ニホンカモシカとニホンシカの子育て(そのー1)
「親の後を追従するニホンカモシカの赤ちゃん」
野生の動物との「ニアミス」が増えています。
一つは「林道」などが整備され、自動車などでかなりの奥山まで、人が「入り易く」なっています。
また、このこととも関連があるのかも知れませんが、「野生動物」が「人間の居住域」にまで下りて来ていることも「出会い」を多くしているようです。
卑近な事例ですが、 我が家の目の前には「水田と畑」、それに「数個の家々」が立ち並ぶ「極めて平凡な」田園地帯です。そして、我が家の後ろの方は、緩い傾斜が続き、後ろの「山々」へと連なっています。
この「平凡な田園地帯」から、「数十b」も「傾斜」を登り山手に行きますと、そこは「野生動物の生息圏」との「境界が存在」しているらしいのです。
強いて「境界線」を描くなら、家の後方を流れる「農業用の水路」であり、すぐ近くを通っている「東北高速道」が境界のように思えます。なにしろ、その道路の基礎である「土手」は幅が広くいろんな野草が生い茂っています。そのうえ「土手」には「人の立ち入り」を阻止するための「ネットの柵」が造られていますから、野生動物にとっては「格好」の餌場になったり、移動のための通路として利用したりしているようです。
つい数日前にも「水路」に沿って「子供のクマがモコモコ歩いていたり」、
土手では、時々ですが「ニホンカモシカ」が草を「食んで」いる光景が見られたりします。
このように、人間と野生動物との境界が接近した結果として、野生動物による加害が起こっています。
我が家の周辺では「クマ」による「トーモロコシ」の「食害」と、被害とまでは言えないのですが、小学校に通学する児童たちが「カランカラン」と「クマ鈴」を鳴らしながら、適度な「緊張感」を持って・・・「集団登校」しています。
そうした一方で、「野生動物」の「赤ん坊」が「保護」されることがあります。
多くの事例が「親からはぐれた」から、「親がいなかったから」との理由で山から「連れてくる」のですが、
「この行為は『保護』ではなくて『拉致』」なのです。
子を失った「動物の親」は「死にもの狂い」で「吾が子」を探します。これはどんな動物にも共通です。放牧された牛、人に飼育されている犬や猫でもおなじです。
山から「連れ出さない限り、ほんのささやかな鳴き声」などをたよりに探し出すのですが、「可愛そう」の「誤った感情」によって「域外」につれだされたものは探しようがないのです。
次に、私の知る「拉致」のパターンを連ねますと、
「渓流釣りに行ったら小グマがいたから連れて来た。どうすればいいですか」。
「山菜取りに行ったら小グマがいたから連れてきた。親もいたが、親の目を盗んで連れてきた。どうすればいいですか」。
(売れるものと勘違いしたのかな)。
「可愛いカモシカの子がいたから孫に見せたくてつれてきた。数日アツカッタ(飼育した)が、牛乳も飲まないで弱ってきた、どうすればいい」。
「山菜取りに山に行ったら、コンクリートの側溝に落ちていたので連れてきた」。
(プロの山菜取り夫婦のご様子。「山に返して」はと言ったらご夫婦二人で烈火のごとく怒り、何を言っても、「良いことをしたのに怒られたとか、自然保護がどうしたとか」散々まくし立てられたっけ)。
本当に保護の必要があった事例は、
「親が鉄砲で殺され、『小グマ』は何日か『飲まず食わず』だ保護してほしい」。
と言う事例だけでした。
この「子グマ」も「極度の衰弱で骨と皮だけ、治療の甲斐なく死んでしまいました。
さらに、
「これは親に返してやるのが、一番幸せです。持ってきた場所に返してください」。
と言えば、
「そんな可愛そうなことは出来ない」。
などと「自分の行為が一番正しいだ」とばかりに、「怒り出す人」もいます。
「哺乳中」の「動物の人工飼育」は多くの困難が伴います。
さらに、たとえ助かって「成長」したとしても生まれ故郷の「自然」に帰すことが難しくなります。
かって、「カモシカの子」が「保護(拉致)」されてきました。「乳のみ」の状態から育て、厳しい冬を越し「翌年」に「多摩動物園」に引き取られて行きました。「多摩動物園」では「小雪」と「命名」されたいましたが、その後「子供を出産した」とのことでした。これなどは「極めて稀有」な事例に属します。
「保護」と言う「名のもと」に「山から連れ出された幼獣は、ことごとく可愛そうな運命が待っている」ことをお伝えしたいと思います。
さて先日のことですが、「ニホンカモシカ」の「親子」の行動をマジかで見る機会がありました。「カモシカの赤ん坊の生態」など、なるほどと思える行動も観察できましたので簡単に紹介します。
「高速道」の「土手」に、1頭の「ニホンカモシカ」がいました。それが「立ち止まった」まま「ジッ」とこちらの方を見ているのです。
何時もの「カモシカ」であれば、人の姿を見ても平然として「草を食べて」いるのですが、今日の「カモシカ」は違っていました。
それもそのはず、親の「カモシカ」の足元には「子供のカモシカ」がいたのです。「親子連れ」の動物は、極めて神経質で警戒感が強いため、「奥の山」の静かな場所で「子育て」をしているはずですが、自動車の音やら、時には「人の姿」も見えるところに「赤ん坊」をつれて現れるのはとても珍しいことです。
あるいは、「親のカモシカ」は、高い柵で仕切られた「土手」を、経験的に「安全」と判断してのことかも知れません。
どうやら生後1ヶ月くらいの「赤ん坊」です。親のカモシカは「ピクリ」ともしないで「固まった状態」で私の方に「鋭い視線」を送ります。
子供の「カモシカ」も「親の真似をして」ほんの少しだけ「動きを止めて」私の姿を見ていたようでしたが、あまり「関心」がないと見えて親の周りを動き回ったり、親に体を擦り付けたりしています。
「カモシカ」と「私」との緊張感がしばらく続きました。
突然、「プシュ、プシュウ」と言う「威嚇音」を残し「カモシカ」は動き始めました。
「子供のカモシカ」も親の「後ろ脚」に寄り添いながら、必死になって親を「追いかけて」行きました。
「ニホンカモシカ」の生態は、集団を作らずに単独で一定の「テリトリー」を持って生活しています。
春の5月から6月に「お産」をし、1年間の子育てが終われば、「子供のカモシカ」を「自分のテリトリー」から追い出すと言われています。
子供との1年間は、「哺乳」に始まり「生きるための教育の期間」のようです。
「警戒心」の全くない「子」に対し「警戒心」を植え付け、野生の動物として生きる術を植えつけているように思えます。
なお、親の後を追う(追従)の「習性」は生まれつきのものであり、「生後間もない頃」には「動くもの」に対し「敏感」に反応しているように思われます。
そして、この「習性」が、「人間」との「ニアミス」が起こったときに、「親から離れる」きっかけになっているようにも思えます。
「親のカモシカ」は「警戒心」のために動きを止める。
「子供のカモシカ」は「忙しく動き」まわり、さらに「動くもの」に引き付けられてしまう。
「草丈」程度の「子供のカモシカ」の「視野」では「足元」を見るのが「ヤット」です。「親」だと思って「必死」になって「付いていった」のが「人間」であり「知識」のある人であれば、
「親に帰れ」。
の一言で追い返されます。
これが「無知無能(スミマセン)」の人間の「手」に掛かると「可愛そう」の一言で「地獄」が待っていることになります。
「山菜取り、釣り、レジャー」などで山に入る人々にお願いします。
「クマ、カモシカ、シカなどの幼獣」、「小鳥のヒナ」に「遭遇」しても「ソッ」として置いてください。
失礼ですが、
「あなたより立派な親が、付いている可能性がありますから」。(スミマセン)

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