哀れハクチョウの鉛中毒
「江戸時代、大奥の美女も患った鉛中毒」
どんな動物でも病に侵された姿を見るのは心が痛むものです。中でも、鉛の毒で体が蝕まれ、弱ったハクチョウは余計に哀れに思えたものです。
春の風とともに、元気な仲間たちは北に帰る準備が始まります。気持ちも高ぶっているのでしょう、翼をばたつかせ、群れの中をハシャギまわっています。この時、毒にやられたハクチョウは、少し離れたところで首をうなだれ、苦しみに耐えています。
仲間のハクチョウは、何とか一緒に飛び立てるように励ますのですが、衰弱した体では無理なのです。そのことは、病んでいるハクチョウが良く分かっています。例え飛び立っても5キロも飛べば力がつきます。
子供のハクチョウの場合は更に哀れです。親のハクチョウが寄り添い、励ましているのですが、春の風に乗って仲間のハクチョウもしだいに飛び立って行ききます。とても無理と判断した親鳥は「クアー クアー」と甲高い声で別れを告げ、いままでの連理の翼を断ち切り北に向かって飛立ちます。その時の親鳥の心の中を思うと辛くなるのです。
ハクチョウが鉛中毒になるのは、餌と一緒に鉛の散弾やつり用の鉛を飲み込み、胃(筋胃)から血液に吸収されて発症するからです。
なお、時として心ない人によって、銃撃を受けることがあります。このときも鉛の弾が体内に入ります。多くのものは、手術によって銃弾を取り除きますが、どうしても取れないものもあり、体内に銃弾が残ることもありますが、この場合は鉛中毒の心配がありません。今までにも、銃弾を体内に残した猛禽類やハクチョウ、カモなどを治療し、野生に戻していますが、食欲などに異常が認められていません。
日本でのハクチョウの鉛中毒は、1989年に北海道で確認されております。
また、岩手県においては、1996年(平成8年)2月に北上市で確認されております。その後、1999年頃から多発の傾向が見られております。
ちなみに、1999年度における鉛中毒の治療を行った羽数は「15羽」、2000年度には「6羽」、2001年度に「1羽」となっておりますが、野外での発生は、これの何倍かになると思われます。
なお、野外での鉛中毒の発生状況について、「胆沢町地域」での調査を行っております。
調査月日; 2000年93月9日
調査地点; 胆沢町3地点
調査時の羽数; 470羽
鉛中毒の疑い; 27羽
飛来日から現在までの死亡 18羽
となっています。
発病の機序は、
a 体内に入った鉛の粒は、鳥類の独特の器官である筋胃に送り込まれ,筋胃の低い
Phと、機械的消化作用により急速に溶解します。
b 筋胃から吸収された鉛は、肝・腎・筋肉に沈着し、血中に移行します。
c 鉛はカルシウムと拮抗して末梢神経(特に迷走神経)などの機能不全を起こ し、消化管の機能障害、腺胃の拡張、麻痺を起こします。
d なお、アヒルでの散弾粒の消長の調査では、「平均22日で]腺写真で消失し ている。
臨床所見として、
a 緑色の下痢便を排泄。
b 神経系の障害・筋肉の麻痺。
c その他、食欲の廃絶、衰弱、胸筋の非薄化、貧血
治療法としては、
a 「 Ca-EDTA」による治療が有効とされている。ただし、野生の動物は、早 期の発見が困難であり、さらに捕獲の必要もあり、手遅れになりやすい。
ハクチョウなど、水禽類のほかにも鉛中毒が発生します。手負いのキジ、ヤマドリ,シカなどが銃弾によって死亡したものを猛禽類が食べて鉛の中毒になることがある。たとえ死亡しなくても繁殖の成績が極端に減少する危険性を持っています。
人間での鉛中毒は、おしろいを通しての中毒が有名な話となっています。
ことの始まりは、16世紀に、鉛の薄板に酢を作用させて簡単に鉛の白粉を作る方法が中国から伝来したことによります。これによって今まで高価な白粉も安く、大量に作られるようになりました。
江戸時代になって、白粉による鉛中毒が深刻になっています。将軍の乳母たちは、鉛を含んだ白粉を使い、顔から首筋、胸から背中にかけて広く、厚く塗ったようです。抱かれた乳幼児は乳房を通して鉛入りの白粉を舐め、鉛が体内に吸収されて行きました。
このため痙攣性麻痺、知的障害などの症状が現れたようです。また、世継ぎの子供が育たないで死亡したり、毒によって子供が出来なくなったり、そのために大奥には多くの女性が必要だったとする説もあるようです。
安く手に入る白粉は、歌舞伎役者、花魁などにも広まりました。鉛中毒は一般庶民にも広がりを見せたようです。白粉の機能も良いため体に悪いことを知りながら使ったものも居たと言われております。
鉛を使用した白粉が、製造中止になったのは、1934年のことです。

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