深夜ジョグ。
昼間よりも夜の方が気温が上がっていたようだ。久し振りのプラス。
しかし、気温がプラスだということは、雪が融けてしまうから、道路の表面はかえってツルツルの氷状態になってしまう。冬の間履いて走っているNew Balance SN400は雪の上では滑らないのだが、氷の上ではビックリするほど(ムチャクチャ)滑るので、走りにくいことこの上ない。転ばないように、必然的に超スローペースとなった。
気温は高かったのだが、風が少しあり、雪が降り始めていて、楽なジョギングではなかった(もうちょっと気楽なジョギングができるかと思っていた)。ニュースでも大雪の予報が出ていたが、湿った大きな雪片が眼鏡のレンズに付着して前が見えない。すぐに雪と鼻水で顔面がグチャグチャになった。
さて今日は何km走ろう? 今月の目標は180kmなのだが、前回のジョギングから4日弱の間が開いてしまったこともあり、ちょっと達成が危うい。本当は昨年も一昨年も1月の月間走行距離は120〜130km程度であり、今月180kmも走る必要はないのだが…、今月あと10日あるし、今から悪あがけばそれほど大変な想いをせずに目標達成は可能だろう。わざわざこんな日に、と言うか、こんな日だからこそ、今日は少し長い距離を走ってみよう。
雪は見る見る積もっていった。ツルツルの路面の上にサラサラの粉雪が積もると(滑りやすくなり)非常に危険だが、(雪の感触が重たいほどの)湿った雪だったので靴底が滑ることはなかった。前回のジョギングから3日と18時間振りのジョギングだったが、8km走って身体が温まると非常に調子は良かった。下半身にも上半身にも筋肉痛はなかった。
今月非常に無気力で、あまりのやる気なし振りに自分でも危機感をおぼえ、最近していなかったことをしてみようと、2カ月前にレンタルしてきて(しかし)観ずにデータだけ保存してあった日本映画『ソラニン』(三木孝浩(監督) 2010年)を先日観てみた。映画は、まぁ事前の予想通りダメダメだったのだが、映画の後半に感じたものが
原作漫画の後半(第2巻)に感じたものと若干異なっていたので、原作漫画を2年振りに読み返してみた(日に焼けないように本棚に置いておいたつもりだったのだけど、やはり焼けていてちょっとショック…)。
物語は、大学卒業後もモラトリアム期間を延長し続けている若者たちを描いたもので、漫画そのものは傑作だと思っているのだが、主人公たちには全く共感できなかった(僕自身、大学卒業後20年近くもモラトリアム期間を延長し続けている人間であるにも関わらず、だ)。物語の主人公たちは「夢を諦めて大人になるのは」云々と口にするのだが、「僕にとっての『夢』って何だろう?」と自問せずにはいられなかった。自分は夢を諦めたんだっけ? それとも、諦めきれない夢があるんだったっけ?
自分には…、小さい頃から「夢」と呼べるようなものは何もなかった。おそらくそういうタイプなのだ。小学生の頃から「将来なりたいもの」という質問が一番困った(当時は「プロ野球の選手」というのが定番の回答)。何もないのだ、なりたいものが。
「実現したい」と思うような希望も特になかった。逆に言えば、何不自由なく育ってきた人間なのだろう(それを言えば、『ソラニン』の主人公たちもそうなのだが)。むしろ僕は「何もしたくない」タイプの人間で、強いて言えば、「何もしないで(遊んで?)暮らしたい」ってのが夢だったのかなぁ…? (だとしたら、ひょっとして、僕の「夢」は叶ったのか…?)
「夢」の話はよくわからないのだが、「僕が『幸せ』を感じる条件」というものについては数年前から感づき始めている。僕はもともと動揺しやすいタイプで(いわゆる「いっぱい、いっぱい」にすぐになってしまうタイプ)、心理的・精神的な余裕がほとんど存在しないタイプ(こういうところは母譲り)。そしてそういう「いっぱい、いっぱい」になっている状態では、何も感じられなくなってしまう。「とにかくその場・その状況から離れること・逃れること」が最優先になってしまう。そんな僕が「幸せ」を感じるのは、心の平静・平安を取り戻し「何かを感じているとき」で、そのためには「全てをやめてしまう」必要があるのだ。
こんな雪の日にわざわざいつもより長い距離を走るのは、それでいろんなことを感じられるからだ。これが僕にとって「幸せ」ということなのである。
マラソンや長距離走と言うと、世間的には「とにかくツラい」というイメージだと思う。ところが、その「ツラさ」にも様々な「ツラさ」がある。真剣に美味しいコーヒーを淹れようと工夫したことのある人ならわかるだろうが(紅茶も日本茶もそうだろうと思う)、コーヒーを毎日淹れ続けていても、なかなか「これだ!」という味を安定して出すことができるようにはならない。毎回毎回(多くの場合少々不本意な)異なる味になってしまう。
こんな雪の中を走っていると、まぁいろいろシンドいが、その「シンドさ」は毎回異なる(「ツラい」「苦しい」というのともちょっと違う)。それを味わいたい。それを感じて、味わえる、ということが、僕の幸せなのだ。
今日の「シンドさ」で言うと…、何だろ? まず、眼鏡に雪が積もって(!)前が見えなく大変だった(9kmほど走ってさすがに眼鏡は外してしまった)。防水スプレーをかけていないスキー・スノーボードウェアの上着はベショ濡れで、重かった。履いていた軍手の甲側は雪で濡れ、手の平側は拭った鼻水で濡れ、これがシットリ気持ち悪かった(笑)。被っていたニット帽が雪で湿ってズリ落ちてきて、額に当たる感触がこれまた気持ち悪かった(濡れた下着をそのまま身につけているような感じ)。今日はユックリ過ぎて呼吸を意識していなかったせいか、13km辺りから腹が痛くなってきた。15kmを過ぎると、下半身(太ももやお尻)の筋力不足を感じ始めた。途中で雪の塊のようなものを踏んでしまい、その後左足首に嫌な感じの疲労感が出てきたので、「もしや捻挫したか!?」とヒヤヒヤした。16kmを超えると、現在の限界に近づいているようで、久々に呻きながら走らざるを得なかった。
こういった「シンドさ」は今日しか味わえないのだ。2度と同じ「シンドさ」を経験することはない。明日には明日の、また別の「シンドさ」がある。
残り2km地点辺りで、もう一踏ん張りだと気力を奮い起こす。雪は降り続けていて、暗かった世界が若干明るくなった印象。ほんの20〜30分前に残したばかりの自分の足跡がもう消えかけている。
自宅マンション前にゴールして腕時計を見ると、何と2時間13分46秒! ひょっとして22〜24km走っちゃったとか!? こうして、2時間以上も何かを「感じ続けられる」ということが、僕にとっての「幸せ」なのだ。
深夜0.2℃20.9km2時間13分46秒。累積走行距離118.1km。第27回サロマ湖100kmウルトラマラソンまで、あと154日。

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