キャンバスの夢物語
「『Fado』の恋」
久しぶりに母校の大学を訪れました。
昔の面影が消えうせて、灰色のコンクリートの建物が無機的に並んでいました。
私達の学んだ校舎は木造でした。
「カーキ色の壁に、柱と梁の部分を、薄い紫の色で縁取りした感じのものでした。
歩くと「ギシギシ」音がしたのですが、それでも、中庭の「桜の木」の下に「寝転び」ながらその建物を眺めていますと、その色合いが「不思議」なことに、「童話」に出てくる「建物」でも見ている感じになったものです。
ここが「微生物の研究室」、その隣が「解剖学」、廊下を挟んで「生理学」・・。その向かいに「家畜病院」・・・。
かっての建物の「痕跡」をたどって散策していますと、数本の「ユリノキ」が目に付きました。
たしか、「ドイツに留学された先生が、記念に植樹されたとか・・・」。
「この木だけは昔の通りだ」。
私は、少し離れた芝生からその姿を眺めていました。
その木の下では、各地から集まってきた「若き群像達」の、「十人十色」の青春の「生きざま」が蘇えって来るようでした。
「サァーちゃん、サァーちゃん、起きろよ」。
誰かが私の肩をゆすっています。
「ちゃん」付けで呼ぶのは、その当時の親しい「仲間の間」での呼び方でした。
私は「薄目」を開けて見上げました。
そこには「薄汚れた白衣」を来た「弘ちゃん」が立っていました。「丸顔」に「丸い黒淵」の眼鏡です。脇には、何時ものように分厚い「病理」の本を抱えています。
どうやら、私は、ユリノキを眺めているうちに眠ってしまいました。
そして目が覚めた時には、遠い昔の夏の日に戻ってしまったようです。
目の前に立っている「弘ちゃん」は「病理学」を専攻していますから、研究室からの帰りかもしれません。
「夏の休暇」の時期ですから、多くの学生は「郷里」に帰っています。
「弘ちゃん」の出身は茨城でした。
「茨城の田舎ッぺだ」。
「弘ちゃん」の口癖です。
夏休みを返上して、居残りで「研究」の続きをしているようです。
茨城の「田舎」では、親父が「牛飼い」をしながら「町会議員」を何期も勤めているとのことでした。謂わば、地方の名士といったところのようです。
「弘ちゃん」が「盛岡の大学」に来たのも、町の「家畜診療所」の獣医不足を補うためでした。
ですから、「弘ちゃん」も「大学」を卒業すれば、町の「家畜診療所」の勤務が待っているのです。
「サァちゃん、ハ、ハ、ハ、話を聞いてくれよ」。
「弘ちゃん」は、緊張すると「舌」の回転が悪くなります。
「夕べナ、オ、オ、俺、『巴里野郎』に行ったのサ・・・・・」。
「巴里野郎」と言うのは「本町」にある「喫茶店」です。
名前からも察せられるように、「シャンソン」を専門に聞かせてくれるところでした。
「昭和20年」の終わりに近い頃ですから、いろんな外国の文化が押し寄せて来た頃です。特に音楽の世界は、あらゆる「ジャンル」のものが「鳴り響いて」いました。
「クラシック」に始まり、「ジャズ」、「ラテン」、「カントリーウエスタン」、「シャンソン」、そして「ペレスプラードのマンボ」なども「流行」だしたころです。 学生たちは「ジャズだ」、「ウエスタンだ」、「シャンソンだ」などと、自分の贔屓の音楽について「熱っぽく」語り合っていたものです。
「弘ちゃん」は「シャンソン派」でした。
その当時の「シャンソン」は、
「恐怖の代償」の「イブ・モンタン」。
「暗い日曜日」の「ダミア・クレ−ル」などでした。
「フランス語」で語りかける「シャンソン」は、少し小難しい「ジャンル」の音楽でした。
誰もが好きという訳にも行かず、
「『インテリタイプ』の『優男』が好む音楽だ」。
と評する学生もいました。そのうえ、「シャンソン派」の学生と来たら、「どうでもいいようなこと」を習ったばかりの「フランス語」を交えて、長々と語り合っていたものです。
「弘ちゃん」は「優男」でもなく「インテリタイプの男」でもないのですが、大の「シャンソン」好きでした。
ましてや「外国語」も、「ドイツ語」を選択していますから「フランス語」は何一つ分りません。
それでも、暇を見つけては「巴里野郎」に通っていたようです。
「病理の研究生」に言わせると「シャンソン」にかこつけて、
「『巴里野郎』の『ママ』に『一目ぼれ』なのさ」。
というのが本音らしいのです。
「ユ、ユ、夕べナ、『巴里野郎』の『サッちゃん』が家まで送って呉れって言うからさ、送って行ったんだ・・・」。
「サッちゃん」とは、「巴里野郎」に勤めている「女の子」です。
高校を卒業してすぐの勤めであり、「おかっぱ」の髪が似合う女の子です。
笑うと右の口元に「八重歯」が覗きます。
小柄な身体ですが、少し吊り上った眉に「勝気」さが見て取れる顔立ちでした。
「誰に似ているか」と言われますと、この後に映画になった、「機関銃『バババン』」で有名な「セーラー服と機関銃」の「薬師丸ひろ子」が一番近い感じでした。
「アレ、弘ちゃんのお目当てはママじゃなかったけ」。
「ソ、ソ、ソ、それはそうだけど、ママは難しいだろー、ダ、ダ、だから『サッちゃん』でも良いかと思ってさ」。
「弘ちゃん」の話しによりますと、
二人は、夜の盛岡を散策し「雫石川」の土手まで歩いたそうです。
そして、長い時間、雫石川の草ムラにすわり語り合った来たのだとか。
「俺、実は、メッチェンと二人だけで話したのは始めてなんだ。高校も男子だけだったしな・・だから楽しかったよ」。
このことは、
「恥ずかしいから絶対秘密だから」。
と何度も念をおされたものでした。
なお、「メッチェン」とは「ドイツ語」で「娘」という意味です。その当時の大学生は「女性」に対し「メッチェン」と言っていたものです。
さらに、自分の「彼女」とか「恋人」も「俺の『メッチェン』が・・」といったように使っていました。なお、今では、「死語」になっているようです。
「話しが変わるけどさ、今度、『ペレスプラード』を聞かせる店に案内してくれよ」。
「どうして、『シャンソン』から趣旨変えか」。
「いや、ボクは『シャンソン』が好きさ、『サッちゃん』が『ペレスプラードのマンボ』を聞きたいと言うからさ」。
その当時は、「ペレスプラード」の「セレソローサ」や「マンボ・ナンバー5」などの強烈なリズムが、一部の学生達の人気の的でした。また、「乗馬部」や、「その他の部」が開催する「ダンスパーティー」などでも、「マンボ」が人気になっていたものです。
ましてや「サッちゃん」の勤めている「巴里野郎」は、「シャンソン」で売り出している店です。そんなところで、「トランぺット」の爆裂音を響かせる訳には行かないのです。
そんなことから、「サイセリア」を案内したことがありました。
「サイセリア」は、大通りにある「高級な感じの喫茶店」で、「ラテン」が得意な喫茶店でした。そのうえ、音響装置が素晴らしく、東北一などと言われていました。「ラテン」音楽の好きな学生の「溜まり場」にもなっていたものです。
「『シャンソン』もいいけど『ラテン』もいいよな」。
「ペレスプラード」の強烈な「リズム」を「仲立ち」にして、二人の付き合いが始まったようでした。
「妹だ」。
と言って大学祭にも連れて来たこともありました。
そして、「クリスマス」が近づき、町が騒がしくなっていた頃のことです。
「サァちゃん、話を聞いてくれないか」。
「度の強い眼鏡」を指で持ち上げながら、「真剣な顔」で話しかけてきました。
「俺さ、病理の研究生として盛岡に残りたいんだ。『サッちゃん』のこともあるしさ」。
「だけど、弘ちゃんは、町の診療所が待っているんだろ」。
「うん、だけど先輩に話して、少し待ってもらおうと思ってるんだ」。
「それで、親の方はどうなのよ」。
「盛岡に残りたいと言ったら親父がえらく怒ってさ、田舎の議員だから、診療所の獣医の増員を農家と約束しているとかで、勘当ものだよ・・・・」。
どうやら「弘ちゃん」は「サッちゃん」を「恋し」、そのうえ、密かに「結婚」まで考えているらしいのです。
そういえば「診療所」の石岡先輩も盛岡の「娘さんと」と大恋愛の末に、郷里の茨城に連れて帰り「結婚」したとのことでした。
このことが、学生の間でもえらく評判になったものです。
「弘ちゃん」もまた、石岡先輩のように「サッちゃん」を郷里に連れて帰るつもりのようでした。
それから数ヶ月経過した頃です。
「『サァちゃん』、新しい『喫茶店』を案内しようか、『アマリア・ロドリゲスのFado(ファド)』がいいんだ」。
「『巴里野郎』じゃなくてか・・」。
「ウン「巴里野郎』はもういいんだ」。
その「喫茶店」というのは、「大通り」の「ル・モンド」でした。
「店内」には、「アマリア・ロドリゲス」の「暗いはしけ」が、「沈鬱な雰意気」とともに「流れて」いました。
椅子に腰を下ろした「弘ちゃん」は、
「オ、オ、俺、サッちゃんを誤解していたらしいんだ」。
「誤解・・・」。
「うん、この前、クリスマスの頃にさ、『サッちゃん』に会った時に、研究室に残る話しをしたさ・・・」。
「そしたら・・『サッちゃん』なんて言った・・」。
「『サッちゃん』はさ・・ボクとの付き合いは『そんな気持ちじゃなくて、高校を卒業したばかりだし、お兄さんのような気持ちだった・・そんな考えならもう付き合えない・・サヨナラ・・』だってさ、俺・・女の子の気持ち分らないじゃん・・勘違いだったのサ・・・」。
「ところで『Fado(ファド)」って「運命とか宿命」と言う意味だってさ」。
フランス生まれの「シャンソン」、「ペレスプラード」の「マンボ」とともに、「ポルトガル」の首都リスボンで生まれた「アマリア・ロドリゲス」による、「Fado(ファド)」が、「密かなブーム」となっていたものでした。
「ポルトガル語」ですから何を歌っているのか分らないのですが、「ジプシー」の旋律に近い響きは、何故か日本人の心を引き付けるものがありました。
「サッちゃん」がさよならの時に言ってたよ」。
「弘ちゃん」のキャンパスでの独りよがりの恋は、このようにして終わったのです。

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