牛の炭疸のこと
「夏になれば思い出す・牛の炭疸防疫−1」
本棚の隅に,「捨てるに捨てれない」1冊の「小冊子」があります。
変に目立つ「青い表紙」の薄い冊子ですが,長年連れ添った仲間のようにも思えるからです。
その「小冊子」の表題には、「炭疸防疫資料」と書かれています。
「炭疸」とは、牛など、草を食べて育つ家畜の「急性の伝染病」です。
「炭疸菌」の感染によって発病するのですが,時には「人」にも感染し,感染の仕方によっては「死」に到ることもあります。
このように、「人の命」まで脅かすような伝染病ですから,
もし発生したときには「人の命」は勿論のこと、「派生しておこる経済的な損失」も出来るだけ少なく、そして、「炭疸菌」の拡散を防ぎ消滅させる、このような願いを込めて作られた「小冊子」なのです。
まして、「防疫」の失敗によっては、「社会的な混乱」も起こしかねない「伝染病」ですから、「防疫」に携わる人々にとっては「一時も手放せない代物」となっていたのです。
しかもこの冊子、極めて「ダサい色彩」の表紙を使っています。
何故なら、この「表紙の色」によって、素早くこの「小冊子」の「在り処」が分るように、しかも誰にも真似ができないように、と「際立って」目立つ「青い表紙」の「小冊子」となっているのです。
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さて、この「ダサい色」の「小冊子」を作るきっかけとなったのが、「1965年(昭和40年)」8月に起こった「岩手の炭疸禍」でした。
この時の「事例」は、『全てが後手』に回っていました。
まず、
「牛の炭疸」の発見が遅れたこと、
すでに、「牛」から「人」に「感染」が起こっていたこと、
更に、「炭疸菌」に汚染したものが、かなりの範囲に「撒き散らされた可能性」があること、
などでした。
その「背景」には、「ごく一部の人々」によって、「無知なる行為」が行われていたのです。
「新聞、ラジオ、テレビなど」は、
「無知と貧困が招いた惨事」などと、「岩手の後進性」を揶揄するような記事をかいて、全国に報道したものでした。
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さて「小冊子」の内容ですが、「ひとこと」で言えば、
「炭疸を疑う家畜」の「届け」があった場合の「処置」について詳細に記述されています。
「防疫の手順、連絡先・電話番号、報告の仕方・様式・・」
などなどです。
とりわけ問題になるのが、「乳用牛」で「搾乳」しているような「牛」でした。
具体的な事例で紹介しまと、
「前の晩まで異常がなくて、朝になって飼い付けしようとしたら死んでいた」
と言った事例が良くあったものです。
「搾乳中」の牛であれば「前の晩に搾った牛乳」があるはずです。
もしこの牛が「本物の炭疸」であれば「この牛乳の中に炭疸菌が入っている」可能性があるのです。
しかも、「この汚染した牛乳」が「飲用乳」として「輸送」か、あるいは、「加工」の途中かも知れません。
「乳業関連」に「連絡・通報」のうえ、急いで「処置」する必要があります。
この「小冊子」は、まさに「このために作られた」と言ってもいいくらいです。
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「炭疸菌」が「人」にも「感染」することは、前にも紹介しております。
この「炭疸菌」ですが、「牛」であれば「1個の炭疸菌」でも体内に入りますと「発症」して「致死」させると言われています。
それほどに「強力な毒力」を持っているようです。
これが「人」に「感染した時には・・、
「感染経路」によってその後の「病性」に大きな差があるようです。
「皮膚」から「炭疸菌」が感染したときには、「皮膚」に「病変」を作り「皮膚炭疸」と呼ばれています。
また、「炭疸菌」を空気などとともに吸い込み、「肺」に「病変」を作ったものは「肺炭疸」であり、「食べ物」などとともに「口」から「炭疸菌」が入って、「腸」などに「病変」を作ったものは「腸炭疸」と呼ばれています。
「皮膚感染」以外の、「体内」に「炭疸菌」を取り込んだために「発症」した事例は、「かなり重篤な状態」になると言われていましたが・・
現代の医学ではどうなのか・・。
なお、「岩手の炭疸禍」の時には、幸いなことに「人」は「皮膚炭疸」ですから、重篤な事態は避けられたようです。

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