2月3日、郷里から母の死の連絡。除雪作業を終え、急きょ千歳空港へ。
名古屋経由で松山、それから列車で1時間かけ郷里へ。そのまま、通夜堂へ。
有形無形で応援してくれた母。親戚一同がいる中では、それほど死に対して寂しくはなかったが、振り返ってみると、若さというエネルギーだけで知り合いや親戚などいない北海道に住み、現在に至る過程を、観客のいなくなった舞台に一人たたずんでいるようで、慣れているはずの寒さも身に染みるものだった。
葬儀を終え帰り支度の折、商売柄、レシート、領収書の整理をしようと鞄、財布、衣服をさっぐっているいたところ、ズボンの右後ろのポケットの中から、小さく折りたたまれた紙屑が出てきた。
それはレシートで、63、11、14と打たれていて、今は名前が変わっている地元のホームセンターのロゴが入っていた。記憶をだどったり、親族に問い合わせてみるとその日は、昭和63年11月12日になくなった父親を歴代の墓に納骨した日だった。
なぜ、30年近く前のレシートが今ここにあるのか。なぜ、母の納骨の日と父親の日が重なってているのか。何かの偶然が重なり重なって、あたかも超常現象を思わすようなことになったのだろうか。私は、いたずらに話を面白おかしくすることはしたくないほうなのが・・・。
厳しい北海道での生活を精神的に支えてくれた母が、おやじと墓の中で向こうの世界で楽しくやってくれればそれでいい。でも不思議なことはあるものだ。
店は当分営業する気力がない。今まで支えていただいた皆様、時々やりますのでよろしくお願い致します。

北海道からはいていったズボンは1カ月ほど前に新調したもので、このレシートが入っていたポケットには、フラップがついているので紛れ込むことはありえないのだが。お骨にして実家に安置したその部屋で、私が一人だけで寝た。その時も、疲れていたのと寒さ(四国の家は、夏中心なので寒い)で、北海道を出発したときと同じ外着の服装のまま布団に入った。

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