野宿の愉しみ
「十和田湖のヒメマス釣り(そのー1)」
好きな釣り場の一つに、「十和田湖」があります。
しかも、ここでの釣りは「船」での「ヒメマス」釣りに限ります。
周りは「ブナ」の原生林で囲まれ、湖水はどこまでも透き通っています。浅場では、湖底に沈む小石を美しく映しだしています。そして、深いところは「濃いブルー」に染まり「得体」の知れない「不気味さ」さえ湛えています。
このようなところで「一人」で静かに「釣り」をするのですから、「釣り冥利」に尽きると言うものです。
さらに、釣り上げた「ヒメマス」の美しいこと、「銀色に輝く魚体」と「黒く大きい目」。「淡水魚」らしからぬ「美しさ」です。
そして、「ヒメマス」の美味しさも大きな魅力なのです。
「切り身」は「鮮やかな紅色」。
身には、「適度に脂」が乗っています。
「刺身」も「美味」。
「塩焼き」も絶品なのです。
このような訳で、「十和田湖」には、「ヒメマス」以外にも「コイ」や「サクラマス」などが生息していますが、私が「釣り」の対象にしたのは「ヒメマス」だけでした。
「十和田湖」の「ヒメマス」釣りを紹介してくれたのは、「大学時代」の友人である「Kさん」でした。
大学を卒業して、秋田県に「勤務」した「Kさん」が、
「秋田には、いい釣り場があるぜ、一度来て見ろや」。
そんなことから、「釣り宿」である「招仙閣」を紹介されたものでした。
「招仙閣」は「銀山」にある「民宿」です。
「発荷峠」を越えて、「湖面」を左に行ったところに「銀山」があり、招仙閣があります。
「銀山」を過ぎて少し行きますと、「ブナの原生林」が広がり、その中に「キャンプ場」などもあります。
「Kさん」に紹介されたのは「1970年台」ですから、「30年以上」も前になります。
その頃は、「招仙閣」の「おじいさん」も元気な頃でした。
この「おじいさん」は「盛岡の出身」と言うことで、「盛岡から来た」と言うだけで何かと気が合ったものでした。夜遅くまで「釣りの話」、「昔の話」など聞かせていただいたものでした。
勿論、「ヒメマス」釣りの「仕掛け」なども、「おじいさん」の手作りによるものでした。
その息子さんが「民宿」のご主人なのですが、「民宿経営」は「奥さん」の仕事のようでした。
ご主人は、「網による漁業」が専門のようでした。 毎日近くの「漁場」に行き網を引き上げているようでした。さらに、日中は「十和田湖の漁業権組合」の「監視員」として、「モーターボート」で湖面を巡回して「入漁券」を発行していました。
ヒメマスの解禁は、「4月から6月」、「7月」に「20日」程度、それに「10月」から「12月」までの年に「三回」程度と記憶しております。また、この解禁の日だけは、何が何でも「時間」を確保して出かけたものでした。
釣りの仕掛けは、「原始的」なものでした。
宿の「おじいさん」の手作りの「仕掛け」は、「マス針」に「赤い布」を巻きつけた「擬餌針」を、道糸に「7から8本」付けたものでした。その「仕掛け」は、「ワカサギ釣り」の「仕掛け」を「大形」にしたものと同じでした。
「錘」は25号、「針」が10号、「ハリス」が1号、「道糸」が2から3号のものを50メートル。
これを、「太さが8センチ」、長さが「30センチ」くらいの「桐の木」の「丸太」に結び付けたものでした。いわば、「三陸海岸」で行われている、「テンテン仕掛け」に似た方式でした。
「ヒメマス」の釣りは早朝になります。
「三時頃」には起き出して「釣りの仕掛け」を「セット」します。
「セット」が終わり次第、船で「目的の場所」に移動します。
「ヒメマス」の遊泳している水深は、おおよそ「12尋から14尋」の深さでした。
ここに、「赤い布」の付いた「針」を「7から8本」付けた仕掛けを沈めます。
「桐の木」に巻きつけた「道糸」がを「固定」して、この「桐の丸太」を「船べり」に「吊り下げ」て当たりを待ちます。
「ヒメマス」の「当たり」がありますと、「桐の丸太」が「カタッ」と音がして「船べり」から落ちます。
普通の魚であれば「釣れた瞬間」に糸を下に「引き込み」ますが、「ヒメマス」の当たりは「針」を銜えて「浮き上がる」ような「行動」をとります。ですから「糸ふけ」が生じて「宙吊り」の「桐の丸太」が「船べり」から落ちるのです。
一日の「ヒメマス」の制限匹数が「20匹」と決められていました。上手い釣り師であれば「アッ」と言う間に釣ってしまったものです。
このような「十和田湖」での「ヒメマス」釣りは、「思いがけない人」との交流も生まれたものでした。
「三沢基地」が近いせいもあって、「アメリカの軍人さん」の家族が「キャンプ」に来ていたものでした。
「銀山」の近くにある「キャンプ場」は「ブナ」の原生林に囲まれ、夏の日など別天地のようでした。
自然とのふれあいが好きな「アメリカの人々がこぞって「キャンプ」に来ていますから、「アメリカの兵隊さん」の専用の「キャンプ場」と勘違いしていたくらいでした。 そんなことから、釣り仲間の会話でも、この「キャンプ場」は「アメリカのキャンプ場」とも言っていました。
このキャンプ場の近くには「良い釣り場」がありました。「キャンプ場の」の脇の方に深場があり、その「深場」に「ヒメマス」の群れが寄ってくる(回遊コース)ことがあったからです。
その群れにうまく当たれば「制限匹数」をイッキに釣る事ができます。
そんなことから、この「キャンプ場」が話題になることがあったのです。
「アメリカのキャンプ場の脇の深場で群れにあったてさ」。
と言ったようにです。
ただしこの場所は、少しでも「油断」をしますと「駆け上がり」の岩場に「錘」を絡めてしまうことがありました。それによって仕掛けを失うこともありました。
盛岡を午後に出発して、「銀山」に到着しますと、夕飯までの時間ボートに乗って糸を垂れることが出来ます。
その日は「アメリカのキャンプ場」前の駆け上がりを狙って見ました。
「回遊」している「ヒメマス」の群れに当たれば、大きい釣りが期待できます。
岩場に「錘」を絡めないように慎重に・・・・。しかし、「チョット」した油断で「仕掛けを底」に「寝かせて」しまいました。
「危ない」。
急いで糸を巻き上げたのですが「何かに絡み付いて」動かなく成りました。
暫らくの間、「糸」を静かに引いて見たり緩めたりしました。
「糸」から伝わる「感触」が「岩場」のものと違っています。力を入れますとすこしですが動くのです。
「海」であれば「昆布」などの海草に絡んだのに似ています。
私は「仕掛け」を犠牲にするしかないと思い「渾身の力」を込めて引っ張りました。
「フッ」と力が抜けて何かが上がって来ました。
どうやら、誰かが沈めた「ヒメマス」の仕掛けが「一式」、私の仕掛けに絡みついて上がって来たのです。私の持っている仕掛けは「これだけ」です。しかも「おじいさん」に夜遅くまでかかって、作って戴いたものです。
「陸」に上がって、仕掛けを広げて丁寧に解くしか方法がないようです。
私は、「アメリカのキャンプ場」の「砂浜」に上がって、仕掛けの「解き方」を始めました。
そこに一人の「外人」が現れたのです。
「どうしました」。
見事な 日本語でした。
その「外人さん」、 しばらく「絡んだ仕掛け」を見ていたのですが、
「チョット待って、この仕掛け、あそこで拾った・・・」。
と駆け上がりの方向を指差します。
「そうです」。
返事の代わりに「大仰」に頷きました。
「これ、私の仕掛けです。私が仕掛けを沈めました・・・ゴメンなさい」。
と「手を合わせ」、私に向かってお辞儀をしました。この動作で「コチコチ」の雰意気が「吹っ飛び」ました。
「イイや、いいですよ・・お互い様ですから」。
「少し待って」。
その外国人は急ぎ足で立ち去りました。
やがて戻ってきた外国人は
「これを使ったら」。
と、新しい「ヒメマス用」の「毛ばり」の仕掛け「一式」を持ってきました。
私が使っている仕掛けとは「雲泥」の差です。「宿」の「おじいさん」の作った「マス針」は「赤い布」を巻きつけただけの「粗末な擬餌針」。外国人の手にしている「毛針」は、「フワフワ」の羽毛に、金属の「反射板」の付いた派手なものでした。
「それと、これがこの前『デンバー』に帰った時に買ってきた『ルアー』だけど使って見て・・十和田のマスに合いそうだから」。
「デンバー」。
私は思わずうなずいていました。
「デンバーを知ってるか」。
「自動車で通っただけ・・・夕日がすごかった」。
「シアトル」からアメリカを横断する途中で、「デンバー」に一泊したことがありました。
その日「宿泊する予定地」が、「デンバー」の郊外の「モーターホテル」でした。
車で移動するアメリカの人々が良く利用するホテルであり、安く泊まれたものでした。
そこのホテルも「10ドル」くらいで「1泊」出来ました。
「食堂」から「バー」、「ダンスホール」までそろった「ホテル」でした。その日は丁度週末であり「ダンス」を楽しみに大勢の人々が泊まりに来ていた感じでした。そのほかにも「モーターボート」を「トレーラー」に乗せて旅行をしている人々も多く見かけたものでした。
その時の夕日が印象に残っていました。
「ホテル」に到着したのが、午後8時だと言うのに「デンバーの夏」はまだ明るく、天も地も、遠くデンバーのビル群も、全てが「赤く」染まっていました。
「デンバーは私の故里です・・田舎です」。
「そうだ、デンバーの郊外でメロンをたでたんですが、すごく美味しかった・・・道路の脇で売っていました」。
「それ、妹かも知れない、妹がメロンを作っているんだ・・・」。
そう言われれば、「道端」の店でメロンを切ってくれた人が、「笑顔の可愛い女の子」でした。
そんなことを思い出しているところに、
「スミマセン・・・旦那が迷惑掛けたそうで」。
日本のご婦人でした。
「十和田湖に、こんなものを沈めて心配していたんです。引き上げていただいて良かったじゃあない」。
手に持ってきた籠には「コーヒー」が入っていました。
「せっかくだから、ゆっくりすればいいのに」。
そのご婦人は笑みを浮かべて話し掛けてくれたのですが、「十和田湖」の湖面は赤から、夕暮れの色に染まっています。
こんな時に一人でボートを漕いでいますと、湖面から「恐怖感」が襲って来ることがあります。
「宿」では「親父」が心配します。
「アメリカ人」のご夫婦に別れを告げてボートをこぎだしました。
「三沢にも、いい釣り場があるから、今度、三沢に来て見て」。
「いつか三沢にも行ってみよう」。
ボートの中で、「アメリカの兵隊さん」の連絡先をシッカリと認めなおしていました。

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