『調査報告「学力低下」の実態』
苅谷 剛彦・志水 宏吉・清水 睦美・諸田 裕子(著)
2002年
岩波書店
★★★☆☆
岩波ブックレットNo. 578。
小中学生を調査対象とした学力・学習実態に関する調査報告書。大学の先生の書いた、わずか70ページの小冊子。
1989年に行われた学習指導要領の改訂を境に、「知識・技能」を学力ととらえる「旧学力観」(それは詰め込み型受験教育の象徴でもある)から、自らの関心や学習意欲にもとづいて主体的に学習に取り組むことによって身につく「生きる力」こそ学力と考える「新学力観」へと、学力の定義は大きく変わったのだそうだ(現在は「学力低下」問題を受け「やはり知識も重要」という方向へ戻りつつあるらしい)。何を学力と考えるかが変われば、当然授業内容も変わる。
本書の目玉は2つ。2部構成の前半のテーマは「学力低下」。いわゆる「ゆとり教育」以前(1989年)と以後(2001年)で、子供たちの学力・学習状況はどのように変わったのか、その実態を正確に把握しようとする。単にテストの成績を比較するだけでなく、通塾者と非通塾者間の比較、家庭における学習状況の変化、等も視野に入れている。
著者らの行った比較調査の結果によると、テストの成績で示される「旧学力」はこの12年間ではっきり低下しており、2001年の通塾者の学力は1989年の非通塾者のそれよりも低いという。また、全体的に学力が低下しているだけでなく、「できない子」の層がより厚くなり学力分布の2極化が進行している。学力の低下は非通塾者でより顕著で、「新学力観」にもとづいた授業の増加による「旧学力」の低下が、通塾の効果によって見えづらくなっていることが暴かれている。反対に「新学力観」にもとづいた授業によって「新学力」が高まったのかどうかは、1989年調査で「新学力」を測定していないため不明(「ゆとり教育」によってもたらされた「ゆとり」が単にテレビ視聴・テレビゲームに向けられていることも示されており、「旧学力」の代わりに「新学力」が身についたわけではないのだろうな、というのが私の受けた印象)。
後半のテーマは「社会階層の影響」。子供の学力・学習状況に関する社会階層間の格差の存在を指摘し、学校教育のあり方によってはその格差を縮小することもできる(拡大することもできる)可能性を示す。文部科学省の行う調査には、欧米での調査には当然含まれている、家庭に関する質問項目(親の最終学歴、職業、所得水準、子供の教育に関する態度、等)が含まれていないため(そういう質問項目は一種のタブーとされているらしい)、学力低下と社会階層の関連についてデータをもとに論じられることは、日本の教育界ではこれまで全くなかったのだそうだ。
調査結果によると、テスト成績に代表される「旧学力」や家庭での学習状況だけでなく、「新学力」と関連しているであろう、学校での主体的な学習への取り組み、等にも、子供の家庭の社会階層による明確な差が認められるという。「新学力観」にもとづいた授業の増加による「旧学力」の低下を通塾によって補うこともできず取り残された子供たちは、「新学力」を伸ばすための授業にもついていけなくなってしまう。「全ての子供が学ぶ意欲を等しく持っている」という前提にもとづいた子供中心主義の導入が社会階層による学力格差の拡大という結果となってあらわれた、欧米社会と同じ傾向に日本もあるようだ。
「学力低下」問題への対応として文部科学省が主にとっている対策は「できる子を伸ばす」という路線に沿ったものだ。著者らは、雇用の流動化拡大と連動して生じている社会経済格差の拡大に対して、公教育・義務教育による学力の社会階層格差の縮小(できない子を救う)を政策的論点とすべきである、と主張している。
「学力低下」問題に関してはこれまで全く興味を感じたことがなく、このテの本を読んだのはこれが初めてだったが、1冊目としては良い本を引き当てたと思う。調査結果の解釈において疑問に思う点もあったが、まずデータを示すことの重要性を改めて感じた。
本文約70ページ。
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Kota's Book Review
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Terai, S. Web Page

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