久しぶりに家内の実家に泊まった。85歳になるお母さんは一人で暮らしているが、隣に住むお兄さんのお嫁さんが食べ物は半分くらいは運んでくるらしい。
11/2日の新牧集落開村250年のお祝いは皆が度肝を抜くような盛大さだったらしい。
母の3年忌は滞りなく終わった、それにしても意味のわからない漢文のお経を1時間も聞かされるのにはまいった。
懇親の席で坊さんに「なぜ日本語にしなかったのでしょう」と聞くと日本語だと長くなる。という・・・「お釈迦様はこのようにおっしゃっていた」・・・これが如是我聞(にょぜがもん)という具合だ。
帰りの空港で同級生に会った、それはいいが鹿児島での検査には、いささか飛行機の旅が嫌いになりそうだった。
預けるリュックの中のガスが見つかり指摘され、やむなく廃棄。
今度は手荷物の中に鉛筆を削る肥後ナイフ発覚、いつもは預け荷物に入れるのだがうっかりしていた。警察官まで呼ぶ騒ぎ、預けろというので外に出て預り所に行くと高校生の集団50人くらい並んでいる・・・クソッ!ナイフはごみ箱に捨て再度入ろうとすると、手続きですったもんだ、そして鞄の中のガスライター、マッチ発覚・・・すべて放棄。
こんなこと初めてだ。
我が家に着いたのは8時くらいだった。
今回の行程
10/31(金)
大分空港に飛びレンタカーで「青の洞門」に向かう、小学時代本で知りずっと心に残っていた、こんな所だったとは!
夜は近くの道の駅、隣が立ち寄り湯で快適だった、車中泊
車は軽のワゴン車で思った通りの車だったが、やはり窓がスケスケナノはちょっと落ち着かない。
11/1 (土)
日田市観光、天領の地を観光、その後久住の長者原に向かう、夜は登山口の牧の戸のPに泊まろうと食事はじめたがあまりのガスと人気のなさでさびしく、ワイン飲んでからだったが長者原に戻った、車中泊
11/2 (日)
天気は回復方向なので濃いガスの中、牧の戸から久住を目指す、2時間20分で頂上に着くも強い風とガスで視界10m
法華院まで2時間、昼頃着いた。
宿は当初大部屋の予定だったが個室が空いたのでと6条に一人の個室。温泉良し。
宿を入れた絵を描いた。
11/3 (月)
法華院8時出発10時長者原着、バスで牧の戸へ、バスで一緒になったおじさんに聞いた阿蘇のカッコよく見えるところ大観峰へ向かう、途中久住を描いたがどの山が久住か???
阿蘇は車中から描いた、ただ北側なので逆光なのが少し気に入らなかった
夜は道の駅と思って着いたらpはあるのだが肉屋だった。とりあえず温泉に入り、さらに車を進めようとしたが温泉でそれとなく聞いたら駐車場泊まり「どうぞどうぞ」ということで厄介になった、しかし寒かった。
11/4 (火)
噴火口の中の朝、畑は霜で真っ白だった、寒いはずだ。
噴火口から抜けるにはトンネルを10個くらい抜けた、祖母山登山口まで行き少し登れば山が見えるかと30分ほど登ったが期待できず、引き返した。
少し離れたところに素晴らしい場所があった、遠いが久住も阿蘇も見え、祖母はちょうどいいポジションだった。
描いてると夫婦連れが来て、しばらく話す「私はこの地で育ち都会に出ていたが早期退職で帰ってきた・・・・」気を許して話していると「・・・実は私たちはエホバの聖人の普及活動で・・・・」始まった、しかしあまりしつこくなくほっとした。
熊本駅近くで車を返却、駅近くのビジネスホテルへ、食事は市電で熊本城近くの繁華街へ、帰って洗濯をした。
11/5 (水)
前から気になっていた田原坂に行った、朝一番だったので手ぐすねひいた説明おじさん説明員に捕まった、最初は疎ましいと思っていたが、話が弾み「もし薩摩が勝ち進んでいたら・・・」などと話しながら2時間近くいた、おじさんは外の景色を指さしながら「あの山の頂上に薩摩軍、こちらに官軍・・・・・」などとまるで居合わせたようにリアルに話してくれた。
熊本城へ向かう、1時間ほどでf2にスケッチだけした。
祐子さんと駅で待ち合わせ、55年ぶりの再会だった、まず握手をしたが、やはり70年生きた手だった、鹿児島までの1時間弱はあっという間に過ぎ、皆と合流。
鹿児島中央駅5分もかからないホテルタイセイアネックスでの同窓会はてんやわんやの大騒ぎ、歌も歌いたかったが話に夢中でスキいる余地なし。
2次会は行かず、おとなしく希望した個室で就寝。しかし朝のコーヒーがきいたか興奮か熟睡できず。
11/6 (木)
屋久島2日の予定だったが、天気の都合でこの日はレンタカーで霧島へ、大浪池まで登り韓国岳を描いた。
夜はフェリー乗り場近くのビジネスホテルへ、鹿児島の銀座、天文館に近いが一人では行く気もせず部屋でコンビニ食。
11/7 (金)
朝一番の水中翼船トッピーで屋久島へ、開門岳を堪能して、宮之浦に着いてレンタカーで白谷雲水峽まで登ったが山は見えず、無難と思われた永田まで行き「永田岳」を描いた。
忙しかった、トッピーは早いが、45年前の船酔いの刷り込みが浮かび、ちょっと気分が怪しくなったがなんとか指宿まで持ちこたえた。
宿は民宿みたいなビジネスホテルみたいな、砂むし温泉の前だった、飲み屋が受付なのだが無愛想な姉さんというかおばさんというかだった、温泉は砂むしで風呂のみにした。
11/8 (土)
レンタカーを借り、開聞岳を描くべく、長崎鼻までいったが、天気が持ちそうなので故郷に一番近い番所鼻に向けて走った、伊能忠敬が絶景とほめた番所鼻は周辺が整備され、客もたくさん来ていた。
昼ごろまで描き、脳血栓で入院している姉の有村病院?まで、姉からあまりいい話はなかった
そのあとお墓にゆき、買った花をめったり掃除して、新牧へ向かった。
お墓に行ったり、集落を散歩してたら小磯信男君の弟と話をしたり、夜は直志さんとこで食事、本宅で就寝。
11/9 (日)
今回の二つの用事の最後、母の3年忌だった、滞りなく執り行えたものの、意味のわからない漢文のお経を1時間も聞かされたのにはうんざり、後で坊さんに何故日本語にしなかったのでしょう」と聞くと長くなるからと。
すべてのスケジュールを終え、2時ころ出発
空港で正子さんに会った、それはよかったが検査ではザックの中のガス、手荷物のナイフ、ライター、出入りの問題と次から次にトラブった。自分のミスもあったがこんなこと初めて、飛行機嫌いになりそう。
以上、9泊10日、車中3泊、宿5泊、池田屋1泊の旅、百名山編は完璧にこなせた。
レンタカーは大分、鹿児島、屋久島、指宿と4回借りた、体の疲れは全くなし

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