8月17日(水)
お休みいただきます
毎年この時期になると大戦中の回想録番組が多い。
ほんっと、例年のことだけど、ついつい見る・・・どうしても。
僕は未だに、あの戦争が日本を軟弱にしたひとつの分岐点だと思っている人間なもんだから、新事実はなにか・・・という興味でNHKなんかは夜遅くて疲れていても見ちゃうんだなあ。
ひとつだけ念のため書き加えておくけど、「いい⇔悪い」「勝った⇔負けた」の問題じゃなくって、勝った国も負けた国も、そして支配下にあった国にも、幸せな場所を持っている人たちがいた・・・って思うのね。
敗戦国も勝った国も・・・僕の、北村や母方の一族や、僕の友達達の先祖、みんな・・・ね。
はだしのゲンって漫画があったんだど・・・
舞台は広島。
物語の冒頭には主人公のゲンのお姉さんが、お米を一升瓶に入れ、ふうふう言いながら棒で一生懸命つっつく場面があったんだな。
「かあちゃん。こんなもんじゃろうか?」
戦争が激しくなる前の広島のある家庭のひとコマ。
子どもだった僕は、これってなにをやっているのなあ・・・と興味しんしん。
白米が当たり前だと思っていたからね。
小学生の頃、これを読むのがとても楽しみだった。
つらい話ではあるよね。
でも、当時の状況を学校の授業ではなくて、物語として学べたってところで毎週楽しみにしていた。
原爆が落ちた話はここではやめ・・・ね。
大人になって、もう一回読み返すのも辛いのもこの漫画。
毎年、お盆が来る度に想い出す事・・・。
死んだ父が「おじいちゃんはウグイを時々調理していたよ。戦時中からしばらくのことだったらしいけどな。骨が多いけどすり潰して団子にするとそこそこおいしかったらしいよ・・・」
父(昭和14年生れ・・・美空ひばりと生年月日一緒)はその味を覚えていなかったらしい・・・。
小学生の真ん中位の僕は、毎夏、三笠のなにもない町で夏休みを過ごしていた。
少年ジャンプさえ手に入らない清住町という、もの凄い田舎。
けれども、夏には畑で収穫した果物、野菜が食べ放題。
昼は採れたての新鮮なトマトに砂糖をつけて食べ、お腹をいっぱいにした。
メロンもこれでもか!
おばあちゃんが「まだ食えるか!とーきび(トウモロコシ)食うか?」
3時頃はおばあちゃんが手伝っていた農家の人の差し入れのスイカを腹いっぱい食べた。
朝のごはんのニワトリの卵も自給・・・
(ちなみに、おじいちゃんの育てていたニワトリは飛んだ。三メートルほどの高さの木の枝にいつも何羽もとまっていた)。
今想えば、なんて幸せなひと時だったんだろうと想う。
そんな中、僕が思い出したのは、はだしのゲンという漫画の中に登場したイナゴの佃煮だった。
いくらでも虫が獲れたということもあったのだが、昼間の戦利品である何十匹ものキリギリスを持ち帰り、おばあちゃんに「これ、佃煮にして食べようよ・・・」とねだったことがあった。
おばあちゃんは「ものがねえ(無い)時の食いもんだ。うまぐねっで!」と言ったにも関わらず、僕はどうしても食べてみたい。漫画で読んだものは美味しそうだったもん!だだをこねた。
見ていたおじいちゃんが「作ってあげなさい」と、仕方なく言ったのもあって、おばあちゃんもやはり仕方なく作ってくれた。
わくわくしながら出来上がりを待った。
でもね。
僕、食べて泣いたんだ。
「まず〜い〜」
「ほら!言わんこっちゃねーべ!」
その話を聞いた父は笑ってた。
食事には苦労することのなくなった70年代に・・・・自分の息子が・・・嬉しかったのか、ただ単に面白かったのか・・・
僕が忘れることのない、夏の思い出。
そして、僕のおじいちゃん、おばあちゃん、父を・・・亡くなった大事な人を含めて、先人達の苦労、貢献、反省・・・忘れちゃあいけない。
って、毎夏、思いかえすんだよなあ。
幸せって、なんであとになってから気づくんだろうね。

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