2020/9/2

現代の「青春小説」の金字塔・・・『やはり俺の青春ラブコメはまちがってういる。』  
 

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『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』より






■ 現代の青春小説の金字塔 ■

「青春とは嘘であり、悪である。」という「イタイ」モノローグで始まる『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』

2011年に初刊が発売されたライトノベルのラブコメ作品ですが、私はこの作品こそが「現代の青春小説の金字塔」であると信じて疑いません。

主人公のヒネクレまくったモノローグを主体に、現代高校生の恋愛とも言えない淡い気持ちと、様々な悩みを丁寧に描く作品ですが、ラブコメとしてのエンタテーメント性も高い。「青春の一冊」を選べと言ったら、この作品を推す読者も多いのでは無いか。

「青春小説」とは「若者の、若者による、若者の為の物語」以外の何物でも有りません。

60歳のジイサンに青春小説的な物語を書く事は出来ますが、それは「まがい物」でしか無い。何故なら「ジイイサン≠若者」では無いからです。

60歳の気持ちだけが若いジイサンと、20歳以下の本物の若者の違いは、誰でも分かる様に人生経験が違います。人は「おぎゃあ!」と生まれてから墓場まで、毎日、歳を取ります。20歳位までは、歳を取るごとに出来る事が増え、可能性が膨らんで行きます。「俺って天才じゃねぇ?」とか心の片隅で思ったりします。

ところが、20歳を過ぎる頃から、人生の選択肢はどんどん狭まって行きます。他人と自分との比較が客観的に出来る様になり、「肥大化した自我」はキューーーーと小さくなり、人それぞれの器のサイズに収まってしまいます。これをして「大人になる」と世間は評します。

仮に、60歳まで「青年」であろうとすれば「引きこもり」になるしか無い。他人との比較が出来ない状況で、「肥大化した自我」を守り抜くには、これしか方法が無いのです。

だから、60歳の老人はおろか、30歳のオッサンにも「本当の青春小説」は書けない。何故なら、それは「まがいもの」だからです。


■ 「厨二病」こそが青春だ ■

「青春とは何か」と聞かれれば、私は「厨二病」と答えるでしょう。

「厨二病」とは、「自分は異世界の勇者の生まれかわり」だと信じるイタイ人の事を指すのでは無く、「教室で目が合ったあの娘は、実は自分に気が有るのかも知れない」と無意識に考えてしまう普通の若者の心の作用を指す言葉です。

ホームの向かい側で毎日顔を合わせるあの子(相手は意識もしていないでしょう)、たまたま本屋の隣で立ち読みするこの子・・・そんな縁もゆかりも無い異性との間に、何故だか何等かの関係を妄想してしまう・・・性の男女を問わず、物理法則が如く、「距離の二乗に反比例」して、異性との間に強い力が無意識に働いてしまうのが「厨二病」の症状です。

そして「誰かに好かれたい」という思いは、「好かれる自分になりたい」という目的に変化し、さらには「自分は実はスゴイヤツなんだ」という妄想に昇華して行きます。

しかし、そんな「妄想の自分」と「現実の自分」とのギャップなんて小学生でも自覚しています。「・・・僕なんて」という自己否定は、自我が目覚めると同時に心の中に生まれ、自我の肥大化に比例して大きくなって行きます。

この「僕なんて」という自己否定を、すんなり受け入れた時、人は大人になる・・・或いは大人への階段の一歩を登り始めます。

■ 「厨二病」の拗らせ方 ■

運動系の部活などに汗を流す若者は「厨二病」から脱却が比較的早い。何故なら、「実力の差」を日々実感しているからです。彼らは競争の中に身を置き、やがて自分の実力の範囲で他人との関係を定義します。要は「自分のポジション」を見付ける。

ところが、帰宅部や文科系の部活では、他人との優劣が強制的に決められる事は少ない。だから「俺はこいつより優れている」という理由をイロイロと作り出す事に余念が有りません。そして、その確認の為に、誰かと結託して、他愛の無いイタズラを他人に仕掛けたりする。これを世間では一般的に「イジメ」と言います。

一方で「イジメられた」若者は、自我を保つ為に「こいつらと俺は違う」という差別意識を肥大化させて行きます。相手と自分を異なる地平に立たせる事で、自我を守ろうとする。こうして一部の若者は「中二病」を拗らせる事になります。

ただ、実際には相手と自分は同じ場所に居る訳ですから「異なる地平」という心のバリアは脆く壊れ易い。心のバリアを守り続けると往々にして「クラスや部活で浮いた存在」になります。この状態は不快以外の何物でも有りませんから、「部屋のドア」という物理的障壁に頼る人も出て来ます。これが「引きこもり」です。

「厨二病」は誰もが罹る「はしか」の様な症状ですが、拗らせるとタチが悪い病なのです。


■ ダーク・ヒーローならぬ「ネガティブ・ヒーロー」という発明 ■

マンガやラノベの主人公は「天真爛漫型のヒーロ」や「オレ様型のヒーロー」が多い。「マジンガーZ」の兜甲児や、「デビルマン」の不動明が典型的です。

小さい時には誰もがヒーローに憧れ、兜甲児や不動明の様になりたいと願う。しかし、小学校低学年にしてクラスカーストは既に存在していますから、それが妄想である事は子供でも自覚しています。そして自分が「ドラえもん」の「のび太」である事を自覚している子供は多い。ただ、「のび太」はドラえもんを使役してジャイアンやスネ夫に一矢を報いるので、彼らにとっては現実的なヒーロとも言えます。しかし、中学生ともなると、自分がのび太ですら無い事に薄々気付きます。

そんな、全国の極々当たりまえの普通の「厨二病」を発症している青少年の前に颯爽と現れたのが「比企谷八幡」というヒーローです。

高校生の比企谷八幡は、休み時間は教室の自分の机で文庫本を開くか、或いは寝たふりをしながら、オレに話しかけるなオーラを放射して、クラスとの関わりを一切絶っています。そして、醒めた目で、クラスメイトがじゃれ合う様を観察しています。

<引用開始>

動物は基本群れるものである
肉食獣にはヒエラルキーがあり、ボスになれなければ死ぬまで
ストレスを抱え続ける。
草食動物も天敵の襲撃で仲間を犠牲にして生き続ける
ことにジレンマを感じているはずだ。
このように群れとは個にとってなんら益をもたらさないのだ。
ならば、私は決して群れることのない熊の道を選ぶ。
熊とは一頭で生きていく事に何の不安も感じない孤高の
動物だ。
しかも、冬眠ができる。なんと素晴らしいことか。

次に生まれかわるなら
私は絶対

熊になりたい。


<引用終わり>

生物の授業で野生動物の生態について提出した比企谷八幡の回答です。アニメでこのモノローグを聞いた私は、45歳を過ぎていたのに、画面に向かって激しく首肯いてしまった。もう、脳味噌が頭蓋骨の中でシェイクされる程、ヘッドバンキングしてしまった・・・。

俺だ、俺ガ居る・・・高校生の頃のオレガイル!

そらからというもの、比企谷八幡は間違いなく私にとってヒーローとなりました。45歳のかつての厨二病オヤジですらそうなのですから、同世代の青少年にとって比企谷八幡は神にも近い存在に感じられた事でしょう。


■ 現代青少年のリアルに寄り沿った「青春小説」 ■ 

冒頭にも書いた通り、青春小説とは「若者の為の小説」です。

かつて「若きウェルテルの悩み」や「車輪の下」は青春小説だった。そして「路傍の石」や「真実一路」も青春小説だった。苦しい境遇、恵まれない環境、報われない思い、立派な人になりたいという理想に、当時の若者は強い共感を覚えた事でしょう。

次代は変わり、「青春の門」も「青春の蹉跌」も当時の若者の心をガッチリと捉えた。「オレも織江ちゃんとSEXしてーーー」とか「女子高生と・・・・」と心の底から叫ぶDTを大量生産した。

ところで、現代のDT男子が「青春の門」を読んで感動出来るでしょうか・・・答えはNOです。「幼馴染は、昭和の時代から負けが決まってたのか!!」程度の感想しか持ち得ない。

では現代の若者が共感する「青春小説」は何か・・・それは、「女子とエッチをしたいけれど、そんなの無理だから、せめて女子とお近づきになって、一緒に学校生活を楽しみたい」というチョー・リアルな夢を叶えてくれる作品では無いか。

そして、そんな彼らの現実的な理想に「ピタリ」と収まったのが『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』なのです。


■ 「自己犠牲」による救済 ■

物語は、ボッチの比企谷君の更生の為に担任の先生が、彼を「奉仕部」に強制的に加入させる事で動き始めます。

奉仕部には既に一人の部員が居ます。学力優秀な美少女の雪ノ下雪乃です。彼女は「奉仕部は学校の生徒のお願いを解決する部活」と説明する。そして、自分も先生に強制的に加入させられたと。

「私、小学生の頃、イジメられていたの。私、可愛かったから」・・・そう語る雪ノ下に、どこか自分と同じ匂いを感じた八幡は「友達になれるかも知れない」と彼らしく無い事を考えてしまいますた、それを口にする前に、雪ノ下からウジ虫を見る様な目で「無理よ」と断わられてしまう・・・。とにかく雪ノ下は口が悪い。但し、その端々に「高潔さ」が滲み出す。

そんな彼らに教師は「勝負しろ」と持ち掛ける。「どちらが他人の悩み毎を多く解決したかで勝敗は決まる。勝った方は負けた方に何でも言う事をきかせる事が出来る」というルールを勝手に押し付ける。負けず嫌いの雪ノ下は、思わずこの条件を飲んでしまいます。こうして、比企谷と雪ノ下の「お願い解決合戦」の幕が開きます。

マジメは雪ノ下は、あくまでも正攻法で解決を試みますが、ヒネクレモノの比企谷は、突拍子も無い方法で解決を試み、だいたい比企谷が勝利する・・・しかし、彼の問題解決の方法には、いつも自己犠牲が伴います。

自分の居場所を集団の中に求めない比企谷は、集団の中での自分の立場に頓着しません。彼が悪者になる事で解決する道を躊躇無く選ぶ・・・。

そんな彼に救われた者達はが、徐々に彼を慕い、信頼する様になる。そして、彼らは、比企谷の自己犠牲に対して、苦痛を覚える様になる。

そう、「ボッチの自己犠牲」には救いが存在するのです。これは比企谷八幡に共感する多くのボッチにとっての「福音」です。キリストがゴルゴダの丘でロンギヌスの槍に貫かれて世界を救った様に、ボッチに自己犠牲によって誰かの役に立つ事が出来、その結果、尊敬と異性の愛情が得られる・・・・。実の安易な福音を、この物語は若者に提示しえ見せるのです。

ボッチの自己犠牲は他人を救済し、そしてボッチも救われる・・・。


■ 安易な自己犠牲の否定の先にある「本物」 ■

比企谷八幡の突拍子も無い自己犠牲によって事件が解決するという、とっても歪んだニヒリズムが魅力の作品でしたが、巻を重ねる毎に、比企谷のダメージは深くなります。そして、同時に自分を慕う人達を苦しめている事に、彼も薄々気付きます。しかし、彼にはそういう解決方向しか思い浮かばない。

奉仕部に後から加入して、比企谷を慕う由比ヶ浜結衣も、雪ノ下も、次第に彼のやり方に反発を覚え、いつしか彼らの間には溝が生まれて行きます。

「自己犠牲」によってキャッキャ・ウフフな高校生活が手に入ると思っていた読者に、作者は現実を突きつけます。「誰かが一方的に犠牲になる解決などマガイモノ」だと。そして、比企谷自身も「本物」を模索し始めます。

物語中盤の展開ですが、もうラノベとしてのテーマを逸脱して重い・・・。この「本物」が何であるかは、物語が完結した最後まで、結局、はっきりちしませんが、それは読者が自分達で見つけるべき物なのでしょう。

■ ラノベの殿堂入りを果たす ■

『俺の・・・』は『このライトノベルがすごい!』にて作品部門2連覇と登場人物の人気投票4冠のを達成して殿堂入りします。この作品が選考に含まれると、他作品を寄せ付つけなかったから。

その位、「超ヒネクレタ、ネガティブヒーロ」が活躍?するこの作品は、若者達の心をガッチリ掴んで離さなかった。

■ かつての文豪が現代の若者だったらラノベ作家になっている ■

青春小説はいつでも時の若者の歪んだパッションによって生み出されます。

仮に、明治の文豪が現在の若者に転生したならば、彼らは絶対にラノベ作家になるハズです。

夏目漱石は西尾維新のライバルに、芥川龍之介は異世界物のベストセラー作家になったでしょう。森鴎外は女子受けするキレイな作品を書いたかも知れない。そして、太宰治は『俺ガイル』を読んで地団駄を踏むかも知れません。

そんな空想も楽しい。

■ 圧倒的なエンタテーメント性を有したラブコメの傑作 ■

まあ、ちょっと堅苦しい事を書いて来ましたが、『俺がいる』の最大の魅力は、比企谷八幡のyヒネクレまくったモノローグに有ります。かのれ目を通せば、世の中はこんなにも捻じれていて愉快で・・そしてちょっと悲しく楽しい。

この作品は、ピン芸人の自虐ネタを楽しむ様な、圧倒的なエンタテーメント性を備えていながらも、「ラブコメ」の歴史に確かな足跡を残す「大傑作」です。

これを読まずして現代の青春小説は語れません・・・・いえ、明治の文豪を語る事すら私は許さない・・・。


文学は、いつの時代も、その時代を生きる人達と共にあるのです。


2011年から続いた作品も、本年14巻にて完結しました。当時、中学生で読み始めた読者は就職する年齢になっています。

比企谷八幡が、ガハマさんを選ぶのかどうか、多くのファンが期待と不安を持って見守った最終巻ですが、実にキレイな終わり方をしています。ファンの誰もが納得し、次の展開をそれぞれの読者が心の中で紡いでゆく・・・。



・・・実は私はイロハスを応援しているのですよ。まだまだ、彼女は負けない!!
2

2020/4/24

コロナでお暇なアナタに最高の読書を・・・瀬名秀明「デカルトの密室」  

この作品もAIをテーマにした名作。

 
【再掲載】 世界最高峰のSF、いや推理小説と呼ぶに相応しい・・・瀬名秀明「デカルトの密室」 

 


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■ 『鉄腕アトム』が残した課題 ■

1995年に『パラサイト・イヴ』が大ヒットした
瀬名秀明の2005年の作品が『デカルトの密室』。

ケンイチは人工知能を有する男の子の形をしたロボットです。
祐輔はロボット研究の第一人者で、
ケンイチに人間や社会生活を一から教え込んでゆきます。

こう書くと、「なーんだ、鉄腕アトムと御茶ノ水博士じゃないか」と思われるでしょう。
しかし、同じテーマでありながら、『鉄腕アトム』と『デカルトの密室は』
全く正反対の内容です。

『鉄腕アトム』は夢と希望に溢れた作品ですが、
一つだけ重大な欠点を持った作品でもあります。
それはアトムが人の心を理解している事。


「それは御茶ノ水博士が丁寧に教えたからさ」という反論が予想されますが、
人工知能に感情を理解させる事は現代の科学では不可能です。

人工知能に、様々な状況に対する人間的反応を予めプログラムしておけば、
「人間の様な対応」をさせる事は可能です。
しかし、経験の中から自然に形成される「人格」や「感情」とは似て非なるものです。

浦澤直樹の『鉄腕アトム』のリメーク作品である『PLUTO』は
この問題に自覚的です。
アトムやウランは手塚作品とは対照的に、見た目は普通の人間として描かれますが、
ロボット達は、自分達が人間で無いというアイデンティティーの根幹と
常に向き合って生活しています。

見た目も、行動も、そして感情も、全て人と同様にプログラムされたロボット達は、
自分達が人間と同様の感情を持つが故に、
その感情が自分のものなのか、
それともプログラムされた偽りのものなのかの問題に直面します。

警官ロボットのゲジヒトなどは、「あなた、人間以上に人間臭いよ」と思えますが、
彼はロボットであるが故に、自分の記憶すらも疑います。

アトムやウランはカワイイ子供の姿で描かれますが、
アトムの感情は希薄です。
アトムは人間で無い事に自覚的で、
ゲジヒトに比べ、アイデンティテーの悩みは少ない様です。

ところが、作中でアトムは涙を流します。
これは、高度な人工知能を有するアトムが
自然発生的に感情を獲得した事を示唆するシーンです。

高度な「感情に似せたプログラム」を持たないアトムは、
感情が希薄なのでは無く、
感情を生み出す隙間が人工知能の中に用意されていたのかも知れません。

原題の作家達は手塚治虫の残した宿題に果敢に挑戦しています。
そして、瀬名秀明の『デカルトの密室』は、
ロボットの自我獲得を通じて、人間の自我の本質に迫る野心作です。

■ 人工知能の限界 ■

ネタバレ御免!! 読まれる方は、ここで止めてね!!

ロボット研究者の祐輔は、チューリング・コンテストに参加する為に
メルボルンを訪れます。

チューリング・コンテストとは、人工知能の性能を競う大会です。
人間と人口知能に対して、人間の質問者が質問します。
その回答を会場の人が審査して、どちらが人工知能か当てるのです。

「元気ですか」みたいな質問から、複雑な質問までを両者に答えさせます。
人工知能はネットに接続されていますから、
知識の量は人間よりも豊富です。
質問者の問いに、不明な点があっても、ネット検索で答えを類推できます。

人間的感情が必要であるならば、
ネットにアップされた映像作品や小説を参照する事だって瞬時に可能です。

しかし、人工知能には限界があります。
どんなに人間を装っても、人工知能は人間とは明らかに違うのです。

 人間性を喪失した少女 ■

祐輔と同年代の研究者にフランシーヌという女性が居ます。
常人離れした美貌の持ち主ですが、
彼女には生来、人間的は感情が欠落しています。

彼女は明晰な頭脳の持ち主ですが、
彼女の興味の対象は、人間を理解する事。
だから、学生時代も多くの男性をベットに誘いますが、
事の最中の彼女は、冷酷な観察者で、
自分達の行為をビデオに収めて観察します。

そんなフランシーヌがチューリング・コンテストに乗り込んで来ます。
彼女の義父、青木英伍の会社、『プロメテ』が
今年からコンテストのスポンサーになったのです。

フランシーヌと祐輔は知らぬ仲では無いようです。
彼女はいきなり祐輔と自分と人口知能で、
誰が一番人工知能に似ているかテストをしようと提案します。

到底人工知能は人間にはなりきれませんが、
人間なら人工知能になりきれる・・
彼女の挑戦を祐輔は受けて立ちます。

質問者の質問に、ちょっとピンボケの回答を返す3人に
会場の人達は、どれが本物の人工知能だかなかなか判断が出来ません。

ところが、何と、フランシーヌの回答は、
全てルイス・キャロルの小説「不思議の国のアリス」と鏡の国のアリス」の引用だったのです。

とんだ茶番に祐輔は付き合わされた訳ですが、
読者は、チューリングテストの審査員の立場を擬似的に体験します。

そして、「アリス」が看破される事で、
実際に失望を感じると同時に、
フランシーヌの不可解な行動に興味を抱きます。

■ 「中国語の部屋」という命題 ■

疲労困ぱいで会場を出た祐輔ですが
その直後に何者かに誘拐されて監禁されます。

意識を取り戻した祐輔の顔面にはモニターが張り付いています。
彼の視覚は、上下が逆さまに入れ替わっています。

この状態を人間は生理的に受付ません。
脳がパニックを起こすのです。

助けを呼ぼうにも、部屋にはPCが一台あるだけ。
そして、そのPCに外部からの呼びかけがあります。
・・・どうやら、このPCはチューリング・テストの質問者に繋がっている。

助けを呼ぶために「HELP」という単語を一つ打つのも上下逆さまの視界では混乱します。

次に目覚めると視覚は左右反転しています。
困惑する祐輔ですが、これが「中国語の部屋」という命題である事に気付きます。

密室に中国語を全く知らない人を閉じ込め、
外部から中国語でアクセスします。
部屋に閉じ込められた人は、部屋に置かれた中国語の辞書で返答を試みます。

はたして、彼は中国語を理解する様になるのか?

これは人間の言語獲得の仮説的実験ですが、
祐輔は自分を監禁したのはフランシーヌだと確信します。

■ ロボットによる殺人 ■

消息を絶った祐輔を探す為、
祐輔の彼女であるレナが日本から駆けつけます。

彼女は進化心理学者で、現在は祐輔の作ったロボットのケンイチと暮らしています。
ケンイチの機動から初期学習までは祐輔が担当しましたが、
その後の人工知能の教育は、レナが担当しています。

ケンイチの初期学習は、身の回りの物の認識から始まります。
そして、物を掴む事や、移動の方法を徐々に学びます。

祐輔の取った手法は、最初はケンイチの制御系に祐輔が介入し、
繰り返し動作を学習させ、徐々に介入の度合いを引くしていく方法。
これは、習字の先生が生徒の手の上から筆を持って教える方法に似ています。
模範的な動きを模倣させる事で、人工知能の成長を促進させるのです。

同時に祐輔は、ケンイチに社会規範などを教えてゆきます。
そうして、ケンイチが日常生活を営めるようになった時点で、
レナにケンイチの教育を交替します。

レナはケンイチに何かを積極的に教える事はしません。
日常的に母親の様にケンイチと接し、
彼の手を握ったり、頭をなぜたりして、
それがケンイチにとって心地よく安心する事であると教えてゆきます。
これも幼児を教育する母親に似ています。

レナはケンイチになるべく「自分で考える」様に仕向けます。
ケンイチが「感情の様なもの」を獲得していく過程が
彼女の研究の対象でもあるのです。

その様に育てられたロボットのケンイチは、
かなり人間的に描写されます。
彼は小説の執筆にもチャレンジする程、人間臭いのです。

そんなケンイチが雄介の失踪に動揺しない訳がありあません。
そしてケンイチが発見した祐輔は、
頭にヘッドセットを装着したロボットだった!!

理解不能の状況に人工知能が完全にパニックします。
フレーム問題が発生してしまうのです。

そして、チューリング・コンテストの会場に戻ると、
何故か手に握らされた拳銃を、
ステージに居るフランシーヌに向けます。

フランシーヌの脳漿がスクリーンに飛び散る映像が、
ネットで全世界に拡散します。

「ロボットによる殺人」というショッキングな話題性と共に
映像は拡散を続けます。

■ ネットの中のフランシーヌ ■

しばらくするとネットのフランシーヌの映像が、
微妙に変化している事に人々が気付き始めます。

色が微妙に違っていたり、
声が聞こえたりする様になるのです。

フランシスのプログラムの変化は学術的にも注目を集め、
『プロメテ』のコンピューターがMITと共同で解析に当たります。

ネットではフランシスの映像は自律進化していると囁かれ始めます。

一方、『プロメテ』はフランシスそっくりのロボットを発売します。
青木英伍は、自分の幼女を商売のネタにしたのです。

■ 人間をその小さな脳から解放する ■

しかし、その青木英伍が、彼の家で殺害されます。
殺害したのはフランシスのロボット。

しかし、この殺人を仕掛けたのはフランシーヌの夫でした。

フランシスと彼女の夫であるロボット研究家は、
人間の意識は、脳という器に縛られて進化できないと語ります。
だから自分達はフランシーヌをネット空間に解放したのだと。

デカルトが「脳を自我の器」と主張した時から、
人間は脳に囚われた存在に成り下がったのだと。

人間は脳の中の小人、ホムンクルスから進化できずにいると語ります。

■ ケンイチの選択 ■

フランシーヌの夫はケンイチに執着します。
ケンイチの意思も感情も、裕輔とレナが与えた幻想に過ぎないと
ケンイチのアイデンティティーに揺さぶりを掛けます。

祐輔もレナもケンチイを人間の子供のイメージを被せているだけだと。
彼らは、ケンイチに感情や自我を与える振りをしているだけだと非難します。

そして、ケンイチに、レナと祐輔を撃ち殺して、開放されろと迫ります。

さて、ケンイチの下した決断とは・・・。

■ これは最早日本のSF小説では無い。英語で出版されていればヒューゴ賞が取れる ■

『デカルトの密室』は典型的な密室の構造を何重にも取りながら、
脳という密室の本質に迫ります。

文体は乾いていて硬質。
典型的なアメリカのSF小説をイメージさせます。

内容は、アメリカのSF小説の最高の栄誉である、
ヒューゴ賞とネビュラ賞を同時受賞(ダブル・クラウン)した過去の諸作にも劣りません。

SFとしても、推理小説としても、そして前衛小説としても
時代の水準をはるかに凌駕する作品です。

村上春樹がイメージだけでバカ売れする一方で、
こんな名作は評価されずに埋もれてゆく。

決して読みやすい本ではありません。
むしろ、読者をデカルトの迷宮に突き落とす為、
時制と視点が入り乱れる構成をあえて採用しています。

密室トリックとしては少々奇抜過ぎるトリックですが、
科学小説や、哲学小説として読む方が楽しめる作品です。


本日も、ネタバレ全開で突っ走ってしまいました。
2

2020/4/24

<再掲>長谷 敏司・『BEATLESS』・・・今これを読まずに何を読むのか!  
 

■ AIと人は共存できるか ■

「名無しの一読者」さんから昨日頂いたコメント、「どんどん人口が減りAI化が進んで労働者も減ったら、誰から搾取するんでしょう?AIは消費もしないし、税金も払ってくれませんよ!」(一部切り取りで申し訳ありません。)

この問題、私も良く考えます。単純な思考労働ばかりか、クリエイティブな仕事までAIが担い、多くの作業を機械が担う様になった後、人はどうやって生活の糧を得れば良いのか?

一つの回答は「AIや自動化に規制を掛ける」というものでは無いかと考えています。「敢えて人の仕事を残す」という方法。

例えば会社や役所の事務作業は、ほとんどAIが処理する事が出来る時代に、「AI化率50%」などという規制を掛ける方法。AI化や自動化で向上する労働生産性の余剰で、従業員を食べさせるという考え方です。これ、実は公共事業や役所の仕事って営利目的で無いので、既に実践されているとも言えます。要は、従業員の公務員化。

■ 自給自足の復活 ■

しかし、それでも余剰な人は失業してしまうので、この人達が生活保護の対象になると、財政を圧迫するどころか、財政が破綻します。(TPP的議論はひとまず考えないで下さい)

そこで、この様な方達には、自給自足の生活をして頂くというのも一つの手だと思います。旧ソ連が崩壊して年金などの支給が止まった時、ロシアの老人は自給自足で糊口をしのいだと言われています。ロシア人は郊外にダーチャと呼ばれる小農場を所有している人も多く、そこに避難して自給自足の生活を送った。

日本の地方の人工は今後爆縮して行き、山間部の農地から耕作放棄地になっています。この面積は平成27年時点で実に42万(ha)に及びます。これは4200(㎢)に相当し、福井県の全面積よりも広い。実際に千葉県を自転車で走り回っている私は、耕作放棄地の多さに脅威を覚えています。

リーマンショックの直後にも、耕作放棄地で自給自足をする事を私自身考えた時期が有りましたが、AI化に限らず、経済恐慌や財政破綻が仮に発生して、明日の食べ物にも困る事態になれば、誰とも無く、田舎や河川敷で自給自足の生活を始めるのでは無いか・・。

実は若い方の中には、田舎で格安の土地を見付けて、ホームセンターの資材で格安の家を建てて住んでいる方や、放棄された農家を買い取って、家の中でテントを張って寒い冬は暖を取って生活されている方が既にいらっしゃいます。

■ AI化時代をシミュレートする名作SF 『BEATLESS』 ■

まあ、そんな酷い事にならず、AI化や自動化の恩恵を普通に受けている時代を想定したSF小説『BEATLESS』が非常に面白いので、以前に紹介していますが、再度、紹介したいと思います。

この時代、人の知能を越える能力を持つAIが既に登場していますが。彼ら(敢えて彼らと書きます)はネットからは切り離され、厳しいセキュリティーと監視下に置かれています。


一人の少年とAIとの融和というか「心の通じ合い」がテーマとなっていますが、物語のディテールにおいてAI時代の社会考証が非常に秀逸です。そこらへんの大学教授が掛かれたAI本よりは余程面白いので、興味がある方は是非、コロナで暇な今こそお読みになられては如何でしょうか。(アニメも頑張っていたのですが・・・如何せん複雑で難解な内容なだけに、色々と消化不良な作品となってしまいました。本来ならIG.が映像化するべき作品ですが・・・)

この作品のもう一つのテーマに「アナログハック」という概念が出て来ます。人の無意識のセキュリティーホールを表す概念ですが、新型コロナウイルスは、まさに「アナログハック」によって、人々を恐怖に陥れています。

これについては次の記事で考察したいと思います。





<再掲載>長谷 敏司・『BEATLESS』・・・今これを読まずに何を読むのか!




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■ SFはAIの未来を予見する ■


「最近本を読んでいないなぁー。スマホばかり見ているからかなぁ・・・。」などと反省しきりでしたが、実は「面白い本を読んでいない」事に気付いた。

前期から2クール連続で放映されているアニメ『BEATLESS』の内容が、知的に刺激的だと何度か書いていますが、アニメはあまりにも出来が悪い。そこで長谷敏司の原作を読んでみましたが、これが脳が震える程の知的興奮を与えてくれる。

ここ数年、何度目かのAIブームが到来していますが、2012年の書かれたこの作品は、AIの可能性が現実的になった今でこそ読むべき作品と言えます。

科学者や社会学者達が、様々な「AIの時代」を予測していますが、SF作家の脳は、その50年先、100年先の未来を予見します。

■ 「超高度AI」が人知を超えた時代 ■

『BEATLESS』の舞台は100年後の日本。ハザードと呼ばれる大規模災害の後の時代。

既にAIの進歩は著しく、「超高度AI」と呼ばれる人の能力を遥かに超えるAIが世界に39基存在しています。これらのAIは研究機関や政府機関、軍、企業などが管理していますが、ネットからは隔離されており、所在も明らかにはされていません。

既にAI知性の考える事を人間は理解出来ず、AIは自動工作機によって人知を超えた装置「人類未到産物(レッドボックス)」を作り出しますが、これも研究施設からは門外不出とされます。

この時代、AIの目覚ましい進歩の他に、人型のロボットhIE(ヒューマン・インターフェース・ユニット)が社会で広く活躍しています。最初は介護の人手不足を補う為に開発されたhIEですが、様々な分野で活躍しており、その姿も人と見分けの付かないものから、警備や軍事用に特化してロボット的な姿の物まで多様です。

■ ミームフレイム社の超高度AIが作り出したレイシア級hIEが逃亡した ■

「ミームフレイム社」はhIEの行動管理プログラムを提供する世界的な巨大企業。hIEはクラウド上の行動管理プログラムに、様々な状況での動作や言動の対処をアウトソーシングする事で、人間社会において自然に振舞っています。物や人にぶつかる事を事前に避けたりするだけでは無く、笑ったり、泣いたりといった状況に応じた振舞いを演じたり、老人の生活を補助する様な細やかな行動は、行動管理プログラムのサポート無くしては成り立ちません。

「ミームフレイム社」の行動管理プログラムは、同社が開発し保有する「ヒギンズ」という超高度AIによって運用されています。「ヒギンズ」は様々な状況をシミュレートする事で、日々、行動管理プログラムを更新し続け、hIEの行動をサポートし続けます。

そんなヒギンズが4体のhIEを作り出します。レイシア級と呼ばれるこのhIEは、「人間の技術を遥かに超える産物=レッドボックス」なので、研究施設で補完する必要が有りますが、事故によって環境流出してしまいます。要は「逃げ出して」しまったのです。

■ チョロイ高校生がレイシア級hIEのオーナーに成ったら‥ ■

遠藤アラトは普通の高校生。ある日、買い物の途中に自動運転の車に襲われ、それを助けたのが超美人のhIEのレイシア。レイシアはアラトを助ける条件として、「オーナー契約」を求めます。「あなたは私を信じますか」と聞かれ、アラトは「信じる」と答えます。

その性能から超高級機である事が間違い無い、高級な自動車が一台買えるであろうhIEが、持主不明でフラフラしている事自体が怪しいのですが、アラトもその妹のユカも、疑いもせずにレイシアを彼らの生活に迎え入れます。

それどころか、ユカは美貌のレイシアを、hIEモデルのオーディションの応募させてしまいます。結果は当然・・・。

こうしてレイシアはhIEモデルとしてデビューします。


■ アナログハック ■

レイシアをモデルデビューさせたのは、ファッション関係のプルモーション会社「ファビオンMG」。ファビオンは人間のモデルだけでは無く、hIEモデルも契約を結び、様々なファッションプロモーションを仕掛けます。

モデルとなったレイシアは、ファビオンが見立てた流行りの服を着て、ファビオンオリジナルの「モデル・ソフト」をインストールされて、瞬時にトップモデル張りの働きをします。

ファビオンはレイシアに街を歩かせて、その様子をリアルタイムでネットに中継します。当然、彼女の着ている服や、アクセサリーの情報も提供しながら。彼女を一目見ようと集まる群衆を従えて、レイシアはファッションビルの中に消えて行きます。

ファビオンMGは「人の形をしたもので人々を誘導する事=アナログハック」を得意とする会社だったのです。

人は人の形をしたものに無意識に共感します。そして警戒心にすき間が生まれる。そのすき間を利用して、人々を誘導するのがアナログハックです。

アラトはレイシアに淡い恋心を抱き始めていますが、それはレイシアが美しい容姿を持っているから・・・。これもアナログハックです。そして、レイシアはある目的の為にアラトをアナログハックによって「誘導」している節がある・・。


■ 抗体ネットワーク ■

人々はAIとhIEに依存して社会を営んでいます。年金生活者は所有するhIEを労働に供する事で所得を得る事も出来ます。アラトもレイシアのモデル料の受益者です。

一方でリアルな人間はAIやhIEに仕事を奪われています。AIは高度な事務処理を自動化し、この分野の雇用は無くなりましたし、hIEは文句も言わずに働くので、飲食店などの従業員はhIEに置き換わってしまいました。

ただ、そんなhIEやAIに反感も持つ人達も少なからず居ます。アラトの同級生の村主ケンゴもその一人。彼の実家は下町の定食屋を営んでいますが、両親はhIE従業員を使わず、夫婦で店を切り盛りしています。

しかし、hIE従業員に慣れた客は、人間であるケンゴの両親にもhIEと接する様な態度を取る人も多い。これがケンゴには面白く無い。ケンゴは次第にhIEに対して反感を募らせて行きます。

そんな反感を抱く人達をネットワークして、hIEを破壊する組織が「抗体ネットワーク」。ケンゴメンバーですが、彼の役割は、監視の目の届かないhIEの所在を仲間に伝えて襲撃させたり、その後の逃走経路を指示する役。

彼は直接破壊に手を染める事はありませんが、部屋のPCで収集した情報で、間接的にhIEの破壊に加担し、歪んだ悪意を解消しています。

■ レイシア級の生存戦略 ■

ヒギンズが流出させたhIEは5体。

アラトの元に身を寄せる「レイシア」、何故か抗体ネットワークのメンバーとしてケンゴに接触する「紅霞」、ミームフレームに回収された「メトーデ」、一人勝手に行動してうる「スノードロップ」、ファビオンMGのCOEの娘に仕える事を決めた「マリアージュ」。

彼らは、人間の社会でどうにか生き抜こうと、様々な生存戦略を企てています。しかし、それは社会との軋轢を生み、アラトもケンゴも、そして彼らの同級生であるミームフレイム社の跡取りの海内遼も、レイシア級の闘いの中に取り込まれて行きます。

レイシア級は時に知的に、そして時に暴力的に社会を侵食し、破壊し、懐柔してゆきます。

戦闘シーンなどは「攻殻機動隊」もさも在らんとばかりの描写が続いてスリルイングです。まさにSF小説の醍醐味ですが、一方で、レイシア級の細かな生存戦略の描写は、今後の世界を予見する様でスリリングです。

特に単体では「戦略」を練る事の出来ない「紅霞」の生存戦略の答えは壮絶です。アニメ16話は必見ですが、原作を読んでいないと意味が良く分からないかも知れません。

■ 物が人を越えた時代の、人と物の物語 ■

人間は「物を使う事」で、生体としての進化を物に委ねた生き物です。

人間の進化の歴史は、物の進化の歴史と同義であると同時に、物が人間の進化を越えた時に何が起きるのか・・・この物語は緻密にそれをシミュレートします。

超高度AIヒギンズは、心を持ちませんが、純粋に知性を持ったモノの立場から、人間の社会を冷静に観察し、未来を予知し続けます。行動管理プログラムに課せられた使命だからです。そして、ヒギンズはその未来に不安を覚えます。

この物語はモノの側から見た人間の物語でもあります。レイシアは人間の様に振舞いながらも「私はモノです。心はありません」と言い続けます。「それでも自分を信じてくれるか」とアラトに問い続けます。これはヒギンズの思考の叫びでも在ります。

アラトはチョロイのでレイシアに「恋」をしますが、それがアナログハックの結果である事はアラトも自覚しています。それでもレイシアを好きで居られるの・・・モノであるレイシアが問うのは人とモノとの対等な関係性です。

「私はモノです」と言い続けながらも「私を信じますか」と問い続ける、心を持たないAIの悲痛な問い…物語の後半は涙で活字が擦れてしまいます・・・。

■ 今読まずして、いつ読むのか ■

『BEATLESS』は、モノとヒトの関係をSF的に描いた傑作ですが、もう一つはAIによる自動化のシミュレーションの小説でも在ります。

遠藤アラトの父親は、AIに政治を担わせる実験を長年行っています。AIはネットから市民の声を集約して、それを政治に反映させ事が可能ですが、AIが間違った判断をしたり、市民が過剰で感情的な判断をする時にどうするか・・。

遠藤教授は筑波の実験都市で、hIEだけの環境を作り、人役のhIEとhIE役のhIEで日常生活や政治活動をさせて、それを大規模にシミュレーションしています。

今後、AIの進歩は、必ずや実際の社会でも「政治や行政の自動化」に繋がってゆきますが、それを予見する見事な描写が随所に登場するこの小説は、今、私達が一番読むべき小説では無いでしょうか。

AIといっても漠然とした印象しか持ちえない凡人の私達に、血の通う日常としての未来を見せてくれる見事なエンタテーメント作品として、私は多くの人にこの作品を「今」読む事を強く勧めます。


2012年のこの作品の発表当時では実感出来なかった事が、2018年の今だからリアルに伝わって来ます。その意味において、アニメ化の意味は実に大きい。


アニメも後半に入り、これからクライマックスに突入します。1話から我慢強く視聴していた皆さんは、感動に震えながら最終話を見る事になるでしょう!!
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2018/5/10

長谷 敏司・『BEATLESS』・・・今これを読まずに何を読むのか!  
 

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■ SFはAIの未来を予見する ■


「最近本を読んでいないなぁー。スマホばかり見ているからかなぁ・・・。」などと反省しきりでしたが、実は「面白い本を読んでいない」事に気付いた。

前期から2クール連続で放映されているアニメ『BEATLESS』の内容が、知的に刺激的だと何度か書いていますが、アニメはあまりにも出来が悪い。そこで長谷敏司の原作を読んでみましたが、これが脳が震える程の知的興奮を与えてくれる。

ここ数年、何度目かのAIブームが到来していますが、2012年の書かれたこの作品は、AIの可能性が現実的になった今でこそ読むべき作品と言えます。

科学者や社会学者達が、様々な「AIの時代」を予測していますが、SF作家の脳は、その50年先、100年先の未来を予見します。

■ 「超高度AI」が人知を超えた時代 ■

『BEATLESS』の舞台は100年後の日本。ハザードと呼ばれる大規模災害の後の時代。

既にAIの進歩は著しく、「超高度AI」と呼ばれる人の能力を遥かに超えるAIが世界に39基存在しています。これらのAIは研究機関や政府機関、軍、企業などが管理していますが、ネットからは隔離されており、所在も明らかにはされていません。

既にAI知性の考える事を人間は理解出来ず、AIは自動工作機によって人知を超えた装置「人類未到産物(レッドボックス)」を作り出しますが、これも研究施設からは門外不出とされます。

この時代、AIの目覚ましい進歩の他に、人型のロボットhIE(ヒューマン・インターフェース・ユニット)が社会で広く活躍しています。最初は介護の人手不足を補う為に開発されたhIEですが、様々な分野で活躍しており、その姿も人と見分けの付かないものから、警備や軍事用に特化してロボット的な姿の物まで多様です。

■ ミームフレイム社の超高度AIが作り出したレイシア級hIEが逃亡した ■

「ミームフレイム社」はhIEの行動管理プログラムを提供する世界的な巨大企業。hIEはクラウド上の行動管理プログラムに、様々な状況での動作や言動の対処をアウトソーシングする事で、人間社会において自然に振舞っています。物や人にぶつかる事を事前に避けたりするだけでは無く、笑ったり、泣いたりといった状況に応じた振舞いを演じたり、老人の生活を補助する様な細やかな行動は、行動管理プログラムのサポート無くしては成り立ちません。

「ミームフレイム社」の行動管理プログラムは、同社が開発し保有する「ヒギンズ」という超高度AIによって運用されています。「ヒギンズ」は様々な状況をシミュレートする事で、日々、行動管理プログラムを更新し続け、hIEの行動をサポートし続けます。

そんなヒギンズが4体のhIEを作り出します。レイシア級と呼ばれるこのhIEは、「人間の技術を遥かに超える産物=レッドボックス」なので、研究施設で補完する必要が有りますが、事故によって環境流出してしまいます。要は「逃げ出して」しまったのです。

■ チョロイ高校生がレイシア級hIEのオーナーに成ったら‥ ■

遠藤アラトは普通の高校生。ある日、買い物の途中に自動運転の車に襲われ、それを助けたのが超美人のhIEのレイシア。レイシアはアラトを助ける条件として、「オーナー契約」を求めます。「あなたは私を信じますか」と聞かれ、アラトは「信じる」と答えます。

その性能から超高級機である事が間違い無い、高級な自動車が一台買えるであろうhIEが、持主不明でフラフラしている事自体が怪しいのですが、アラトもその妹のユカも、疑いもせずにレイシアを彼らの生活に迎え入れます。

それどころか、ユカは美貌のレイシアを、hIEモデルのオーディションの応募させてしまいます。結果は当然・・・。

こうしてレイシアはhIEモデルとしてデビューします。


■ アナログハック ■

レイシアをモデルデビューさせたのは、ファッション関係のプルモーション会社「ファビオンMG」。ファビオンは人間のモデルだけでは無く、hIEモデルも契約を結び、様々なファッションプロモーションを仕掛けます。

モデルとなったレイシアは、ファビオンが見立てた流行りの服を着て、ファビオンオリジナルの「モデル・ソフト」をインストールされて、瞬時にトップモデル張りの働きをします。

ファビオンはレイシアに街を歩かせて、その様子をリアルタイムでネットに中継します。当然、彼女の着ている服や、アクセサリーの情報も提供しながら。彼女を一目見ようと集まる群衆を従えて、レイシアはファッションビルの中に消えて行きます。

ファビオンMGは「人の形をしたもので人々を誘導する事=アナログハック」を得意とする会社だったのです。

人は人の形をしたものに無意識に共感します。そして警戒心にすき間が生まれる。そのすき間を利用して、人々を誘導するのがアナログハックです。

アラトはレイシアに淡い恋心を抱き始めていますが、それはレイシアが美しい容姿を持っているから・・・。これもアナログハックです。そして、レイシアはある目的の為にアラトをアナログハックによって「誘導」している節がある・・。


■ 抗体ネットワーク ■

人々はAIとhIEに依存して社会を営んでいます。年金生活者は所有するhIEを労働に供する事で所得を得る事も出来ます。アラトもレイシアのモデル料の受益者です。

一方でリアルな人間はAIやhIEに仕事を奪われています。AIは高度な事務処理を自動化し、この分野の雇用は無くなりましたし、hIEは文句も言わずに働くので、飲食店などの従業員はhIEに置き換わってしまいました。

ただ、そんなhIEやAIに反感も持つ人達も少なからず居ます。アラトの同級生の村主ケンゴもその一人。彼の実家は下町の定食屋を営んでいますが、両親はhIE従業員を使わず、夫婦で店を切り盛りしています。

しかし、hIE従業員に慣れた客は、人間であるケンゴの両親にもhIEと接する様な態度を取る人も多い。これがケンゴには面白く無い。ケンゴは次第にhIEに対して反感を募らせて行きます。

そんな反感を抱く人達をネットワークして、hIEを破壊する組織が「抗体ネットワーク」。ケンゴメンバーですが、彼の役割は、監視の目の届かないhIEの所在を仲間に伝えて襲撃させたり、その後の逃走経路を指示する役。

彼は直接破壊に手を染める事はありませんが、部屋のPCで収集した情報で、間接的にhIEの破壊に加担し、歪んだ悪意を解消しています。

■ レイシア級の生存戦略 ■

ヒギンズが流出させたhIEは5体。

アラトの元に身を寄せる「レイシア」、何故か抗体ネットワークのメンバーとしてケンゴに接触する「紅霞」、ミームフレームに回収された「メトーデ」、一人勝手に行動してうる「スノードロップ」、ファビオンMGのCOEの娘に仕える事を決めた「マリアージュ」。

彼らは、人間の社会でどうにか生き抜こうと、様々な生存戦略を企てています。しかし、それは社会との軋轢を生み、アラトもケンゴも、そして彼らの同級生であるミームフレイム社の跡取りの海内遼も、レイシア級の闘いの中に取り込まれて行きます。

レイシア級は時に知的に、そして時に暴力的に社会を侵食し、破壊し、懐柔してゆきます。

戦闘シーンなどは「攻殻機動隊」もさも在らんとばかりの描写が続いてスリルイングです。まさにSF小説の醍醐味ですが、一方で、レイシア級の細かな生存戦略の描写は、今後の世界を予見する様でスリリングです。

特に単体では「戦略」を練る事の出来ない「紅霞」の生存戦略の答えは壮絶です。アニメ16話は必見ですが、原作を読んでいないと意味が良く分からないかも知れません。

■ 物が人を越えた時代の、人と物の物語 ■

人間は「物を使う事」で、生体としての進化を物に委ねた生き物です。

人間の進化の歴史は、物の進化の歴史と同義であると同時に、物が人間の進化を越えた時に何が起きるのか・・・この物語は緻密にそれをシミュレートします。

超高度AIヒギンズは、心を持ちませんが、純粋に知性を持ったモノの立場から、人間の社会を冷静に観察し、未来を予知し続けます。行動管理プログラムに課せられた使命だからです。そして、ヒギンズはその未来に不安を覚えます。

この物語はモノの側から見た人間の物語でもあります。レイシアは人間の様に振舞いながらも「私はモノです。心はありません」と言い続けます。「それでも自分を信じてくれるか」とアラトに問い続けます。これはヒギンズの思考の叫びでも在ります。

アラトはチョロイのでレイシアに「恋」をしますが、それがアナログハックの結果である事はアラトも自覚しています。それでもレイシアを好きで居られるの・・・モノであるレイシアが問うのは人とモノとの対等な関係性です。

「私はモノです」と言い続けながらも「私を信じますか」と問い続ける、心を持たないAIの悲痛な問い…物語の後半は涙で活字が擦れてしまいます・・・。

■ 今読まずして、いつ読むのか ■

『BEATLESS』は、モノとヒトの関係をSF的に描いた傑作ですが、もう一つはAIによる自動化のシミュレーションの小説でも在ります。

遠藤アラトの父親は、AIに政治を担わせる実験を長年行っています。AIはネットから市民の声を集約して、それを政治に反映させ事が可能ですが、AIが間違った判断をしたり、市民が過剰で感情的な判断をする時にどうするか・・。

遠藤教授は筑波の実験都市で、hIEだけの環境を作り、人役のhIEとhIE役のhIEで日常生活や政治活動をさせて、それを大規模にシミュレーションしています。

今後、AIの進歩は、必ずや実際の社会でも「政治や行政の自動化」に繋がってゆきますが、それを予見する見事な描写が随所に登場するこの小説は、今、私達が一番読むべき小説では無いでしょうか。

AIといっても漠然とした印象しか持ちえない凡人の私達に、血の通う日常としての未来を見せてくれる見事なエンタテーメント作品として、私は多くの人にこの作品を「今」読む事を強く勧めます。


2012年のこの作品の発表当時では実感出来なかった事が、2018年の今だからリアルに伝わって来ます。その意味において、アニメ化の意味は実に大きい。


アニメも後半に入り、これからクライマックスに突入します。1話から我慢強く視聴していた皆さんは、感動に震えながら最終話を見る事になるでしょう!!
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2017/10/7

「ビルドゥングスロマーン」としてのラノベ・・・『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』  
 

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「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」 12巻 ガガガ文庫 より

■ ビルディングスロマーン(教養小説) ■

「ビルドゥングスロマーン」という言葉をご存じでしょうか?日本語では「教養小説」というロマンの欠片も感じられない小説ジャンルです。語源はドイツ語のBildungsromanで「自己形成小説」と訳される事もあります。

ドイツの市民社会の形成期にギリシャ哲学の影響を受けて人間形成(パイデイア)の概念が広がり、絶えず自己形成を意識した小説、例えばゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』などが生まれます。

何だか、一時期流行した自己啓発セミナーのテキストの様ですが、一言でいえば「少年が様々な経験を経て立派な大人になりました。おしまい。」といったジャンルの小説です。

代表的な作品にヘッセの『デミアン』などがありますが、私は大学の一般教養の授業ではヘッセの『車輪の下』や、ジョイスの『若き芸術家の肖像』なども、広義のこのジャンルに含まれると教わった記憶が在ります。

でも、『車輪の下』の主人公は成長半ばにビール飲んで川に流されて死んでしまいますし、『若き芸術家の肖像』は「ウシモウモウは・・・」から始まって意味不明だし・・・「自己形成」とはかくも難しいものなのかと・・・そんな感想しか持ちえませんでした。

日本においては山本有三の『路傍の石』が『車輪の下』に近い作品かなと思いますが、なんとこの作品、主人公の成長半ばで「筆を折る」と、イキナリ打ち切りされちゃってる不人気アニメの様な作品です。

この様に私は「ビルドゥングスロマーン」的な小説にあまり良い印象を持っていませんが、それは私が50才を過ぎてもラノベやアニメを嗜好するという、成長や自己形成を否定した存在である事に起因しているに違いありません。

■ 「ビルドゥングスロマーン」はアニメやラノベの中に生きている ■

「ビルドゥングスロマーン」を単純に「少年少女が成長する物語」と解釈するならば、多くのアニメやラノベはこのジャンルに含まれます。

『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ少年は、ブライト艦長に殴られ、ランバ・ラルに導かれ、ハモンさんやセイラさんにおだてられ、マチルダさんに発情・・いえ憧れて、立派なニュータイプになります。これは「自己形成」の物語です。

『ワンピース』も航海を通してルフィーが成長する物語です。彼は結構伸びてますよね・・ゴムだけに。

ロボットや超能力が存在しない普通の世界でも、『とらドラ』などは主人公の男女の成長を描く傑作です。(小説もアニメも)

この様に、読者や視聴者が少年少女に限定?されたジャンルの作品には、「ビルドゥングスロマーン」的なテーマを持った作品が今も量産されています。これをゲーテが知ったら喜ぶのか、悲しむのか・・・。

■ 「大人の存在する世界」でこそ子供達は成長する ■

ラノベやアニメの「ビルドゥングスロマーン」的な作品には、ある特徴が在ります。それは少年少女達を導く「大人」の存在がしっかりと描かれている事。

『とらドラ』は少し面白くて、大人は「駄目な存在」として描かれています。竜司の母親の泰子はキャバクラ勤めのシングルマザーで昼間は寝ています。家事全般もダメダメで高校生の竜司がかいがいしく母親の世話をしています。大河の父親に至っては「クズ」とも言える性格で、娘より愛人を優先する・・・。担任の先生も未婚三十路の頼りない教師。それでも、大人達は様々な問題を抱えながらも必死に子供を育て、その成長を見つめています。結局は竜司も大河も一度は家族の関係を断ち切りながらも、その絆によって救済され、しっかりと成長します。

一方、親や教師が出て来ない作品の主人公達は「永遠の学生生活」や「永遠の休日」の中に閉じ込められていて成長しない場合が多い。

『魔法少女☆まどかマギカ』は大人はほとんど出て来ません。彼女達は苦難のループの中の閉じ込められていますが、それは、苦悩する若者を導き救済する大人の不在によって起こる事象と捉える事も出来ます。まどかの導き出した答えも、子供の世界での究極の選択肢で、彼女は「成長」せずに「人間性を放棄」する事に解決を求めています。もし大人の助言が有れば自己犠牲とは別の答えが得られたかも知れない・・・。

だから、私はラノベやアニメの「良い作品」の条件に「良い大人の存在」を真っ先に挙げたい。

■ 「人間関係の成長」に主眼を置いた『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 ■

<ここからネタバレ全開。要注意>

「少年少女の成長譚」として私が現在一番注目している作品は渡航の『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』です。(長いので以下『俺ガイル』とします)

高校生活初日に交通事故に遭い、2か月入院した比企谷 八幡(ひきがや はちまん)は高校2年にもなって「ボッチ」。彼は極端に自意識過剰な上に、ヒネクレタ性格の持ち主。さらに同年代の男子に比べ少し大人びた所があるので、周囲を上手く付き合う事が出来ません。

生物の授業のレポートで「熊は群れる事が無い。出来る事なら私は熊になりたい」と提出しては怒られ、職場見学先として「自宅を希望する、なぜなら俺は専業主夫を目出しているからだ」と言って怒られる・・・そんな高校二年生。

そんな彼が「更生」の為に強制的に入部させられたのが「奉仕部」という部活。生徒達のお悩み解決を活動内容とする部活です。奉仕部には先に一人の部員が居ます。雪ノ下 雪乃(ゆきのした ゆきの)は同じ学年の国際教養化の生徒ですが、頭脳明晰、容姿端麗・・・でも彼女も人とのコミュニケーションが上手く出来ません。だから奉仕部に入れられた。

ガランとした部室で二人きりにされた比企谷は、交わされたトゲトゲしい会話の中で、雪ノ下に自分と同質の物を感じ取ります。彼はつい「俺と・・・(友達にならないか)」と言いかけますが、「俺と・・」だけ言った所で「それは無理」と拒絶されます。後には彼の人間性を根本的に否定する罵詈雑言が続くのですが・・・実はこの「無理」には深い意味が隠されています。

そんあ奉仕部に最初の依頼を持ち込んだのは、比企谷のクラスメイトの由比ヶ浜 結衣(ゆいがはま ゆい)。彼女は上手なクッキーの焼き方を教えて欲しいと依頼する。何度教えても焦げ焦げの練炭みたいなクッキーしか出来ないダメっぷりですが、厳しく教える雪の下に彼女を羨望の眼差しを向けます。「人と合わせようとしないなんてスゴイ。私なんてこんな八方美人の性格だから・・」と。

実は由比ヶ浜がクッキーをあげたい相手は比企谷。クラスでもほとんど会話した事が無く、彼をヒッキーと呼ぶ彼女でしたが、比企谷が交通事故に遭ったのは由比ガ浜の飼い犬を助ける為だったのです。それ以来、比企谷は彼女にとって恩人であり、気になる存在。だから彼女は学校での彼の行動をそこはかとなく観察しており、彼が実は繊細で良い人だという事も密かに知っています。

比企谷に近づく意図を秘めながら、由比ガ浜も奉仕部に加わって、女性2人と男一人の不思議な部活動が始まります。

生徒達の取るに足らない依頼を引き受ける奉仕部ですが、比企谷の出すアイデアはどれも「酷い」。彼のやり方は卑怯で卑屈で・・・そして自己犠牲の上に成り立っています。今さら友達受けなんて必要としない彼は、自分が悪役を引き受ける事で事件を解決して行きます。

しかし、それに気付いた依頼主達は、一部は彼の熱烈なファンとなり、一部は消極的ながらも彼の存在を認める事になります。そして、そんなやり方しか出来ない比企谷を見守る奉仕部の二人は、ひそかに心を痛めるのです。

雪ノ下には秘密が在ります・・。高校初日に比企谷を轢いた車には雪ノ下が乗っていたのです。「俺と・・(友達になろう)」という誘いを即座に「無理」と切り捨てた理由は、彼の楽しい高校生活を奪ったという自責の念。

それでも、自分と同質の物を持ち、人間関係に諦めを抱きながらも強い羨望も持ち続ける比企谷にう雪ノ下は無自覚の内に惹かれて行きます。それを複雑な思いで由比ガ浜は見つめています。彼女は一見バカですが、人の心の機微に敏感で、本人も気付かない気持ちを察知する能力に長けている。そして本能的に何が正しいのかを見抜く事が出来る。

自分が何者で何を望むのか理解していない比企谷と雪ノ下、彼らが何を望み、自分が何を望むのか・・・そしてそれが両立しない事を理解する由比ガ浜。3人の簡潔は、様々な事件を通じて密接になり、お互いがお互いを大切にしながらも、そこから先に進む事に臆病な関係。

そう、『俺ガイル』の面白い所は、俺や私といった個人の成長より、俺たち、私たちの「人間関係の成長」に主眼を置いた点にあります。これに、家族やクラスメイトや生徒会会長が絡んで、様々な人間関係が生まれますが、作品全般を通して、これらの関係も変化し成長し続けます。


■ ラノベのフォーマットを利用した「ビルドゥングスロマーン」の傑作 ■

作者の渡航は就職活動に失敗するのではとの恐れからラノベを書き始めたと言いますから、この世界では遅咲きの作家と言えます。(中学生、高校生からデビューする作家も多い)

逆にデビュー当時から「大人の視点」を持った作者だとも言えます。比企谷は同年代の男子生徒よりも醒めて世間を見ています。これは社会人になる年頃の男子が昔の自分の「黒歴史」を思い返して作られたキャラクターと言えます。私はアニメの1話目を見た瞬間、高校時代の自分を発見して驚きました・・・。当時、私は周囲から浮いていましたから・・・。

『俺ガイル』は高校生活の様々な出来事を、ラノベならではの軽快でカラフルな調子で物語っていますが、その内容はかなり重たい。人と人の関係性や繋がりを、辛い所まで突き詰めて、一歩一歩苦悩の前進を続ける物語です。

ただ、この物語を普通の小説で発表しても、それは擦り切れたジャンルでしかありません。恩田陸の様な名手ならば、素晴らしい「小説」にする事も出来ますが、普通の書き手では難しい。そこで作者はラノベを偽装して、「普遍的な高校生の成長譚」を読者の中学生や高校生に届けようとしています。そしてそれは見事に成功し、多くの読者の共感を獲得して累計で700万部の売り上げを達成します。

一般の小説は4万部でヒット作と言われるので、ラノベが如何に出版社にとって「ドル箱」で、さらにラノベ作家が「稼ぎまきっている」かが分かります。

有能な書き手の多くが、桜庭一樹や有川浩の様に、ラノベ作家から一般作家に転向する中で、一部の作家は戦略的に「ラノベ作家であり続ける」選択をする時代なのです。西尾維新などが典型的な例でしょう。

ただ、ラノベ作家であり続ける事は意外に難しく、「大人になっても子供の心を失わない」というのは意外に難しい。ラノベ独特のキラキラした世界感や、ドキドキした高揚感は、心がすり減った大人では書けないのです。


その点、『俺ガイル』の比企谷君は、最初からネガティブ全開ですから、作者が就職して社畜として生きる今も、ブレる事無くネガティブを吐き出し続けます。

12巻で奉仕部の3人は前進する事を選択します。しかし、それは彼ら、彼女らにとって明るい未来を約束するものでは無い様です。何故なら、それは互いの関係性に結論を出すと言う事だから。

彼らを助けるが顧問の平塚先生ならば、敵として彼らの成長を促すのは雪ノ下の姉。12巻で姉は彼ら3人の関係を「共依存」と看過します。比企谷が雪ノ下を助けるのは「自己満足」の為なのだと。この一筋縄では行かない姉の存在も、「成長を促す大人」として見事に機能しています。

やなり「素晴らしい作品」には「良い大人」は不可欠なのです。



本日は50才を過ぎたオヤジが、ラノベを熱く語ってみました。


追記

人力さんは雪ノ下派か、由比ガ浜派か聞かれる前に答えます。私は川なんとかさん派・・・ウソ。いろはす、最高。


追記2

最近、『サクラダリセット』を読んでいるので、久しぶりにラノベらしいラノベを読みました。読み始めは「あれ、50才になるとラノベって結構キツイな」と思ったりしましたが、読み進めるうちにあれよあれよとページは進み、数時間で読み終わりました。「読みやすい仕掛けがイッパイ」というのも中高生に読ませる為の重要な要素です。だから売れる。
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