーテスト・ショーマン』より

■ 娘に勧められて『グレーテスト・ショーマン』を観に行った ■

TVが無いので映画など何が流行しているのか全く知らない私。そんな私に娘が『グレーテスト・ショーマン』という映画が面白かったと興奮して話し始めた。

私 「何が面白かったの?」
娘 「入口でペンライトもらって、コスプレの人とか居て・・・」
私 「そういう内容の映画なの?」
娘 「サーカスの映画だよ」
私 「コスプレの?」
娘 「歌ってもいいの。声かけても。ガヤなんてタイミングピッタリだし」
私 「何の話しをしてるの?」
娘 「だから、応援公演」
私 「映画を観に行ったんじゃなかったの?」
娘 「だから、映画を応援しながら観るの、バルト9で」

どうやら、娘の行ったのは『グレーテスト・ショーマン』という映画のファンの為の上映会で、上映中にペンライトを振ったり、スクリーンと一緒に歌ったり、コスプレしている人が居たり、スクリーンに声を掛けたり(ガヤと言うらしい)出来るらしい。要は『グレーテスト・ショーマン』のディープなファンの為の特別上映会。

私 「ところでお前、この映画のファンなの?」
娘 「ううん。初めて観た」
私 「・・・・」


娘の「楽しかった」は、「スクリーンと一緒になって楽しむ人達を見て、楽しかった」という事らしい。ただ、その後、映画の内容を全部ネタバレしてくれました。・・・私的には『グレーテスト・ショーマン』を観る必要が無くなりました。

■ 家内がどうしても行きたいと言うから・・・観てみた ■

その後も娘はメールで「観た?観た?」と催促して来る。家内は友人にサントラを借りて来て予習に余念が有りません。

日曜日の朝に何やらパソコンで調べていると思ったら、池袋で今夜開催される「応援公演」の予約を取ろうとしています。

私 「これ夜遅過ぎだよね、終わるの11時過ぎだし・・」
妻 「でも、もう応援公演が終わっちゃうよ。バルト9は終わっちゃったし」
私 「いきなり応援公演ってハードル高く無い?映画じゃなくてファンを観に行くみたいだよ」
妻 「確かに」

こんな会話をした後、午後2時になっても未練がましく予約画面を眺めている家内。

妻 「ねえ、まだ席がだいぶ空いてるよ」
私 「応援公演ってファンが少ないと寂しく無い?何見に来たのか分かんなくなっちゃうよ」
妻 「それもそうね・・・。ねえ、じゃあ普通の上映に行こうか」
私 「それなら良いよ」

という事で、夕方から久しぶりに夫婦で映画に出かけました。お互い50歳を過ぎているので安い。

■ ディズニー映画だった・・・ ■

妙な盛り上がりを見せている映画なので、あまり期待していませんでしたが・・とても楽しめました。

これ、ディズニーのアニメ―ション映画だよね・・と思いながら観ていたら、脚本は実写版の『美女と野獣』の監督のジェニー・ビックス。とにかく細かい事は観客に考えさせない。骨格のしっかりしたストーリーに印象的なシーンを散りばめて、後は歌で押す。エンタテーメントに徹しています。

音楽は『ラ・ラ・ランド』のベンジ・パセック&ジャスティン・ポールのコンビ。完全オリジナルだそうですが、私、サントラを聴いていて80年代のMTB黄金期のクイーンやジェネシスやホイットニー・ヒューストンとかTOTOとかを思い出してしまいました。この時代までが商業音楽が生き生きしていた。キャッチーでポップだった。

ちょっと懐かしいメロディーをてんこ盛りにして、今風のアレンジで処理すると、一度聞いただけでノリノリで歌える楽曲が出来る。これ、簡単な様で結構難しい。特に盗作とか、パクリと訴えられないギリギリのラインを狙っています。冒頭なんてクイーンの「We Will Rock You」そのまんまですが、こうも堂々とやられるとパクリと言うのが野暮。

ディズニー映画はアラン・メンケンの耳に着いて離れないメロディーを巨力な推進力にしていますが、『グレーテスト・ショーマン』も、音楽のキャッチー度合いでは引けを取りません。

■ ロングバージョンのミュージッククリップ ■

映像も素晴らしいのですが、ミュージッククリップの手法だなと思ったら、監督はそちらの畑の人でした。

様は『グレーテスト・ショーマン』はディズニー映画的な分かり易い脚本を、ミュージッククリップの手法で演出した作品。『フラッシュ・ダンス』の進化系の映画ですね。

■ 空中ブランコのシーンは圧巻 ■

内容なんて気にせずに音楽に身を任せ、ゴージャスなショーを楽しむ・・・そんな映画ですが、空中ブランコのシーンは圧巻でした。

CGに席巻された昨今のアメリカ映画で、「生身」の人間の「技」がこれほど素晴らしいものだと再認識されるシーンです。

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アン役のゼンデーヤさん

空中ブランコ乗りのアンを演じたのはゼンデーヤという女優。スタント無しと書かれていますが・・・素顔も可愛い。

■ しばらくサントラを楽しめそうだ ■

私の中では『グレーテスト・ショーマン』はロングバージョンのミュージック・クリップ。だからしばらくはサントラを聴き込んで、その後はカラオケで熱唱するのが正しい楽しみ方。

その先に有るのは・・・「応援公演」なのでしょう。


ところで映画は面白かったの?と聞かれると・・・「木が全部持ってった」というのが家内と意見の一致をみた回答。



それでも家内は応援公演に未練が有る様で、娘に「もう一回行く?」と聞いてました。答えは「もう充分」だそうです。



■ バーナム・ミュージアムと言えば・・・スティーブン・ミルハウザー ■

実は私、バーナム氏が実在の人物とは知りませんでせいた。『バーナム博物館』の名はスティーブン・ミルハウザーの小説で知っていたのですが・・。奇妙な博物館の話で、イルカが出て来る事しか覚えていません・・・。マジック・リアリズムと呼ばれるジャンルの小説です。

ところで実際のバーナム氏は150年前にサーカスを大成功させた実業家で、アメリカンエンタテーメントの元祖をも言えるお方。ただ、その後は政治家に転身し、禁酒活動家などもされていたとか。

映画では「フリークスも家族」みたいな人道主義を提示していますが、実際のバーナムさんは「フリークスは見世物」をストレートにやる様な人物だったとか。


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