音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2010/9/29

カンティヨン "ロゼ ドゥ ガンブリヌス”  

今日は贅沢にも高級ベルギービールの1つである、カンティヨンの"ロゼ ドゥ ガンブリヌス”(ランビック・フランボワーズ)を飲んだ。
1本900円以上の超高級品である。
私の甲斐性で滅多に飲めるものではない。
だが、それでも今日飲んだのは、日頃生きる為にがんばって働いてきた自分への贈り物として、またささやかな贅沢の1つとして、である。
ランビックがベルギー独特の自然発酵によって作られるビールであることは、ご存知の方も多いと思う。
しかもカンティヨンは、酒の量販店等に売られているリンデマンスのフルーツ・ランビックのように、ジュースのように飲みやすいタイプと違って、本格的なランビックを造るメーカーとしてその名を知られている。
普通のビールとは似ても似つかない味、酸味が強くエグみがあって、野生的な風味だ。
だが一度飲めば、ビールの歴史を感じさせる芳醇な味わいに魅了されるだろう。
あるいは、2度と受け付けないか、そのどっちかだ。
このカンティヨンのランビックは2年以上発酵させた自然発酵ビールに木苺を漬け込み、さらに発酵させて造ったものである。
"ロゼ ドゥ ガンブリヌス”とはガンブリヌス(ビールの神様)のバラという意味。
目の覚めるような美しい赤い色、そして高貴な味わい。
少しずつ口に含んでは舌の中で転がし、ゆっくり味わいながらノドに流していく。
まるで高級葡萄酒を飲むような飲み方だが、値段が高くて一気に流し込むのはもったいないのも、その理由の1つだと言える。

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2010/9/28

金縛りの部屋  思い出の人達

私の家の周りには、アパートやマンションが多い。
このような集合住宅は築年数が古ければ古い程、奇妙なことが起きるものである。
10年程前のことである。
あるマンションに長年、一人で暮らしていた50代の男性Mが自室で病死した。
マンションでの孤独死というと何ヶ月も発見されない場合が多々あるが、Mはそれまでたびたび他の入居者や大家とトラブルを起こし、絶えず大家に目をつけられていたので独居で身寄りが無いにもかかわらず発見が早かった。
Mのいた部屋はやがて荷物が整理され、室内もきれいになった。
・・・
その後、Mのいた部屋にまだ10代の女性Kが住むようになった。
勿論、Kはかってこの部屋にMが亡くなったことは知らない。
ところが入居まもなくすると、Kは、
「この部屋は気持ち悪い。」
と言い出すようになった、という。
大家が尋ねると、この部屋でほぼ毎日のように金縛りにあうという。
大家が「あまり気にしないように。」と言ってもKはきかない。
暫くするとKは実家に頼んで寺の坊主を呼び、この部屋でお祓いをするようになった。
私は近所に住んでいたので、その様子の一部始終を見ていたのだが、
「こんなんで解決するわけないやろ。
アホちゃうか。」
と内心、思っていたがまさにそのとおりで、その後Kはこの部屋でノイローゼからリストカットをするようになり、遂にはマンションの屋上に上がって自殺未遂をやらかし、退去していったのである。
・・・
それから、この部屋には単身赴任の男性が1年程、さらにその後、若い男性が住んで現在に至るが、Kがいたころのような騒ぎは今のところ起きていない。
私は他人事ながら、あの部屋が落ち着いてよかったと思える反面、どうして若い女性のKの時だけ金縛りにあったんだろう、と思った。
そして、すぐに私はある思い当たることがあるのに気づいた。
それは、Mが亡くなってから大家が部屋の整理をしていた時のことである。
私がたまたまその様子を見ていた時、意外とMが本を持っていたことに気づいた。
「あいつ、意外と読書家だったんやなあ。」
と思って、本の山を見ていたらなんとその中にロリコンマンガの単行本がすごい量であったのである。
生涯独身のMだったが、50ヅラのおっさんにもかかわらずこんな趣味があったとは、と内心驚いたが彼も心の底では寂しい毎日をおくっていただろうことは容易に想像がついた。
だからMは死後、Kが来てから自分の肉体が無いにもかかわらず、夜な夜なKを襲っていたのではないだろうか、と思ったのである。
しかし、Mはホモではないのでその後入居した男性には、何もしなかったんであろう。
ただし私は霊能者ではないので、今でもあの部屋にMの霊がいるかどうかは、わからない。
だがもし将来、あの部屋にまた別の若い女性が入居して金縛りにあうようなら、Mはまだ成仏していないだろう。
私はMが早く成仏してほしいと思っている。
Mの残した本の中には、ロリコンマンガの他に一級建築士のテキストなんかもあった。
一見、無軌道で無教養に見えたMだったが、彼には彼なりの自分の人生に対して夢があったのだ。
そう思うと私は、何ひとつ自分の夢が実現できないまま、孤独の中で死んでいったMのことが不憫でならないと思うのだ。
・・・
そして、私はそんなMと自分自身とを比較してみた。
私はMとちがって貧しいながらも良き家族に恵まれているが、まだ自分の夢を何ひとつ実現できていない。
社会の底辺のような境遇でもがきながら生きていると、人生は運が良くなければ努力しても無駄だということを、イヤでも感じることがある。
だから私は、生前、酒を飲んではひとりで道の真ん中で酔っ払って大声を出していたMの気持ちがわかるのだ。
だが、そういう私は家族を幸福にしながら、自分の夢を実現させることができるのだろうか。
・・・
いや、Mのような人達の分まで自分はビッグに生きてやるのだ。
人生、諦めたら終わりだ。
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タグ: 人生 孤独

2010/9/21

ベルギービール(2)  

今日は久し振りにベルギービール(シメイブルー等)を飲んだ。
3,4年程前まで私はベルギービールにハマりまくって実によく飲んだものである。
そもそも、私達夫婦は新婚旅行でオランダとベルギーへ行ってきたのだが、その時に飲んでハマったのがきっかけである。
その後、名古屋にある有名なベルギービール専門店「木屋」さんにも毎月のように買いに行っていたし、そのころまでに既に200種類ぐらいの銘柄を飲んでいた。
しかしその後、通風を患い、子供の養育費等諸々の生活費も以前よりかかるようになると、次第に買わなくなってしまった。
といっても、ベルギービールが嫌いになったわけではない。
それどころか恋人と疎遠になったような、寂しい気分である。
私は今でも病院に通って、尿酸値を下げる薬を毎回もらって飲んでいる。
おかげで太ってはいるが、これといった症状もなく快適に生活している。
数年前、足の親指がはれて痛くて歩けなかったのがウソのようだ。
できれば血液検査の各数値が全部正常値で体重も今より○キロ減ったら、そして何よりも今より金持ちになれたら、週に3日はベルギービールが飲めるようになりたいものだ。

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2010/9/19

豊田市美術館  

今日は家族と共に豊田市美術館へ出かけた。
ここを訪れるのは2回目だが、前回の印象がとてもよかったのでかねてから再訪したいと思っていた。

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今回の特別展示は「石上純也ー建築のあたらしい大きさ」である。
石上純也(1974年生まれ)の設計によって創られ展示されるそれぞれの模型は、単なる模型であることを超えて、その場所に具体的な空間をかたちづくる建築でもある、という。
建築模型といっても、斬新な現代的なアートとして鑑賞する価値は充分にあるものばかりだ。
ただ、一部開催中にもかかわらず未完成の展示があったのは少々残念だった。
しかし、この美術館は建物そのものがまたすばらしい。

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常設展示では特に私が昔から大好きだったクリムトやイブ・クラインが間近に鑑賞ことができたし、漆工芸の高橋節郎館も見ごたえのあるものだった。
そして妻や娘が今回最も楽しみにしていたのが、屋外の茶室、「童子苑」である。

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こじんまりした庭園だが、茶室でいただく抹茶とお菓子の味は格別のものであった。
・・・
豊田市美術館のことを知ったのは、ある知人からであった。
むかし、その人から豊田市にすばらしい美術館があるから一度訪れるといい、とすすめられたことがあるのだが、その当時の私には豊田というと自動車博物館、というイメージしかなかった。
加えて豊田というと愛知県の西三河、文化不毛の地で車キ○ガイの多い町。
そんなところにヘタに出かけたら、美術館の駐車場は地元暴走族のサーキット場になってるんではないだろうか、等といった先入観がぬぐえなかったのである。
だが、いざ実際に訪れてみると駐車場は整然とし、けっこう県外のナンバーの車を見かけ、熱心な美術ファンが足しげく訪れているんだなあ、と言う感じである。
交通の便も良いので、興味のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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タグ: 美術館 愛知県

2010/9/16

行方不明になった男  思い出の人達

10年程前だっただろうか、私の家の傍のマンションにSという男がいた。
Sは水商売の店に勤めていたが、この業界に入る前はなんと、中部電力にいたという。
しかも彼には妻子がいたが、会社をやめる際にもめて別れたのだと言う。
(そりゃ、そうだろう。)
だが、彼はどうしても飲食店をやりたかったと言っていた。
Sはけっこう、口がうまくマンションの大家とも打ち解け、マンションに空室ができるとうまい具合に友人を紹介しては入居させたりしていたので、大家からも一目おかれていた。
だが私はそんなSがなんとなく胡散臭く感じられ、あまり好印象を持っていなかった。
一度だけSの作った料理を食べさせてもらったことがあるが、いかにもこういうレシピのとおり作りましたよって感じで、本当に、これで自分でオーナーシェフでもやるというのか、というのが率直な感想だった。
勿論、私は友人でもないSに素直な気持ちを言うつもりはなく、単にお礼を言ったにすぎなかった。
その頃の私はSに対して心の中で、
「こいつは、どこまで世の中をナメきっているんだろう。
要領と自分の能力だけで何でもできると思い込んどるんやろか。」
と、常に批判的であったし友人が多いわりには、誰か彼に忠告することができる人間が廻りにいないのか、と疑問に思っていた。
暫くするとSは、
「ある人から店をまかされるようになった。」
と言ってきた。
私はあの程度の腕前で本当にやれるのかとびっくりしたと同時に、彼がとんとん拍子に自分の人生を切り開いていくのを見て、内心羨ましく思った。
生まれてこの方、日の当たるような人生を歩んだことのない私には、一瞬だが彼が自分より運や実力のある人間に思えたものである。
・・・
だが、このころから彼の人生が下降し始めたようだ。
案の定、Sが担当するようになってから、彼の店は閑古鳥が鳴くようになった。
やがてその店は閉め、彼をまかせたオーナーとももめてSは無収入になった。
Sは同時に家賃をため始め、友人からも借金をしまくり大家等、周囲の人達を心配させるようになった。
そして数ヶ月経ったある日、私はとんでもないものを見てしまった。
Sの住んでいるマンションの前で、Sが大勢のスーツ姿の男達に囲まれて無理やり車に乗せられていたのである。
私はそれを見た瞬間、咄嗟に柱の奥に隠れて一部始終を見ていたが、
「とうとう、来る所まで来たか。」
と思った。
そしてこの日がSを見た最後の日となったのである。
勿論、その後Sがどうなったかは定かでない。
それにしてもVシネマやTVドラマではよく見るシーンをまさか、目の前で本当に見るとは思わなかったので、その時は我ながら驚いたものである。
・・・
それから暫くして大家はSが何の音沙汰も無く、連帯保証人であるSの親とも連絡がつかないので、とうとう部屋の強制退去に踏み切った。
そのころに大家にSの部屋を見せてもらったが、足の踏み場もない程、部屋は散乱し、彼の荒んだ生活態度を物語っていた。
その時、私はゴミの山からアルバムを見つけた。
アルバムには彼の今迄の人生を捉えた多くの写真が貼られていた。
・・・
だが、話はここで終わったのではなかった。
彼の部屋に入ってから数日後、夜中に私は突然、金縛りになったのを今でも憶えている。
金縛りにあって私は必死になって、
「お前は誰や。
何でこんなことをする。
言いたいことがあるなら、ハッキリとオレに顔を見せいや。」
と、心の中で叫んだのである。
すると、私の目の前におぼろげに現れたのは(夢の中だったのかもしれない)、Sの顔だったのである。
翌朝、私はその夜のことを思い出してこう思った。
「あいつはもう、この世にはいないかもしれんな。」
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タグ: 人生 サラ金

2010/9/3

衣笠丼(きぬがさどんぶり)  グルメ

前回、ソースカツ丼について書いたので、もう1つ思い出の丼について書こうと思う。
京都に住んでた頃、会社の昼休みには時々、近所の大衆食堂へ行った。
場所は中京区の三条から四条にかけての道である。
今はもうないかもしれないが、当時は昔ながらの大衆食堂があった。
暖簾をくぐると、かなり高齢の主人が「いらっしゃあ〜い。」と迎えてくれる。
椅子もテーブルも、店内の何もかもが古びた店だ。
店の壁に貼られたお品書きを見ると、親子丼、他人丼、カツ丼に続いて衣笠丼の名があった。
そのころ私はこの丼飯のことを知らなかったが、思い切って注文すると、やがて老主人が持ってきてくれたのは、一見、親子丼のようだがよく見ると鶏肉の代わりに油揚げが入っている、変わった丼であった。
食べてみると甘辛いだしがきいてて、どこか懐かしい味だった。
後に調べてみると、この丼飯は京都独自のもので大阪ではキツネ丼、中部地方では信太(しのだ)丼と呼ばれるそうだ。
因みに京都でキツネ丼というと、卵を使ってないお揚げだけの丼のことを言うのだそうだ。
いずれにしても、関西地方周辺でしか見られない料理だそうである。
ただ、料理としてのインパクトにはやや欠けるから、ご当地グルメとしておすすめするにはちょっと地味かな、と思う。
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