百一物語
「『七つの大罪』とチーズ」
久しぶりに「下桜の百一さん」から、往診の依頼がありました。
「マダム(牛の名前です)の調子が良くないようだ」
とのことです。
「マダム」は、おおよそ60日前に「お産」をしたのですが、「お産」の時にすこし「時間」が掛かりすぎたのが気になっていました。
「美味いチーズもあるからよ・・早めに来い」
との伝言まで添えて。
幸い「マダム」の方は、「卵巣」に作られつつある「卵胞」の発育が少し遅れただけ、「子宮内膜」などに「炎症」もない様子でした。
間もなく正常に戻るはずです。
診察が終わりますと、何時もの「意見交換会」が始まります。
この日は「チーズ」の話題でした。
「今日はな、珍しいチーズが送られてきてるんだ・・カーちゃんあれ持ってコ・・」
「下桜の百一さん」の「チーズ」好きは有名です。
「『チーズ』こそ神様が人間に与えてくれた『至福』の食べ物だ」
と信じているのです。
ですから、「百一さん」の「至福のひと時」というのは、「パン」の上に「厚めのチーズ」を乗せて焼き上げた、熱々の「チーズトースト」を頬張るときです。
これに香りの良い一杯の「コーヒー」があれば最高です。
ただし、「チーズ」はどうしても
「ナチュラルでなければだめだナ・・・香りが違う」
とのことですから、かなりの懲りようです。
さて、「百一さん」が「チーズ」に懲り始めたのは、「フランス映画」の「七つの大罪」を観てからのようです。
盛岡の街で、何気なく観た映画が「フランス映画」であり、その画面に「チーズ」を「頬張る場面」が出て来たのです。
その場面と言うのが、「大いなる誘惑」にもめげずに、好物の「チーズ」を「武者ぶり」ついている処のようです。
この「映画」を観てから、「百一さん」は「チーズ」のことが頭から離れないのです。
しかし、「百一さん」に言わせれば、
「俺が『チーズ』を詳しく知りたいと思ったのは、映画の所為だけでなくて、俺達の搾った『牛乳』が、『余って』捨てられていることにも関係しているんだ・・ただ、映画がすごく刺激になっただけ・・・」
との言い分になります。
「牛乳余り」と言いますのは、「1975年(昭和50年)頃」から起こり始めた現象です。
「日本での牛乳の消費」は「飲用」が主体でした。しかも「牛乳の食品としての価値」より「清涼飲料」の代わりのような存在でした。ですから、「夏場の天候」によって「牛乳の消費」が左右されたものです。
「暑い夏」には「牛乳の消費」が伸びます。
「気候の悪い夏」は「牛乳」を飲みません。その結果「牛乳の消費」が減り、「牛乳が余る」のです。
そのうえこれに追い討ちをかけたのが、「1965年頃」から始まった「乳製品」の「輸入」でした。安い乳製品の「輸入」が増加したのです。
それでは「余った牛乳」はどうなるのか。
再び利用できないように「赤い色素」を入れて「廃棄処分」でした。
それでも余れば「乳牛」を殺して・・・減らします。
余った牛乳でチーズでも作っては・・・?
とても外国の「チーズ」と価格面で太刀打ちできないのです。
日本の「牛乳」は喉の渇きのために存在し、嗜好品的な存在でした。
「百一さん」は「余った牛乳」はチーズにして「食べよう」と考えているようです。
ですから、「百一さん」の「チーズ」好きというのは、「牛乳の消費」を伸ばす手段を模索しテいるのかもしれません。
目の前に、「パン」とともに、問題の「チーズ」が運ばれて来ました。
その「チーズ」ははかなりの「匂い」を発散していました。
「これが『ナチュラルチーズ』か・・・・・」
初めて見る「チーズ」でした。
「なるほど・・匂う・・・」
大学の畜産実習では、「ナチュラルチーズ」の作り方も勉強し、また、実際に「作ること」もしたものです。
「牛乳」に「レンネット(凝乳酵素)」を注入し、「凝固したカゼイン」を「成型」して「熟成」させるまででした。
残念ながら、出来上がったものの「試食」は「学生」には「及ばず」でした。
この時の先生の話では、「ナチュラルチーズ」は「匂いが強く」日本人には余り向いていない、そこで、日本人向けには、「プロセスチーズ」に加工したもの「流通」させているのが「一般的なことなのだ」、とのことでした。
「百一さん」によりますと、
目の前に置かれた「匂いのするチーズ」は、「ブルーチーズ」の一種で「ブルー・ド・ジェクス」とのことでした。何でも「フランス」の「規模の小さな酪農家」が、「家内工業的」に作った「チーズ」なんだとか。
当然 「生産量」も非常に少なく、
「@貴重なチーズなのだ・・・」
とか、
「だからこの『チーズ』こそ、あのフランス映画『七つの大罪』に出てくる『世にも不可思議なチーズ』に違いない・・(と思うのだ・・確信はないのだが・・?)」
と、(呟きを交えての)熱弁でした。
恐る恐るチーズの塗られた「パン」を手にしました。
「強烈な匂いです」
少し「フランス小噺」が理解出来そうな「匂い」です。
口の中に投げ込む、
「ネットリした感触、僅かに酸味と苦味がある。チーズのウマミというものが口の中に広がる。
「だがチョット『匂い』が無理かな・・・」
「百一さん」は、
「この『匂い』がたまらねべ・・・」
「なるほどこれが『七つの大罪』の時の『チーズ』か・・?」
始めての体験がこのようにして終わり、改めて「七つの大罪」を思い起こしていました。
さて、「フランス映画」の「七つの大罪」ですが、「1950年」に封切されたようです。盛岡では「1955年」頃に上映されたように思います。
ご存知のかたも多いと思いますが、この映画は「オムニバス形式」で作られた映画としてしても話題になったものです。
いまでは「オムニバス形式」の映画なども多くありますが、この当時は珍しいものでした。この「形式」に興味がある人も、「映画」を観に行ったようでした。
「七つの大罪」の「内容」ですが、「七つ」の「独立」した「短編の作品」によって作られたものでした。
そして、「七つの大罪」というのは、「キリスト教」の「教え」のようなもののようで、聖書にも「説いている」とか・・・・。
その「七つの大罪」とは、
「傲慢」・「嫉妬」・「憤怒」・「怠惰」・「強欲」・「暴食」・「色欲」
とのことです。
映画の進行は、「あるお祭りの見世物小屋の場面」から始まります。
その「見世物小屋」では、聖書に説く「七つの大罪」を人形に「仕立て」たものが、横一列に並んでいます。
この人形に向かって、「お客」が手にしている「球」を当てます。「球」が当たりますと人形が倒れます。
「映画」は、倒れた人形の順に「物語」が始まる仕組みになっていました。
さて、「百一さん」が「チーズ」に魅せられた場面ですが、
第一話から始まり、第五話の「おおぐらい」の「罪」の「小作品」でした。
その「くだり」をかいつまんで説明しますと、
「フランス」の田舎での物語りです。
「田舎のお医者さん」が「往診」を依頼されました。
「診療」が終わって帰路に着いたのは、かなり遅くなってのことでした。
運の悪いことに、「車」が「エンコ」してしまったのです。
時間も時間です。あたりは農村地帯、そのうえ暗くなっていました。
「幸いなことに、近くに一軒の農家が見えました。
お医者さんは事情を説明して、「一夜の宿」をお願いしました。
中年のご夫婦は快く承諾してくれました。
家の中に招かれた「お医者さん」は、自家製の「チーズ」をご馳走になったのです。
その「チーズ」の美味いこと、「類いない美味さ」でした。
さて夜も更けて、三人は「ベット」に付くことに成りました。
ところが、「ベット」が一つしかないのです。
「三人」は一つの「ベット」に入ることに成りました。
真ん中に「ご婦人」、その両脇に「亭主」と「田舎医者」です。
「ご亭主」は「べット」に入りますと、昼の疲れか、すぐに「いびきをかい」て眠り込んでしまいました。
さて、「ご婦人」ですが、
「亭主が眠ってしまってよ。亭主は朝まで、目を覚まさないわ・・だから『何でもお好きなこと』をなさっていいわよ・・・」
「田舎の医者」は一瞬ですが
「信じられない」
といった顔になりました
「何をやってもいいんですか・・・」
「ご婦人」は、
「そうよ、お好きなことをなさっていいわ・・」
そう言い放つと「ご婦人」は「田舎医者」の方に顔を向け、少し「にじり寄って」行きました。
そうしますと「田舎の医者は「ベット」から起き上がりました。
「何でも好きなことをしていいんですね」
とご婦人に念をおしました。
「どうぞ・・お好きなように・・・」
期待を込めて囁きました。
ところが、「田舎の医者」の奴、「チーズ」の「熟成室」に入りました。
そして、これはと思う「チーズ」を取り出し、「かぶりつき」始めたのです。
「物語」はここで終わります。
「キリストさま」は、「これこそ人間の大罪」に値する行為と「認めた」ようです。
「百一さん」はこの場面を見て、
「人間の欲望」のうえを行く、「チーズの魅力」に「心をひかれ」てしまいました。
「百一さん」は「人間と酪農」の根源的な「繋がり」に触れた思いでした。
「余った牛乳は捨てるべし」それでもあまれば「牛を殺すべし」。
「日本」の世の中間違っている。
「百一さん」の「チーズ」の「勉強」が始まった「キッカケ」です。

0