2014/2/16

「現代的」音楽って何?・・・消費の対局にある純粋な響き  音楽
 

■ 「現代的」の解釈の違い ■

昨日、現代音楽について素人ながらの文章をアップしました。
本日は調子に乗って、ポッピュラー音楽における現代性について少し考えてみます。



上の映像はマーク・ジョンソンのベース・ディザイアーズのライブ映像です。

ベース・・マーク・ジョンソン
ドラムス・・ピーター・アースキン
ギター(ハゲ)・・ジョン・スコフィールド
ギター(メガネ)・・ビル・フリーゼル

演奏はブルースをモダンに解釈した演奏です。この当時、ジョン・スコフィールドは大人気で、一方、ビル・フリーゼルは変なギタープレイをする新人でした。

ジョン・スコフィールドが最初メロディーを提示していますが、クールなブルースという印象です。その直ぐ後にビル・フリーゼルがソロを取ります。ディストーションとロングトーンを多用した演奏ですが、突発的に熱くなると思えば、響きやスペースを活用した演奏へとシームレスに変化して行きます。ここでのブルースはメロディーやコードで繋がれた一般的な音楽では無く、ブルースのあらゆる演奏スタイルやエッセンスを空に一度投げ上げて、それがバラバラに振って来る感覚に似ています。方法論としては「解体と再構築」という手法ですが、音楽は最早一本の線の上を流れるものでは無く、平行するいくつもの時間軸を移動しながら流落ちてきます。

この、ジョン・スコフィールドとビル・フリーゼルの演奏の違いこそが、「現代音楽」とクラシックやポピュラーミュージックといった「大衆音楽」を隔てる壁だと私は思っています。

私は20年程前に斑尾のニューポート・ジャズ・フェステバルで彼らの演奏を聴きましたが、その当時はビル・フリーゼルが何をやているのか全然理解出来ませんでした。

今から見ると、ビルの演奏にマーク・ジョンソンもピーター・アースキンも全く対応出来ていません。単調なバッキングに徹しています。

■ 新しいセオリーで演奏される音楽 ■



この映像はビル・フリーゼルのリーダーバンドの演奏です。

ギター・・・ビル・フリーゼル
ベース・・・カミーツ・ドリスコ
ドラムス・・ジョーイ・バロン

初期のメンバーにはチェロのハンク・ロバートが居たのですが、彼が抜けた後の方がグループコンセプトは明確です。

注目すべきはベース・ディザイアーズとはベースとドラムスの役割が全く違う事です。

ここでは、スローなテンポの曲が演奏されていますが、ビリの弾くギターは夢の中で遠くから聞こえて来るようなオボロゲな響きです。ドラムスもリズムを刻むと言うよりは、効果音程度の演奏です。それらの、バラバラになりそうな音像の欠片を音楽に纏め上げているのはべースです。ここでのベースはリズムやコードをキープすると同時にメロディーラインに近いものを演奏しています。

こういう演奏を始めたのは、ビル・エバンス・トリオのスコット・ラファエロ(b)ですが、ビリ・フリーゼルがビル・エバンス・トリオのドラムスのポール・モチアンと頻繁に共演していた事は無関係ではありません。



導入部はカリプソ?かな・・・。
ベースもビターも断片化したリズムとメロディーを演奏しており、ドラムも同様です。

こういう演奏は、従来のJAZZの演奏の延長線上にあるのでは無く、むしろ現代音楽的や実験音楽のアプローチです。

■ 現代的な抒情性 ■

ビル・フリーゼルなどもかつてはトンガリ・ミュージッシャンとか、変態ギタリストなどと呼ばれていましたが、今や押しも押され大ミュージッシャンです。

一方で年齢と共にあからさまな実験性は後退し、アコースティックを演奏したり、アメリカのルーツミュージックの再構築的な活動をする様になります。

90年代頃は新しい音楽を作り出すという熱気に満ちていたNYのアンダーグラウンドシーンですが、2000年代に入ると、だいぶ落ち着いた雰囲気になってきます。そして、彼らは音楽の「抒情性」に対する挑戦を始めます。



初期のビル・フリーゼルバンドに在籍していたハンク・ロバーツはチェリストですが、チェロにピックアップを付け、エフェクターを使ったトリッキーな演奏から、チェロをチョッパー・ベースの様に弾く様な名人芸の持ち主でした。

ハンク・ロバート自身は「歌」が好きな様で、彼のオリジナルアルバムには、素朴ながら心に染み入る歌が初期の頃から録音されています。

そんな彼の2008年のアルバムを見つけました。ギターはフランスでジャゴ・ラインハルト賞を受賞した事もあるマルク・デュプレ、ドラムスはティム・バーンとの共演で頭角を現したジム・ブラック。

ノイズ・ミュージックをやらせたら凄まじいメンバーが、ここでは抒情的なプレイに徹しています。しかし、その演奏は一筋縄ではありません。2000年代以降の実験音楽シーンは音楽の「構造」の解体から、抒情性やメロディーというものに興味が移っている様です。



ビル・フリーゼルとハンク・ロバーツが同じステージに立っている最近の映像を見つけました。もうすっかりオジイチャンって感じですね。アメリカン・ルーツミュージックへのチャレンジの様です。いわゆるクラシック系の現代音楽に比べ、フリーミュージックはポピュラーミュージックに軸足を残しているだけに、聴き易いですね。

この映像の一番面白い所は、9分くらいからビル・フリーゼルがソロを取り出し、10分くらいからドラムのビートが変化する所で、バイオリンの3人が演奏から抜ける所です。完全にフリー・フォームの演奏になているのですが、こうなるとクラシック畑の演奏家はコミュニケーションの手段を失います。ギターとチェロとドラムスが楽しげに演奏を繰り広げる一方で、バイオリンの3人は半ばあきれ顔に見えます。ここにも「断然」が存在するのかも知れません。

素晴らしいのは、こういう音楽を大衆の前で演奏する場があり、それに真剣に耳を傾ける人達が居るという環境があるという事。アメリカではソーホー当たりのカフェでも演奏する場が沢山ある様ですし、学生達はこういった新しい音楽に敏感です。


■ 現代音楽とは、探究心そのものである ■

私自身はクラシック系の現代音楽はそれ程詳しい訳では無いのですが、1980年代の後半以降、NYアンダーグランドシーンを中心に、フリーミュージックと呼ばれるJAZZやROCKをベースとした「現代音楽」が好きでした。

これらのミュージッシャンのCDは決して多くは売れません。彼らはいくつものユニットを持っているので、比較的多作でクラブなどでの演奏機会も多く、それで生計を立てています。

結果的に私達は彼らの様々な音楽的チャレンジを聴く機会に恵まれました。
お金にならない点ではクラシック系の現代音楽家達と似た境遇ですが、彼らには聴衆の前で演奏する機会が多く与えられています。

NYのロアー・イーストにあるニッティング・ファクトリーなどのライブ・ハウスが彼らに演奏の場を与え、DATのライブ音源を積極的にCDとしてリリースして来ました。

そう言った意味においてはクラシック系の現代音楽よりは、世間との接点が多く残されているのがフリーミュージックです。(分類する事に意味を持たないジャンルですが)

■ 消費される音楽の対局にある音楽 ■

現代音楽にしろ、フリーミュージックにしろ、現代の音楽産業のメーンストリームからは遠く離れています。

大量に生産され、消費されてゆく音楽とは別の世界がそこには存在します。

「売れる事」にしか価値を見出さない資本主義的現代において、「売れない」現代音楽家達の活動は一種の自己満足に過ぎないかもしれませんが、そこに「響く音」には、確かな価値が存在すると私は確信しています。


クラシックやJAZZやROCKは古典芸能の世界になっていますが、その外側では新たな音や響きが日々生み出されています。それを容易に入手できる現代の技術に感謝せずにはいられません。

今回はネットの映像を拝借しましたが、私はなるべくCDを購入しています。それは、素晴らしい音楽へのお布施だからです。

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2014/2/14

古典芸能としてのクラシック音楽と、アートとしての現代音楽  音楽
 

■ 「現代音楽」って何? ■

何だかクラシック音楽界を一人のペテン師が騒がしている様ですが、気になるのはとても安い金額でゴーストを請け負っていらした作曲家の方です。

彼は現代音楽の作曲家の様ですが、「現代音楽」ほど一般の人から縁遠いものも珍しいかも知れません。

現代音楽をそのまま翻訳すればコンテンポラリー・ミュージックとなる訳ですが、一般的にコンテンポラリー・ミュージックと称する場合は、ロックやポピュラーミュージックを指す事が多いと思います。

一方「古典音楽」のクラシック・ミュージックの対義語としての「現代音楽」もコンテンポラリ・ミュージックと称されます。

前者は「現代の人々に支持されている」と言う意味でのコンテンポラリーであり、後者は純粋に音楽分類的に「古典」に対する「現代」を意味しています。

■ バッハやモーツアルトはヒットメーカーであり、人気ミュージシャン ■

実はバッハやモーツアルトやベートーベンの時代には、彼らの作品こそがコンテンポラリーミュージックであり、ヒットソングでした。彼らはヒットメーカーとして時代の寵児だったのです。この時代においては彼らの音楽は時代の最先端であり、人々は興奮してその音楽に没頭していました。

当時の作曲家達は自らも演奏者としてステージに上がる事も多く、ヒットメーカーであると同時に人気ミュージッシャンでもありました。

それが少し変質するのはベートーベンからでは無いでしょうか。それまでは、楽しくてノリの良い事が好まれた音楽に、「思想性」や「作家性」を最初に導入したのはベートーベンです。彼は作品に難解で抽象的な解釈を付ける事で、音楽を芸術の領域に祭り上げてしまいました。

一方、リストなどは超絶技巧を売り者にするピアニストとしての顔も捨ててはおらず、ロマン派の時代までは所謂クラシック音楽は当時のポピュラーミュージックとして大衆に支持されていました。

大衆向けの音楽はオペラやオペレッタといった劇音楽から、次第にミュージカルや映画音楽に活躍の場を移して行きます。

■ アートとしての現代音楽 ■

一方、芸術性を重んじる音楽は、だんだんと抽象的になり、大衆から離れて行きます。そしてシェーンベルグが12音階の技法を編み出した頃には、完全に大衆の理解を越えるものになってしまいまいた。

『ドラえもん』の主題歌を12音階で演奏した動画を見つけました。



こんな凄まじい事になってしまうんですね・・・。

こうした「現代音楽」は「無調無階」と称される「不定形の何か」をひたすら追求して行きます。そこには「大衆に支持される」というポピュラリティーの欠片も無く、音の響きのバリエーションを追及する純粋性だけが存在する世界です。

■ ミニマリズムとポピュラリティーの回帰 ■

何だか理解不能なものになってしまった現代音楽ですが、ミニマリズムという反動も生まれて来ます。

現代アートと呼応するミニマリズムは、単純なメロディーやリズムを繰り返す事を特長としています。工業的な単純性や反復性を音楽の世界に反映したものとも言えます。



初期のミニマリズムの音楽は単調で無機質な感じのする音楽でしたが、次第に様々な展開を見せる様になります。上の作品はスティーブ・ライヒの『Different Trains』という作品ですが、サンプリングやボイスを取り入れるなど、単純なだけのミニマリズムとは一線を画す作品となっています。



この作品はイギリスの映画監督ピーター・グリーナウェイの『数に溺れて』のサントラですが、ユーロッパ映画に数々の名サントラを残したマイケル・ナイマンの作曲です。ここでもミニマリズム的な反復が見られますが、その響きは暖かくてとても豊です。



声楽でもミニマリズム的な挑戦が行われます。上の映像はメリディス・モンクのパフォーマンスですが、原始的な力強さと宗教的な崇高さが共存する不思議な世界を作り出しています。

ミニマリズムの音楽運動は、ポピュラーミュージックのテクノサウンドなどと呼応する所、も多く、難解な「現代音楽」を再び大衆の理解出来るアートにした点でポピュラリティーの回帰として評価されるものかも知れません。

■ 古典への回帰 ■

一方、純粋な古典音楽へ回帰しようといする動きも生まれて来ます。エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトは「現代音楽」の流れに逆らう様に古典へと傾倒して行きます。



ペルトの初期の作品のアルボス(樹)では、ミニマリズム的な現代性が未だ散見されます。声楽部もメリディス・モンクに共通する響きがあります。



その後、彼は単旋聖歌やグレオリオ聖歌などの古典を徹底的に研究し、現代的な視点から古典を再構築してゆきます。これをバッハのコピーと言う人は居ません。表層的に当時の音楽をコピーしたのでは無く、現代人であるペルトが当時の音楽様式の縛りの中で現代の音楽を紡いでいるからです。

■ 実は現代音楽は身近に溢れている ■

私が「現代音楽」を聞きかじっていたのは20年も前の頃ですから、現在はもっと興味深い作品も多いのでしょう。いずれにしても、「現代音楽」は決してツマラナイ音楽では無く、スリリングでエキサイティングと言っても過言ではありません。

実は現代音楽の成果を私達は日常的に耳にしています。それは映画やアニメのサントラといった映像音楽やCMのバックミュージックです。

上で紹介した様なミニマリズムやポリリズム、和声を上手にコピーするとこんな作品が出来上がったりします。



分類的にはドラムンベースになるのでしょうが、そこに現代音楽の匂いが上手に混じっているのがミソ。



CMも様々な音楽の進化形の宝庫です。

現代音楽の響きはポピュラーソングの中にも溢れています。
尤もロビン・ホルコムはもともと現代音楽畑の人だったような・・・。



奥さんを紹介したので、その旦那も紹介しときます。
ミニマルミュージックとガムランとノイズ系ジャズの融合というキメラミュージック。



狭い古典芸能としてのクラシック音楽の枠の先へ果敢に挑戦する現代音楽は、NYのアンダーグランドシーンやドイツのテクノシーンで当然の如く前衛的なJAZZやROCKと融合して、フリーミュージックという自由の境地を手に入れます。最早ここには音楽を縛る制約は無く、西洋クラシック音楽の長い歴史からも解き放たれています。坂本竜一や矢野顕子は一時期こういった世界に身を置いて刺激的な活動を繰り広げていました。

そして現代の音楽大学で学んだコンポーザーはクラシックという狭い畑の中には留まっている事が出来ません。



現代の鬼才、ジョン・ゾーンもその一人。でも上の映像、ジョンは何をやっているのでしょうか???多分、ゲーム・セオリー・ミュージックのバリエーションの一つで、「指揮法」の一つの実験なのでしょう。

脱線ついでにマーク・ドレッサーの名人芸も紹介しておきます。クラシックミュージックの世界からスピンアウトした人達は、自由に演奏の幅を広げて行きます。彼も又、現代音楽の作曲家の一人です。




■ コピーこそが創作の本質になりつつある現代 ■

現代の音楽シーンにおいてオリジナルは大して重要な意味を持ちません。何故ならメロディーもリズムもコード進行もある程度出尽くした現代において、作曲家が何か作品を作れば、必ずどこかで聞いた事のある様な曲が出来上がってしまうからです。

それを回避していると、「現代音楽」が陥った様な「不定形な音楽」に行き付いてしまったりする訳ですが、一方それは不定形が故に差別化すらも不能な作品群を生み出す結果になりました。

これは何も現代音楽に限った事では無く、JAZZにしてもフリージャズは素人の耳にはどれも同じ様に聞こえますし、ノイズミュージックやフリーミュージックと呼ばれるジャンルのただの騒音に過ぎないとも言えます。

それならば、思い切りコピーしてしまえば良いじゃないと開き直ったのがサンプリングであったりDJプレーなのかも知れません。

一方、短時間に大量の楽曲を作曲する必要がある劇音楽では、コピーは一つの常套手段となっています。あの映画のこんな感じのシーンにしたいと言えば、オリジナルの音楽もコピーしてしまいます。その方がより端的にオリジナルの世界を外挿する事が出来るからです。

こうして劇音楽(サントラ)の世界では、盗作にならない範囲でのコピーが日常手的に行われています。

■ コピーされ消費される音楽の価値 ■

劇音楽の世界は、クラシックからハードロック、JAZZ、ノイズ、現代音楽を縦横に横断しながらエキサイティングな音楽が日々生まれては消費されて行きます。

これらの音楽は、クラシック音楽の世界では決して評価される事はありません。なぜならそれはあくまでもコピーとそのバリエーションであって、「創造」では無いとされるからです。

スターウォーズのジョー・ウイリアムスの壮大な管弦楽曲も、ディズニーのアラン・メンケンのカラフルでメロディアスな楽曲も、クラシック音楽界では過去の音楽のコピーとそのバリエーションとして全く評価されない事は当然の事なのです。

■ 無価値な物を持ち上げてしまったクラシック業界の大罪 ■

『HIROSHIMA』はマーラーやショスタコービッチなど後期ロマン派の良く出来たコピーです。これが、映画音楽ならば何ら問題はありませんでした。

しかし、現代において古典音楽を作曲する事に何ら意味を見出していないクラシック音楽界が、今回に限って、「ベートーベンの再来」と持ち上げてしまいました。そして、原発事故の波及効果もありますが、現代のクラシック曲としては異例のセールスを記録してしまいました。

指揮者は「魂の奥底に響く素晴らしい曲だ」と絶賛し、レコード会社もキャンペーンを張ってセールスに務めました。しかし、この曲がマーラーなどのコピーで現代的な価値の無い事は彼ら自身が一番知っていたはずです。

■ ゴーストに踊らされたゴースト達 ■

一部のクラシック音楽ファンは、クラシック音楽が高尚なものとして、ポピュラーミュージックを軽んじます。そしてその多くがクラシック音楽の進化系である現代音楽には見向きもしません。

彼らは「印象派絵画展」に足を運ぶ人達と同様に、100年前、200年前に作曲された古典は理解出来ますが、コンテンポラリー・アートには興味を示しません。

そんな人が、街角のギャラリーの前で綺麗なお姉さんに呼び止められ、クリスチャン・ラッセンのイルカの絵を高いお金で買わされてしまった・・・「今人気のアーティストさんで、世界的にも著名な作家ですから、今後、価値が上がりますよ」って言われて・・・。今回のクラシック音楽を巡る一連の騒動はこんな事なのかもしれません。

巷には映像音楽や現代音楽やフリーミュージックなどエキサイティングな音楽が日々生まれています。しかし、そんな事には興味を示さず、閉ざされたコンサートホールの中で過去の音楽のゴーストを追い求める人達が、ゴーストライターに騙されたのが今回の事件の顛末です。

現代音楽の作曲家として不遇な境遇にある代作家は、自分のコピー音楽を人々が有り難く拝聴している様を複雑な心境で眺めていた事でしょう。そして、今回ゴーストライターとして名乗り出た事で、閉鎖的で欺瞞に満ちたクラシック音楽界にカウンターパンチを浴びせたのでしょう。きっと、彼は清々しい気分でインタビューに応じている事でしょう。



・・・エキサイティングな「現代音楽」を聴く度に、貧しいながらもこういう音楽を志す多くの人の存在を思わずにはいられません。そして、彼らの多くが劇音楽の世界に流れて来る事を、私はありがたく思っています。






<追記>

・・・・とまあ、『HIROSHIMA』の存在すら知らなかった私は、後だしジャンケンでエラそうな事が書ける訳で、これがこの作品を絶賛でもしていたら今頃は・・・。

そういう私も、菅野よう子の最近の八面六臂の活躍には少々ヒヤヒヤしています。あまりにも多岐に渡る作風に、実は「菅野よう子」はプロジェクトの名前でした・・・なんてオチがあるのでは無いかと・・・。

NHKの朝の連ドラのサントラも素晴らしいですね。「菅野よう子はコピーだコピーだ」と言わる続けてきましたが、とうとうNHKが頭を下げて作曲依頼する先生になってしまいました。今回の仕事を受けるか1年間近く保留していたらしいのですが、ウィーン録音ならという条件を付けて引き受けたとか。「N響じゃイヤ!!」と言うに等しい。

確かにサントラは素晴らしいのですが・・・ドラマの演出はそれを全く生かしていません。本来、実写作品には控えめな音を付ける菅野が、耳に残る音楽を書いている当たり、今回は確信犯的にドラマを無視してますね。ウォーンでレコーディング出来れば、後はどうでもイイヤって感じがビンビンします。

菅野よう子の価値は、クライアントの要求以上の楽曲を提案する事で、決して自分の作家性を前面に押し出す事では無かったハズ・・・名声を得た事で人は少しずつ変わって行くのかも知れません。
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2014/2/12

ビートルズって好きですか?  音楽
 

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■ ビートルズって好きですか? ■

「ロックって好き?」と聞かれたら皆さんはどう答えますか?

私的には「ビートルズとか結構好きですよ」と答えるのがベストと考えています。

質問者が誰かにもよりますが、こう答えておけば音楽の話題はフェードアウトして行きます。

A 音楽通

「ビートルズはテッパンだよね。今聴いてもぜんぜん古くないね。」
(内心)・・・この人はロック聞かないな。これ以上音楽の話は止めておこう。

B ビートルズの熱狂的なファン

「若い人も結構ファンが多いよね」
(内心)・・・「ビートルズとか」の「とか」って事はそんな熱烈なファンでは無いな・・・。


C ヘビメタの熱烈なファン

「結構ヘビーな曲があって、ビックリするよね」
(内心)・・・ちぇ!今時ビートルズかよ。古過ぎ・・・。


D ジャニーズファン

「へぇー。ビートルズってお父さんが好きなんだよね。」
(内心)・・・何、この娘、オヤジくさー!

E ビートルズ世代のオヤジ

「今度カラオケで一緒に歌おうか!!」
(内心)・・・ヘ!お前らがビートルズを語るのは100年早いんだだよ。


まあ、そんなこんなで、会話が別段盛り上がる事も無く、ロックの話しはフェードアウトし行きます。私などは音楽の嗜好が人とズレまくっているわけで、この「ビートルズとか結構好きですよ。」という返答は便利な訳です。

■ ビートルズって良く分からない・・・ ■

実は私はビートルズが良く分かりません。

「好きか」と聞かれれば「嫌いでは無い」と答えます。ただ、「熱烈に好き」かと聞かれたら「ビミョー」って答えるしか有りません。なぜかと言えば、「皆のビートルズ」は、決して「僕のビートルズ」に成り得ないからです。同時代的にビートルズを聴いていた方ならいざ知らず、昭和40年生まれの私の時代はビートルズは既に「神格化」されていましたから、その存在の肯定も否定も許されていませんでした。ただただ、在り難く拝聴する音楽になっていました。

■ ホワイトアルバム ■

そんな私でも、比較的繰り返し聞いたのが「ホワイトアルバム」。(アニメでは無いですよ)

何故かと言えば、胸焼けしないから。

アップルレーベルの記念すべき第一作であるにも関わらず、「ソロ作品が2枚組に雑然と入っている」とも酷評されるこのアルバムですが、私は各曲のエッジが立っていて好きです。

「アビイ・ロード」などは、本当にスゴイと思うのですが、片面の半分も聞かない内に胸焼けしてしまいます。ところが「ホワイトアルバム」だけは、聞き出したら思わず2枚組みを全部聴いてしまいます。

■ ロックバンドの一番オイシイ時期 ■

私はロックバンドの一番旬は、デビュー直後か、大作の一枚前のアルバムだと思っています。

例えば、ミスチルならば「深海」の一つ前の「アトミックハート」。
バンプならば、「ユグドラシル」では無く、インディー時代の「FLAME VEIN」。

何故かと言えば、あまり加工されていない音が聞こえて来るから。

ビートルズの初期のアルバムは現代のロックに慣れた耳からすれば単純過ぎますが、「サージェント・ペパーズ・・・」辺りは、実験的ではあるけれど、をれを一生懸命アルバムという商品に加工しようとして鮮度が落ちている感じがします。

「ホワイトアルバム」は、セッションアルバム的ではありますが、それぞれのメンバーが思い思いの素材を、シンプルなイメージでさらりとまとめていて、曲自体の持つ魅力が非常に高い。スタンダードとして人気の高い曲が沢山生まれています。

ルーツミュージック的な所も時代が経った現在においても古くならない一因かも知れません。逆に「サージェント・ペパーズ・・・」などは、当時の最先端なのでしょうが、今ではむしろ古い感じがしてしまいます。

そして、私的には「Revolution9」が入っている事が一番重要なポイント。
普通、この曲は外すでしょう・・・。
でも、あえて、この曲(?)を入れて、多くの人がウンザリした後に「グッドナイト」が始まる。
もう、この落差にいつもヤラレテしまう。

そして、もう一枚選ぶとしたら・・・「リボルバー」


■ どうして突然ビートルズかと言えば・・ ■


何故、突然ビートルズの話題なのかと言えば、LPプレーヤーのカットリッジをLINNのK9に交換したから。

毎年、ひな祭りが近づくと我が家のLPプレーヤは雛人形達に占拠されます。実はプリアンプ代わりにDJミキサーを使っているので、見た目重視でLPプレーヤーは2台あります。別にDJプレーを趣味としているのでは無く、左はSHUREのカートリッジを付けてロック・ジャズ用。右はSUMIKOのPearlというカートリッジが付けてクラシック用です。

ところが、雛人形がロック用を占拠するので、この時期はロックのLPが聞けない・・・。

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そこで、今回はこんな事をしてみました。

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右側のプレーヤーのカートリッジをクラシック専用のSUMIKOからLINNのK9に交換してみます。実はK9は右のプレーヤーをオークションで落札した時にオマケで付いて来たもの。しかしK9は意外にハッキリとした中広域とタイトな低音で、クラシック専用にするにはSUMIKOの方が好印象でした。

でも、クラシックとロックを両方聴くならばLINNのK9の方が良さそうです。

せっかくイギリスのLINNのカートリッジを付けたのだから、最初はイギリスのアーティストを聞きたい。そもそもイギリスの録音ってクセがあってアメリカ製のSHUREのカートリッジで聴くと抜けが悪い。

そうだ、久し振りにビートルズを聴こう。

って事で「ホワイトアルバム」に繫がった訳なのです。


まあ、ゲテモノ音楽好きの私がビートルズを語るのは100年早い訳でして、ここは往年のファンの方達に大いに語っていただきたい所ではありますが・・・.
5

2014/1/11

関西弁の魅力・・・心の隙を突いてくる  音楽
 



以前このブログで紹介した関西弁ラブソング『あんた』
歌っているのはティーナ・カリーナ(本名・田中里奈)。

歌手を志しならが、阪急百貨店でエビ煎餅屋で6年間アルバイトしていたという彼女、
25歳の時に最後のチャンスと50社にデモテープを送った所、
仙台の芸能プロダクションが3か月後に連絡して来たとこ。(Greeenの事務所)
311の震災で3か月遅れで郵便が届いた事が理由とか。

そんな経緯で、仙台を拠点に活動する関西人シンガーのティーナ・カリーナ。
一昨年のレコード大賞の新人賞も獲得した様ですが、一般的知名度は高くはありません。

先日、大宮の駅前の大型スクリーンから彼女の歌声が聞こえて来てハッとしましたが、
スクリーンに映し出されているのは壇蜜の妖艶な御姿・・・。
これ、新曲の『しもた』のPVでした。




しかし、関西弁のリフレインって、とっても独特ですね。
ちょっとベタだけど嫌いじゃない。

こんな歌もリリースしている様です。
『あかん』




そして大笑いなのが広島弁バージョンを誰かがアップしている事。
『いけん』

これ、実は結構上手い。
「わやくちゃになるのは、目に見えとるんじゃけん・・・」って・・・ツボりました。






新入社員の時の事です。会社の行楽会の出し物を決める話し合いで、
大阪出身の同期の女の子に「ねえ、女装せえへん?」と言われました。
思わず頷いてしまった私は、見苦し姿を先輩方にさらすハメに・・・。

これ、普通に「ねえ、女装してよ?」って聞かれたら、「ヤダ」と言えたと思います。
関東の男は関西弁の女の子に弱いんです・・・・エ!? 私だけ?



ちなみに昨年末、彼女の初フルアルバムが発売になっています。
タイトルは『田中らボタモチ』・・・
・・・オイオイ、事務所は本気で売る気あるんかい!!


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2013/12/4

小泉純一郎氏はシベリウスがお好き  音楽
 

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■ 小泉パパの意外な一面 ■

双日総研の吉崎達彦氏ぼブログ「かんべえの不規則発言-溜池通信」は、経団連や自民党の思惑を知るのにとても役立つ情報が満載です。そんな氏のブログに小泉パパの意外な一面が紹介されていました。

「原発ゼロ」発言で久々に衆目を集める小泉純一郎氏ですが、大のフィンランド贔屓、さらにはシベリウス好きだとか。

小泉パパはベタなプレスリー・ファンだと思っていたので、ちょっと驚くと同時に、急に氏に親近感を覚えてしまいました。

シベリウス好きに悪人は居ない・・・多分・・・・。

■ 国民楽派 ■

ジャン・シベリウスは (1865年12月8日 - 1957年9月20日)は、フィンランドの作曲家です。音楽史的には「国民楽派」に分類され、同時代のスメタナやドボルザーク、ムソルグスキーやグリークなどと同列に扱われています。

「国民楽派」の特徴を一言で言うならば、「民族音楽の伝統を取り入れたロマン派」となるでしょうか。スメタナの『我が祖国』や、ドボルザークの『ハンガリー舞曲集』などが分かり易いと思います。

彼らは音楽的だけでなく、思想的にも「自国の歴史」に注目するなど、当時のナショナリズムの台頭と無縁の存在ではありません。

■ 唯一無二のシベリウス ■

シベリウスは国民楽派やロマン派に分類されながらも、その音楽は独特の肌合いを持っています。

「シベリウスの前にシベリウス無く、シベリウスの後にシベリウスは無い」と思える程に、彼は音楽史の上でも孤立した存在とも言えます。

この時代のロマン派の作曲家達の作風は、悪い言い方をすれば「少々下品」です。過剰な情熱やロマンティシズム、マーラーなどに見られる雑然とした構成・・・。ある意味、「濃い」作曲家達が多い。

一方、シベリウスは硬質で冷たい。一部の現代音楽にも通じる北欧的なリリシズムを彼は早くから確立しています。

特に弦楽器のアンサンブルが緻密で繊細です。

交響曲を多く残していますが、第二番のファンは多いかと思います。



初期の交響曲は、優しく、暖かな感じがします。
『フィンランディア』なども含め、この時期は「国民楽派」の影響が強く、スメタナなどと似た感じがします。

■ 交響曲の問題作、4番 ■

シベリウスは一時期、イギリスでベートーベンの後に現れた最大の作曲家と評価されていました。特に交響曲第4番の評価が高かったと思います。



この交響曲、お聞きの様に大変暗くて地味な作品です。

「少人数のアンサンブルの掛け合い」が延々続いて行くので、オーケストラが全体で成る事がほとんどありません。現代音楽の様に聞こえます。(実際にはドビッシーなどの印象はの影響が強い様です)

この曲が1911年の作品なのですから恐れ入ります。

テーマも細切れで、小出しにされるので、根気強く聞かないと飽きてしまいます。
ただ、この曲は「聞けば聞くほど味が出る」名曲だと私は思います。頑張って聞くと第4楽章で春がやってきます!!この開放感は・・・しかし、次第に暗転して行きます。それが又シベリウスらいし。クレッシェンドでは無く、消え入る様に終曲を迎えます。

実は、オーケストラと指揮者にとっては大変嫌らしい曲で、ソリストの技量が無ければ聞くに堪えない演奏になる曲としても有名で、カラヤンとベルリンフィルの演奏が名盤と言われる由縁です。

ただ、この重苦しい雰囲気は、暗く長い冬を過ごすフィンランド人には理解し易い様で、フィンランド人の指揮者、ユッカ=ペッカ・サラステは「第4番はフィンランドのオーケストラと指揮者にとっては理解しやすく、第7番は雰囲気をつかむのに苦労する。」と言っているそうです。(サロステ、20年程前に上野で見た時は、ハンサムで格好良かった!)


■ 未完の8番 ■




比較的硬質で冷たい演奏が多いシベリウスですが、バーンスタインの指揮する演奏は暖かで、シベリウスの違った一面を垣間見せてくれます。2番、7番を得意としていた様な・・。

上の映像はウィーンフィルとバーンスタインの共演ですが、溶けあう様な弦のアンサンブルに蕩けそう。

7番はシベリウス最後の交響曲で、単一楽章形式という変則的なものですが、全体としてはソナタ形式を取っているので、曲間の無い交響曲と言えるのでしょう。30分弱の間にシベリウスらしさが凝縮しています。

実は未完の交響曲第8番もあるのですが、これはパート譜まで用意しながら、シベリウス本人が1945年に焼却してしまったので、どんな曲であったのか伺い知る事は出来ない様です。1930年にはほぼ完成していた様なので、この作品をシベリウスが何故破棄したのかは、音楽史の謎とされています。

この8番、古典的交響曲への回帰では無いかとも推測されており、シェーンベルグを始めとする現代音楽に突入する時代に、シベリウスの独自の時間は、時代との接点は完全に失ってしまったのかも知れません。

シベリウスは90歳以上の長命でしたが、60代以降は作曲活動からは遠のいています。


■ 何故かシベリウスファンが存在する ■

音楽の趣味は人それぞれで、世間ではあまり人気の無いシベリウスですが、熱烈なファンが多いという不思議な作曲家です。

私自身は、クラシックを聴き始めた大学生の頃、雑誌で4番を薦めているのを読んで、カラヤン盤を買いました。

・・・大変後悔した事を覚えています。だって、クラシック初心者には、単なる「暗くて、退屈な曲」でしか無かったからです。

その後、ジョン・ゾーンやティム・バーンなどの現代的なフリー・ジャズに慣れた頃にこの曲を聴いて、ビックリしました。「何て現代的なんだろう!!」

シベリウスと同時代、あるいは少し後の時代の管弦楽曲の多くが、どれも映画音楽に聞こえてしまうのに対して、シベリウスの作品は、現在聞いても、「唯一無二」のシベリウスの音として耳に届きます。

大衆迎合の作家では決して到達する事の出来ない「硬質なリリシズム」を確立した事が、熱烈なファンを生む原因なのかもしれません。

シベリウスがお好きなんて、小泉パパって見かけによらず・・・・。




ちなみに、私はクラシックファンかと言えば、単なるシベリウス・ファンです。モーツアルトもベートーベンも何が良いのやらさっぱり分かりません・・・。

シベリウス自身は、モーツアルトの軽やかさに憧れていた様ですが・・・。



<追記>

暗いイメージの強いシベリウスですが、6番などは、ディズニー音楽顔負けのファンタスティックな名曲です。
3分くらいの場所を聴くと、もうファンタスティック。




こんなものを見つけてしまいました。

http://player.qobuz.com/#!/track/2368009

リトルマーメードの『Kiss the Girl』をシベリウス風にアレンジしたものみたいです(笑)
さわりだけ聞けますが、結構シベリウスしています・・・。これが、どうやってカリプソ風の 『Kiss the Girl』に繋がって行くのか興味深々ですが・・・買わないと聴けない。
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