BON ANNIVERSAIRE, RENE!
Avec tous mes voeux pour une 46e annee heureuse et enrichissante.
今日はルネの46歳の誕生日です。
日本から、ルネの健康と今後の活躍をお祈りし、これからも応援し続けていきたいと思います。
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今年はルネのデビュー36周年。ルネのデビュー25周年記念CD集”Rene Simard Collection 25ans de Carriere”が発売されてからでも、すでに11年経ってしまいました。CD集のベスト盤に入っていた小冊子の”On ne vit jamais pour rien...”から、ルネが第3回東京音楽祭世界大会に出場する以前の、カナダでの活動の様子を紹介したいと思います。
On ne vit jamais pour rien...
人は決して、ただ生きているわけじゃない・・・
(Eddy Marnay作詞”On ne vit jamais pour rien...”より)
この物語は、1961年2月28日 シクーティミで始まります。
魚座の星の下に非凡な子供が生まれました。素晴らしい声のその子供は、やがて世界中の人々を魅了することとなるでしょう。しかし、まだ、その特別な運命に気づいていません。彼の子供らしい笑い声は、雪に覆われた平原に響いていました。
自分の運命など、全く無関心なその子は、オルレアン島のセント・ペトロニーユ村に、両親が引っ越した『白い家』の周りで、3人の兄弟と3人の姉妹にかこまれて遊んでいました。
1970年、9才の時、その子は、ケベックのTV番組『ジェン・ロジェの発見』のアマチュア・コンクールで第1位を獲得しました。彼の澄んだ正確な歌声は、もうテレビの視聴者を魅了していました。
数カ月後、幼いルネはギー・クルティエの結婚式で『アヴェ・マリア』を歌いました。自信に満ちあふれ、空から降り注ぐその若々しい歌声は、新郎を大変感動させました。数年前から興行主をしていた彼は、出会った瞬間にルネを真のアーティストと認めたのです。新婚旅行から帰るやいなや、彼はオルレアン島に赴き、その神童の両親に会いました。
ルネ・シマールの生涯は始まったばかりでした。
この時代から、ルネに向けて述べられ、記述されてきた全てが、多くの最高の賞賛を語っています。ここでは、平凡な時期のルネ・シマールについて語ることはできません。平凡なんてものは、彼の人生にも経歴にも決して存在しないのです。
このアルバムがその証拠です。時代が、逸話が、写真が、そして歌が、最も魅惑的で、最もエキゾチックな舞台の上で、その子供が成長していく驚くべき課程を物語るのです。
9才の時に録音した
”L'Oiseau(鳥)”は、すぐに成功を博しました。すでに人々は、最初の曲によって、彼の声の並はずれた力を感じていました。人々が
”Ange de mon berceau”に出会ったアルバムであると同時に、そのファースト・アルバムの売り上げは17万5千枚に達しました。”L'Oiseau(鳥)”の45のツアーでの売り上げは12万5千枚。1枚のレコードで!
ルネ・シマールは、ケベックで、ビートルズやエルヴィス・プレスリーよりも多いレコードの売り上げを記録しました。
全世界に向かって、彼は今、”Le P’ete Simard(小さなシマール)”になったのです。
1971年11月、彼は最初のクリスマス・アルバムを録音しました。
”Ave Maria(アヴェ・マリア)”は、ファースト・アルバムよりも、全ての熱狂者(ファン)に歓迎されました。レコード店で、15万枚が即座に売り切れました。数千ドルの収入の問題のため、今、ルネにその管理者がつけられました。
”Place de Arts(芸術広場)”をジャンプ台、または渦巻きと表現するのでしょうか? 大勢の芸術家は成功に酔い、自らの能力を超える冒険を試みます。慎重すぎる平凡な人々は、自らの経歴を世に出す好機をつかみ損ねてしまうのです。
ついに、ギー・クルティエは、ルネが決心していることを信じました。彼は”Place de Arts(芸術広場)”の舞台に立つ、最も若いアーティストとなるでしょう。
人々はその続きを知っています。その晩も、その次の晩も、最も素晴らしいモントリオール公会堂で、ルネは大衆をかき立て、彼の良き指導者の確信を証明したのです。その時から、彼のレコードが、全てのターン・テーブルの上で回転し、新聞で、ラジオで、そしてテレビで、彼は引っ張りだこでした。
1972年、人々は、ドゥニ・エルーがルネに捧げた映画
”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”の中で、同様に彼を見ることが出来ました。
その撮影が行われたのは、1971年12月と1972年1月です。それと同時に”Place de Arts(芸術広場)”でショーが行われました。疲れを知らないルネは、人々がすでに認めているプロ根性で、その二重の仕事を引き受けました。
2月に彼は、〜それは滅多にないことなのですが〜1日に2回のステージに出演するために、
Colisee de Quebecの舞台に上りました。それから5月に、ルネは、”
Forrum de Montreal”の舞台に立つことによって、ケベックの最も若いアーティストから逸脱しました。
1973年に出したアルバム、
”Coeur de Maman”と
”Pascale”は両方とも10万枚以上を売り上げました。映画による同様の成功で、
”J'ai mon voyage(僕には僕の旅がある)”は、夏の間中上演され、ルネはドミニク・ミシェルと人気俳優の座を共有しました。
同じ年にノートルダム教会の聖歌隊”Les Disciples de Massenet a l'eglise Notre-Dame(ノートルダム教会に集結したキリストの十二使徒)”と共に録音したアルバムは、12万5千枚以上の売り上げで賞を獲得すると共に、その見事な仕上がりで有名になりました。

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