「赤かぶ」の物語
「赤かぶ検事奮戦記(1月13日)」
辺り一面、白い雪に囲まれる磁器に成りますと,「赤かぶ」の甘酢漬けが美味しくなります。
少し甘酸っぱい味と、「パリっ」とした食感が「ご飯」に良く会うのです。
栽培も極めて粗放です。
ちなみに、いま食べている「赤かぶ」は、「ニンニク」を「収穫」した跡地にを軽く耕し「種」を「ばら撒いた」だけです。
種を播いたあとも・・草に負けないようにしただけ。
それでも寒さがくるころには、いい塩梅の大きさになってくれます。
肥料もやっていませんから、「コブシ」より少し「小さめ」の「かぶ」ですが,その「赤」は濃厚であり,表面の「色つや」も見事なものです。
そのうえ、肉質は「緻密」で「コリコリ」しています。
食べるときには、「かぶ」を適当な大きさ に切って、
「酢」と「砂糖」と「塩」、「水」を加えて「適当」な味に調合します。
この「漬け汁」に「ほんの数日」漬けただけの代物です。
ですから・・「漬け込む」たびに、味が違っています。
「今度のヤツは甘みがすくないナ」
などと、その都度、批判しながら「味わって」います。
ただし「カリカリ感」を味わうためには、少し「漬けて」・・味わうことです。
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さて、この「赤かぶ」ですが・・かっては「救荒作物」だったとか。
いまは亡くなられた、遠野市の「三浦徳蔵氏」によりますと、
「ここいらでは、『やけ畑』には『赤かぶ』を播いたものです」
と言われていました。
「米」の取れない山間地では、「ヒエ」や「アワ」が「主食」でした。
更に、これらの「雑穀」でも、「不作」になることがあったようです。
その時には、「赤かぶ」によって命をつなぐこともあったようです。
「赤かぶ」は「ヒエやアワ」などと同様に「救荒作物」だったのです。
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いま、一部の地域で、「伝統野菜」が見直しされています。
そんな中に「赤かぶ」が地方の特産野菜tとして「息づいて」いるところがあります。
青森県の「筒井かぶ」
岐阜県の「飛騨淦紅かぶ」
福井県の「河内紅かぶ」鳥取県の「米子赤かぶ」
どちらかといえば,
これらの産地は「山間の地」であり、かっては「僻地」などと呼ばれていた地域のように思われます。
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つい細菌のことですが・・・
「テレビの番組」で、「赤かぶ検事奮戦記」なる「ドラマ」が放映されていました。
「物語」の設定は、
「名古屋弁」を駆使する「検事」と、
その娘である「弁護士」が織り成す「ドラマ」です。
さらに、「場所」は「京都」でした。
「赤かぶ」の愛称で親しまれる「検事役」は、「中村梅雀」です。
しからば、何ゆえ「赤かぶ」の愛称を「賜った」のか・・
本人曰く、「赤かぶ」画題の好物だから・・とのことですが
「名古屋弁」を使い、「事件の場所」が「京都」ですから・・「赤かぶ」との「結びつき」が「今ひとつピン」と来ない。
「劇」の中でも、
「『赤かぶ』と『ちりめんじゃこ』があれば何もいらん」
とばかりに、「赤かぶの漬物」と「ちりめんじゃこ」だけで、「お茶漬け」をかき込む」場面があったのですが・・・。
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さて、「その謎は・・」。
この「ドラマ」には長い歴史があったのです。
古くは「1980年から1992年」まで「フランキー境」主演で、
その後は「1994年」からは、「橋爪功」主演で、
、更に、「2009年」から「中村梅雀」の主演によって造られていました。
そして、物語の「主人公」である「柊茂」が、苦労の末に「検事」になり、始めての「赴任地」が「岐阜県の高山市」の「検事」でした。
この地には、「飛騨の高山祭り」とともに「飛騨高山の紅かぶ」があります。
「名古屋」育ちの「主人公」が、「高山の紅かぶ」に出会い、その味に「魅せられた」と言うのが「物語」の中心となっているのです。
何の「変哲」もない「野菜」ですが、田舎者の「ドンくささ」を演出するための、「効果音」のようなものかも知れません。

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