『数学の教科書が言ったこと、言わなかったこと』
南 みや子(著)
2014年
ベレ出版
★★★☆☆
高校のベテラン数学教師の筆による、中学校・高校数学を題材とした数学読み物。「数学」そのものと言うより「数学教育」「数学の教科書」についての本なんだろうな、という印象。「わかった後になってみれば、教科書のここがわかりづらい」という内容の本なので、同じ「わかってしまった人」には共感できるだろうが、今現在「わからない人」にはピン!ときづらい本かもしれない。
「正の数・負の数」「文字式」「方程式」「座標とグラフ」「複素数」「微分・積分」、それに「第0章」と「終章」を加えた全8章構成。それぞれの中心テーマは、「負の数のイメージ」「文字のイメージ」「等式のイメージ」「実数のイメージ」「虚数のイメージ」「極限値のイメージ」といったところだろうか。中高生が疑問を抱きがちなポイントや、そういった疑問につながってしまう「数学概念のイメージ」の(問題のある)もち方、また、数学の教科書が何故そういったイメージを生徒にもたせてしまうような「もの言い」をしているのかを、「自分も数学が苦手だった」と述懐する数学教師の立場から物語っている。「負の数」と言えば中学校数学の第一歩、「複素数」「微分積分」と言えば高校数学のクライマックスでもあるので対象範囲は比較的広いが、ウェイトの多くは中学校数学の初歩的な部分に置かれているように思う。ただ、何と言うか、見かけ以上にジックリ論じている本で、話の展開が遅過ぎて逆に論点が見えづらくなってしまっているキライがあるように思う。
前著である『
「なぜ?どうして?」をとことん考える高校数学』(南みや子(著) 2013年 ベレ出版)を面白く読んだので続けて読んでみた。正直、目次を見ると内容に重複が多そうだし、コンセプト自体がまるで同じもののように見えたので、「二番煎じか!?」と疑っていたのだが、微妙に重点の置き方が変わっていた。前著では、著者自身の高校生時代の(「私はここがわからなかった」というような)想い出話の雰囲気が強かったが、本書では生徒と向き合う一教師としての姿が見えてくる。数学教師の立場から生徒の「わからない」という気持ちに応えようとすると、(致し方ない部分はあるにせよ)「数学の教科書には『伏線』が多過ぎる」というような、教科書のあり方に対する抗議の気持ち、「わからない」生徒を擁護する気持ちが湧いてくるのではないかと思う。
世代間ギャップに関する記述が多い。「数学の教科書なんて昔からずっと変わってないだろう」と思っていたのだが、どの時代の教科書で学んできたのかによって、躓く箇所が異なるようだ(実際、学習指導要領の変遷を見てみると、「何故ここまで!?」と驚くほど毎回大きく変わっている)。以前の教科書で躓き易かった点を改善するかたちで次の世代の教科書が作られるワケだが、新しい教科書で習った世代は以前の世代が見せなかったような新たな躓き方をするのだそうだ。以前の生徒にとって発想の転換が難しかった点が今の生徒には当然のことで(最初からそう習っているから)、以前の生徒なら疑問にも思わなかった点に関して今の生徒は苦しむ、ということがあるらしい。
読みようによっては、現行の中学校の数学教科書やそれを用いて行われている(行わざるを得ない)数学教育に対する(かなり過激な)批判になっている。前著『
「なぜ?どうして?」をとことん考える高校数学』において著者は、中学校時代には単なる「未知数」であった「文字」が高校に入るといつの間にか「動き出した」(「変数」に扱いが変わっていた)ことに対する戸惑いについて語っていた。現行の中学校の教科書では、生徒がこういったところで躓いたりしないように、中学校1年の最初の段階から文字は「変数」として扱われているのだという(と言うか、現行の中学校の数学教科書は、高校数学で取り組む「解析学の基礎」にスムーズに移行することを大変重視した作りになっているらしい)。ところが、それがかえって文字式における文字というものを全く受け付けられない生徒を生み出してしまっているのではないか、と著者はいぶかしむ。文字に対して最初から「変数」(いろいろな値をとり得るもの)というイメージをもってしまうと、単なる「未知数」である決まった値(動かない値)を求める一次方程式の考え方などがかえってわからなくなってしまうのではないか、と。
本書を読んでいて、あるプログラミング言語の入門書を思い出した。その本は、「今日からプログラミングを始める」という初心者を対象とした本であるにも関わらず、「決して揚げ足を取られないように、精確の上に精確を期す」「絶対にウソだけは書かない」というようなコンセプトで書かれているようだった。当然それは重箱の隅をつつくような記述になるので、本文は註だらけ、「木を見て森を見ず」とはまさにこのこと、というような非常に読み難いものに仕上がっていた。初心者には「たとえそれが後で問題となるとわかっていたとしても」厳密に言えば少々オカしな説明でそこそこ正しいイメージをもたせる、ということが必要になる場合もある。著者に言わせれば、現行の中学校数学の教科書はこのプログラミング入門に似たようなものになってしまっている、ということなのかもしれない(ウソを書くくらいなら、一切説明しない!)。中学校数学から高校数学へスムーズにつなげていくために、現行の中学校数学の教科書は最初からかなり抽象的であるらしい。ところが、そのことによって、以前よりもむしろ現在の方が、数学の教科書に「門前払い」されてしまう学生が増えているのではないか、と。著者の印象では、「高校に入った途端に数学がわからなくなった」と嘆く高校生は減ってきているらしい。何故なら、既に「中学校に入った途端に数学がわからなくなっ」てしまっているからだ。
前著もそうであったが、「『実数』という謎」に対する著者自身の強いコダワリが見える。これは、高校生であった著者自身の前に立ちはだかった最大の障壁が「数直線を数(実数)そのものと見なす」(あるいは逆に「数(実数)を直線と見なす」)という考え方を理解することだったこともあるのだが、著者の考えでは、現行の日本の中学校・高校数学教育における「わからなさ」の根本原因は、「実数についての説明を避けたまま、数の概念を実数へ拡張していく」ことにある。そして、数学教師として認めざるを得ないのは、実数について説明することは実際のところ本当に(学問として)難しく、教科書が「実数についての説明を避けたまま、数の概念を実数へ拡張していく」のも致し方ない、ということ。それは単なる「大人の事情」ではなく「数学の事情」でもあるからだ。実数について精確に記述しようとすれば、「無限」と正面から向き合わざるを得なくなる。しかも、単に「向き合う」ことで何とかなるものではなく、「自然数」や「整数」に見られる「無限」と実数に見られる「無限」は違う、という話をしなければならないのだから…、それはまさに「やぶへび」「寝た子を起こすな」ということにならざるを得ない。数学の教科書は実数について簡単に説明することはできないのだ。何故ならそれは本来難しいものだからだ(著者が「実数という謎」について本当に腑に落ちたのは、大学の数学科に進学してからだと言う)。
本書を貫いているのは、この「事情はわかるけど、でも…」というアンビヴァレントなトーン。「これじゃわからなくなるよ」と生徒を擁護する気持ちと、そう説明せざるを得ない教科書の立場に示す理解の両方が交互に顔をのぞかせるのは、教師を介して生徒と教科書とが出会う場である教育現場に長年身を置いてきた著者自身の(あるときは教科書の代弁者であり、またあるときは生徒の代弁者でもある、という)両義性を映し出しているのだろうと思う。
最近、小学校算数や中学校数学を扱った本を読んでいて思うのは、「計算のやり方を学ぶのは簡単だ。しかし、数学的な概念を理解するのは難しい」ということ。まさに『星の王子様』、「本当に大切なことは、目には見えない(Le plus important est invisible.)」のだ。ほとんどの中高生にとって数学を学ぶ目的は、せいぜい高校入試・大学入試をクリアすることくらいしかないだろう(将来の夢が定まっていて、そのために必要な数学的な知識やスキルが特定できている、という学生は稀だろう)。しかも、学校の教科書は数学の「学問としての面白さ」を感じさせてくれるものにはなっていない。そこのところが社会人とは違う。(数学者以外の)社会人が数学の勉強をするとしたら、職業上の(具体的に学ぶべき内容を特定できる)必要のためか、あるいは「趣味として楽しむ」ためだ。そういう「大人向け」の数学の本なら驚くほどたくさんある。「大人で良かった」と思う反面、高校数学で挫折して進学先を文系に絞るしかなかった自分の人生を振り返ると、「何とかならんものなのかな」とも思う。
本文330ページ程度。
※ ちなみに…、「終章」で扱われている「条件付き確率」の問題についてはどうにも納得いかない…。これはもう(著者が想定していない)「教科書の解説が間違っている」例ではないかと思うのだが…。
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Kota's Book Review

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