2016/8/29

「良い映画」と「悪い映画」・・・私的映画感  映画
 
『君の名は。』の感動が冷めやらないので・・・もうちょっと・・・。








■ ハリウッド映画って面白い? ■

先日の『君の名は。』の記事で、「間違い無く今年公開される実写も含めた映画の中ではNo.1確定でしょう。構成からシナリオに至るまで、この映画を超える作品は、今のハリウッドでは作れない。」と書きました。

「日本のアニメ映画とハリウッド映画を比べるなんて・・・」と思われた方も多いかと・・。確かにハリウッドの諸作は映像も脚本も完成度が高く、エンタテーメント性が極めて高い。全世界の人達をワクワクさせる魅力に溢れています。

しかし、最近のハリウッド映画やディズニー映画は「完成度」は高いのですが、「新しい驚き」に乏しい様に感じます。どこかで見た事のあるストーリーを派手なアクションで強引に見せているだけに感じられます。

■ CGの完成度や演出の技術に頼り過ぎる『ズートピア』 ■

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評判のディズニー映画『ズートピア』をDVDで観ましたが、これ、典型的な刑事物(エディー・マーフィーが出てきそうなヤツ)の動物版リメークって感じでした。だから『ズートピア』はストーリーが先読み出来てしまいますし、「出来過ぎ」ていて・・・感動に至らない。(技術や演出のテクニックには感動するのですが)

「人種差別問題を動物に置き換えている」という何となく取って付けた様なテーマは在りますが、実際にはCGによって動物をイキイキと描く事を目的にしています。極論すると「CGならではの映画を作る」事が目的であって、ストーリーや感動というものが技術に従属しています。

アメリカ社会の人種問題は根深く、それに起因する貧困も現実的な問題です。これを正面から描く事は難しいのですが、動物にしてオブラートに包む手法はアメリカのアニメの伝統的な手法です。

それを完成度高くやっただけ・・・なのですが、製作者が人種問題を本当に告発する意図を持って映画を製作しているかと言えば・・・その「ヤバさ」を私は感じません。「動物のアニメーションを作る」という目的が先に存在し、動物アニメの隠れたテーマである人種問題を後からくっ付けた感がしてならないのです。

ある種の「偽善」ですが、アメリカ社会のダブルスタンダードを良く表しています。だからこのアニメは気持ち悪い・・(と言うより、ディズニーアニメ全体が気持ち悪い。)

実はウォルト・ディズニーは白人至上主義者の批判を浴びる事が多かった。実際に彼の作品の中の黒人やインディアンの表現は差別的ですし、職場でも彼が黒人や女性を軽視していたとの話は沢山あります。

近年のディズニーアニメは時代の流れに従って、マイノリティーや外人の扱いには神経質です。「ポカポンタス」や「リロ&スティッチ」の様に「白人至上主義」のレッテルを払拭する為の映画を作ったり、「ムーラン」の様に中国をマーケットに取り込む為の作品を作ったりしています。

ディズニーは巨大なメディア企業であり、そのマーケティングは徹底しています。「夢の様なストーリー」はマーケッティングの結果であり、だからこそ作品がヒットします。ディズニーアニメは個人のクリエーターの作品では無く、大衆向けの「完璧な商品」なのです。

「何分に1回観客を笑わせれば良いか」「涙を誘うシーンはどのタイミングで入れれば良いか」など、綿密に研究して映画造りに反映させています。

これはハリウッド映画全般に言えます。投資家から資金を集め、世界レベルでヒットさせて投資家に還元する目的で作られる映画・・・私達は映画を観て「感動している」のでは無く「強引に感動させられている」のです。

(中には『セッション』の様な「私的」な映画も有り、それらは素晴らしいのですが)

■ 『君の名は。』にみなぎる「個人のテーマと新しい物語」を追求する意思 ■

これまで極私的製作を続けていた新海誠ですが、『君の名は。』は大規模な劇場公開作品なので、これまでの様な「自分の為」の製作は許されず、「多くの人に受け入れられる物語」が要求されます。

彼は「分かり易さ」の道具として「男女入れ替わり」という日本人が好きなベタな設定を選択しています。観客は展開を何となく予想出来きるので物語に入り込み易くなります。

ところが、中盤で物語は「一般的な入れ替わり」を逸脱して、全く違う展開を始めます。観客は不意打ちを食らうと同時にグイグイを物語に引き込まれて行きます。

ここから先は、新海誠の個人テーマである「出会いとすれ違い」がグイグイと前面に押し出されて来ます。新海監督は「個人のテーマ」を捨てていなかったのです。

ただ、「出会いとすれ違い」を「個人レベル」で追及していた旧作と比べ、『君の名は。』は「物語としての強さと普遍性」を獲得しています。

最近、新海監督は「日本昔話し」などの日本に魅力にハマっている様ですが、アイデアの宝庫だと語っています。「物語のステロタイプ」に対する新海監督の理解が深まった事が、「多くの人に受け入れられる良質な物語」の源泉になっているのかも知れません。

■ 『オーロラの彼方へ』という隠れた良作 ■

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実は『君の名は。』に似た時空トラベル物の良作が2000年のハリウッド映画に在ります。『オーロラの彼方へ』という題名で日本でも公開されています。

オーロラの影響で30年前の父親と無線で交信する息子(消防士)の話。消防士だった父親は30年前の火災で殉職しています。息子は父親が死んだ火災に疑念を抱き始め、無線の向こうの父親と一緒に事件の核心に迫って行きます。

仕掛ばかりが大掛かりになったハリウッド作品の中で、アイデア一つで勝負した作品として私的には非常に評価の高い作品です。

■ 新しく無い『バケモノの子』と、新しい『おおかみこどもの雨と雪』
 ■


新海監督が今後どの様な作品を作って行くのか未知数ですが、「誰もが分かる映画」の罠には注意が必要です。

新海監督より先に「世間的な知名度」を獲得した細田守監督ですが、彼のバケモノの子』は面白く無い。

何故面白く無いかと言えば、『カラテキッズ』の様な「既成のプロット」を「異世界」という小手先の「変換」で作り直したからで、これは『ズートピア』にワクワク出来ない原因とも同質です。「子供にも分かる映画」を要求された結果とも言えますが、作家性が薄まると作品はたいがい魅力を失います。

その点、同じ細田作品でも『おおかみこどもの雨と雪』は作家性が際立っています。話が難解になったり、演出的に若干破綻してしまっても、「個人の物語、新しい物語」意思によって、その作品の魅力は損なわれる事は有りません。(自己満足にならない最低限の表現力は必要ですが)

同様に『君の名は。』は、「個人の物語、新しい物語」を創造しようとする決意が感じられる、素晴らしい映画だと思います。


■ 『シン・ゴジラ』は「背景」であって「物語」で無い ■

私が否定的な『シン・ゴジラ』ですが、庵野総監督は少なくとも「個人の物語」は捨てていない様です。「エヴァの様な・・・」は「個人の物語」の裏返しかのかも知れません。

しかし、私は『シン・ゴジラ』に否定的です。理由はあの作品が描こうとした「無駄な会議シーンや日本の矛盾」が「背景」であって「物語」で無いから。

「物語」のステロタイプは「神話」に在りますが、どうも人間は「神の与えし試練にひたむきに抵抗する姿」に感動する様に出来ている様です。

『シン・ゴジラ』において神の与えし試練はゴジラですが、どうも物語的には試練は「無駄な会議や、歪んだ日米関係」にも在る様です。

この両方を敵として戦う姿を描こうとした事で、両方が消化不良を起こしてしまった・・・そんな映画なのだと思います。

『場版パトレーバー』や『エヴァンゲリオン』が成功した理由は、「上の事情」をあまり描かなかった事にあります。「上が言っているから・・・」みたいな表現で、その部分は視聴者の想像に任せています。

「上の事情」をメインに描こうとするならば、それはそれで「ポリティカル・フィクション」として成り立つのですが、その場合は現場サイドを描かない事が重要になります。「上の争い」と「下の争い」は異質ですから、それを同列で描くと陳腐になってしまうのでしょう。

絶賛する声が多いので、私程度が酷評しても興行成績には影響しないと思いますので、あえて言うならば、「シン・ゴジラ」は「製作会議のホワイトボードに書かれたプロット」がそのまま映像化されただけであって、その後に続くべき「脚本」や「物語」がスッポリと抜け落ちています。

要は「シン・ゴジラ」は「物語」としての体を成していない・・・。大勢の俳優陣と、ゴジラの迫力ある映像で何となく誤魔化されていますが、特撮シーンがショボイバージョンを想像すれば、あの映画の問題点は容易に理解出来るかと思います。


ただ、庵野監督の映画らしく「使徒」は登場します。それはラストに映るゴジラの尻尾の人型の物では無く、怪しい日本語で脳内を直接浸食して来る「イシハラサトミ」。こいつは手強い・・・。

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2016/8/11

『シン・ゴジラ』で喜ぶなかれ・・・平成ガメラ3部作を観ずに死ねるか!!  映画
 




■ 過去に縛られる『平成ゴジラ』と、新たな創造を目指した『平成ガメラ』 ■
ニコ動に『ガメラ3 イリス覚醒』の冒頭に渋谷破壊シーンがアップされていました。(音楽は差し替えられているのであしからず)

平成ガメラシリーズは1984年に復活したゴジラシリーズが好評だった為に、大映も看板怪獣のガメラを復活させて一儲けしようと始動したプロジェクトでした。

当初の予算は5億円、監督を引き受けた金子修介はこんな予算では子供騙ししか作れないと落胆しますが、脚本に伊藤 和典(『うる星やつら』『パトレイバー』の脚本家)、特撮に樋口真嗣(ゴジラの怪獣造形)を得た事で本格的な怪獣映画を目指す事になります。(Wikipedia参照)

昭和時代のガメラは「良い子の味方」という位置付けで、姿も亀。さらには手足を引っ込めてそこからロケット噴射して飛んいくというトンデモ設定の怪獣でした。

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初代のゴジラああまりにも偉大な為に、『シン・ゴジラ』に至っても、その呪縛から逃れられられずにいます。一方、ガメラは「どーでもいい子供向けの怪獣映画」だったので、リメイクに当り以前の作品の縛りはほとんど有りませんでした。

そこでスタッフは「怪獣映画の王道」を作ろうと決意します。

■ リアルな「怪獣映画」を目指した平成ガメラシリーズ ■

「怪獣映画」の魅力は何かと問われれば、それは現実には存在しない巨大な怪獣同士が街を破壊しまくりながら戦う事。敵役の怪獣の魅力如何によっては作品の面白さが全く変わってきます。

平成ガメラシリーズの第一作で敵怪獣として選ばれたのは、1967年のガメラシリーズ第三作で登場した「ギャオス」でした。(ガメラの怪獣で名前がポンと出るのはギャオスとバイラス位でしょう)

ギャオスは翼竜の様な姿をしており夜行性で人を喰います。口からは超音波を発射して物を切断します。

子供向けの映画で「人を喰う怪獣」というのは相当インパクトが有ります。平成ガメラ第一作の『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、「人を喰う怪獣」をリアルに描き上げる事で、「本当の怪獣映画とは何か」を追求します。その為にはギャオスの生態は徹底的にリアルに作り上げられ、そしてそれが徐々明らかになる事が物語の進行と見事にリンクします。

<ここからネタバレ全開>

五島列島・姫神島で、島民が「鳥!」という無線を最後に消息を絶つという事件が発生。調査に行った研究者も連絡が取れなくなります。鳥類学者の長峰真弓は、行方不明の先生を探すと共に「謎の鳥」の調査の為に姫神島を訪れます。そこで目にしたのは破壊された家屋と、巨大なペレット。ペレットとは鷹などがエサを食べた後に消化出来ない毛などを口かは吐き出した物です。長峰はビニール手袋を手にハメるとおもむろにペレットに手を突っ込みます。そして彼女が見つけた物は・・・先生の愛用していた万年筆とメガネ。

「この鳥は人を食べます・・・」・・・イヤー、掴みはバッチです。

その後、島の洞窟で巨大な鳥の卵の殻と、ヒナの残骸が見つかります。

「この鳥は共食いします・・・」・・・イヤー、畳み掛けてきますね。

巨大な鳥の正体は不明なれど、人を襲う鳥が本土に上陸する事は阻止しなくてはなりません。しかし政府は恐竜の生き残りかもしれない貴重な生き物を捕獲する方針を固め、その作戦立案を長峰に依頼します。実際に巨大な鳥に遭遇した鳥類学者が彼女しか居ないからです。

島から彼女と行動を共にした長崎県警の大迫警部補と長峰は鳥の捕獲作戦のアイデアを練ります。「あんな巨大な鳥を入れられる様な檻は無いわ・・・」と言う長峰に、「あるじゃないですか、ほら」と示したのは福岡ドーム。

いよいよ鳥を福岡ドームに誘導する作戦が自衛隊の協力で始まります。光を嫌う鳥の性質を利用して、ヘリコプターのサーチライトで鳥を福岡に誘導します。ドームの中は麻酔銃を構えた狙撃隊が待ち受け、グランドの上にはエサとして牛の死体が置かれます。まんまとドームにおびき出された鳥達は麻酔銃で動きを封じられます。

同じ頃、巨大な亀が福岡に上陸してきます。もう街はパニックです。だって巨大な亀が福岡ドームに迫って来るのですが。

亀は何故か「鳥」を狙っている様です。捕獲時に逃げた一羽の鳥を亀は地上に叩き落とします。さらに福岡ドームの鳥に迫ります。危険を察知して目覚めた鳥は、なんと口から超音波を発して檻を切断して逃げようとします。そして亀にも超音波攻撃を加えます。亀の攻撃を逃れた1羽が夜空に消えて行きます。をれを追って亀も・・・なんと手足を引っ込めるとそこからロケット噴射して後を追います。

もう政府も世間も天地がひっくり返った様な大騒ぎです。対策会議が招集されますが、とりあえず巨大な鳥を「ギャオス」、巨大な亀を「ガメラ」と命名し、追跡と攻撃には自衛隊が動員される事が決定されます。

その後、ギャオスは山間部に潜伏し、牛や豚や人を食べて急速に巨大化して行きます。とうとう村が再びギャオスに襲われますが、そこにガメラが空からやって来ます。飛翔して逃げるガメラと飛翔して追うガメラ。その時、自衛隊のミサイルがガメラを捕え、ガメラは海へと落下して行きます。

ガメラの追撃を逃れたギャオスは、潜伏しながらも捕食を続け、ついには東京に飛来します。人口密集地では自衛隊はギャオスに大火器の攻撃は加えられません。東京はギャオスのエサ場と化してしまいます。

攻撃によって真ん中から折れた東京タワーにギャオスが降りたちます。夕日を背景にしたギャオスは東京の終末を象徴するのか・・・。


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綿密に構成された伊藤 和典の脚本と、ゴジラシリーズを圧倒するクォリティーの樋口真嗣の特撮は、「怪獣映画」のレベルを遥かに超え「パニックムービー」の傑作の域に達しています。しかし、彼らはあくまでも「怪獣映画」に拘ります。やはり見せ場は「怪獣VS怪獣」なのです。

怪獣映画へのこだわりは、当時のポスターにも表れています。私はこれを電車の吊り広告で観た時は「懐かしい」と思うと同時に、「ゴジラの次はガメラかよ・・」って印象しか受けませんでした。これ、実に勿体ない宣伝ポスターで、下の写真がポスターに使われていたら私は迷わず映画館に走っていたでしょう。

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樋口真嗣の映像センスが冴え渡っています。

■ 「良い子の友達」から「地球の守護者」に格上げされたガメラ ■

人食い怪獣ギャオスから東京を救ったガメラですが、ガメラも人間にとっては脅威でしかありません。人口密集地に飛来すれば、着陸するだけで多大な被害をもたらすからです。冒頭の渋谷破壊の映像は樋口真嗣の最高傑作と言うよりも、あらゆる「実写特撮の最高峰」ですが、ガメラとギャオスの戦いに巻き込まれて多くの人々が一瞬で命を落としています。

ガメラがギャオスと戦うのはギャオスが人を喰うからでは無く、ギャオスが増えすぎる地球の生態系を壊すからに他なりません。

古代に高度な文明を築き上げた人達の中から、「人が地球を破壊する」と考える者達が現れます。彼らは、人類を淘汰する為に究極に生物兵器を作り出します。それがギャオスだったのです。単一の染色体しか有さず、単性生殖で無限に増え続け、人を喰いつくす兵器。

それに対抗する為に生み出されたのがガメラです。ガメラは放射性物質から、はたまた地球のマナ(生命力)に至るまでをエネルギー源として、ギャオスやその他の地球の生態系を壊す存在を駆逐する為に生み出されたのです。

■ 日本SF大賞を受賞した本格SF作品の『ガメラ2 レギオン襲来』 ■

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『ガメラ2 レギオン襲来』では、生態系の脅威は宇宙からやってきます。

札幌郊外に隕石が落下してから怪現象が起こり始めます。オーロラが出現したり、光ファイバーケーブルが消失したり。

五島列島の姫神島で長峰真弓とギャオスの最初の発見者となった大迫警部補は、恐怖から逃げる様に警察を辞め、北海道でビール工場の夜警の仕事に就いています。ある晩、大迫が軽微に周っていると、彼は巨大な昆虫に遭遇してしまいます。腰を抜かす大迫ですが、昆虫は彼を襲わずに去って行きます。後にはビール瓶だけが消失していましたが・・・。

その後、札幌青少年科学館の研究員の穂波碧は、札幌近郊へ発生する怪現象を調べています。徐々に札幌中心部に移動する怪現象に、彼女は隕石の落下点から地中を何かが移動しているという仮説を立てます。そしてそれが光ファイバーやビール瓶などの「ケイ素化合物」を摂取していると推測します。

彼女の推理は当り、地下鉄が何物かに襲われます。緊急出動した自衛隊は生存者を確保すると同時に、巨大なアリの様な生物と遭遇し、その一匹を殺傷、確保します。この生き物の体はケイ素で出来ており、筋肉は見られずに空気圧で動いています。隕石に乗って飛来した地球外生物だと推測されました。

巨大なアリが札幌の中心部に現れるとすぐに、ビルよりも大きな植物が地中から生えて来ます。それを花の様な物を付けます。穂波碧はその植物が種子を宇宙に打ち上げるのでは無いかと推測し、知り合いのNTT職員に打ち上げ時のエネルギーを計算してもらいます。彼の計算によれば・・・・札幌の中心部はほぼ消失する・・・。巨大アリ達は酸化ケイ素である土を分解して体を作る半導体様のケイ素化合物を作ると同時に分離した酸素を「花」の周囲に蓄えていたのです。「花」はこれを酸化剤に利用して宇宙空間にタネを打ち上げる。アリと花は宇宙規模の共生関係にあったのです。

まさに花は種子を打ち上げんとするその時、空からガメラが飛来します。ガメラは終始の酸素を吸い込むと、プラズマ火球を花めがけて打ち込み、さらには花を根こそぎ引き抜きます。札幌は危機一髪、ガメラに救われたのです。

ところが、地中からワラワラと巨大アリが現れガメラの全身を覆い尽くし攻撃を開始します。ガメラはたまらずに飛翔し回転しながらアリを振り払いますが、ビルのガラスには緑色のガメラの地がベッタリと付いています。その直後、地中から巨大なアリが現れ、南の方角へと飛び去ります。

それを見ていた若い自衛官がつぶやきます。「「主が、『名は何か』とお尋ねになると、それは答えた。『わが名はレギオン。我々は、大勢であるがゆえに』」マルコによる福音書5章9節です。その後巨大アリはレギオンと呼称されます。

自衛隊のミサイルに追撃されたかに見えた巨大アリですが、今度は仙台に巨大な花が出現します。再び現れたガメラですが、巨大アリがガメラの前に立ちはだかります。

仙台市民がほぼ避難し終えた時、花が発射されます。直前で巨大アリに地中に避難しますが、爆炎をまともに浴びたガメラは・・・全身消炭状態のまる焦げ・・・。そのまま活動を停止します。

しかし、ガメラは生きている・・・ガメラと唯一心を通わせる事の出来る少女、草薙浅黄(藤谷文子が演じていますが、彼女はスティーブン・セガールの日本人とに間に出来た娘)
はガメラの復活を信じています。そして、被災した仙台の子供達がガメラの元に集まって来ます。ガメラの復活を信じて。

一方、東京を目指す巨大レギオンを自衛隊は利根川を最終防衛ラインに迎え撃つ作戦を立てます。栃木県内に出没した巨大レギオンに戦車大隊の砲撃が集中しますが、全くダメージを与えられません。ジリジリと後退する自衛隊ですが、まさに壊滅も覚悟したその時、仙台でガメラが復活します。再びレギオンに対峙するガメラですが、無数の小型レギオンがガメラに遅い掛ります。

と、その時、何かに惹かれるかの様に小型レギオンがガメラから進路を逸らします。小型レギオンの生態を調査していた穂波とNTT社員の帯津は、小型レギオンを誘導する方法を発見しうていたのです。

邪魔者が居なくなり、巨大レギオンとガメラの一対一の激闘が開始されます。それまでガメラを敵勢と判断していた自衛隊ですが、ここに至り、ガメラを味方と判断します。「自衛隊の全力を持ってガメラを援護する!!」命令が下されます。

はたしてガメラと自衛隊はレギオンに勝てるのか・・・・。

平成ガメラシリーズで大人に一番受け入れられ易いのは『ガメラ2 レギオン襲来』でしょう。この作品、ハリウッドのSF映画など足元にも及ばない、しっかりとしたハードSF映画です。

ただ、SF設定が複雑なので、科学が得意で無い方は????となってしまう危険性はありますが。

996年第17回日本SF大賞受賞。1997年第28回星雲賞映画演劇部門・メディア部門賞受賞。映画として初めての日本SF大賞受賞となりました。


■ 今度はアニメだ 『ガメラ3 邪神 イリス 覚醒』 ■

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『ガメラ3 邪神 イリス 覚醒』の冒頭でガメラはギャオスを駆逐する為に渋谷は壊滅させてしまいます。ガメラにとって人間なんてどうでも良い存在なのです。政府はガメラへの攻撃を決定します。

奈良の山奥の村、東京で両親をガメラに殺された姉弟が親戚の元で暮らしています。村に昔から伝わる封印された祠で姉の比良坂綾奈は大きな卵の様なものを見つけます。そこから生れた生き物を彼女は可愛がります。彼女はその生き物に「イリス」と名付けます。

徐々に成長したイリスは、ある日彼女との融合を図ります。彼女が抱くガメラへの憎しみに反応したのです。この生き物は、ギャオスの突然変異体だったのです。

彼女の恨みに感情に呼応して、村で彼女に辛く当った人達をことごとくエサとしたイリスは徐々に成長しながら、人口密集地を目指します。イリスを察知したガメラですが、イリスと空中で戦闘を開始さいたガメラに対し、自衛隊は攻撃を加えます。

イリスは自衛隊の追撃を振り切り、台風で大荒れの京都に降り立ちます。遅れて飛来したがガメラは着地と同時にプラズマ火球を連射しますが、イリスの触手に弾かれ、京都は火の海と化します。

燃え上がる京都に仁王立ちするガメラとイリスの姿は、日本映画の歴史の重みを映し出しています。

京都駅の中でガメラとイリスの死闘が始まります。ガメラはその戦いの中でイリスに取り込まれた少女を救い出します。

人間との関係を断って地球の守護者である事を選択したガメラですが、その縁をガメラは断ち切れずにいるのです。

そんなガメラを目がけて地球の各地からギャオスの大群が押し寄せて来ます。イリスとの死闘でボロボロになったガメラは、一際大きな咆哮を放つと、毅然とギャオスの大群に向かって行きます。

その時、自衛隊の統合参謀本部では「陸、海、空、全戦力を持ってガメラを援護する」と宣言されます。日本の、いや、地球の運命は如何に・・・・。


ガメラ3は良くも悪くも「エヴァ世代のガメラ」です。ガメラは「生物兵器」として意思を持たない、あるいは人間との交流を拒絶していますが、それでも人を守ってします・・・。もう、アニメのヒーロ以上にカッコいい。

私、この作品を劇場で3回見ました。全体のバランスはガメラ2の方が良いのですが、オタク的に病んだ世界感がエヴァ世代や、私の様な真性オタクにはタマラナイのです。

樋口真嗣の特撮は「神」の領域に達し、後にも先にもこれを超える特撮は現れる事は無いでしょう。(ただ、CGが残念ですが、当時の技術だから仕方無い)

■ ハリウッド版ゴジラは、平成ガメラへのオマージュ ■

「トカゲみたいで不格好」とか「あんなのゴジラじゃない」と日本人には評判が悪いハリウッド版ゴジラですが、監督が目指したのはゴジラでは無く明らかにガメラでした。ゴジラは生態系の守護者であり、子供達を思わず助けてしまう一面を見せています。

■ 『シン・ゴジラ』は「平成ガメラ3部作」の足元にも及ばない ■

初代ゴジラファンやエヴァファンから評価の高い『シン・ゴジラ』ですが、私に言わせれば単なる「ゴジラごっこ」、あるいは「エヴァごっこ」。そしてさらには「政治ごっこ」であり、「原発問題ごっこ」に過ぎない超駄作です。

ゴジラに「SOUL」が無いからです。

初代ゴジラには戦争のトラウマという観客側の「心」が在りました。しかし、「シンゴジラ」は「取って付けた様な原発事故のメタファー」という設定は在りますが、観客に恐怖は在りません。だって、観客はCG映像を楽しみに来ているのですから・・・。

その点、平成ガメラシリーズのガメラには心が在り、葛藤があります。それが人の心とは違うものだとしても、その身を犠牲にし、緑色の血しぶきを上げながら真正面から敵に向かって行くガメラは、何度観ても胸を熱くします。

『七人の侍』あたりを彷彿とさせるヒーロなのです。


本日は50才のオッサンが「ガメラ愛」を熱く語ってみました。


ちなみに新作ガメラのプロジェクトが始動している様です。パイロットムービーの監督は「石井克人」。浅野忠信主演の『鮫肌男と桃尻女』の監督ですね。これ、インパクトの有る映画でした。現代の映画表現を先取りしてました。



映像が公開されていますが、CGのガメラはちょっと微妙・・・。これは劇場には行かなくても・・・。ガメラ、どうしてもデビルマンの人面に見えちゃう・・・。

それよりも「東京国際映画祭」の「日本映画クラシックス」で旧作ガメラが上映される様です。場所はTOHOシネマズ新宿。

『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(昭和ガメラ) 10/24 10:50-
『ガメラ 大怪獣空中決戦』(平成ガメラ1)    10/24 13:50-
『ガメラ2 レギオン襲来』(平成ガメラ2)     10/25 11:30-
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』(平成がガメラ2)10/25 14:10-

うーん、仕事をサボってしまいそうだ・・・。

最後に平成ガメラの特撮集を


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2016/7/30

今度のゴジラは固定砲台だ!!・・・『シンゴジラ』  映画
 

■ 不安的中の『シンゴジラ』 ■

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庵野秀明と樋口真嗣がゴジラを撮る・・・エヴァのファンは大喜びでしょうが、私には不安しか感じられません。お二人ともクリエーターとしての旬は過ぎていますから・・。

庵野秀明はエヴァの近作『Q』を見れば劣化は明確ですし(私劇場で後半ほとんど寝てました)、樋口真嗣のピークは平成ガメラ三部作でした。(エヴァQの冒頭は良い出来でしたが)

映画ファンとしても名高い庵野ですが、好きだから実写映画が撮れるのかと言えば答えはNOでしょう。『シンゴジラ』ではエヴァ的な演出がいたる所に見られますが(音楽なんてそのまんまだし・・)、あの演出はアニメだからこそであって、リアルな実写では不自然さだけが目立ちます。

実は庵野監督が実写を撮れないかと言えばそうでも無く、『ラブ&ポップ』などは十分に魅力的な作品だと私は評価しています。手持ちカメラ的な不安定な絵の方が、庵野監督の実写作品には向いていると思います。

今回の『シンゴジラ』も、あまり絵を作り込まずに、ハンディーカメラのラフ編集の様なタッチで描けば「傑作」になったでしょう。カットアップなども不自然さが減ります。

同様に樋口真嗣の特撮もフルCGになった事で「見せ過ぎ」ています。平成ガメラ3部作、特にガメラ3の冒頭の渋谷の破壊シーンの様に、「見せない抑制」が恐怖を拡大するという怪獣映画の大原則を彼はどこに置いて来てしまったのでしょうか?

さらにゴジラ・・・大きすぎて固定砲台と化しています。(ちょっと巨神兵でしたが、最後融解して欲しかった・・・)



まあ、何が何だか分からない書き込みですが、『シンゴジラ』は映画として成立していませんので・・・庵野秀明と樋口真嗣の劣化具合を確認する作品としては価値が有るかと。

それとチョイ役で犬童一心監督が出ていたり、エンドロールの「建機隊エンブレム・デザイン」に出渕 裕の名前を見つけたりと、細かい所で色々と別な楽しみ方も出来ますが・・・。




オリジナルの『エヴァンゲリオン』と『平成ガメラ3部作』の出来が素晴らしいと言いたいだけなのですが。






<追記>

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庵野監督の実写映画としては『ラブ&ポップ』はそこそこに面白い。特に最後の渋谷川をルーズソックスの女子高生が闊歩するシーンなどはそこそこに映像的インパクトが有ります。

ただ、当時も今も庵野監督にファンが求めているのは『エヴァ』であり、彼もその呪縛から逃れられません。同様にガンダムの呪縛にガンジガラメの冨野監督ですが、それでも『ブレインパワード』や『ターンAガンダム』など晩年に意欲作を出せる点が冨野氏の偉大な所でしょうか。


一方、自衛隊総出動のSFムービーとしては『シンゴジラ』は『ガメラ2 レギオン襲来』の足元にも及びません。

これは脚本の影響も多きい。ガメラの伊藤和典は科学的な面白さをストーリに上手く絡めています。一方シン・ゴジラの庵野監督の脚本は一本調子で緩急が無く、詰め込み過ぎです。30分枠のエヴァTV版の密度で2時間以上見せられると辛い。せめてミサトさんみたいなイイ女が出てくれば良いのですが・・・石原さとみのあの演技は…酷過ぎて言葉も有りません。



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2016/7/12

映画 『夏美のホタル』 聖地巡礼  映画
 


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■ 養老渓谷周辺で撮影された『夏美のホタル』 ■


7月2日の土曜日、いつものごとく自転車で鴨川へ向かう途中、養老渓谷の駅舎に『夏美のホタル』という映画のポスターが貼られいました。養老渓谷周辺で撮影が行われたと書かれています。撮影場所は「筒森」と「月崎」。

筒森は養老清澄ラインを養老渓谷より先に進んだ峠の上に在る小さな集落ですが、私のお気に入りの場所です。こじんまりとした山間の集落ですが、何とも言えない趣があって私の心の中の「理想の田舎の風景」を具現化した様な場所です。

この地に惹かれるには私だけでは無いようで、かつて横浜の時雨谷で伝説のバイクショップを経営されていたケンタウロスのオーナーも現在はこちらの古民家に移り住んでいらっしゃいます。

「筒森」をロケ地に選んだのであれば良い映画に違いない・・・そう思い、先週の土曜日に劇場へ足を運びました。

主演が『あまちゃん』で小泉今日子の若い頃を演じた有村架純、監督が廣木隆一。この二人のコンビは『ストロボ・エッジ』が有りますが、ちょっとチャラい映画なので不安・・・。ただ西 炯子原作の『娚の一生』の予告は悪くなかったので期待と不安が入り混じる気持ちで映画の始まりを待ちました。

ここからネタバレ注意報

実は「筒森」がロケ地に選ばれたのには訳が有りました。森明夫(原作者)が実際に筒森に在る雑貨屋「角谷(作中はたけ屋)」で体験した事を元に書かれた小説なのだとか。そう、この映画のロケ地は「筒森にある角屋(たけ屋)」でなければダメなのです!!

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上の写真が映画の中の「たけ屋」。下が実際の「角屋」です。「角屋」は閉店して久しいのですが、7月2日に店の前を通った時は、開店していてアレ?!って思ったんですよね。バイクに乗った若い男女が店の中に入って行ったので店を再開したのかなと・・・。これ、実は映画上映記念で店の中を公開していたと後から知ってマジ歯ぎしり!!


映画のあらすじと予告映像はこちらから。

http://natsumi-hotaru.com/

はてさて、映画の出来は如何かと言うと・・・90点です。(私、映画にはアニメより数十倍キビシイ採点なので、これはスタンディングで拍手レベルの評価です!!)

私が実写映画に求めるのは、俳優が演技をしていない事。カメラが回って俳優が演技をしていると意識されると興ざめしてしまいます。リアリズムが好きという訳では無く、映画と俳優が一体化して不可分の状態になった作品が好きです。

日本映画で言えば西島秀俊が主演した2004年の『帰郷』なんて理想的です。もう普通の誰かの日常を覗いている様な感じしかしないのに、しっかりと気持ちが伝わって来てしっかりと感動してしまう。古い映画になりますが、インドの巨匠のサタジット・レイの『大地の歌』3部作も同様な作品。

一方で園子温監督の『愛のむきだし』も大好物です。主演の西島隆弘と満島ひかりとが作品に取り込まれて行く感じがもう最高。演じているのでは無く役に取り憑れた感じにゾクゾクします。この感じは、はタルコフスキー映画を見て背筋が寒くなるのに似ています。『ノスタルジア』のオレーグ・ヤンコフスキー演じる小説家が蝋燭を消さない様にして温泉を渡るシーンなんて狂気を覚えます。

これらの作品を100点とする中での90点ですから、「筒森」アドバンテージは否定しませんが、観て損の無い映画と断言します。(公開は7/14日までですが)

肌合いとしては前出の『帰郷』に近いのですが、主演の有村架純と恋人役の工藤阿須加(元西武の工藤投手の息子)の演技が光ります。特に演技に躊躇が有る工藤が素人っぽくて実は魅力的。それに比べるとベテランの小林薫、光石研、吉行和子は「役を演じている感じ」がしてしまって・・・。吉行和子は『帰郷』の再婚する母ちゃん役の時の方が上手かった。

ただ、観終わった後に、スクリーンの中の人達が、実際に存在しているかの様な錯覚というか残像の様なものが心に残っているので、素晴らしい映画だと思います。(ちょっと作品のテーマがチープではあるのですが、これは原作の問題)


■ 聖地巡礼にGO ■

7月10日の日曜日、暑くなりそうなので朝4時に「聖地巡礼」の旅に出発です。相棒は魔改造クロモリ・フルリジットMTBのラレー君。ロケ地が河原だったりするのでダート走行も覚悟してのチョイスです。

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ロケ地は上の地図の範囲。冒頭の大山千枚田と、途中一瞬、久留里が映りますが、後はだいたい大多喜町での撮影の様でした。撮影のシーン順に周るのは不可能なので、浦安からのルート順に紹介します。

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先ずは夏美が恋人の慎吾に別れを告げられて、彼の乗った小湊鉄道の列車をバイクで追うシーン。小湊鉄道と大多喜街道が並走するのは「鶴舞駅」周辺。(地図A地点)

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道路から離れてゆく列車を見送って夏美がバイクを止めて涙を流すシーンの交差点は多分ここ(地図B地点)

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■ 月崎駅 ■

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場所を月崎駅に移します。
夏美の元を訪ねて来た慎吾が到着したのは小湊鉄道「月崎駅」(地図C地点)

いかにもローカル駅といった佇まいを残す月崎駅は何度か映画やドラマのロケに使われておる様です。

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待合室には映画のポスターがずらりと貼られています。

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このベンチで信吾と最後の別れをします。

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小林薫演じる仏像彫刻家の運月の工房は駅舎の傍らにある「もりらじお」

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「これはトトロの小屋ですか」と思わず聞きたくなる野草に覆われたこの小屋、実は「いちはらアートxミックス」というイベントの作品の一つでした。木村崇人さんという方が製作され、森の音をライブでオンエアするラジオ局というコンセプト作品です。2014年の作品ですが、それ以降は地元のボランティアの方が手入れをされていて、現在では野草もしっかり根付いてファンタジー溢れる空間を作り出しています。四季折々の野草が咲くので、何度来ても違う表情で迎えてくれます。

地図D地点は現在日本で一番注目されているスポットです。養老川沿いの崖に77万年前の地層が露頭していますが、実はこの地層、最後に地磁気が反転した痕跡を残しており、イタリア南部の街2つと「模式地」の選定を争っています。万国地質学協会がこの場所を「模式地」と認定すると、「ジュラ紀」や「白亜紀」の様に地質学の教科書に「千葉紀(チバニアン)」という表記がされるかも知れません。「模式地」には金メッキのスパイク(ゴールデンスパイク)が打ち込まれますが、現在ゴールデンスパイクは世界全体で65か所しか無く、月崎のこの場所が選ばれば、日本の地質学的快挙となるでしょう。(チバニアンの紹介はまた後日)


■ 養老渓谷 〜 筒森 ■

舞台を養老渓谷周辺に移します。

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養老渓谷駅は映画には出てきませんが、丁度トロッコ列車が到着したのでパチリ。(地図E地点)このトロッコ列車、実はハリボテで・・・・鉄道マニアの興味は引かないかな・・。

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養老渓谷温泉郷を抜け老川十字路の先、養老清澄ラインが養老川を超える橋は、信吾と別た夏美がバイクを押してトボトボ歩いた所。(ガス欠か?!)(地図F地点)

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養老清澄ラインを鴨川方面に進み、長い上り坂のトンネルの手前を右折して旧道に入ります

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旧道のトンネルを抜けて、しばらく上り坂を走ると、峠の頂きに有るのが「角屋(映画ではたけ屋)」。映画そのままの姿です。(地図G地点)

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地蔵さんが大切にしていたタンポポの咲いていた場所には、黄色い花が植えられていまいた。

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角屋の向かい側には貯水槽と小湊バスの停留所が有ります。バスは1日3便だけ、ここが終点です。貯水槽の横に残念ながら祠は有りませんでした。

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角屋の脇の小道は子供達が花火をしていた場所。

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その先の集会所の広場のブランコは慎吾が夏美を「オレと一緒に新潟に来ないか」と誘った場所。

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映画冒頭で空撮された棚田は鴨川に在る「大山千枚田」ですが、筒森周辺も平地が少ないので棚田が残っています。

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坂を下ると筒森の集落の下を貫通する新しいトンネルに出ます。このトンネルを映画冒頭で夏美がバイクで走りぬけます。(地図H地点)

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筒森トンネルに養老渓谷側から登る長い坂は、少女時代の夏美を後ろに乗せて夏美の父親が走った場所(地図I地点)

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■ 会所親水公園 ■


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場所を夏美がホタルに再開した「会所」近辺に移しましょう。
養老清澄ラインを老川十字路に下ったら右折して、養老渓谷の名所「粟又の滝」を通過します。(ここも映画の撮影スポット)。道なりに直進すると「会所トンネル」が現れます。その先を「麻綿原高原」方面に右折します。(地図J地点)

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この一帯はかつて日本中の樹木を植林した「見本林」。現在では木々も成長し、とても千葉県とは思えない美林が出来上がっています。

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見本林の先に「もみのき庵」という看板が出ています。廃分校を改造した蕎麦屋で、地元で採れたそば粉を手打蕎麦にしています。(地図K地点)

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教室はむかしのまま。そこにイスとテーブルが並んでいます。

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田舎蕎麦750円。腰が強くて美味しい蕎麦でした。

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もみのき庵で道を聞いて、夏美がホタルと再会した会所の親水公園をめざします。駐車場が有るので場所は直ぐに分かります(地図L地点)

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駐車場脇の急な階段を、せせらぎのする方へ下って行きます。すると、そこには別世界が広がっています。

これは房総特有の「川回し」のトンネルの出口が滝になっています。

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川沿いの遊歩道はコンクリートで整備されていて歩き易い。(ちょっと整備し過ぎかな)

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ホタルのエサになる「カワニナ」が沢山いたので、ホタルもきっち居るに違いない。

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川回しのトンネルを潜ります。(禁止と書いてありますが)この上は道が通っています。遊歩道はこの先の砂防ダムで行き止まりです。

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崖にイワタバコが自生しています。

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このシーズン、ヒメハルゼミの大合唱が聴けます。一斉に鳴き始めて一斉に鳴き終わるという珍しい習性の蝉ですが、常緑照葉樹の原生林にのみ生息し、千葉県南部と西日本に生息します。

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■ 山一面のアジサイが見頃の麻綿原高原 ■

親水公園の先からは上り坂になり、一路麻綿原高原に登ってゆきます。麻綿原高原はアジサイの名所です。(地図M地点) 観音堂からは外房の海が見えます。

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この時期、山一面おアジサイに訪れた観光客は最初は声を失います。そして「スゴー、綺麗」の連発。しばし、アジサイをご堪能あれ。

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アジサイを堪能した後には、ダート林道を清澄山まで堪能しました。充実した一日でした。


ちなみに『夏美のホタル』のロケ地は下のサイトに詳しく出ています。

http://maruchiba.jp/miryoku/marugoto/roke_hotaru.html

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2015/12/21

音楽映画の常識を覆す『セッション』・・これって軍隊物だよね  映画
 

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■ 年末年始のDVD鑑賞のお勧めは『セッション』 ■


年末年始、レンタルショップでDVDを借りて映画をご覧になる方も多いでしょう。そんな方にお勧めなのが『セッション』。

話題作なので、もうご覧になられた方も多いかと思いますが、遅ればせながらレビューを。

■ ロックのドラムは体力、ジャズはテクニック ■

大学時代、同じアパートに住んでいた大柄なバレー部員は、ドラムが叩けました。体育会系の見た目からロックのドラムだとばかり思っていましたが、彼は意外にもジャズドラムを習っていた。

「ドラムって体力使うよね」と聞いた私に彼は「ロックのドラムは体力が必要だけど、ジャムのドラムはテクニックが必要であまり疲れないよ」と答えました。そういえば、ジャムドラムってブラシでシャラシャラやっているイメージだよな・・・。

それ以来、「ジャズドラムは疲れない」というイメージが出来上がっていましたが、それを完全に覆すのが本日紹介する『セッション』という映画。

■ 軍隊の鬼軍曹も震え上がる鬼教官 ■

ニューマンは音楽学校でジャズドラムを勉強する学生。ある日、彼の個人練習に一人の教官が顔を出します。「ダブルスウィングは叩けるか?」そうリクエストした教官は有名なピアニストのフレッチャー。

フレッチャーは彼のビックバンドにニューマンをスカウトしますが、その練習のキツい事。団員達は時間前に集合し、ニューマンの登場前には緊張感で張りつめています。音程を外そうものなら執拗な追求が待っています。「今音を外したヤツが居る。自分が外したと思う者は手を挙げろ」・・・「誰も居ないのか、それとも自分が外した事が分からないのか?」

一人のオタクっぽいトロンボーン奏者を指名して演奏を求めたニューマン。「お前が音を外したんだ、マンガ野郎。出て行け!!」と教室を追い出した後、別の学生に「音を外したのはお前だ。だが、あいつは自分が外していない事すら分からなかった」と言います。

・・・・コワーーーイ。まさに鬼です。

■ 血が出るまで練習して主奏者の座を獲得する ■

ドラムの主奏者の座を巡る争いも熾烈です。コンテストに出場したフレッチャーの楽団ですが、ドラムの主奏者から預かった譜面をニューマンが紛失します。本番を前に「暗譜出来ていません。記憶力に問題が有るのです」と告げる主奏者。それを聞いたニューマンは「僕は暗譜しています」と胸を張る。・・・オイオイ、楽譜を無くしたのはお前だろう・・・。

こうして主奏者の座を射止めたかに見えたニューマンですが、彼は「仮主奏者」に過ぎないとフレッチャーは言います。そして、第三のドラマーを連れて来ます。あまり上手とは言えない彼をフレッチャーはチヤホヤしますが、完全に咬ませ犬です。三人を競わせる事でニューマンにプレッシャーを掛けます。

ニューマンは付き合い始めた彼女とも別れ練習に没頭します。マメが潰れて血だらけになった手を氷水で冷やしながら、必死でスティックを握ります。そうして手にした主奏者の座ですが、彼の不注意から・・・。

■ 軍隊物を音楽に持ち込んだ意欲作 ■

音楽物の映画と言えば、売れないミュージシャンが幸運を掴んでビックになるストーリーか、著名なミュージシャンの伝記的な作品がほとんどです。

しかし、この英外は音楽映画の概念を根底から覆します。スポコン物や軍隊物のセオリーを持ち込んで成功しています。視聴者は一時も気を抜けません。

しかし、この映画で最も素晴らしいのは、主人公が挫折して復活してからの2転、3転の展開です。私達の先入観を見事に覆します。ここら辺が「地獄のシゴキの後の勝利」を描くスポコン物や軍隊物との大きな違いでしょう。最後まで緊張感が支配し続けます。

■ 若干24歳のデミアン・チャゼル監督の経験が生んだ傑作 ■

若干24歳で脚本と監督をこなしたデミアン・チャゼルは高校時代に実際に所属したジャズバンドで、同様な経験をしたとWikipediaに書かれています。

主役を演じたマイルズ・テラーは、2か月間一日3〜4時間の練習を経て撮影に臨んでいます。映画の中で流れる血は本物だそうです。アメリカのエンタテーメントビジネスの厳しさが伝わってきます。

まさに鬼気迫る内容の映画ですが、各国の映画祭で絶賛された事は皆さんもご存じでしょう。鬼教官を演じた J・K・シモンズがアカデミー助演男優賞を受賞しています。

■ ジャズ界で鬼教官と言えば・・・レニー・トリスターノだろうか? ■

映画の中でフレッチャーはニューマンにチャーリー・パーカーの話をします。ステージでヘマをやらかしたチャーリーのフィーリー・ジョー・ジョーンズがシンバルを投げつけたと・・。「よくやった」という言葉は天才を殺すと・・・。

ところで現実のジャズ界の鬼教官と言えば・・・私はレニー・トリスターノを思い浮かべます。『鬼才トリスターノ』というアルバムタイトルがそんなイメージを生むだけですが、教師としても有能だった彼の「トリスターノ・スクール」からは、リー・コニッツやビル・エヴァンスといったジャズの巨人が生まれています。トリスターノは1950年代から教職に情熱を傾けますが、体系的にジャズを教えた最初の人物だと言われています。

トリスターノは盲目のピアニストですが、それ故に音に関する感覚は鋭敏です。ビーバップが全盛の時代に、和音に注目して、独特の体系を作り上げます。「クールジャズ」と分類される事も有りますが、西海岸のスムーズな白人ジャズとは全く異なり、「極度な緊張感と厳しさ」がその音楽を貫いています。

彼はリズム隊に対しては徹底してテンポのキープを要求した様です。メトロノームの様に淡々と正確なリズムを刻ませます。

『セッション』の中でも、フレッチャーがニューマンに徹底してテンポの正確さを要求するシーンが有ります。自由気ままに演奏されている様に見えるジャズですが、その自由さは高度なテクニックに支えられています。
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