関西の私鉄にはとんと疎く、京阪本線も余り詳しくない私ですが、同じ京阪でも琵琶湖畔を巡る京津線・石山坂本線にはちょっぴり思い出があります。
若い頃の話で、600形は未だ登場していなかった頃の話ですが・・・
それはさておき、先日の「びわこ」号に続き、京津線・石山坂本線にちなんだ600形が発売されました。
今回リリースされたのは一般塗装と「けいおん」ラッピングの二種、600形は大きく分けて平面窓1次車とパノラマ窓の2・3次車の二種類のスタイルがありますので、一般塗装は二箱の購入です。
2次車と3次車は連結面が丸屋根/平妻と差異があり、そこまで考慮すればもう一箱購入なんでしょうが、「けいおん」が2次車の613Fだからまぁいいや、ってことで(笑)。
今回は素組みではなく、少し手を入れてみました。
小ぢんまりした編成、それに程良く凹凸のある屋根(笑)を見ると、つい手を入れたく(塗ってしまいたく)なる悪い癖が出たね。
2連が3本、計6両と言うお手軽さも手伝って、屋根上をメインに塗り分けしています。
奥から2次車(けいおん)613F、1次車として組み立てた607F、3次車とした619F。
ブロックや床板が共通のため、実車に較べて車体幅が若干広くなっている様ですが、こればかりは致し方ありませんね。
屋根は地色は製品のまま、クーラーキセをクレオスのサフェーサー(グレー1200)、フューズボックスをTAMIYAのTS-32ヘイズグレー、ランボードをクレオスの11ガルグレーとTAMIYAのTS-68木甲板色で塗り分けています。
ランボードに関しては、ネット上でパンタ両脇のみ色を変えている作例がいくつか見られたので真似っこです(笑)。
色の選択に特に根拠はありません、何となくこんな感じがしたので(手持ちのモノで済ませたと言う理由もある・笑)。
屋根はこんな感じ。
マスキング3回・・・結構面倒臭かった(笑)
パンタは撮影用にKATOのPS16Bを仮に載せています。
そのうちGMのPT42あたりと交換するつもり。
実車は奇数号車のオデコ部分にアンテナが付いています。
製品でもしっかり作り分けてあり、組立説明書には上級者向けと称して前面パーツのアンテナ部分に切り込みを入れる様に工作例の記述があります。
奇数号車と偶数号車ではフューズボックスの形状が違うため、ここは是非とも奇数号車の屋根パーツを使いたい所。
どうせ前面パーツを傷付けるのであればと、製品のアンテナモールドはベースごと切り飛ばし、組み立て後に手持ちのKATOの阪急用アンテナ(例の大量在庫の・笑)を取付けました。
毎度お馴染み(笑)、入り数間違いで在庫多数の阪急用アンテナを使用。
前面下の排障器と乗務員扉下のステップにちょっと強めにスミ入れしてあります。
実車の排障器はもともとパイプで出来ているんですが、プラ一体形成なのでどうしてもモタっとした感じになってしまいます。
排障器ウラ側は形成材の色そのままだと斜め後ろから見た時目立つので、油性マジックで黒く塗り潰してあります。
スミ入れした排障器とステップ。
本来此処は抜けている部分なので、少し強めのスミ入れをしてあります。
足回りは当面はBトレのままです。
台車レリーフにもスミ入れを施してみました。
この600形はフロントのオーバーハングが長く(車体が運転台方向が少し長い)、KATO台車にしろバンダイT台車にしろ、台車付属のカプラは前面まで届きません。
仕方ないので、Bトレのダミーカプラをグレーに塗って取り付けてあります。
ちょっとオーバースケール気味だけど、グレーに塗ると結構それっぽく見えるダミーカプラ。
話題の「けいおん」ラッピング車です。
反対側。
しかしこれはもの凄いものですね。
側面パーツとガラスパーツを予め組み立てた上にこの印刷・・・一般塗装車に対して1両当たり210円高い販売価格も頷けると言うモノです。
実車を見てみたかったです。
余談ですが、この製品は素組みにすると妻面パーツの上部が浮く傾向がある様です。
三種類の妻面パーツ全てに見られる現象の様で、素組みする際にもこの部分だけは軽く接着した方が見栄えが良いかも知れません。
さて、冒頭に書いた京津線・石山坂本線の思い出の話です。
ちょっと長くなりますが、興味のない方は読み飛ばして下さい(笑)。
私は日本産淡水魚、とりわけタナゴの仲間が好きで、高校時代からあちこち採集に行っていました。
就職した昭和50年代前半がそのピークで、関東地方には棲息しない種を求めて西へ西へと採集に出かけたものです。
日本産淡水魚は西へ行くほど種類も棲息数も多く、特に濃尾平野以西は関東在住のタナゴ好きには天国でした。
日本一大きく、そして古い琵琶湖もその一つです。
今は草津市に移転してしまい建物しか残っていませんが、かつて大津の琵琶湖畔には滋賀県立琵琶湖文化館と言う施設があり、そこの水族館では琵琶湖の淡水魚を数多く飼育・展示していました。
当時土曜は半ドンで、仕事が終わると一旦家に帰り着替えては、東京駅から大垣夜行に乗って良く通ったものです。
飼育されている琵琶湖の珍しい魚たちを見るだけでもワクワクするのに、何度か通ううちに学芸員さん達と仲良くなり、時折「よし、餌獲りやるぞ」と誘ってくれて文化館前の湖水で一緒に投網を打ちをやりました。
水族館で飼育している肉食魚の活き餌にする小魚を獲るのが目的なのですが、獲れた魚を大きさごとに選別するのを手伝いながら、欲しい種類だけを選り分けて頂いてくる、なんてちゃっかりした事もやっていたわけです。
当時の琵琶湖にはブラックバスやブルーギルが既に侵入していましたが、現在の様に猛威を振るう以前で、大津市内とはいえ湖水はまさに日本産淡水魚の宝庫、訪れる度に新しい発見や、今まで飼育した事のない魚種との出会いがあり、本当に楽しかったものです。
そして、その懐かしい琵琶湖文化館の目の前を京阪石山坂本線が走っていました。
往きは大津駅から徒歩でしたが、活きた魚を持っている事が多い帰りは、最寄り駅である「島の関」からこの電車に乗り浜大津で京津線に乗換えて京都へ出て、新幹線を飛ばして帰って帰るのが普通でした。
マトモに考えれば大津から東海道線で京都へ出たほうが余程早いんですが、併用軌道区間から専用軌道に入た途端、右へ左へ車体をくねらせながらツリカケ音も勇ましく山を登って行くの新鮮かつ楽しくて(笑)。
良く覚えていませんが、山科のあたりなんでしょうかね・・・
そのころの京津線はお洒落なスタイルにステップの付いた80形が回生制動の音を響かせて幅を効かせていました。
また、石山坂本線の方はいかにも「京阪」と言った顔立ちで郊外電車タイプの260形や300形などが現役バリバリで活躍していた頃です。
今になって思えば、当時は魚に夢中で電車の写真はまったく撮っていないのが悔やまれてなりません。
もっとも、これら260形や300形の車体を利用して600形が造られたワケで、実際側面は種車の面影を良く残しているとのこと・・・と言うことは、Bトレでも260形や300形、あるいは500形を出そうと思えば出せる、と言う事になりますな。
京津線がらみではスルKanで大フィーバーしてその後もオクなどで高値で取引きされていた800系の再リリースも決定している事でもあり、私的には永らく京津線の顔だった80形を是非とも製品化して欲しいところですが・・・

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