ルネとナタリーが和解したことと重なりますが、2人がまだ積極的に共演していた時代、1983年にに出版された”Les enfants cheris du Show-Bizz”を入手いたしました。この本は、ルネの来日時には必ずどちらかが同行していたクローディーヌとダニエル・バシャン姉妹の著作によるもので、ルネとナタリーの写真も数多く掲載されています。表紙写真は第12回東京音楽祭世界大会にプレゼンターとして出演した時と同じコスチューム。これから少しずつ画像を紹介しますのでお待ちください。また、翻訳もしていきたいと考えていますが、こちらはいつになることか…★
ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」がSony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて復刻リクエスト投票100%達成。2ndステージに進み、 予約受付期間も2011年5月18日から2011年6月22日までから、10月5日までに延期になりました!
予約受け付け開始から5カ月目に入りましたが、やっと商品化決定まで50パーセントを越えましたよ〜っ!!みんなの力で是非商品化を実現させましょう!! 日本のルネ・ファンも頑張らねばっ!
今から37年前の1974年9月14日と15日に、カナダのスーパー・アイドルだったルネ・シマールのファースト・コンサートが東京の渋谷公会堂で行われました。
東京コンサートは録音され、日本では「ファースト・ライヴ・アルバム」、カナダでは”Rene Simard en Concert”として発売されました。また、テレビ局も入り、その映像は年末に放映されました。「ラ・メールLa Mer」を歌うルネは、YouTube映像”Million Dollar Baby”でご覧いただくことができます。
私は、ルネの英語詞”Welcome to Montreal”は、中学生程度の英語力があれば理解でき、分かりやすく、平和を願う希望に満ちた内容でとても良いと思うのですが、確かに仏語詞”Bienvenue à Montréal”の方は、モントリオールを賛美し、強調し過ぎていたかもしれません。そのためか、ルネの歌詞に対し「ありきたりでつまらない」等の酷評も有ったようでした。しかし、「モントリオール讃歌」のメロディーは、セルジュ・ラプラード氏の歌より優れていたので、アレンジされてオリンピックで使用されたのだと思います。結局、賞金付きで一般公募されながら、セルジュ・ラプラード氏の送別の歌も、閉会式で歌われることはありませんでした。
ドラポー市長についていえば、かなりの手腕の持ち主だったらしく、カナダ建国100周年記念として企画されたモントリオール万国博覧会も、国民の支持をあまり得られないまま強行に進め、成功に導いた功績がありました。この時就任して間もなかった彼は、ロシア革命50周年記念行事として開催されるはずだったモスクワ万博の中止を受け、政府に働きかけ再招致を試みたことによって、BIAが1962年に正式に開催地を変更し、カナダでの開催が決定したのでした。さらに、開催地をセント・ローレンス川に新しく埋め立てて作った人工島に建設する案を出していました。それは周辺都市から反対されて実現しなかったものの、すでにこの時から突拍子もないことを考える方だったようです。その上、会期中に訪れていたフランスのシャルル・ドゴール大統領が、モントリオール市の群集を前に「自由ケベック万歳!」(Vive le Québec libre! )と発言し、カナダとフランス間の外交問題になっただけでなく、ケベック州分離運動の火に油を注ぐ結果ともなった事件が起っています(YouTube映像にもありました)。しかし、カナダでは現在でも、モントリオール万博をカナダ最高の文化イベントのひとつだったと考えている人が多いそうです。