この場所に住んで足掛け30年。仕事は、宿泊業、飲食業、食品製造業。
前職は、広告代理店のデザイン部。毎日、Zライトの灯りの下で山のような仕事と格闘した。
その前は、名古屋の飛行機整備学校を中途退学してから、フラフラと日本国中をうろついた。
ニセコに仕事を求めたのは、高校の山岳部の影響があったと思う。潜在意識の中に、山の近くに住みたい、山小屋の番人にでもなりたいと思っていたように思う。折しも、日本国中の田舎でペンションを開業するのが流行っていた。清里がその代表例。ニセコに家を建てるとき、参考にと出かけてみたこともあった。パステルカラーのメルヘンチックな建物に人々が群がっていた。
僕のイメージするたたずまいとは違った。宿の玄関に立つと、奥から炊事の匂いがして今晩の献立がおおよそ検討がつき、安眠できる寝床さえもらえればいいと思う旅人や登山者、スキーヤーのための一晩の宿とはまったく違っていた。少なくとも空間的には。
でも、バブル景気の国内で、田舎で林立する宿泊施設はみんなキャピキャピのペンションと思いたい人たちにとって、わが宿は山小屋ではなく、ペンションのカテゴリーとして認識された。ありがたいと思う反面、ペンションの装いができる感覚を持ち合わせていない山小屋番人は、少し戸惑った感覚を持ったのは事実。続く。

屋久島での登山競技、読図テストに取り組む、手前真中が私しであります。

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