音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2010/5/27

天河神社  

今から17年前、私が独身最後の夏に奈良県天川村にある、天河神社(天河大辨財天社)に行ったことがある。
そのころ確か、ブライアン・イーノがこの神社でライブをやった記憶があって、自分もいつかここに訪れたいと思っていたからである。
奈良へは今まで本当によく訪れたが、吉野より南の方はあまりにも山奥で交通の便が悪いために、さすがに名古屋から日帰りは無理なので簡単には行けないのである。
奈良県吉野郡一帯はまさに秘境と言える所だ。
大塔村から十津川村にかけてはこれまで4回、旅したことがあるが、いずれも車で天理市からさらに3〜4時間もかけてひたすら山道を走るハードなものだ。
この時の旅も十津川村(宿泊は川沿いの露天風呂に入りがてら、車内で寝た)へ行った帰りに立ち寄って、ようやく天河神社へ訪れることができたわけである。
天河神社は辨財天を奉る神社なので、芸能、財宝、弁舌のご利益があるということだが、効果の程は今のところ(?)である。
家族の為にも、自分のささやかな夢を実現する為にも、せめて芸能と財宝のご利益は授かりたいものだ・・・。
おっと、待てよ、既に2人の子宝と妻という最も大切なご利益を授かったではないか。
辨財天様、大変失礼致しました・・・。
下の写真は天河神社の社務所で買った、菩提樹の葉の付いた栞である。
葉にはこの神社の神宝、五十鈴のマークと辨財天の真言が印刷されている。
これは今でも大切に持っている。
・・・そして本殿の中では、今は亡き宮下富美夫氏のヒーリング・ミュージックが絶えず流れていて、境内の風景の美しさも相まって、本当に心洗われる思いだった。
是非、もう一度訪れてみたい所である。

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2010/5/25

"BLUE ROOM"  タンジェリン・ドリーム

1992年、長らく音楽プロデューサーや、レコード会社プライヴェート・ミュージックの社長として活動していたピーター・バウマンは、ついに久々にミュージシャンとして活躍する時が来た(来るはずだった)。
しかも全くのソロではなく、元タンジェリン・ドリームのメンバーで既に米国に移住していた、ポール・ハスリンガーと組んで「BLUE ROOM」というプロジェクトを立ち上げたのである。

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メンバーは下のとおりである。
ピーター・バウマン/キーボード、エレクトロニック・パーカッション
ポール・ハスリンガー/キーボード、ギター
ジョン・バクスター/ヴォーカル

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彼らはアルバムの製作に没頭し、CDのカバー・デザインまで決まっていて、早ければ1993年にリリースされる予定であったが、結局プロモーション版のみのリリースで終わってしまったようである。
この幻のアルバムに収録されていた曲は、現在のところこのサイトで無料ダウンロードして聴くことができる。
http://synopsiselektronica.blogspot.com/2008/02/baumannhaslingerbaxter-blue-room.html

・・・
なぜこのアルバムが没になったのかは詳しい事情はわからない。
エレクトロニック・ポップとしてはいい出来だ。
ただ、バウマンが20代の時の作品を聴いたことのある人には、ごく普通のポップスにしか聴こえなくて、少々ガッカリかもしれない。
だがそれでも、バウマンなら社長の権限を生かして何がなんでもリリースさせる、というわけにはいかなかったんだろうか?
結局、バウマンは「BLUE ROOM」がリリースされなかったことに落胆して自分の会社、プライヴェート・ミュージックの経営権をレコード会社の大手、RCA/BMGに売却してしまう。
そして、バウマンは音楽業界から完全に身を引いたのである。
・・・
だが、その後もこの人は波乱に満ちた人生を歩んでいく。
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2010/5/20

朝鮮半島の琴  楽器

以前、韓国の民俗音楽の演奏をあるTV番組で見ていたら、形は日本の琴に似ているが弦を弓で弾いて演奏する楽器を目にしたことがある。
気になって調べてみたら、これはアジェン(牙箏)という楽器で高麗時代(10世紀中ごろ―16世紀)に中国から伝わり,7本の弦を木の棒や弓で擦って演奏するものだという。

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続いてこちらは同じく韓国の琴、コムンゴ(玄琴)。
弦は6本で爪やピックのかわりに細い棒で弦を弾いて演奏する。



朝鮮半島の弦楽器というと、カヤグム(伽椰琴)が有名だがこちらは12本の弦を指で弾く。



カヤグムはなかなか風流で雅な感じの音だ。
アジェンは哀愁があり、コムンゴは土俗的で力強い感じの音だと思う。
私はどの楽器の音を聴いても、苦難に満ちた歴史を生き抜いてきた朝鮮半島の人々の情念のようなものを感じるのだが、皆さんはどう思うでしょうか。
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2010/5/16

プライヴェート・ミュージック  タンジェリン・ドリーム

10代、20代を音楽家として生きたピーター・バウマンは32歳の時に、次なる黄金時代を迎えた。
ニュー・エイジ・ミュージック専門のレーベル、「プライヴェート・ミュージック」を設立し、そこで音楽プロデューサー兼レコード会社社長となったのである。

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80年代にこのレーベルが日本でも話題になったのを、ご存知の方は結構多いと思う。
このころ、バウマンはレーベルのプロモーションのために来日を果たしている。
レーベルの紹介に関して、バウマンはこう述べている。
「10代、20代の頃にロックやポップスを聴きまくっていた人々は30代、40代になると、だんだんこのような攻撃的なリズムの音楽から卒業して、音楽を聴く楽しみから遠ざかっていく人が少なからずいるものです。
私は、あまり攻撃的ではなく、演奏のみで聴き手に無限の想像を与えるような音楽を世に送り出すことによって、音楽から遠のいた人達に再び、音楽を聴く喜びと感動を与えたいと思っています。」
この「プライヴェート・ミュージック」からデビューして有名になったミュージシャンはヤニー、パトリック・オハーン等多数いるし、1988年にはタンジェリン・ドリームも契約している。
この件はバウマンの方から、エドガー・フローゼに「10年振りにもう一度一緒に仕事がしたい。」と打診したのだそうだ。
因みにこの時期、タンジェリンは既にクリス・フランケがグループから脱退していたので、フローゼと若手のポール・ハスリンガー(1962年生まれ)とのコンビ(後にエドガーの息子ジェロームも参加)で活動していた。
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このように、実業家として成功したバウマンだが、その後また劇的な人生の変化が彼に訪れるのである。

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2010/5/9

ミヒャエル・ヘーニッヒ  エレクトロニック・ミュージック

マイケル・ホーニグ(Micael Hoenigミヒャエル・ヘーニッヒ1952年1月4日ハンブルグ出身)は、様々な経歴を持ったミュージシャンとして知られている。

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@
クリス・フランケがドラマーとして在籍していたことで有名なバンド、アジテーション・フリーのキーボーディストであった(近年、また再結成して来日したことは記憶に新しい)。
A
1975年に体調を悪くしたピーター・バウマンの代わりにツァー・サポート・メンバーとして、タンジェリン・ドリームに一時加入していた。

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(左からエドガー・フローゼ、クリス・フランケ、ミヒャエル・ヘーニッヒ)

B
クラウス・シュルツェと「タイム・ウィンド」(!)というプロジェクトを立ち上げようとしたが、当時のシュルツェがヴァージン・レコードから「ソロでやるか、バンドでやり続けるかはっきりしてほしい。どちらか一方の契約しか認めない。」と決断を迫られたため、ヘーニッヒから身を引いた。
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1976年にマニュエル・ゲッチングと共演したアルバム”Early Water”を製作したが、長い間お蔵入りであった(1995年にリリースされた)。
D
1978年ごろアメリカへ渡り、初ソロアルバム” Departure from the Northern Wasteland (1978)”をリリースした。
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・・・それ以降はロサンゼルスを拠点に主に映画音楽の仕事を続けていたが、近年は妻と共にスペインへ移住し悠々自適な生活を送っているそうだ。

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島国根性で凝り固まった日本人から見たら、まさにスケールの大きい人生である。
「都会の中の田舎」と呼ばれる、ある日本の都市の中でジリ貧状態で生きている私から見ると、羨ましいというか、夢のような、というか。
ただ、本人の努力もさることながら、生まれ持った運の強さも重要だと思う。
ところで、彼の作品で私が個人的に最も気に入ってるのは、前述した”Early Water”である。
シンセのシーケンスだけ聴いてるとなんだか”Rubycon”みたいだが、ゲッチング先生の冴えわたったギターがあると独自の世界に引き込まれていき、このまま、ずうっと聴いていたい気分になる。
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2010/5/3

エドガー・フローゼ”Stuntman”  タンジェリン・ドリーム

エドガー・フローゼの5番目のソロアルバム、”Stuntman”(1979)。

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フローゼはこの作品についてこう語っている。
「この作品は非常に冒険的だった。
エンジニアのウォルフガング・パームが改造した幾つかのシンセを使うことができたのだ。
これが私とデジタル・サウンドとの出会いであり、非常に新鮮な気持ちで作業を進められた。
この作品はこのころの私の最高傑作だと思っている。」
ウォルフガング・パームは、後にドイツを代表するシンセサイザーのメーカー、「PPG」の開発者、及び社長となる人物である。
アルバムに収められた、どの曲も煌びやかな音色で満載だ。
基本的に波形をフィルターで加工して音創りをする、従来のアナログ・シンセではなかなか創れなかった音色が、デジタル・シンセで容易にできるようになり従来の作品に比べて、より色彩的になったといえよう。
また、アナログに比べて鍵盤楽器としての安定感と操作性に優れ、フローゼ御大はメロディ創りにより磨きがかかったといえる。

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私は、フローゼの作風を大きく分けると、実験的な音創りが主体だった”Aqua”から”Macura Transfer”までの時期と、メロディ主体の”Ages”以降の時期に分かれると思う。
新しい音楽のスタイルを求めて暗中模索していた初期と、作風を確立し音楽的な追求を実験から叙情性へと移行した現在の姿とを比較して、どちらが良いかはファンの判断に委ねられるところである。
いかめしい風貌に似合わず(失礼)、ロマンチックな曲創りが得意なフローゼ御大はクラシックの作曲家に例えるとブラームスのようだと密かに思う私である。
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