1月だったかに「同窓会の計画がある」という話を耳にしたときには、あまり乗り気じゃなかった。
ちょうど3年くらい前にmixiというものを知ったとき真っ先に探したのは、出身高校や中学のコミュニティ。最初に入ったコミュニティの管理人がたまたま高校の同期、名前に見覚えがあって共通の友人をmixiに引き込んだり、オフ会なんかにも少し顔を出してみた。「単に卒業した学校が同じだけ」ということ以外、縁も所縁もない人と出会う不思議が面白かった。
ただ、僕はもともと顔が広いタイプではないし、そもそも「交友関係の維持」みたいなものをもの凄く負担に感じてしまうタイプだ。数年に1回くらいは「やはり人生は人間関係が大事。このままじゃいかん」なんて思うのだが、すぐに息があがってしまう。端的に言って、面倒クサくなってしまうのだ。結局すぐに、オフ会はおろか、mixiにログインすることすらグッと減ってしまった。
ところが、その後2年くらいの間に、埋もれかけていた交友関係が着々と再発掘されていたらしい。誰かが「39期として高校を卒業してちょうど20年、今年誕生日を迎えれば39歳。3月9日に北3条西9丁目の店で同窓会を開こう!(もちろん会費は3,900円!)」と提案したらしい。アイデアは面白いよね。それに飛びつかなかったのが僕らしさ。僕はアイデアを面白がるだけで、いざ実現しようという段階になると急に興味を失ってしまうタイプ。
2月に実家に届いていた「同窓会の案内」のハガキを見たときは「あれ? 意外と本格的なのかな?」と驚いた。mixiオフ会の少し盛大なヤツ、程度のものだろうと思っていたから。電話ももらって、100人位集まりそうだという話も聞いた。期日を3連休にズラすことによって、東京からの来札組まで現れたという(3月9日は月曜日で、となると道外からの参加は難しい)。
それでも、まだ乗り気じゃなかったのだが…。5日程前になってようやく「こんな機会、もうないかもな」と出席してみる気になった。会場は、北3西9じゃなかったけれど、歩いて行ける距離にある店だったし。
で、時間通りに行ったつもりだったのだけど、会場既にたくさんの人の輪が出来ていて驚いた。もっと驚いたのは、案外僕にも知り合いがいたことである。
僕は、楽しかった記憶はどんどん消えていき、嫌だった想い出ばかりが残ってしまうタイプ。冷静に考えてみれば楽しかったこともあったはずであることはもちろんなのだが、中学・高校と楽しかった記憶はほとんど残っていない。高校の卒業式の後、家に向かって独り歩きながら「灰色の高校生活だった」と総括した記憶がある。
それが、1年のときのクラスメイト、2年のときのクラスメイト、3年のときのクラスメイト…、顔を合わせた途端に談笑できる相手はたくさんいた。共学だったけれど、高校時代ほとんど女のコと口をきいた憶えがないのだが(まさにDT文化マッシグラだった)、中学も同じだった女のコだとか、大学で仲良くなった女のコなんかもいたので、女性ともそれなりに楽しく話せた。僕のことを一目で想い出してくれる人(♀)もそれなりにいて、案外楽しい高校時代を過ごしていたのかも、と思い直した(DT文化マッシグラ時代はあまり想い出して欲しくないような気もするが)。行って良かったと思う。
夕方5時に始まった1次会は8時で終了。ダラダラとススキノに移動し2次会へ。幹事さんの予想を超えた人数が集ったようで、お店の隅っこにエキストラで追加された席を見つけて独り座る(交通費をケチって、独り歩いて行ったらそういうことになってしまった)。空いていた隣の2席に女性2人が着席。僕の高校は10クラスあって、1クラス40人だったとして同窓生は400人(1次会には109人が参加したそうだ)。高校時代に面識のない人はたくさんいる。この2人も一目見て、知らん人だと判断。比較的親しい3人目の女性が現れ、(そもそもエキストラの席が追加されてキツキツだったところに無理をして彼女を座らせ)我々はビックリするほどピッタリと並んで座った。ススキノの夜景を眺めながら、端っこでこの女性3人組の話を聞くともなしに聞いていた(高校時代、こんなことってなかったな)。
今日、実は「試練」かなと思っていたのが、お酒。昨日の夜で、断酒13週、91日を達成していた。最低100日は断酒を継続したいという想いと(と言うか「もう一生飲まない」はずなのだが)、今日くらい飲んでもいいか、という気持ちの間で多少揺れた。飲みたくなったときに、自分はそれを抑えられないのではないかとも思った。ところが、フタを開けてみれば、断酒継続は楽勝だった。誰にお酒を勧められるわけでもなく、僕はウーロン茶やオレンジジュースを飲んだ(いざお酒をやめてみると、ソフトドリンクをもっと充実させて欲しいと思った。いや、ま、飲み放題なら仕方ないか)。特にお酒を飲みたいとも思わなかった。
僕の隣の隣の隣に座っている女性、誰だかわからないけど、美人だなと思って見ていた。彼女は整った顔立ちで、年相応にお化粧もうまく、これまた年相応のお洒落をしていた。ビールを飲んでいる彼女を何となく眺めながら、うちの学校にこんな美人いたっけ?なんて思っていた。
彼女が、僕の生涯唯一の一目惚れ相手であることに気づいたのは、何だかんだで1時間近く経ったあと。言われてみれば(誰も言ってくれなかった)、まさに彼女その人だった。彼女は高校時代から全くかわっていなかった。昔も美人だったし、今も美人だという、ただそれだけの話。彼女であると認識した瞬間、どうして自分は1時間も彼女であることに気づかなかったのだろう、と激しく狼狽した。すぐに想い出さなかったことを慌てて詫び出した僕の様子に、彼女は少し戸惑っているように見えた。彼女はたぶん僕のことを最後まで誰だかわからなかっただろうと思う。別にそれで構わなかった。むしろ僕は彼女の記憶に残っていたくはなかった。
高校に入学して最初の席順は出席番号順(五十音順)だった。教室の窓側、まず女子から、1列、2列、3列目の頭まで。そこから男子、3列目を継続し、4列、5列。僕は5列目だったはず。6列目が教室の右端。初めて席に着いた日、緊張して、周りをキョロキョロ見渡すのさえギコチなく、最大限に左に首を捻った視線の先にいたのが彼女だった。たぶん2列目の一番うしろ(か、うしろから2番目)。
基本的には進学校であった我が母校であるが、彼女は少し不良っぽい雰囲気があった。美人だったのでモテたと思うが、クールで素っ気無く、悪く言えば無愛想な印象もないことはなかった。誰かに一目惚れしたのは、後にも先にもあのときキリだと思う。
ところが当方DT文化真っ盛りですから、見ているだけで充分、仲良くなりたいとすら思わなかった。彼女とは1年間同じクラスだったけれど、言葉を交わしたのは1度キリくらいだったろう。彼女が献血をしたという話を聞いたので(これはちょっと意外だった。彼女はそういうことをしそうには見えなかった)、僕も真似をして16歳の誕生日に献血をしたのだ。それをネタに話しかけるのは恋心(兼下心)がミエミエのように思われたので、僕は女子の前で自分からそのことを話しはしなかったが、生物室の掃除か何かのときに誰かが「steraiも献血したんだろ」みたいなことを彼女の前で言ってしまった。僕は自らの恋心(兼下心)が露呈するのを怖れ、シドロモドロになって下を向くしかなかったが、彼女が案外楽しそうに「私もしたよ」みたいなことを言ったときの笑顔が忘れられ…、られ…、いや、忘れてしまったかも(僕は楽しかった想い出から消えていくのである!)。彼女は僕の恋心(兼下心)には気づかず(と言うか、単に相手にしていなかっただけなのだと思うが)、純粋に偶然を喜んでいるようだった。それくらいだな、彼女の笑顔を正面から見たのは。
当方、本来気が多く、次々と女のコを好きになった(どうせ、ただ遠くから眺めているだけだったが…)。彼女とは2年生になったときに別のクラスに別れ、3年のときも同じクラスにはならなかった。僕は2年のときにはショートカットの別の女のコを好きになり、3年のときにはロングヘアーのこれまた別の女のコを好きになった。だけど、高校3年を通して一番好きだったのは彼女だったと思う。何と言っても一目惚れの効果ってものがある。
その彼女が今、目の前に座っているのだ。気づいてしまえば、彼女は彼女そのものだった。どこもかわっていない。決して僕と視線の交わることのない、この横顔は彼女の横顔そのものだ。聞けば、結婚して、いまや2児の母だそうである。仕事も続けていて、「やりがいのある仕事だ」と言っていた(のが聞こえた)。高校のときよりも大学に入ってから(ん? 「就職してから」だったかな?)の方が勉強した、とも言っていた。僕は昔と同じように、彼女が誰かと話をしているのをただ眺めていた。懐かしいな、この構図。でも、昔はこの距離で見たことはなかったな。僕はむしろ彼女の視界に入ることを怖れていた。DTの熟成されたスッパいカオリみたいなものが彼女に届いてしまうことを怖れていた。
僕が彼女に気づかなかったのは、僕が彼女を探していなかったからだろう。彼女は同窓会に来そうな人ではなかった。2次会も終わり、3次会に行くつもりもないのに名残り惜しく、店の前で独り佇んでいたら、昔のクールな印象通り、振り返ることなく独りタクシーに乗り込む彼女の姿が見えた。彼女に会うことはもう2度とないだろう。「
잘 지내라.」と僕は呟いた。
同窓会、本当に行って良かった。

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