2010/12/26

改札口を  彼と彼女の風景
通り抜けると、上り線を特急が通過する音が聞こえてきた。
彼が乗る下り線の次の電車までは、あと数分ある。

階段をゆっくりと下りてゆく彼がホームまであと3段の所で、腰に付けたポーチの中の携帯が震えた。

ちらっと電光掲示板を見て次の電車の到着時刻を確認した後、彼は携帯を取り出しメールを見た。
「ヤッホー」
こんなタイトルじゃ、本文を読まなけりゃさっぱり内容が分からない。
「やっとバイトが終わって、今家に帰る途中。
 明日の待ち合わせの時間だけど、朝10時に駅前でいい?
 それから、お昼ご飯は千円くらいまででよろしく」
明日一緒に買い物に行く約束をした彼女からだ。

休みの日に一人のアパートでとる昼食はほとんどカップラーメンな彼にとって、千円はごちそうだ。文句があるはずも無い。

あと3通来ていたメールを読んでいる彼と反対のホームに、上りの電車が到着した。
メールを読み終わり、彼女からのメールに了解の返事を書こうとした時、彼の携帯がまた震えた。

「ヤッホー」
あれ? まただと思い、本文を読むと
「前!」
とだけ書かれている。
首を傾けながら目を上げると、向かいのホームに彼女がいた。こちらを見て微笑み、手を振っている。
それを見た彼の顔にも笑みが浮かんだ。

彼が右手を上げ手を振ろうとした時、二人の間に下りの電車が滑り込んできた。

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2008/9/15

「またカレー?」  彼と彼女の風景
12時30分を少し回った学食で、唐突に声をかけられた。
大きな口を開けて食べた直後なので、彼は左手を上げて答えるくらいしかできなかった。

「ひょっとして毎日カレーばっかりなの?」
口の中のカレーを片付けてから、彼は答えた。
「違う、と言っても似たようなもんかな? 月水金と1日おきだよ」
向かいの椅子に腰掛けながら彼女が尋ねた。
「そんなにカレーが好きなの?」
「そう言うわけじゃないけど、昼食は栄養とコストパフォーマンスからこれに落ち着いたんだ。一人暮らしだと、どうしても食事が偏るし」
「そうね、私も一人暮らしになってみて初めて母親のありがたみが分かったわ」

ひと呼吸置いてから彼女が続けた。
「ところで、今度の日曜日は暇?」
「あぁ、暇だけど、何?」
「渋谷に買い物に行きたいんだけど、つきあってくれない?」
「俺とか? 一緒にいく女の子とかいないのかよ。まさかまだ友達ができなかったりして...」
「友達は何人もできたんだけど、みんな自宅から通ってるお嬢様たちばっかりで、私とはお財布の中身が全然違う人たちなんで、お買い物となるとちょっと問題なのよね」
「なるほど、それでカレーばっかり食べている庶民派の俺が選ばれたわけか」
「まぁそんな所。つきあってくれる?」
「買いに行くのは洋服か?」
「そう、だいぶ涼しくなってきたから秋冬物を仕入れに行こうと思って」
「うーん... 一緒に行くとすると、例えば君が試着しているときなんか、俺は一人全然似合わない店の中で居心地悪そうに待っていたりしなくちゃいけないわけだ」
「確かにそうかもね。でも、そこを何とかお願い。お昼ご飯くらいおごるからさぁ」
その言葉で、乗り気でなかった彼の顔に笑みが浮かんだ。
「しょうがない、引き受けた」
「何だかしょうがないっていうより『待ってました』って思えるけど...」
彼女も笑いながら答えた。

彼が残りのカレーを食べてる間に、彼女はバッグの中から携帯を取り出した。
「じゃあ出発の時間とか決めたらメールするから、アドレス教えて」
「おう」
彼は腰に付けたポーチから携帯を出し、メールアドレスを交換した。
「たぶん9時くらいに駅で待ち合わせになると思うけど、詳しいことは土曜日にでもまたメールするね」
「よし、分かった。でも...」
「でも... 何?」
「二人で渋谷を歩いていたりすると、カップルと思われちゃったりするかも。クラスメートに会ったとして、俺はいいけど大丈夫か?」
その言葉に彼女は声を上げて笑い出した。
「大丈夫よ、ナンパされないように頼んだ用心棒ってことにしておくから」
「そうか、ならいいや。俺の考え過ぎだな」
「でも、用心棒なんだから変なことしないでよね」
その言葉に二人とも笑顔になった。

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2008/8/13

「やっと見つけた」  彼と彼女の風景
その声に顔を上げると、見たことの無い女の子がにっこり笑って立っていた。

自分のことなのかどうか確かめるために、彼は右手に持ったスプーンで自分を指し示した。本当は『俺?』と言いたかったのだが、頬張ったばかりのカレーでいっぱいで、何もしゃべれなかった。

彼女はこくんとうなずくと、彼の向かいの席に腰を下ろした。
「何だかちっとも私のこと覚えていないみたいねぇ」
彼は口の中にいっぱいだったカレーを片付け、水を一口飲んでから答えた。
「ごめん、本当に覚えてないや」
「そうかもしれないわね。だって話すのは初めてなんだもの」
「え?」
「新手の勧誘とかそんな怪しいやつじゃないわよ。じゃあ、少しだけヒントを出すから考えてみて」

彼女の笑顔に、彼の表情が少し柔らかくなった。
「今年の2月に私達は会ってるの。あそこの教室で」
彼女が指差す先には、一般教養の授業で良く使う階段教室のある建物があった。

「今年の2月って言ったら、受験の時か?」
「そう。でもまだ思い出さない?」
「ダメだ、さっぱり分からないや」
「じゃあ第二ヒント」

彼女はそう言うと、自分のバッグの中から筆箱を出してチャックを開け、消しゴムを取り出して彼の前に置いた。
「あっ...」
スプーンを置き、その消しゴムを右手にとって眺めながら、彼は続けた。
「英語の試験の時」
言い終わった時には、彼は笑顔に変わっていた。

「思い出したみたいね」
「ああ、英語のリスニングの試験の途中で、隣に座っていた君は消しゴムを落とした」
「そう、力を入れて消してた時だったから、何だかすごい勢いで飛んで行ってしまって、途方に暮れてたの」
「俺はそれに気がついて、自分の筆箱から、この予備の消しゴムを君の方に差し出した」
「当たり!」
彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。

「あの時はもう舞い上がっちゃって、真っ赤になってたと思うんだけど、この消しゴムのおかげで、落ち着きを取り戻して、無事合格することができたの」
彼はそれを聞きながらにっこり笑っていた。

「テストが終わってすぐ、お礼をしなきゃいけなかったんだけど、『やっと終わった』と思ってぼぉっとしてたら、あなたはすぐにいなくなっちゃって」
「確かあの時、俺は腹の調子が悪くて、トイレに直行したんだと思うよ」
それを聞くと彼女は声を上げて笑った。

「あの時は本当にありがとう。この消しゴムがなかったら、私はきっと今ここに居ないと思う」
「そこだけ聞いてたら、何だかご利益があるやつみたいだな」
「そう、私にとっては『運命の消しゴム』なの」
「どこにでもある普通の消しゴムなのにな」
「この消しゴムもらっちゃってもいい?」
「ああ、いいよ。俺はすっかり忘れてたんだし」
「ありがとう。ずっと机の上に飾っておくね」

消しゴムを彼から受け取り、元の筆箱に戻すと、彼女は立ち上がるそぶりを見せた。
それを見た彼は、にっこり笑いながら口を開いた。
「ところで、君はなんて名前?」
自分の紹介すらしていなかったことに気付き、また彼女の顔に笑顔があふれた。

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2008/5/19

「おはよう」  彼と彼女の風景
その声に振り返ると、見知らぬ女の子が自分のバッグを覗き込んで何か探していた。
彼女は視線をバッグの中に向けたまま、言葉を続けた。

「日頃着慣れないスーツを着ているせいか、なんだかトイレに行きたくなっちゃったんだけど、ここで会えてちょうど良かった。ちょっとこのバッグ持っててくれる?」

そこまで言って初めて、彼女は彼の顔を見た。
一瞬のうちに彼女の表情が変わっていくのを見て、彼はおかしくなってしまい、笑いながら答えた.

「いいよ、預かっとく。初対面の挨拶にしちゃあ斬新だけど、緊急事態ならしょうがないか」

彼女もバッグを差し出した手前引っ込みが付かなくなり、照れくさいのもあって、彼にバッグを預け、ポーチだけ持って傍らの図書館に入って行った。

歩道の端にあるベンチに腰を下ろしながら、彼は自分がさっき歩いてきた方向を見た。私鉄の駅からは、彼らと同じようにスーツを着た若者が次々と吐き出されてくる。皆どこかぎこちなさを漂わせながらも、入学式が行われる講堂に向けてまっすぐに進んで行く。

さっきまでその流れに飲み込まれていた彼は、少なくとも4年間をここで過ごさなければいけないのかと思いを巡らし、憂鬱な気持ちになっていた。だが、今こうしてベンチに座り、同期生の流れをぼんやり眺めていると、少し気持ちが明るくなってきた。

バッグを預けたとき何も言わなかった彼女は、戻ってきた時、なんて切り出すんだろう?
それを想像して思わずにやけてしまった彼の後ろから、彼女の足音が近づいてきた。

頃合いを見計らってバッグを持ち、立ち上がった彼と戻ってきた彼女の顔は、笑顔に満ちていた。

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2007/12/8

「そんなのいやっ!」  彼と彼女の風景
彼女の声が、ちょうどBGMの途切れたファミリーレストランの隅々にまで届いた。
夕方6時を少し回った店内は、家族連れでほとんど満員状態だ。

声の主を捜そうと皆の視線が集まるのと同期するかのように、彼女はテーブルに突っ伏して泣き始めた。
彼女の向かいでは彼がソファに浅く腰掛け背をもたれて、斜め上を見上げている。両手はブルゾンのポケットの中だ。

彼の目が右に動き、ゆっくりと店内を見渡し始めた。彼と目が合った家族連れはあわてて目を逸らし、自分たちの会話を再開する。彼の目が右から左に動くにつれ、それぞれのテーブルで次々と同じ状況が繰り返されていく。

左隅の席にいる中年の婦人が目を逸らし、夫と何か話し始めたのを見届けてから、彼はブルゾンから出した右手でテーブルの上にあるグラスを持ち上げ、少しだけ残っていた水を飲み干した。ゆっくりとグラスを戻したあと、彼はしばらく彼女を見つめていた。

再び流れ始めたBGMが2コーラス程過ぎて、彼女から目を上げた向こう側から、数冊のメニューを抱えた若いウエートレスがじっとこちらを見ているのに気付いた。5秒程ウエートレスと目を合わせた彼は、不意に唇の端に笑みを浮かべた。

笑みの真意を計りかねているウエートレスと彼との間で、彼女はまだ肩を震わせていた。

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2007/8/5

3袋目の  彼と彼女の風景
ポテトチップをカートに入れようとしていた時、突然後ろから声がした。
「そんなに食ったら太っちまうぞ」

日曜日の午後4時。スーパーのお菓子売り場で買い物をしていた彼女は、どこかで聞いたような声だと思いながら振り返った。そこにはニコニコ笑いながら、向かいの家に住む彼が立っていた。

「突然話しかけないでよ、びっくりしたじゃない」
「悪い悪い」

そう言いながら頭をかく彼の右手にはチョコバー、左手には500mlのミネラルウォーターのペットボトルが握られている。

「でも、そんだけ一人で食べたら本当に太っちゃうぞ。大丈夫か?」
「いくら私でもこんなには食べられないわよ。来週親戚が家に集まるので、そのための買い出し」

ニヤニヤしながら聞いていた彼の後ろから、彼女の母親が現れた。
「あら久しぶり、相変わらず元気そうじゃない」
二人の前に来た彼女は、並んでいる二人を見比べながら微笑んでいる。

「彼ったら、私がこのお菓子を全部食べると思ってるのよ」
「幼なじみが突然太ったりしたらいけないと思って、忠告してあげただけじゃん」

二人の話を聞いていた彼女は、何かを思いついた様子で、ハンドバッグの中をゴゾゴソやっていた。
「夏休みが始まって10日も経つのに家でゴロゴロしているだけなんて、確かに太りかねないわよねぇ」
見つかったものを彼に手渡しながら、彼女が続けた。
「この間ここで買い物したときにもらったプールの割引券なんだけど、二人で行ったらどう?」

「ほぉ、プールか。たまにはいいかな」
「え〜、あなたと二人で?」
「いいじゃない。二人で行くなんてすごく久しぶりでしょ? 6月に買ったビキニだってまだ一度も着てないし」
「ゴックン」
おどけてみせる彼に向かって、彼女が言った。
「想像しすぎて、そのチョコバー食べて鼻血出したりしないでよね」
「やばいかも。もう頭の中で悩殺されかけてる」

彼のその言葉に、皆笑顔になった。

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2007/7/21

「あっ!」  彼と彼女の風景
思わず声が出てしまった。

先週末にオープンしたばかりのショッピングセンターの一角にある映画館。夕方の6時少し前にチケットカウンターに並んでいた彼は、カウンターの中にいる女性を見て驚いた。そこには、3月まで同じクラスだった彼女がにっこり微笑んでいた。

マニュアル通りと思われる挨拶の後、彼は映画と上映時間を告げ、空いている席を探してもらった。あと1時間ほどで始まるためか、既に8割ほどの席が埋まっている。

前から10列目の中程に、2つ隣合わせであいている場所があったので、その片方に決め、彼女に伝えた。彼女の指がマウスをクリックし、席が確保された。カウンター越しに見えるモニターで、その席が緑色に選択されたのが確認できた。

右手の人差し指を口元に運び、少しだけ何か考えた彼女の手がマウスに戻ると、その隣の席も緑色に選択された。

「あれ? 俺一人だけど」
彼のその言葉に、彼女はカウンター越しに彼の方に顔を近づけた。
「私と二人じゃ不満? 6時でこのバイト終わるし、この映画ずっと見たいと思ってたから」

彼女の指がキーボードの上できれいに動き、発券処理が進んだ。モニターに表示された金額の半分を彼に告げ、受け取った料金に自分の分を追加して、レジに納めた。数秒の後、発券機から出てきた2枚のチケットを、彼女は彼に渡した。

「すぐに着替えてくるから、あそこのソファーで待ってて。お腹すいちゃったから、映画が始まる前に何か食べに行こうよ」

「Closed」と書かれたプレートをカウンターにセットすると、彼女はもう一度彼の方を見て微笑んだあと、小走りにスタッフルームに入っていった。

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2007/7/1

公園の  彼と彼女の風景
角を曲がるとき、隅にあるブランコに誰かがいるのに気がついた。2つあるブランコの奥の方に座った制服姿の女の子が、下を見てじっとしている。

5歩くらい歩いている間に、向かいの家に住む幼なじみの彼女だと分かった。まだ夕食には少しだけ早いので、話でもしようと、彼は公園の入り口から中に入り、ブランコに向かった。

下を向いてじっとしていた彼女は、足音に気付き、顔を上げた。怪訝そうにしていた彼女だが、彼だと分かると、安心したような表情になり、あわてて両目をハンカチで拭った。

「よぉ、久しぶり」
彼の声にこくんとうなずいた彼女は、また下を向いてしまう。右手にはハンカチを握ったままだ。
「隣に座ってもいいか?」
再びうなずく彼女の隣のブランコに、彼は座る。
「うわぁ、ここのブランコってこんなに低かったっけ?」
それほど身長が高くない彼でも、両足を思いっきり曲げないと、うまく漕げないくらいだ。

「こんな時間に一人でメソメソしてると、怪しいやつに絡まれるぞ。俺でよければいつでも用心棒になってやるから、呼んでくれよな」
そう言う彼の言葉にまたうなずくと、一旦は収まった彼女の涙がまた溢れ出した。

肩をふるわせている彼女の隣で、彼は少しだけブランコを前後に揺らしながら真直ぐ前を見つめている。

そのまま5分ぐらいしていると、彼女の涙も収まって来たようだ。
ちらっと彼女の様子をうかがった彼は、立ち上がって彼女の前に来た。
「腹減ってきたから帰ろうぜ」
もうほとんど止まっている涙をもう一度ハンカチで拭い、彼女は口を開いた。
「何にも聞かないの?」
「俺はお前を泣かすようなくだらないやつのことなんか聞きたくないよ。さあ、帰るぞ」
そう言って差し出された右手に引かれ、彼女は立ち上がった。

2歩位先を行く彼に続いて、彼女も歩き出す。
「そういえば、幼稚園の頃あのブランコから落ちて泣いていたら、やっぱりあなたが来て、こうして家まで一緒に帰ってくれたよね?」
歩いたまま少し振り返って彼が言った。
「そんなことあったっけ?」
「うん、私覚えてる」

また前を向いて歩き出した彼に続きながら、彼女は何だか嬉しくなって微笑んだ。

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2007/6/17

「そんなに  彼と彼女の風景
離れてなくても良いのにな...」

朝のこの時間、バスを待っているのは二人だけだ。

バス停のポールから数歩だけ離れて立っている彼女と、そこからさらに5mほど距離を置いた所で、バッグを置き、両手をポケットに突っ込んでいる彼。

この春から高校に通うようになった二人は、毎朝決まってこの時間のバスに乗る。毎日顔を合わせているのに、3ヶ月経った今でも一度も話をしたことが無い。

バスの音に気がついて右を向いた彼女の視線の片隅に、眠そうな彼がいる。バッグを持ち上げて肩に掛け、こちらに近づいて来た。バスは少しだけバス停を通り越して止まり、入り口のドアが開いた。

入り口に向かって歩き始めた彼女は、背後から近づいて来る彼の足音を聞きながら心の中で思った。

「バスに乗ったらすぐに振り返って、彼に笑顔で話しかけよう。最初に言うのはやっぱり『おはよう』かな? 2人掛けの席が空いてたら隣に座っちゃおう。変な娘って思われちゃうかな?」

バスのステップに右足を掛け、手すりにつかまって勢いよく乗り込んだ彼女は、既に笑顔だった。

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2007/6/9

「あのねぇ  彼と彼女の風景
お願いがあるの」

6時間目の授業が終わり、のんびり帰り支度を始めた彼に向かって彼女が囁いた。
隣の席に座っているので朝の挨拶くらいは交わすのだが、二人はほとんど話したことがない。

「なに?」
「買い物につきあって欲しいんだけど...」
「『買い物に』っていう限定が無ければすぐにOKって答えるのに」

彼の言葉に、二人とも笑顔になった。

「文化祭の模擬店に使うもの?」
「そう。今日実行委員長と行くはずだったんだけど、彼女休んじゃったから、誰か代わりの人って考えてたんだけど、あなた以外みんな忙しそうだし...」
「まぁ、どうせ帰宅部の俺は暇だけどな。で、何を買いにいくわけ?」
「ベニヤ板を3枚と、ポスターカラーを5色。作ってるうちに、最初に考えてたのより大掛かりになってきちゃった」

彼女が指差す先に、作りかけのカウンターがある。

「あの絵は全部一人で書いたの? さすが美術部だけあってうまいなぁ」
「ありがとう。で、つきあってくれる?」
「あぁ、いいよ。 さすがに一人でそんだけ持って来るには多すぎるしな。 買いに行くのは渋谷のハンズ?」
「そう」
「じゃあラッシュにならないうちに出かけるか」

そう言って立ち上がり、教室の後ろの出口に向かう彼に、彼女が続いた。

「限定じゃ無くっても良いんだけどなぁ...」

彼に聞こえないくらいの声でそうつぶやいた彼女は、嬉しそうに微笑んでいた。

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