百一物語
「老若男女を集めての性教育、ただし、牛の話」
下桜の「百一さん」から往診を依頼されました。
下桜の「百一さん」と言えば、炉辺に「串に刺したイワシ」を「イワナ」に見せかけ、その前で写真に納まったことで有名です。下桜の集落では「百一じーさん」はやっぱり大したもんだ、と話題になった「じーさん」です。
往診の理由は、「お産した乳牛の発情徴候がはっきりしない」ということでした。
この当時(1960年台)、「酪農経営」が上手く行く条件の一つとして、
「牛の子作りをいかに上手くするか」に掛かっていました。
そのためには、乳牛の「性周期」をキッチリ把握して、適期を逃さずに「種付け(授精)」をすることが大事でした。
勿論そのためには、「健康」な牛作りが基本であり、「適切な栄養と運動」によって「卵巣の機能]を適正に保ち、「ホルモンバランス」を整えることが大事になります。
なお、お断りしておきますが、「言葉使い」も、その当時の酪農家の皆さんとの、会話の通りの表現を使っております。「牛の繁殖」に関連する用語ですから「ご理解」ください。
乳牛が「牛乳を生産する仕組み」は、「妊娠」し、「分娩」して始めて「牛乳」が生産されます。
本来は、「子牛」を育てるために「牛乳を分泌」するのですが、人間がチャカリ横取りしてしまいます。「お産」しますと「子牛」は、親の牛から「離され」て、「人工的な乳」で飼われます。
ただし、「親牛が一番初めに分泌」する「初乳」だけは「子牛」の権利です。生まれて6時間以内に、この「初乳」を飲みますと、短期間ですが、細菌やウイルスの感染を防御する働きを保有するからです。
なお、牛乳を「搾る期間」は、「お産」の後、大体「10か月の間」です。ですから、お産の後は、出来るだけ早く「妊娠」させて、次の「お産」によって間をおかずに「牛乳」を搾ることが、「経営上」の大きなポイントになります。
ですから、「発情」、「受胎」、「妊娠」、「分娩」、「搾乳」のローテーションが順調に行くように「管理」する必要があります。
順調に行きますと「お産」のあと、50日で「発情」が来て、さらに上手く「受胎」しますと、妊娠期間が「280日から290日」ですから、340日後には、次の「お産」をします。勿論、妊娠の期間でも牛乳はシッカリ出しています。
今回の往診の依頼は「お産」した後、「60日を過ぎたが、マッタク『発情』が来ない」と言うものでした。
検査の結果は、「子宮の壁が薄く、弾力性がないことから、お産後の子宮の回復が遅れている。また、卵巣は通常より小さく、弾力性がないこと。卵巣内に卵胞などの形成がなく休止の状態である」。
原因として、「牛乳の搾乳の量が多く、栄養が不足気味である。また、ホルモンのバランスも崩れている」。
治療は「質の良い干草と運動を行うことによって、健康な体を作ること。いまのところホルモン剤応用の必要はない」と言った内容のものでした。
さて、牛の診断が終われば「百一さん」は「悪いけども妊娠鑑定してもらいたい牛がいるんだが、何とか頼みコだ」ときます。
これも「酪農家」には大事なことなのです。妊娠していれば良し、もし妊娠していなければ「不妊症」かもしれません。
勿論、牛乳を搾る期間も延長しますから、「餌代は掛かりますが、収入が減少」します。ですから、どこの「獣医」さんも断ることなくサービスしたものです。ただ、困ったことに、「百一さん」の牛が終わるのを隣の[かーちゃん」が待っています。「おらほの牛も]と言った按配です。牛の「健康検査」でもあれば、1日に100頭程度の「妊娠鑑定」を行った記憶もあります。
更に、この当時の「酪農家」にとって大事なことは、「牛の発情」を正確に見つけ、「人工授精]を行うことでした。
「百一さん」の提案もあって「牛の発情の見つけ方」の勉強会をやることになりました。「酪農工場の先生方」を中心に、「牛の繁殖講座」を開設したのです。
講習にに集まるのは、始めのころは「じっちゃ、ばっちゃ」が多かったのですが、2回目くらいからは、「若手」も顔を出すようになりました。中には、隣町の「若者」も顔を出すようになって来たものです。
講義の内容は、「牛の生殖器の構造」、「発情とホルモンの働き]、時には、「県の試験場の技師さん」や、「経済連の牛乳の担当者」が講師として招かれたこともありました。
面白かったのは、「百一さん」たち「ロートル」も「牛の生殖器を大きく描いた教材」の前で、顔を「紅潮」させながら勉強していた姿でした。
勿論、新しく作った牛舎の「借金」も払うことになりますから真剣です。「覚えた技術」は、明日から「経営」に直結して行きます。まして、「負債」の問題も、取り沙汰され始めていたものですから一生懸命でした。
「牛の性周期は21日であり、発情も21日の間隔に出回ってきます」だとか、
「発情の兆候」として、生殖器の外部が「腫脹」し「粘液の増加」してきますから、 この段階で「人工授精」が必要、と言ったようなこと。さらに、「牛乳の衛生管理」、時には「牛乳の価格問題」なども議論になったものです。
さて、この講習が終わると「カッケバット(「ソバカッケ」とも言うのかな)」が待っています。「カッケバット」とは、「そば粉」だけを練って薄く「伸した」ものを「10cm角くらい」に切り「茹でた」もののようです(自分で作ったことがなく、もっぱらご馳走になったものです)。
此れに「にんにく味噌」、「じゅうね味噌」をつけて食べます。
最初に食べた時の感想は「何でこんな無駄な食い方をして、『そば』にして名古屋コーチンのダシで食べた方が何ぼか美味いのに」と思ったものです。
しかし、2度、3度となると、「ズシン」とくる「そば粉」の食感と香り、それに「食い応え」に「魅了」されてきたものです。
なお、この「講習会」がどのような効果を生み出したか不明ですが、「規模の拡大」と言う「新たな波」の中で「苦しみながら、真剣に取り組んだ農民」の姿が懐かしく思い出されます。

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