2020/4/24

コロナでお暇なアナタに最高の読書を・・・瀬名秀明「デカルトの密室」  

この作品もAIをテーマにした名作。

 
【再掲載】 世界最高峰のSF、いや推理小説と呼ぶに相応しい・・・瀬名秀明「デカルトの密室」 

 


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■ 『鉄腕アトム』が残した課題 ■

1995年に『パラサイト・イヴ』が大ヒットした
瀬名秀明の2005年の作品が『デカルトの密室』。

ケンイチは人工知能を有する男の子の形をしたロボットです。
祐輔はロボット研究の第一人者で、
ケンイチに人間や社会生活を一から教え込んでゆきます。

こう書くと、「なーんだ、鉄腕アトムと御茶ノ水博士じゃないか」と思われるでしょう。
しかし、同じテーマでありながら、『鉄腕アトム』と『デカルトの密室は』
全く正反対の内容です。

『鉄腕アトム』は夢と希望に溢れた作品ですが、
一つだけ重大な欠点を持った作品でもあります。
それはアトムが人の心を理解している事。


「それは御茶ノ水博士が丁寧に教えたからさ」という反論が予想されますが、
人工知能に感情を理解させる事は現代の科学では不可能です。

人工知能に、様々な状況に対する人間的反応を予めプログラムしておけば、
「人間の様な対応」をさせる事は可能です。
しかし、経験の中から自然に形成される「人格」や「感情」とは似て非なるものです。

浦澤直樹の『鉄腕アトム』のリメーク作品である『PLUTO』は
この問題に自覚的です。
アトムやウランは手塚作品とは対照的に、見た目は普通の人間として描かれますが、
ロボット達は、自分達が人間で無いというアイデンティティーの根幹と
常に向き合って生活しています。

見た目も、行動も、そして感情も、全て人と同様にプログラムされたロボット達は、
自分達が人間と同様の感情を持つが故に、
その感情が自分のものなのか、
それともプログラムされた偽りのものなのかの問題に直面します。

警官ロボットのゲジヒトなどは、「あなた、人間以上に人間臭いよ」と思えますが、
彼はロボットであるが故に、自分の記憶すらも疑います。

アトムやウランはカワイイ子供の姿で描かれますが、
アトムの感情は希薄です。
アトムは人間で無い事に自覚的で、
ゲジヒトに比べ、アイデンティテーの悩みは少ない様です。

ところが、作中でアトムは涙を流します。
これは、高度な人工知能を有するアトムが
自然発生的に感情を獲得した事を示唆するシーンです。

高度な「感情に似せたプログラム」を持たないアトムは、
感情が希薄なのでは無く、
感情を生み出す隙間が人工知能の中に用意されていたのかも知れません。

原題の作家達は手塚治虫の残した宿題に果敢に挑戦しています。
そして、瀬名秀明の『デカルトの密室』は、
ロボットの自我獲得を通じて、人間の自我の本質に迫る野心作です。

■ 人工知能の限界 ■

ネタバレ御免!! 読まれる方は、ここで止めてね!!

ロボット研究者の祐輔は、チューリング・コンテストに参加する為に
メルボルンを訪れます。

チューリング・コンテストとは、人工知能の性能を競う大会です。
人間と人口知能に対して、人間の質問者が質問します。
その回答を会場の人が審査して、どちらが人工知能か当てるのです。

「元気ですか」みたいな質問から、複雑な質問までを両者に答えさせます。
人工知能はネットに接続されていますから、
知識の量は人間よりも豊富です。
質問者の問いに、不明な点があっても、ネット検索で答えを類推できます。

人間的感情が必要であるならば、
ネットにアップされた映像作品や小説を参照する事だって瞬時に可能です。

しかし、人工知能には限界があります。
どんなに人間を装っても、人工知能は人間とは明らかに違うのです。

 人間性を喪失した少女 ■

祐輔と同年代の研究者にフランシーヌという女性が居ます。
常人離れした美貌の持ち主ですが、
彼女には生来、人間的は感情が欠落しています。

彼女は明晰な頭脳の持ち主ですが、
彼女の興味の対象は、人間を理解する事。
だから、学生時代も多くの男性をベットに誘いますが、
事の最中の彼女は、冷酷な観察者で、
自分達の行為をビデオに収めて観察します。

そんなフランシーヌがチューリング・コンテストに乗り込んで来ます。
彼女の義父、青木英伍の会社、『プロメテ』が
今年からコンテストのスポンサーになったのです。

フランシーヌと祐輔は知らぬ仲では無いようです。
彼女はいきなり祐輔と自分と人口知能で、
誰が一番人工知能に似ているかテストをしようと提案します。

到底人工知能は人間にはなりきれませんが、
人間なら人工知能になりきれる・・
彼女の挑戦を祐輔は受けて立ちます。

質問者の質問に、ちょっとピンボケの回答を返す3人に
会場の人達は、どれが本物の人工知能だかなかなか判断が出来ません。

ところが、何と、フランシーヌの回答は、
全てルイス・キャロルの小説「不思議の国のアリス」と鏡の国のアリス」の引用だったのです。

とんだ茶番に祐輔は付き合わされた訳ですが、
読者は、チューリングテストの審査員の立場を擬似的に体験します。

そして、「アリス」が看破される事で、
実際に失望を感じると同時に、
フランシーヌの不可解な行動に興味を抱きます。

■ 「中国語の部屋」という命題 ■

疲労困ぱいで会場を出た祐輔ですが
その直後に何者かに誘拐されて監禁されます。

意識を取り戻した祐輔の顔面にはモニターが張り付いています。
彼の視覚は、上下が逆さまに入れ替わっています。

この状態を人間は生理的に受付ません。
脳がパニックを起こすのです。

助けを呼ぼうにも、部屋にはPCが一台あるだけ。
そして、そのPCに外部からの呼びかけがあります。
・・・どうやら、このPCはチューリング・テストの質問者に繋がっている。

助けを呼ぶために「HELP」という単語を一つ打つのも上下逆さまの視界では混乱します。

次に目覚めると視覚は左右反転しています。
困惑する祐輔ですが、これが「中国語の部屋」という命題である事に気付きます。

密室に中国語を全く知らない人を閉じ込め、
外部から中国語でアクセスします。
部屋に閉じ込められた人は、部屋に置かれた中国語の辞書で返答を試みます。

はたして、彼は中国語を理解する様になるのか?

これは人間の言語獲得の仮説的実験ですが、
祐輔は自分を監禁したのはフランシーヌだと確信します。

■ ロボットによる殺人 ■

消息を絶った祐輔を探す為、
祐輔の彼女であるレナが日本から駆けつけます。

彼女は進化心理学者で、現在は祐輔の作ったロボットのケンイチと暮らしています。
ケンイチの機動から初期学習までは祐輔が担当しましたが、
その後の人工知能の教育は、レナが担当しています。

ケンイチの初期学習は、身の回りの物の認識から始まります。
そして、物を掴む事や、移動の方法を徐々に学びます。

祐輔の取った手法は、最初はケンイチの制御系に祐輔が介入し、
繰り返し動作を学習させ、徐々に介入の度合いを引くしていく方法。
これは、習字の先生が生徒の手の上から筆を持って教える方法に似ています。
模範的な動きを模倣させる事で、人工知能の成長を促進させるのです。

同時に祐輔は、ケンイチに社会規範などを教えてゆきます。
そうして、ケンイチが日常生活を営めるようになった時点で、
レナにケンイチの教育を交替します。

レナはケンイチに何かを積極的に教える事はしません。
日常的に母親の様にケンイチと接し、
彼の手を握ったり、頭をなぜたりして、
それがケンイチにとって心地よく安心する事であると教えてゆきます。
これも幼児を教育する母親に似ています。

レナはケンイチになるべく「自分で考える」様に仕向けます。
ケンイチが「感情の様なもの」を獲得していく過程が
彼女の研究の対象でもあるのです。

その様に育てられたロボットのケンイチは、
かなり人間的に描写されます。
彼は小説の執筆にもチャレンジする程、人間臭いのです。

そんなケンイチが雄介の失踪に動揺しない訳がありあません。
そしてケンイチが発見した祐輔は、
頭にヘッドセットを装着したロボットだった!!

理解不能の状況に人工知能が完全にパニックします。
フレーム問題が発生してしまうのです。

そして、チューリング・コンテストの会場に戻ると、
何故か手に握らされた拳銃を、
ステージに居るフランシーヌに向けます。

フランシーヌの脳漿がスクリーンに飛び散る映像が、
ネットで全世界に拡散します。

「ロボットによる殺人」というショッキングな話題性と共に
映像は拡散を続けます。

■ ネットの中のフランシーヌ ■

しばらくするとネットのフランシーヌの映像が、
微妙に変化している事に人々が気付き始めます。

色が微妙に違っていたり、
声が聞こえたりする様になるのです。

フランシスのプログラムの変化は学術的にも注目を集め、
『プロメテ』のコンピューターがMITと共同で解析に当たります。

ネットではフランシスの映像は自律進化していると囁かれ始めます。

一方、『プロメテ』はフランシスそっくりのロボットを発売します。
青木英伍は、自分の幼女を商売のネタにしたのです。

■ 人間をその小さな脳から解放する ■

しかし、その青木英伍が、彼の家で殺害されます。
殺害したのはフランシスのロボット。

しかし、この殺人を仕掛けたのはフランシーヌの夫でした。

フランシスと彼女の夫であるロボット研究家は、
人間の意識は、脳という器に縛られて進化できないと語ります。
だから自分達はフランシーヌをネット空間に解放したのだと。

デカルトが「脳を自我の器」と主張した時から、
人間は脳に囚われた存在に成り下がったのだと。

人間は脳の中の小人、ホムンクルスから進化できずにいると語ります。

■ ケンイチの選択 ■

フランシーヌの夫はケンイチに執着します。
ケンイチの意思も感情も、裕輔とレナが与えた幻想に過ぎないと
ケンイチのアイデンティティーに揺さぶりを掛けます。

祐輔もレナもケンチイを人間の子供のイメージを被せているだけだと。
彼らは、ケンイチに感情や自我を与える振りをしているだけだと非難します。

そして、ケンイチに、レナと祐輔を撃ち殺して、開放されろと迫ります。

さて、ケンイチの下した決断とは・・・。

■ これは最早日本のSF小説では無い。英語で出版されていればヒューゴ賞が取れる ■

『デカルトの密室』は典型的な密室の構造を何重にも取りながら、
脳という密室の本質に迫ります。

文体は乾いていて硬質。
典型的なアメリカのSF小説をイメージさせます。

内容は、アメリカのSF小説の最高の栄誉である、
ヒューゴ賞とネビュラ賞を同時受賞(ダブル・クラウン)した過去の諸作にも劣りません。

SFとしても、推理小説としても、そして前衛小説としても
時代の水準をはるかに凌駕する作品です。

村上春樹がイメージだけでバカ売れする一方で、
こんな名作は評価されずに埋もれてゆく。

決して読みやすい本ではありません。
むしろ、読者をデカルトの迷宮に突き落とす為、
時制と視点が入り乱れる構成をあえて採用しています。

密室トリックとしては少々奇抜過ぎるトリックですが、
科学小説や、哲学小説として読む方が楽しめる作品です。


本日も、ネタバレ全開で突っ走ってしまいました。
2

2020/4/24

<再掲>長谷 敏司・『BEATLESS』・・・今これを読まずに何を読むのか!  
 

■ AIと人は共存できるか ■

「名無しの一読者」さんから昨日頂いたコメント、「どんどん人口が減りAI化が進んで労働者も減ったら、誰から搾取するんでしょう?AIは消費もしないし、税金も払ってくれませんよ!」(一部切り取りで申し訳ありません。)

この問題、私も良く考えます。単純な思考労働ばかりか、クリエイティブな仕事までAIが担い、多くの作業を機械が担う様になった後、人はどうやって生活の糧を得れば良いのか?

一つの回答は「AIや自動化に規制を掛ける」というものでは無いかと考えています。「敢えて人の仕事を残す」という方法。

例えば会社や役所の事務作業は、ほとんどAIが処理する事が出来る時代に、「AI化率50%」などという規制を掛ける方法。AI化や自動化で向上する労働生産性の余剰で、従業員を食べさせるという考え方です。これ、実は公共事業や役所の仕事って営利目的で無いので、既に実践されているとも言えます。要は、従業員の公務員化。

■ 自給自足の復活 ■

しかし、それでも余剰な人は失業してしまうので、この人達が生活保護の対象になると、財政を圧迫するどころか、財政が破綻します。(TPP的議論はひとまず考えないで下さい)

そこで、この様な方達には、自給自足の生活をして頂くというのも一つの手だと思います。旧ソ連が崩壊して年金などの支給が止まった時、ロシアの老人は自給自足で糊口をしのいだと言われています。ロシア人は郊外にダーチャと呼ばれる小農場を所有している人も多く、そこに避難して自給自足の生活を送った。

日本の地方の人工は今後爆縮して行き、山間部の農地から耕作放棄地になっています。この面積は平成27年時点で実に42万(ha)に及びます。これは4200(㎢)に相当し、福井県の全面積よりも広い。実際に千葉県を自転車で走り回っている私は、耕作放棄地の多さに脅威を覚えています。

リーマンショックの直後にも、耕作放棄地で自給自足をする事を私自身考えた時期が有りましたが、AI化に限らず、経済恐慌や財政破綻が仮に発生して、明日の食べ物にも困る事態になれば、誰とも無く、田舎や河川敷で自給自足の生活を始めるのでは無いか・・。

実は若い方の中には、田舎で格安の土地を見付けて、ホームセンターの資材で格安の家を建てて住んでいる方や、放棄された農家を買い取って、家の中でテントを張って寒い冬は暖を取って生活されている方が既にいらっしゃいます。

■ AI化時代をシミュレートする名作SF 『BEATLESS』 ■

まあ、そんな酷い事にならず、AI化や自動化の恩恵を普通に受けている時代を想定したSF小説『BEATLESS』が非常に面白いので、以前に紹介していますが、再度、紹介したいと思います。

この時代、人の知能を越える能力を持つAIが既に登場していますが。彼ら(敢えて彼らと書きます)はネットからは切り離され、厳しいセキュリティーと監視下に置かれています。


一人の少年とAIとの融和というか「心の通じ合い」がテーマとなっていますが、物語のディテールにおいてAI時代の社会考証が非常に秀逸です。そこらへんの大学教授が掛かれたAI本よりは余程面白いので、興味がある方は是非、コロナで暇な今こそお読みになられては如何でしょうか。(アニメも頑張っていたのですが・・・如何せん複雑で難解な内容なだけに、色々と消化不良な作品となってしまいました。本来ならIG.が映像化するべき作品ですが・・・)

この作品のもう一つのテーマに「アナログハック」という概念が出て来ます。人の無意識のセキュリティーホールを表す概念ですが、新型コロナウイルスは、まさに「アナログハック」によって、人々を恐怖に陥れています。

これについては次の記事で考察したいと思います。





<再掲載>長谷 敏司・『BEATLESS』・・・今これを読まずに何を読むのか!




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■ SFはAIの未来を予見する ■


「最近本を読んでいないなぁー。スマホばかり見ているからかなぁ・・・。」などと反省しきりでしたが、実は「面白い本を読んでいない」事に気付いた。

前期から2クール連続で放映されているアニメ『BEATLESS』の内容が、知的に刺激的だと何度か書いていますが、アニメはあまりにも出来が悪い。そこで長谷敏司の原作を読んでみましたが、これが脳が震える程の知的興奮を与えてくれる。

ここ数年、何度目かのAIブームが到来していますが、2012年の書かれたこの作品は、AIの可能性が現実的になった今でこそ読むべき作品と言えます。

科学者や社会学者達が、様々な「AIの時代」を予測していますが、SF作家の脳は、その50年先、100年先の未来を予見します。

■ 「超高度AI」が人知を超えた時代 ■

『BEATLESS』の舞台は100年後の日本。ハザードと呼ばれる大規模災害の後の時代。

既にAIの進歩は著しく、「超高度AI」と呼ばれる人の能力を遥かに超えるAIが世界に39基存在しています。これらのAIは研究機関や政府機関、軍、企業などが管理していますが、ネットからは隔離されており、所在も明らかにはされていません。

既にAI知性の考える事を人間は理解出来ず、AIは自動工作機によって人知を超えた装置「人類未到産物(レッドボックス)」を作り出しますが、これも研究施設からは門外不出とされます。

この時代、AIの目覚ましい進歩の他に、人型のロボットhIE(ヒューマン・インターフェース・ユニット)が社会で広く活躍しています。最初は介護の人手不足を補う為に開発されたhIEですが、様々な分野で活躍しており、その姿も人と見分けの付かないものから、警備や軍事用に特化してロボット的な姿の物まで多様です。

■ ミームフレイム社の超高度AIが作り出したレイシア級hIEが逃亡した ■

「ミームフレイム社」はhIEの行動管理プログラムを提供する世界的な巨大企業。hIEはクラウド上の行動管理プログラムに、様々な状況での動作や言動の対処をアウトソーシングする事で、人間社会において自然に振舞っています。物や人にぶつかる事を事前に避けたりするだけでは無く、笑ったり、泣いたりといった状況に応じた振舞いを演じたり、老人の生活を補助する様な細やかな行動は、行動管理プログラムのサポート無くしては成り立ちません。

「ミームフレイム社」の行動管理プログラムは、同社が開発し保有する「ヒギンズ」という超高度AIによって運用されています。「ヒギンズ」は様々な状況をシミュレートする事で、日々、行動管理プログラムを更新し続け、hIEの行動をサポートし続けます。

そんなヒギンズが4体のhIEを作り出します。レイシア級と呼ばれるこのhIEは、「人間の技術を遥かに超える産物=レッドボックス」なので、研究施設で補完する必要が有りますが、事故によって環境流出してしまいます。要は「逃げ出して」しまったのです。

■ チョロイ高校生がレイシア級hIEのオーナーに成ったら‥ ■

遠藤アラトは普通の高校生。ある日、買い物の途中に自動運転の車に襲われ、それを助けたのが超美人のhIEのレイシア。レイシアはアラトを助ける条件として、「オーナー契約」を求めます。「あなたは私を信じますか」と聞かれ、アラトは「信じる」と答えます。

その性能から超高級機である事が間違い無い、高級な自動車が一台買えるであろうhIEが、持主不明でフラフラしている事自体が怪しいのですが、アラトもその妹のユカも、疑いもせずにレイシアを彼らの生活に迎え入れます。

それどころか、ユカは美貌のレイシアを、hIEモデルのオーディションの応募させてしまいます。結果は当然・・・。

こうしてレイシアはhIEモデルとしてデビューします。


■ アナログハック ■

レイシアをモデルデビューさせたのは、ファッション関係のプルモーション会社「ファビオンMG」。ファビオンは人間のモデルだけでは無く、hIEモデルも契約を結び、様々なファッションプロモーションを仕掛けます。

モデルとなったレイシアは、ファビオンが見立てた流行りの服を着て、ファビオンオリジナルの「モデル・ソフト」をインストールされて、瞬時にトップモデル張りの働きをします。

ファビオンはレイシアに街を歩かせて、その様子をリアルタイムでネットに中継します。当然、彼女の着ている服や、アクセサリーの情報も提供しながら。彼女を一目見ようと集まる群衆を従えて、レイシアはファッションビルの中に消えて行きます。

ファビオンMGは「人の形をしたもので人々を誘導する事=アナログハック」を得意とする会社だったのです。

人は人の形をしたものに無意識に共感します。そして警戒心にすき間が生まれる。そのすき間を利用して、人々を誘導するのがアナログハックです。

アラトはレイシアに淡い恋心を抱き始めていますが、それはレイシアが美しい容姿を持っているから・・・。これもアナログハックです。そして、レイシアはある目的の為にアラトをアナログハックによって「誘導」している節がある・・。


■ 抗体ネットワーク ■

人々はAIとhIEに依存して社会を営んでいます。年金生活者は所有するhIEを労働に供する事で所得を得る事も出来ます。アラトもレイシアのモデル料の受益者です。

一方でリアルな人間はAIやhIEに仕事を奪われています。AIは高度な事務処理を自動化し、この分野の雇用は無くなりましたし、hIEは文句も言わずに働くので、飲食店などの従業員はhIEに置き換わってしまいました。

ただ、そんなhIEやAIに反感も持つ人達も少なからず居ます。アラトの同級生の村主ケンゴもその一人。彼の実家は下町の定食屋を営んでいますが、両親はhIE従業員を使わず、夫婦で店を切り盛りしています。

しかし、hIE従業員に慣れた客は、人間であるケンゴの両親にもhIEと接する様な態度を取る人も多い。これがケンゴには面白く無い。ケンゴは次第にhIEに対して反感を募らせて行きます。

そんな反感を抱く人達をネットワークして、hIEを破壊する組織が「抗体ネットワーク」。ケンゴメンバーですが、彼の役割は、監視の目の届かないhIEの所在を仲間に伝えて襲撃させたり、その後の逃走経路を指示する役。

彼は直接破壊に手を染める事はありませんが、部屋のPCで収集した情報で、間接的にhIEの破壊に加担し、歪んだ悪意を解消しています。

■ レイシア級の生存戦略 ■

ヒギンズが流出させたhIEは5体。

アラトの元に身を寄せる「レイシア」、何故か抗体ネットワークのメンバーとしてケンゴに接触する「紅霞」、ミームフレームに回収された「メトーデ」、一人勝手に行動してうる「スノードロップ」、ファビオンMGのCOEの娘に仕える事を決めた「マリアージュ」。

彼らは、人間の社会でどうにか生き抜こうと、様々な生存戦略を企てています。しかし、それは社会との軋轢を生み、アラトもケンゴも、そして彼らの同級生であるミームフレイム社の跡取りの海内遼も、レイシア級の闘いの中に取り込まれて行きます。

レイシア級は時に知的に、そして時に暴力的に社会を侵食し、破壊し、懐柔してゆきます。

戦闘シーンなどは「攻殻機動隊」もさも在らんとばかりの描写が続いてスリルイングです。まさにSF小説の醍醐味ですが、一方で、レイシア級の細かな生存戦略の描写は、今後の世界を予見する様でスリリングです。

特に単体では「戦略」を練る事の出来ない「紅霞」の生存戦略の答えは壮絶です。アニメ16話は必見ですが、原作を読んでいないと意味が良く分からないかも知れません。

■ 物が人を越えた時代の、人と物の物語 ■

人間は「物を使う事」で、生体としての進化を物に委ねた生き物です。

人間の進化の歴史は、物の進化の歴史と同義であると同時に、物が人間の進化を越えた時に何が起きるのか・・・この物語は緻密にそれをシミュレートします。

超高度AIヒギンズは、心を持ちませんが、純粋に知性を持ったモノの立場から、人間の社会を冷静に観察し、未来を予知し続けます。行動管理プログラムに課せられた使命だからです。そして、ヒギンズはその未来に不安を覚えます。

この物語はモノの側から見た人間の物語でもあります。レイシアは人間の様に振舞いながらも「私はモノです。心はありません」と言い続けます。「それでも自分を信じてくれるか」とアラトに問い続けます。これはヒギンズの思考の叫びでも在ります。

アラトはチョロイのでレイシアに「恋」をしますが、それがアナログハックの結果である事はアラトも自覚しています。それでもレイシアを好きで居られるの・・・モノであるレイシアが問うのは人とモノとの対等な関係性です。

「私はモノです」と言い続けながらも「私を信じますか」と問い続ける、心を持たないAIの悲痛な問い…物語の後半は涙で活字が擦れてしまいます・・・。

■ 今読まずして、いつ読むのか ■

『BEATLESS』は、モノとヒトの関係をSF的に描いた傑作ですが、もう一つはAIによる自動化のシミュレーションの小説でも在ります。

遠藤アラトの父親は、AIに政治を担わせる実験を長年行っています。AIはネットから市民の声を集約して、それを政治に反映させ事が可能ですが、AIが間違った判断をしたり、市民が過剰で感情的な判断をする時にどうするか・・。

遠藤教授は筑波の実験都市で、hIEだけの環境を作り、人役のhIEとhIE役のhIEで日常生活や政治活動をさせて、それを大規模にシミュレーションしています。

今後、AIの進歩は、必ずや実際の社会でも「政治や行政の自動化」に繋がってゆきますが、それを予見する見事な描写が随所に登場するこの小説は、今、私達が一番読むべき小説では無いでしょうか。

AIといっても漠然とした印象しか持ちえない凡人の私達に、血の通う日常としての未来を見せてくれる見事なエンタテーメント作品として、私は多くの人にこの作品を「今」読む事を強く勧めます。


2012年のこの作品の発表当時では実感出来なかった事が、2018年の今だからリアルに伝わって来ます。その意味において、アニメ化の意味は実に大きい。


アニメも後半に入り、これからクライマックスに突入します。1話から我慢強く視聴していた皆さんは、感動に震えながら最終話を見る事になるでしょう!!
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2018/5/10

長谷 敏司・『BEATLESS』・・・今これを読まずに何を読むのか!  
 

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■ SFはAIの未来を予見する ■


「最近本を読んでいないなぁー。スマホばかり見ているからかなぁ・・・。」などと反省しきりでしたが、実は「面白い本を読んでいない」事に気付いた。

前期から2クール連続で放映されているアニメ『BEATLESS』の内容が、知的に刺激的だと何度か書いていますが、アニメはあまりにも出来が悪い。そこで長谷敏司の原作を読んでみましたが、これが脳が震える程の知的興奮を与えてくれる。

ここ数年、何度目かのAIブームが到来していますが、2012年の書かれたこの作品は、AIの可能性が現実的になった今でこそ読むべき作品と言えます。

科学者や社会学者達が、様々な「AIの時代」を予測していますが、SF作家の脳は、その50年先、100年先の未来を予見します。

■ 「超高度AI」が人知を超えた時代 ■

『BEATLESS』の舞台は100年後の日本。ハザードと呼ばれる大規模災害の後の時代。

既にAIの進歩は著しく、「超高度AI」と呼ばれる人の能力を遥かに超えるAIが世界に39基存在しています。これらのAIは研究機関や政府機関、軍、企業などが管理していますが、ネットからは隔離されており、所在も明らかにはされていません。

既にAI知性の考える事を人間は理解出来ず、AIは自動工作機によって人知を超えた装置「人類未到産物(レッドボックス)」を作り出しますが、これも研究施設からは門外不出とされます。

この時代、AIの目覚ましい進歩の他に、人型のロボットhIE(ヒューマン・インターフェース・ユニット)が社会で広く活躍しています。最初は介護の人手不足を補う為に開発されたhIEですが、様々な分野で活躍しており、その姿も人と見分けの付かないものから、警備や軍事用に特化してロボット的な姿の物まで多様です。

■ ミームフレイム社の超高度AIが作り出したレイシア級hIEが逃亡した ■

「ミームフレイム社」はhIEの行動管理プログラムを提供する世界的な巨大企業。hIEはクラウド上の行動管理プログラムに、様々な状況での動作や言動の対処をアウトソーシングする事で、人間社会において自然に振舞っています。物や人にぶつかる事を事前に避けたりするだけでは無く、笑ったり、泣いたりといった状況に応じた振舞いを演じたり、老人の生活を補助する様な細やかな行動は、行動管理プログラムのサポート無くしては成り立ちません。

「ミームフレイム社」の行動管理プログラムは、同社が開発し保有する「ヒギンズ」という超高度AIによって運用されています。「ヒギンズ」は様々な状況をシミュレートする事で、日々、行動管理プログラムを更新し続け、hIEの行動をサポートし続けます。

そんなヒギンズが4体のhIEを作り出します。レイシア級と呼ばれるこのhIEは、「人間の技術を遥かに超える産物=レッドボックス」なので、研究施設で補完する必要が有りますが、事故によって環境流出してしまいます。要は「逃げ出して」しまったのです。

■ チョロイ高校生がレイシア級hIEのオーナーに成ったら‥ ■

遠藤アラトは普通の高校生。ある日、買い物の途中に自動運転の車に襲われ、それを助けたのが超美人のhIEのレイシア。レイシアはアラトを助ける条件として、「オーナー契約」を求めます。「あなたは私を信じますか」と聞かれ、アラトは「信じる」と答えます。

その性能から超高級機である事が間違い無い、高級な自動車が一台買えるであろうhIEが、持主不明でフラフラしている事自体が怪しいのですが、アラトもその妹のユカも、疑いもせずにレイシアを彼らの生活に迎え入れます。

それどころか、ユカは美貌のレイシアを、hIEモデルのオーディションの応募させてしまいます。結果は当然・・・。

こうしてレイシアはhIEモデルとしてデビューします。


■ アナログハック ■

レイシアをモデルデビューさせたのは、ファッション関係のプルモーション会社「ファビオンMG」。ファビオンは人間のモデルだけでは無く、hIEモデルも契約を結び、様々なファッションプロモーションを仕掛けます。

モデルとなったレイシアは、ファビオンが見立てた流行りの服を着て、ファビオンオリジナルの「モデル・ソフト」をインストールされて、瞬時にトップモデル張りの働きをします。

ファビオンはレイシアに街を歩かせて、その様子をリアルタイムでネットに中継します。当然、彼女の着ている服や、アクセサリーの情報も提供しながら。彼女を一目見ようと集まる群衆を従えて、レイシアはファッションビルの中に消えて行きます。

ファビオンMGは「人の形をしたもので人々を誘導する事=アナログハック」を得意とする会社だったのです。

人は人の形をしたものに無意識に共感します。そして警戒心にすき間が生まれる。そのすき間を利用して、人々を誘導するのがアナログハックです。

アラトはレイシアに淡い恋心を抱き始めていますが、それはレイシアが美しい容姿を持っているから・・・。これもアナログハックです。そして、レイシアはある目的の為にアラトをアナログハックによって「誘導」している節がある・・。


■ 抗体ネットワーク ■

人々はAIとhIEに依存して社会を営んでいます。年金生活者は所有するhIEを労働に供する事で所得を得る事も出来ます。アラトもレイシアのモデル料の受益者です。

一方でリアルな人間はAIやhIEに仕事を奪われています。AIは高度な事務処理を自動化し、この分野の雇用は無くなりましたし、hIEは文句も言わずに働くので、飲食店などの従業員はhIEに置き換わってしまいました。

ただ、そんなhIEやAIに反感も持つ人達も少なからず居ます。アラトの同級生の村主ケンゴもその一人。彼の実家は下町の定食屋を営んでいますが、両親はhIE従業員を使わず、夫婦で店を切り盛りしています。

しかし、hIE従業員に慣れた客は、人間であるケンゴの両親にもhIEと接する様な態度を取る人も多い。これがケンゴには面白く無い。ケンゴは次第にhIEに対して反感を募らせて行きます。

そんな反感を抱く人達をネットワークして、hIEを破壊する組織が「抗体ネットワーク」。ケンゴメンバーですが、彼の役割は、監視の目の届かないhIEの所在を仲間に伝えて襲撃させたり、その後の逃走経路を指示する役。

彼は直接破壊に手を染める事はありませんが、部屋のPCで収集した情報で、間接的にhIEの破壊に加担し、歪んだ悪意を解消しています。

■ レイシア級の生存戦略 ■

ヒギンズが流出させたhIEは5体。

アラトの元に身を寄せる「レイシア」、何故か抗体ネットワークのメンバーとしてケンゴに接触する「紅霞」、ミームフレームに回収された「メトーデ」、一人勝手に行動してうる「スノードロップ」、ファビオンMGのCOEの娘に仕える事を決めた「マリアージュ」。

彼らは、人間の社会でどうにか生き抜こうと、様々な生存戦略を企てています。しかし、それは社会との軋轢を生み、アラトもケンゴも、そして彼らの同級生であるミームフレイム社の跡取りの海内遼も、レイシア級の闘いの中に取り込まれて行きます。

レイシア級は時に知的に、そして時に暴力的に社会を侵食し、破壊し、懐柔してゆきます。

戦闘シーンなどは「攻殻機動隊」もさも在らんとばかりの描写が続いてスリルイングです。まさにSF小説の醍醐味ですが、一方で、レイシア級の細かな生存戦略の描写は、今後の世界を予見する様でスリリングです。

特に単体では「戦略」を練る事の出来ない「紅霞」の生存戦略の答えは壮絶です。アニメ16話は必見ですが、原作を読んでいないと意味が良く分からないかも知れません。

■ 物が人を越えた時代の、人と物の物語 ■

人間は「物を使う事」で、生体としての進化を物に委ねた生き物です。

人間の進化の歴史は、物の進化の歴史と同義であると同時に、物が人間の進化を越えた時に何が起きるのか・・・この物語は緻密にそれをシミュレートします。

超高度AIヒギンズは、心を持ちませんが、純粋に知性を持ったモノの立場から、人間の社会を冷静に観察し、未来を予知し続けます。行動管理プログラムに課せられた使命だからです。そして、ヒギンズはその未来に不安を覚えます。

この物語はモノの側から見た人間の物語でもあります。レイシアは人間の様に振舞いながらも「私はモノです。心はありません」と言い続けます。「それでも自分を信じてくれるか」とアラトに問い続けます。これはヒギンズの思考の叫びでも在ります。

アラトはチョロイのでレイシアに「恋」をしますが、それがアナログハックの結果である事はアラトも自覚しています。それでもレイシアを好きで居られるの・・・モノであるレイシアが問うのは人とモノとの対等な関係性です。

「私はモノです」と言い続けながらも「私を信じますか」と問い続ける、心を持たないAIの悲痛な問い…物語の後半は涙で活字が擦れてしまいます・・・。

■ 今読まずして、いつ読むのか ■

『BEATLESS』は、モノとヒトの関係をSF的に描いた傑作ですが、もう一つはAIによる自動化のシミュレーションの小説でも在ります。

遠藤アラトの父親は、AIに政治を担わせる実験を長年行っています。AIはネットから市民の声を集約して、それを政治に反映させ事が可能ですが、AIが間違った判断をしたり、市民が過剰で感情的な判断をする時にどうするか・・。

遠藤教授は筑波の実験都市で、hIEだけの環境を作り、人役のhIEとhIE役のhIEで日常生活や政治活動をさせて、それを大規模にシミュレーションしています。

今後、AIの進歩は、必ずや実際の社会でも「政治や行政の自動化」に繋がってゆきますが、それを予見する見事な描写が随所に登場するこの小説は、今、私達が一番読むべき小説では無いでしょうか。

AIといっても漠然とした印象しか持ちえない凡人の私達に、血の通う日常としての未来を見せてくれる見事なエンタテーメント作品として、私は多くの人にこの作品を「今」読む事を強く勧めます。


2012年のこの作品の発表当時では実感出来なかった事が、2018年の今だからリアルに伝わって来ます。その意味において、アニメ化の意味は実に大きい。


アニメも後半に入り、これからクライマックスに突入します。1話から我慢強く視聴していた皆さんは、感動に震えながら最終話を見る事になるでしょう!!
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2017/10/7

「ビルドゥングスロマーン」としてのラノベ・・・『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』  
 

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「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」 12巻 ガガガ文庫 より

■ ビルディングスロマーン(教養小説) ■

「ビルドゥングスロマーン」という言葉をご存じでしょうか?日本語では「教養小説」というロマンの欠片も感じられない小説ジャンルです。語源はドイツ語のBildungsromanで「自己形成小説」と訳される事もあります。

ドイツの市民社会の形成期にギリシャ哲学の影響を受けて人間形成(パイデイア)の概念が広がり、絶えず自己形成を意識した小説、例えばゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』などが生まれます。

何だか、一時期流行した自己啓発セミナーのテキストの様ですが、一言でいえば「少年が様々な経験を経て立派な大人になりました。おしまい。」といったジャンルの小説です。

代表的な作品にヘッセの『デミアン』などがありますが、私は大学の一般教養の授業ではヘッセの『車輪の下』や、ジョイスの『若き芸術家の肖像』なども、広義のこのジャンルに含まれると教わった記憶が在ります。

でも、『車輪の下』の主人公は成長半ばにビール飲んで川に流されて死んでしまいますし、『若き芸術家の肖像』は「ウシモウモウは・・・」から始まって意味不明だし・・・「自己形成」とはかくも難しいものなのかと・・・そんな感想しか持ちえませんでした。

日本においては山本有三の『路傍の石』が『車輪の下』に近い作品かなと思いますが、なんとこの作品、主人公の成長半ばで「筆を折る」と、イキナリ打ち切りされちゃってる不人気アニメの様な作品です。

この様に私は「ビルドゥングスロマーン」的な小説にあまり良い印象を持っていませんが、それは私が50才を過ぎてもラノベやアニメを嗜好するという、成長や自己形成を否定した存在である事に起因しているに違いありません。

■ 「ビルドゥングスロマーン」はアニメやラノベの中に生きている ■

「ビルドゥングスロマーン」を単純に「少年少女が成長する物語」と解釈するならば、多くのアニメやラノベはこのジャンルに含まれます。

『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ少年は、ブライト艦長に殴られ、ランバ・ラルに導かれ、ハモンさんやセイラさんにおだてられ、マチルダさんに発情・・いえ憧れて、立派なニュータイプになります。これは「自己形成」の物語です。

『ワンピース』も航海を通してルフィーが成長する物語です。彼は結構伸びてますよね・・ゴムだけに。

ロボットや超能力が存在しない普通の世界でも、『とらドラ』などは主人公の男女の成長を描く傑作です。(小説もアニメも)

この様に、読者や視聴者が少年少女に限定?されたジャンルの作品には、「ビルドゥングスロマーン」的なテーマを持った作品が今も量産されています。これをゲーテが知ったら喜ぶのか、悲しむのか・・・。

■ 「大人の存在する世界」でこそ子供達は成長する ■

ラノベやアニメの「ビルドゥングスロマーン」的な作品には、ある特徴が在ります。それは少年少女達を導く「大人」の存在がしっかりと描かれている事。

『とらドラ』は少し面白くて、大人は「駄目な存在」として描かれています。竜司の母親の泰子はキャバクラ勤めのシングルマザーで昼間は寝ています。家事全般もダメダメで高校生の竜司がかいがいしく母親の世話をしています。大河の父親に至っては「クズ」とも言える性格で、娘より愛人を優先する・・・。担任の先生も未婚三十路の頼りない教師。それでも、大人達は様々な問題を抱えながらも必死に子供を育て、その成長を見つめています。結局は竜司も大河も一度は家族の関係を断ち切りながらも、その絆によって救済され、しっかりと成長します。

一方、親や教師が出て来ない作品の主人公達は「永遠の学生生活」や「永遠の休日」の中に閉じ込められていて成長しない場合が多い。

『魔法少女☆まどかマギカ』は大人はほとんど出て来ません。彼女達は苦難のループの中の閉じ込められていますが、それは、苦悩する若者を導き救済する大人の不在によって起こる事象と捉える事も出来ます。まどかの導き出した答えも、子供の世界での究極の選択肢で、彼女は「成長」せずに「人間性を放棄」する事に解決を求めています。もし大人の助言が有れば自己犠牲とは別の答えが得られたかも知れない・・・。

だから、私はラノベやアニメの「良い作品」の条件に「良い大人の存在」を真っ先に挙げたい。

■ 「人間関係の成長」に主眼を置いた『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 ■

<ここからネタバレ全開。要注意>

「少年少女の成長譚」として私が現在一番注目している作品は渡航の『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』です。(長いので以下『俺ガイル』とします)

高校生活初日に交通事故に遭い、2か月入院した比企谷 八幡(ひきがや はちまん)は高校2年にもなって「ボッチ」。彼は極端に自意識過剰な上に、ヒネクレタ性格の持ち主。さらに同年代の男子に比べ少し大人びた所があるので、周囲を上手く付き合う事が出来ません。

生物の授業のレポートで「熊は群れる事が無い。出来る事なら私は熊になりたい」と提出しては怒られ、職場見学先として「自宅を希望する、なぜなら俺は専業主夫を目出しているからだ」と言って怒られる・・・そんな高校二年生。

そんな彼が「更生」の為に強制的に入部させられたのが「奉仕部」という部活。生徒達のお悩み解決を活動内容とする部活です。奉仕部には先に一人の部員が居ます。雪ノ下 雪乃(ゆきのした ゆきの)は同じ学年の国際教養化の生徒ですが、頭脳明晰、容姿端麗・・・でも彼女も人とのコミュニケーションが上手く出来ません。だから奉仕部に入れられた。

ガランとした部室で二人きりにされた比企谷は、交わされたトゲトゲしい会話の中で、雪ノ下に自分と同質の物を感じ取ります。彼はつい「俺と・・・(友達にならないか)」と言いかけますが、「俺と・・」だけ言った所で「それは無理」と拒絶されます。後には彼の人間性を根本的に否定する罵詈雑言が続くのですが・・・実はこの「無理」には深い意味が隠されています。

そんあ奉仕部に最初の依頼を持ち込んだのは、比企谷のクラスメイトの由比ヶ浜 結衣(ゆいがはま ゆい)。彼女は上手なクッキーの焼き方を教えて欲しいと依頼する。何度教えても焦げ焦げの練炭みたいなクッキーしか出来ないダメっぷりですが、厳しく教える雪の下に彼女を羨望の眼差しを向けます。「人と合わせようとしないなんてスゴイ。私なんてこんな八方美人の性格だから・・」と。

実は由比ヶ浜がクッキーをあげたい相手は比企谷。クラスでもほとんど会話した事が無く、彼をヒッキーと呼ぶ彼女でしたが、比企谷が交通事故に遭ったのは由比ガ浜の飼い犬を助ける為だったのです。それ以来、比企谷は彼女にとって恩人であり、気になる存在。だから彼女は学校での彼の行動をそこはかとなく観察しており、彼が実は繊細で良い人だという事も密かに知っています。

比企谷に近づく意図を秘めながら、由比ガ浜も奉仕部に加わって、女性2人と男一人の不思議な部活動が始まります。

生徒達の取るに足らない依頼を引き受ける奉仕部ですが、比企谷の出すアイデアはどれも「酷い」。彼のやり方は卑怯で卑屈で・・・そして自己犠牲の上に成り立っています。今さら友達受けなんて必要としない彼は、自分が悪役を引き受ける事で事件を解決して行きます。

しかし、それに気付いた依頼主達は、一部は彼の熱烈なファンとなり、一部は消極的ながらも彼の存在を認める事になります。そして、そんなやり方しか出来ない比企谷を見守る奉仕部の二人は、ひそかに心を痛めるのです。

雪ノ下には秘密が在ります・・。高校初日に比企谷を轢いた車には雪ノ下が乗っていたのです。「俺と・・(友達になろう)」という誘いを即座に「無理」と切り捨てた理由は、彼の楽しい高校生活を奪ったという自責の念。

それでも、自分と同質の物を持ち、人間関係に諦めを抱きながらも強い羨望も持ち続ける比企谷にう雪ノ下は無自覚の内に惹かれて行きます。それを複雑な思いで由比ガ浜は見つめています。彼女は一見バカですが、人の心の機微に敏感で、本人も気付かない気持ちを察知する能力に長けている。そして本能的に何が正しいのかを見抜く事が出来る。

自分が何者で何を望むのか理解していない比企谷と雪ノ下、彼らが何を望み、自分が何を望むのか・・・そしてそれが両立しない事を理解する由比ガ浜。3人の簡潔は、様々な事件を通じて密接になり、お互いがお互いを大切にしながらも、そこから先に進む事に臆病な関係。

そう、『俺ガイル』の面白い所は、俺や私といった個人の成長より、俺たち、私たちの「人間関係の成長」に主眼を置いた点にあります。これに、家族やクラスメイトや生徒会会長が絡んで、様々な人間関係が生まれますが、作品全般を通して、これらの関係も変化し成長し続けます。


■ ラノベのフォーマットを利用した「ビルドゥングスロマーン」の傑作 ■

作者の渡航は就職活動に失敗するのではとの恐れからラノベを書き始めたと言いますから、この世界では遅咲きの作家と言えます。(中学生、高校生からデビューする作家も多い)

逆にデビュー当時から「大人の視点」を持った作者だとも言えます。比企谷は同年代の男子生徒よりも醒めて世間を見ています。これは社会人になる年頃の男子が昔の自分の「黒歴史」を思い返して作られたキャラクターと言えます。私はアニメの1話目を見た瞬間、高校時代の自分を発見して驚きました・・・。当時、私は周囲から浮いていましたから・・・。

『俺ガイル』は高校生活の様々な出来事を、ラノベならではの軽快でカラフルな調子で物語っていますが、その内容はかなり重たい。人と人の関係性や繋がりを、辛い所まで突き詰めて、一歩一歩苦悩の前進を続ける物語です。

ただ、この物語を普通の小説で発表しても、それは擦り切れたジャンルでしかありません。恩田陸の様な名手ならば、素晴らしい「小説」にする事も出来ますが、普通の書き手では難しい。そこで作者はラノベを偽装して、「普遍的な高校生の成長譚」を読者の中学生や高校生に届けようとしています。そしてそれは見事に成功し、多くの読者の共感を獲得して累計で700万部の売り上げを達成します。

一般の小説は4万部でヒット作と言われるので、ラノベが如何に出版社にとって「ドル箱」で、さらにラノベ作家が「稼ぎまきっている」かが分かります。

有能な書き手の多くが、桜庭一樹や有川浩の様に、ラノベ作家から一般作家に転向する中で、一部の作家は戦略的に「ラノベ作家であり続ける」選択をする時代なのです。西尾維新などが典型的な例でしょう。

ただ、ラノベ作家であり続ける事は意外に難しく、「大人になっても子供の心を失わない」というのは意外に難しい。ラノベ独特のキラキラした世界感や、ドキドキした高揚感は、心がすり減った大人では書けないのです。


その点、『俺ガイル』の比企谷君は、最初からネガティブ全開ですから、作者が就職して社畜として生きる今も、ブレる事無くネガティブを吐き出し続けます。

12巻で奉仕部の3人は前進する事を選択します。しかし、それは彼ら、彼女らにとって明るい未来を約束するものでは無い様です。何故なら、それは互いの関係性に結論を出すと言う事だから。

彼らを助けるが顧問の平塚先生ならば、敵として彼らの成長を促すのは雪ノ下の姉。12巻で姉は彼ら3人の関係を「共依存」と看過します。比企谷が雪ノ下を助けるのは「自己満足」の為なのだと。この一筋縄では行かない姉の存在も、「成長を促す大人」として見事に機能しています。

やなり「素晴らしい作品」には「良い大人」は不可欠なのです。



本日は50才を過ぎたオヤジが、ラノベを熱く語ってみました。


追記

人力さんは雪ノ下派か、由比ガ浜派か聞かれる前に答えます。私は川なんとかさん派・・・ウソ。いろはす、最高。


追記2

最近、『サクラダリセット』を読んでいるので、久しぶりにラノベらしいラノベを読みました。読み始めは「あれ、50才になるとラノベって結構キツイな」と思ったりしましたが、読み進めるうちにあれよあれよとページは進み、数時間で読み終わりました。「読みやすい仕掛けがイッパイ」というのも中高生に読ませる為の重要な要素です。だから売れる。
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2016/8/8

夏休みの読書感想文が終わらない君たちに・・・『夏美のホタル』 森沢明夫  
 

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■ 今年もやります、夏休み企画 ■

今年も「読書感想文」の季節がやって来た。

小学生は課題図書が決まっている場合が多いが、中学は自由に選べる。そうなると、普段小説など読んだ事の無い君達は、「本選び」で先ず悩むに違い無い。「なるべく薄い本で有名な作家の本」というのが定番かと思う。

しかしここで『星の王子様』なんて選ぶと最悪だ。「王子様はカワイそうでした」なんて感想しか書けないだろう。(尤もBL好きの女子ならば、色々な妄想は膨らむだろうが・・・。)

ヘミング・ウェイの『老人と海』も危険な一冊だ。「まじサメ最強!!」なんて感想を書いたら再提出必至だろう。

そこで、今年お薦めしたい1冊はこれ。森沢明夫の『夏美のホタル』。先日映画を観たので、原作を読んでみたら、これが意外にも読書感想文向きだった。

映画 『夏美のホタル』 聖地巡礼



■ ちょっと粗筋を ■

ネタバレ全開!!

大学で写真を専攻する信吾と、彼女の幼稚園教諭の夏美は、夏見の運転するバイクで田舎の一軒の商店に立ち寄ります。夏美がトイレを借りたかったから。店の名前は「たけ屋」。店先にはアイスと冷凍食品が入った冷凍庫が置かれ、パンと一緒にゴキブリホイホイが売られている様な何でも屋だ。

夏美が戻って来る間、信吾が店を覗くと店の奥の居間から老人がが話し掛けて来た。「あんたでっかいカメラぶら下げてるなぁ」。液晶で写真を見せると、感心された。褒められて信吾は悪い気はしない。そこへ夏美が戻って来た。彼女の傍には老人の母親と思われるお婆ちゃんが立っていた。老人の親子は突然現れた若者にお茶を勧め、今度はホタルを見に来いと誘う。

6月の梅雨の晴れ間の土曜日、夏美と信吾は再びたけ屋を訪れる。すると店の前には子供が二人。バイクに乗る女性が珍しいらしく、「なんで女が運転してるの」と遠慮も無く聞いて来る。近所の酒屋の兄妹はたけやの老人を「地蔵さん」「ヤスばあちゃん」と呼び懐いている。夕刻になるのを待って近くの川辺に降りてゆくと無数の光が舞っていた。ホタルの光だ。道すがら地蔵さんが持っていけと言ったホタルブクロの花にホタルを入れると、釣鐘状の花全体が幻想的にぼわっと光る。ホタルの光に照らされた夏美を信吾は夢中になってカメラに収めた。

たけ屋に戻ると信吾は「この村と自然をテーマに卒業制作を撮ろうかな」と何気無く口にした。それを聞いた地蔵さんは、使っていない離れを寝泊りに提供すると言ってくれた。こうして信吾と夏美は小さな村でひと夏を過ごす事になる。

地蔵さんは信吾に川遊びを色々と教えてくれた。エビや魚を捕ったら、それをヤスばあちゃんと夏美が料理して夕飯のおかずにしたり、酒の肴にした。信吾はすっかり川遊びの虜になった。

ある日、たけ屋に作務衣姿の男が現れ地蔵さんと酒を飲んでいた。彼はよそ者の若者をジロリと見ると「お前ら家賃はいくら払うんだ」と聞いた。感じの悪い男は地蔵さんの友人だと言う。「嫁に逃げられた者同士」だと。地蔵さんが離婚していた事は二人には驚きだった。

二人は地蔵さんの過去を知り、今でも肌身離さない古い妻子の写真の裏に書かれた「ありがとう」という色の薄れたインクの文字を見る。「生まれてきてくれてありがとう」・・母子家庭に育った地蔵さんは、貧しい暮らしで自分の存在が母の負担いなっていないか子供ながら責任を感じていたが、若き日のヤスばあちゃんは「生まれてきてくれてありがとう」と地蔵さんの頭をよく撫でてくれた。自分が息子にそうしてあげられない事が地蔵さんには心残りだったと・・。

無愛想な作務衣姿の男は雲月と言う有名な仏師だった。彼の掘る仏像には命が宿るという。たけ屋に買い物に現れた彼は、店番をしている信吾につり銭はレジに入れておけと言う。そして「雨上がりは釣れるぞ」と信吾に告げる。案外悪い人では無いのかも知れない。

粗筋はここまで・・・

続きは本を読んでみよう!!
仏師の雲月さん、マジでカッコイイです!!

小さな出来事を瑞々しい筆致で丁寧に描き、事件など何も起きないのに次のページを捲る手を止められない。

■ 人は支え合って生きている ■

この本のテーマは「人のつながり」だ。人は誰かと支え合って生きている。親と子は勿論の事、偶然知り合った都会の若者も、変わり者の仏師も、小学生の兄妹も、人とのつながりは、ほんの少しの幸せを少しずつ積み上げている。

自らつながりを絶った別れた妻子への思いも、見えないつながりとして再び人と人を結び付ける。そしてそこから新たな小さな幸せが生まれてゆく。

一方で田舎の閉鎖的社会はよそ者を拒絶する。風変わりな仏師も、突然バイクでやって来た都会の若い男女も田舎の社会は普通は受け入れはしない。たけ屋の老人二人は多分寂しかったのだろう。だから、突然現れた若者に親切にし、彼らが訪れる事を心待ちにする。

時間が止まった様な田舎の、老人二人の変化の無い暮らしに無邪気に入り込んだ若者達は、固まっていた時間をゆっくりと溶かしてゆきます。そして頑固な雲月の心も。

■ 「生まれてきてくれてありがとう」という陳腐な言葉がなぜかイヤにならない不思議な作品 ■

実は私は「生まれてきてくれてありがとう」という言葉がダイキライです。全ての生命の営みの中で人間の生命だけを特別視している様で嫌いです。これから子供が巻き込まれる様々な困難や苦しみを思うと、「生まれてきてくれてありがとう」という言葉は、親のエゴ丸出しでキライです。

ただ、この小説の中だけは「生まれてきてくれてありがとう」という言葉が素直に心に浸透してきます。人が普通に生まれて、普通に生きている事の素晴しさに気付かせてくれる作品です。

中学生にとっては親は「ウルサイ」だけの存在かも知れません。「オレなんて、ワタシなんて産まなきゃ良かったじゃない!!」なんて親も向って言ったりした事がある人も少なく無だろう。
そんな君達にこの本は是非読んで欲しい。今は良く分からないかも知れないけれど、きっと将来自分達が親になった時に、もう一度この本を読みたくなるはずだ。


50歳になる私も、もう少し親を大切にしようと反省させられている。



中学生、高校生の諸君にお薦めの本をもう少し紹介する。
トラップも有るから選択には注意が必要ですが・・・。


夏休みの読書感想文が終わらないお子様に・・・カラフル

夏休みの読書感想文の本が決まらない君に・・・有川浩「レインツリーの国」

夏休みの読書感想文が終わらない君たちに No.3 ・・・ 『NHKにようこそ』 

夏休みの読書感想文が終わらない君へ・・・『きりこについて』

分が演じるキャラクターとは自分自身では無いのか?・・・庵田定夏「ココロコネクト」

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小説というバーチャルリアリティー・・恩田陸「夜のピクニック」



<追記>

映画と小説は全然別の作品でした。映画では主人公は夏美になっていて彼女も写真家志望。そして勝気な性格とされていますが、原作の主人公は信吾。夏美は幼稚園教諭で天真爛漫。ただちょっと哲学的な事を不意に言ったりします。「小説と現実って、アジの開きに上を下みたいだよね。味は一緒で、骨があるかどうかの違いしか無い」みたいな・・・。

映画では、別れた奥さんに連絡しようと言い出したのは夏美でしたが、原作では雲月が言い出し、をれをヤス婆ちゃんが拒みます。

まあ、色々と違う原作と映画ですが、同じモチーフの別の作品として楽しめば良いかと。個人的には小説の方が好きかな。



<追記2>


ちなみに原作のバイクはHONDAのCBX400F。映画ではYAMAHAのSR400。ここら辺はスタッフの好みの問題なのか・・それとも親父の形見としてはレトロな風貌のSR400の方がイメージに合うのか・・。

ちなみに作者の森沢明夫は千葉県の船橋市出身。実家のお隣の市です。高校時代に免許を取ってバイトでバイクを買った森沢氏は、授業をさぼっては房総を走っていたみたいです。そんな彼がトイレを借りに立ち寄ったのが「たけ屋」のモデルとなった「角屋」。

そこには老婆と息子さんが住んでいて、彼はその後何度も通ったそうです。社会人になって忙しくなり、久し振りに訪れると老婆一人になっていた。そんな実際の体験を元に書かれた小説ですが、舞台となった筒森の集落は私も大好きな場所です。自転車で通る時は集落の下を通る新しいトンネルを通らずに、わざわざ峠道を筒森の集落まで登って行きます。峠道のてっぺんに有るのが角屋です。(今はシャッターは閉まったまま)

作中、地蔵さんが運び込まれた海辺の総合病院は鴨川の「亀田総合病院」ではないでしょうか?映画では大多喜町の他の病院でしたが。アジサイの咲く寺というのは麻綿原高原ですね。

森沢氏の映画化された作品に『虹の岬の喫茶店』(映画では『ふしぎな岬の物語』・主演は吉永小百合)が有りますが、この作品も鋸南町にある海辺の喫茶店がモデル。ロケもここで行なわれています。今度自転車で行ってみたいと思います。

千葉県は神奈川と同じく東京の隣りの県ですが、房総半島中央部や南房総は本当に「田舎」がいい感じで残っています。交通量も少ないのでバイク乗りや自転車乗りには天国です。



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