楽音舎にお買い物に来るお客さんは
「いまかかってんのなーに?」
とよくたずねてくれる。
「これはアレックス・チルトンさ〜」
「売ってよ」
「売り物はないんだなあ」
数日後、友人が
「先週届いた。やっぱいいよ、アレックス」
と話していた。
僕は「いや〜、ほんと、自分が中学、高校生の時にこの作品と出会いたかったなあ・・・(実際にはもっと新しい作品だが・・・)」
すると友人は
「いや、わかんないんじゃあないかい?子供の耳には・・・やっぱいろいろ聴いてきてこのヘタウマさ加減のよさがわかるっていうかさ」
「うんうん、たしかにそうかもね・・・」
アレックス・チルトンの魅力ってなんだ。
正直そんなこと考えるのは野暮なんじゃあないかい?
って、彼の作品を聴いてきた人なら皆が言うと思うよ。
僕個人的にはボックス・トップスやビッグ・スターなんかより晩年に入ってからの一発録音作品が大好きで、特に「set」は僕にとっての一生モノの宝物なのである。
バンドっていうのは3人要れば成り立つものである。
レコーディングっていうのは一発で済ませるものなのである(多重録音なし)。
ギター・ソロは弾きなおすな(間違えてもそのままでOK)。
アレックスのファンであれば周知のとおりであろう。
が、僕が受けた衝撃の深さはもっと本質的なもので、頭で考えても、一生懸命ギターや歌を練習しようとも決して真似することの出来ない天然の才能のところである。
バンド・マンであればちょっと痛いところであるが、いくら演奏が巧かろうが、それはただ演奏が巧いというだけであって、お前らが楽しくても聴き手の身体が動いているかと問われればどうであろう。
そこへいくとアレックス・チルトンってなんなんだろう。
へたくそなのに決して録り直さない。
へろへろなのに聴き手の身体はのりのり。
音楽ってやつはなあ・・・なんて説教する気はこの人には100%ないはずである。
きっとただ愉しいのである。
アレックス本人が・・・
聴き手が踊っているか否か・・・
この部分の大半はリズムの正確さや練習の成果ではない。
演じ手の持って生まれたノリ!が90%占めていると思う。
特別にアレックス・チルトンは素晴らしい・・・いや、考えちゃあ駄目だ。
とにもかくにも考えては駄目。
音楽を表現するっていうことは・・・
いや、考えている時間があるんだったらアレックス・チルトンを聴いて頭をからっぽにする方が幸せであろう。
セットとクリシェは僕の中で永遠の作品だ・・・
これからも・・・

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