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2010/6/13

京都の思い出の人達(4)  思い出の人達

私がこのころ勤めていた会社は、いわゆる商工ローンの会社であった。
初めはただ、あこがれの京都に住めるというだけで就職した私であったが、連日の営業活動やこの会社が顧客に対して行っている実態を見ているうち、さすがに段々嫌気がさしてきた。
そしてとうとう、入社1年目を待たずして退社を決意するのである。
かといって、名古屋に戻るのはもっとイヤだった。
そのため、親に内緒でやめてすぐに次の就職先を探さなければならなかったし、社宅住まいだったので当然、退去してすぐ次の住居も探さねばならない。
このことはすぐに人事部に告げず、まずまわりの親しい人のみに自分の本心を打ち明けていたが、ある日、別の課のH.Kさんという当時30歳くらいの男性が突然、私に話しかけてきた。
H.Kさんとは毎日顔を合わせていたが、普段あまり会話をすることはなく、私はどちらかというと「この人はワシのことを嫌ってるんとちゃうか。」とさえ思っていた程だった。
そのH.Kさんが、
「せつだくん、じぶん、会社やめる、ゆうてるらしいな。(関西人は相手のことを君、あんた、のかわりにこう呼ぶ。主に相手が年下か格下の場合。)」
と言ってきたのである。
「えっ、もうそんな話が広まってるんですか。
まあ、そうじゃないと言えばウソになりますが・・・。」
「ほなら、じぶん、もう名古屋へ帰るんか。」
「いえ、実家に戻ってもウチの親は難しいですし、子供の頃からあまり良い思い出が無いので、名古屋には行きたくありません。
できれば、ずうっと京都に暮らしたいので、次の住まいと働く所を探そう、思ってますねん。」
「・・・ほうか。ほなら、今日、会社が終わったら、帰り、ちょっとワシにつきあえや。」
「は、はい、わかりました。」
普段、つきあいの無いH.Kさんから突然、こんな話になったので、私は内心驚いたが別に断る理由も無いので、その後、H.Kさんについていくことにした。
そして、私達2人が市バスに乗ってやってきた所は、南区のとある不動産屋だった。
店内でH.Kさんは、まるで自分のことのようにいろんな物件を吟味し、しばらくすると、
「よっしゃ、せつだくん、これにしいや。
家賃2万5千円、これならじぶんも、これからなんとか払っていけるやろ。」
「ええっ、はあ、なんとか・・・」
そしてH.Kさんは、なんとその場で礼金、保証金等の必要な金額を収め、契約書に判を押し、賃貸契約を済ませてしまうのである。
連帯保証人はもちろん、H.Kさん自身である。
目の前でおこっているあまりの急な展開に、私のほうがなんだか訳がわからなくなってきた程だった。
「あのう、H.Kさん。
会社をやめていく私にここまでして下さるのは、ありがたいんですが、ホ、ホンマにいいんですか。
私がいいかげんな人間だったら、後々、被害をこうむるのはH.Kさんなんですよ。」
私がそういうと、H.Kさんはポツリとこう、言った。
この言葉を私は一生、忘れないだろう。
「オレもアホや。
そやけど、じぶんはまだ、社会に出たばっかりやし、右も左もわからんやろ。
そう思うと、どうにも放っておけんのや。
それとじぶんは、絶対、真面目なやつや、と思うから、金のことは心配してへんのや。」
「す、すんまへん・・・」
私は感謝の気持ちでいっぱいだった。
それにしても、これまでろくにつきあいの無い人から、これ程思いがけない親切を受けるなんて夢にも思わなかった私は、自分の知らない所で自分の生き様を、見る人はちゃんと見ている、ということを肌で感じた次第である。
そんな訳で私は退社後に京都市南区の8畳1間のアパートに移ることができたのである。
それから社宅から新居への引越しの時は、立ちんぼのSさんが軽トラックを手配してくれ、家具の運搬は営業課同僚のK.Sさんが手伝ってくれた。
すべて社長らには、内緒である。
おかげで、私はその後すぐに次の仕事を探し、京都で第二の人生を歩むことができたのである。
そして私は必死で働き、H.Kさんに迷惑がかからないためにも、一度も家賃が遅れたことはなかったのである。
・・・
それから1年後、結局私は長男という理由で半ば強制的に名古屋に戻ることになり、それから20数年、運に見放されたような年月をおくることになるがしかし、私はこれまで1日たりとも京都でお世話になった人達のことを忘れたことはない。
これまで経済的にも苦しく、毎日自分のことで精一杯だったけれど、彼らにろくに恩返しをしてないのが今でも非常に心残りなのである。
向こうはもう、私のことを憶えてないかもしれないが、いつかもし再会することができれば、あの人達にお礼を言いたい。
・・・
立ちんぼのSさん、H.Kさん、K.Sさん、その他あの時お世話になった皆さん、今頃、どうおすごしでしょうか。
私はどうにか生きています。
もし将来、再び会えることができるなら、どうかその日までみなさん、お元気で。
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タグ: 京都



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