音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/5/18

ハッテン場の男(2)  思い出の人達

今池のサウナ「S]で会ったホモ男Kの事件から暫くして、私はやけ酒を飲んだり風俗店へ通う日々を続けていたが、それでも元来、自分の思った事を腹の中にしまっておけない性格なので、ある日、友人のTに電話でKに会った事を憂さ晴らしの為に、洗いざらい話した。
Tは、
「せつださんもおかしいぞ。
塩サウナの浴室に二人っきりになるのに、のこのこ、ついて行くんだから。」
と言った。
「だけど、まさかあんなことになるなんて夢にも思わんやないけ。」
「だいたい、そういう所はハッテン場なんだから、相手もせつださんが同意したと思っても無理ないわな。」
「ハッテン場?なんやね、それ。」
「あんたハッテン場も知らんのか?
男同士が出会いを求めてエッチする所じゃんか。
あんた、そういう事も知らずにあそこへ行ったんか。」
「げげっ、当たり前やないか。
ホンマにそういうとこや、と知っとったら、始めから行くわけないやろ。」
私は高校、大学時代にユースホステルをよく利用して旅行したりしたものだが、そこでは初対面の若者同士が仲良く和気あいあいに話をしたり、一緒に旅を廻ったりしたものである。
だからサウナでKに話しかけられた時も、ユースホステルにいた時のようなノリで気さくに応じたのにすぎなかっただけである。
当時既に30歳をとうに過ぎていたのに、ウブ(?)というか本当にそっちの世界の事を知らなかったのである。
そんな私にTは、
「それにしてもその話、面白過ぎるぞ。」
と、こっちが散々な目にあった話をずうっと笑いながら聞いていた。
・・・
この話には後日談がある。
友人Tは、余程暇人なのか好奇心旺盛なのか知らんが、私の話を聞いてから一人で今池のサウナ「S]へ出かけたという。
私はパリ人肉事件の佐川一成に風貌が似たTに、
「ほいでどうやったね。
おみゃーさんに声かけてくるような奴がおったんかね。」
と聞くとTは、
「そんな奴はおらんかったけど、不思議というか、ありえない光景を見ちまったなあ。」
「なんやね、それは。」
「洗い場で男同士でお互いの顔を剃り合ってる奴らがおったんだわ。
片方なんか、うっとりした表情なんかしちゃってさあ。
あんなこと、普通するかあ。」
「ホンマか、気色悪いなあ。
そいつら、やっぱりそっちの気がある奴らとちゃうけ。」
「外見からはそんな事するような人間には見えんのだけどな。」
「どんな奴らだったねん。」
「一人は背の低いずんぐりした体型でサーファー・カットをした中年のオッサンだったぞ。」
「サーファー・カットの中年?
お、おい、そいつ、もしかしたら、この前ワシが会うたKやぞ。」
「世間は狭いなあ、フハァーハッハッハーッ。」
Tは腹を抱えて苦しそうに大笑いしていた。
・・・
妻にも独身時代の思い出話としてKの事を話したことがある。
妻も友人もこの話をするとみんな大笑いをするが、こっちは当時、大変な目に会ったのに他人事だと思って気軽に笑ってらっしゃるのである。
「もしおとうさん(私の事)がその時Kの要求を受け入れていたら、私と結婚してなかったかもしれないわね。」
妻がそう言うと私は、
「アホか、そんなことになるくらいなら、死んだ方がマシや。」
と答えた。
「でも東郷健さんも言ってたじゃない。
『男が男を愛して何が悪い』、って。
キャー、ハハハハハ・・・。」
と妻は一人で言って、一人で笑っていた。
・・・
そしてKに関しては、もう1つ後日談がある。
私が結婚して10年程経った頃、私達家族はある休日に名古屋市天白区にあるスーパー銭湯「T」へ行った。
私が小学生の高学年になった息子と風呂に浸かっている時、洗い場付近で絶えず周りをキョロキョロしている男がいた。
変な奴がいるなあ、と思ってその男を見ると、ずんぐりした体型、年齢に相応しくないサーファー・カット、ん、まさか・・・
「Kだ!!」
私はびっくりして心の中で叫んだ。
あの特徴ある外見は一度見たら忘れない。
あれから10年近く経っているのに、まだ奴はサウナや銭湯へ来ては男を物色しているのか。
ハッテン場に来る奴は必ずシングル(一人でいる者)をねらうというので、私は息子と自分が万が一、また奴に声をかけられないように、大浴場を出るまでピッタリと親子でくっつきながら、警戒するように入浴をした。
スーパー銭湯「T」を出てから、私は妻と子供達にKがいた事を話した。
妻は、
「へぇーっ、本当?
未だにその人、そんな事やってるのね。」
と驚いていた。
あの今池のサウナで会った当時、Kはおそらく私よりかなり年上だったはずである。
だからこの時のKは60代だったかもしれない。
世間一般では孫がいてもおかしくない年だろうが、Kはとうとう結婚もせずに相変わらず男漁りをしているわけである。
「奴はええ年こいても、あんな生き方しかできへんのやろか。」
私はKの事を呆れるような、哀れむような気持ちで思った。
しかし価値観の違いの問題で、こういった事に肯定的な考えを持っている人は、Kに対して私のような意見は持たないかもしれない。
あの事件から私の人生で変わった事は、あれ以来、二度と一人でサウナやスーパー銭湯へ行く事はなくなったことである。
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タグ: 人生 風俗

2011/5/18

ハッテン場の男(1)  思い出の人達

これは私が独身時代に偶然会った男の話である。
当時、私は会社勤めをしていてその日は仕事の帰りに、
「たまにはサウナでリフレッシュしてみるか。」
と名古屋市千種区の繁華街、今池にあるサウナ「S]へ出かけた。
サウナ「S]は私の自宅からわりと近い所にあるが、入ったのはこの時が初めてであった。
大浴場でどっぷり湯に浸かっていると、突然隣にいる男が、
「ここへは、よく来るの?」
と話かけてきた。
「いや初めてなんですが、元々旅行や温泉が好きだから、たまにはこういう所によってみるのも良いかな、と思いましてやって来たわけなんですよ。」
と私は気さくに答えた。
旅先で見ず知らずの人とこのような会話をするのは、私にとってはよくあることである。
この時も旅行中の時と同じノリで会話をしたのだが、今にして思えば相手は私が自分の事を好意的に見ていたと勘違いしたのかもしれない。
「今日は一人で来たの?
オレも一人だけど、よかったら一緒に話でもしようよ。」
男はあきらかに私より年上の中年でサーファー・カットの髪型、ずんぐりむっくりの体型で身長は私より背が低かった。
この時私は、彼のことを物怖じしない社交的な人間としか見ていなかった。
男はKといって名古屋市の南部に一人で暮らしていると言う。
Kは、私に君は学生時代に何かスポーツでもやっていたかとか、いろいろ聞いてきた。
そしてKは学生時代に柔道をやっていたことを語り始めたのである。
その柔道部の合宿では、稽古の後、風呂場で後輩が先輩の背中を洗うのが恒例行事だったそうである。
Kもご他聞に漏れずある先輩の背中を流した。
すると何を思ったのか、突然その先輩は、
「あっ、うっ、うっ。」
と体をくねらせるようにもだえる始めると、いきなりKの前で仰向けになり、
「K,も、もうがまんできん、は、早くしてくれ!」
と叫んだという。
Kが見るとなんとその先輩の下半身はギンギンに直立していたそうである。
Kは、さすがに驚いて、
「先輩、どうすればいいんですか。」
と聞くと先輩は、
「K、すまんが、早くすっきりさせてくれ!」
と真剣な眼差しで相当、興奮した様子でKに命令したという。
私は唖然とした表情で、
「ははあ、それでKさんは風呂場から逃げ出したのですか。」
と聞くとKは、
「とんでもない。
俺達の時代、運動部の中で先輩の命令は絶対的なものだったから、オレは先輩のモノをちゃんと、しごいてスッキリさせてやったよ。
若いから、最後にイク時はすごい勢いでなあ。
発射したやつが、オレの目の中に入っちゃったよ。」
と言って、なおかつ、
「ドピュッ!う、目ん中、入っちゃった。」
というリアクションを何度も私の前でして見せたのである。
私は目が点になって見ていると、Kは私の顔をまじまじと見ながらこう言った。
「その先輩がね、背格好から雰囲気まで君にそっくりなんだよ。
こうして君を見てると、なんだか初めて会った気がしないんだ。」
初めは面白く聞いていた私も、最後のその一言には思わず、
「冗談じゃない。
そいつと一緒にしてくれるな。」
と言いたい気分だった。
私がそろそろこの場から離れようかな、と思った瞬間、Kは、
「この店の名物は塩サウナなんだよ。
やってみたことがあるかい。」
と聞いてきた。
「いや、まだですけど。」
するとKは、
「折角、ここに来たんだから、ちょっとやっていこうよ。
いいだろ。」
としつこく勧めてきた。
いきなり邪険にするのも失礼だから、塩サウナに入ったら帰るつもりで、私は渋々承諾した。
塩サウナでは自分の体に塩をこすりつけて入るのであるが、Kはいきなり私の体に塩を擦りつけてきた。
「あっ、自分でやりますからいいですよ。」
私はホモっ気が全くないので、男に体を触られるなんてことは絶対イヤだったが、Kは、
「いいから、オレがやってやるから。
君はじっとしてればいいんだよ。」
すると今度は私に抱きつくようにKは自分の体をくっつけてきたではないか。
「やめろ、気持ちの悪い。
ええかげんにせえよ!」
さすがに私はキレてきた。
Kはびっくりして、
「何でそんなに嫌がるんだ。」
とぬかしやがった。
「あたりまえだろ。
ソープランドで綺麗なオネエ様にしてもらうならまだしも、冗談じゃないぞ。」
「でも君は快くオレの誘いに応じてくれたじゃないか。」
「アホか。
こっちはそんな気はさらさらないわ。
話をしようかって言うから、こっちは当然、話だけと思うやないか。」
するとKは、
「一ヶ月前ここで始めて会った○君は、君みたいに拒否しなかったぞ。」
「そいつはきっとホモなんだ。
でもワシは違う。
一緒にしないでほしい。」
するとKは、よりいっそう真剣な表情になってまるで教師が横着な生徒を諭すような口調で語り始めた。
「君はホモが気持ち悪いとか、女でなければダメだとか、常識の枠にとらわれ過ぎていないか。
心の壁を取り除いてもっと自由な発想で人と接するようにしなければ、ダメじゃないか。」
まるでこっちが間違っているみたいに、Kは懇々と言って聞かせるように説教を始めたのである。
人間、あまりにも予測不可能な大胆な目に遭うと、今自分は現実の中にいるのではなく、悪い夢をみてるんではないだろうか、いや、夢であって欲しいと思うことがあるが、この時の私はまさにその状態であったと言えた。
しかし、ここで負けてはいかん、と私はKの気迫に負けじと、気持ちを奮い立たせて応戦した。
「なんでそんなことで、アンタに説教されなけりゃならんねん?
普通に会話をしたり酒を飲むならまだしも、汚らわしいことは一切、お断りだ。」
「でも君はオレの先輩にそっくりなんだ。
だから単なる男同士の付き合いだけでは、オレは満足できないんだ。」
「そんなこと、ワシの知ったことではないわい!」
なかなか折れない私に、Kは、
「まあ、こういう経験が今迄無いから、拒否したくなるのも無理は無い。
また今度会って、またじっくり話でもしようや。」
「また会おうって、どうせまた気持ちの悪いことすんでしょ。」
「君の気持ちが打ち解けてくるまで、オレは諦めないよ。」
「もうけっこうです。」
「そんなこと言わずに、今度いつ会える?」
会話だけ聞いているとまるで男が必死で彼女を口説き落としているみたいだが、悲しいことに男同士の会話であった。
Kがあまりにしつこいので、私は次の土曜日の夜に、このサウナで再び会う約束をした。
するとKは、やっと安心したように、
「次会えるのが楽しみだね。
今日は楽しかったよ。」
と言って、ようやく私を解放してくれたのである。
精神的に疲れきった私は、逃げるようにこのサウナから出て行った。

・・・
その後、私は二度とこのサウナへ足を運ぶことはなかった。
もう、あんな経験は懲り懲りだったし、ちょうどその頃私は親に勧められてお見合いを重ねていた。
しかし、なかなか良い女性と巡り合えないどころか、Kのような男に迫られて大変な目に会っていたので、
「なんでワシだけがこんな目に会わなあかんのや。」
と、今思い起こすと、この時期の私の気持ちは相当に荒れていた。
Kに触られて体がけがれたような気分になったので、名古屋市中村区のソープランドにも何度か行った。
でも人間、地道に生きて行けばいつかは運が良くなってくる時があるもので、それから数ヵ月後、現在の妻と出会い現在に到っているのである。(続く)
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タグ: 人生 風俗

2011/5/16

インドの大正琴  楽器

特定の国で生まれた楽器が外国に伝わって、そこで新たな楽器として生まれ変わり地元の人達に愛される、ということは人類の歴史上、たびたび起こったことである。
日本で生まれた大正琴もその例にもれず、インドでbulbul tarang(ブルブルタラング)、若しくは英語でIndian Banjoと呼ばれる楽器になったことを知って、私は文化の違いや、ある種の異国の文化が他の国や地域によって本国では考えられないような、それぞれ独自の発展の仕方をする、ということに大変興味をおぼえたものである。
勿論、これに対して違和感を感じているわけではない。
よくぞここまで変わってくれたと心から感心しているのである。
日本のものと決定的に違う所は、さすがシタールやディルルバを生んだ国だけあって、共鳴弦が付いている点である。
そして、この動画で演奏されているもののように、エレクトリックになっているものもある。
音色は勿論、スパイシーなインドのサウンドで、これにタブラやドラムマシンのリズムが加わればエスニック・トランス・ミュージックが出来上がり、思わず踊り出したくなりそうだ。

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2011/5/11

テオ・ヤンセンの歩く彫刻  気になる人、モノ

何年か前にTVで、始めてオランダの彫刻家Theo Jansen(テオ・ヤンセン)のSTRANDBEEST(ストランドビースト。彼自身が開発した風の力で動く彫刻)と呼ばれる、砂浜を歩く作品を見た時、そのすばらしさに感動したものである。



彼は大学時代に物理学を専攻したそうだが、確かに風を受けながら足並みを揃えながら多くの足で砂浜を闊歩する様は、その方面の知識が無ければこのような作品を創ることは出来ないであろう。
しかも、その動きはロボットのような機械的なものではなく、まるで巨大な節足動物やクマムシのような生き物が動いているような自然な動きなのである。
公式サイトのプロフィルを見ると、テオ・ヤンセンは1948年にオランダのScheveningen(スフェベニンゲン、オランダ国内でも有名な海のリゾート地)に生まれた、とあるが、すると彼のストランドビースト達が歩いていた広大な砂浜は、おそらくスフェベニンゲンなのだろう。
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私事だが、私は1993年に新婚旅行でオランダとベルギーへ行った。
オランダでは、このスフェベニンゲンにもよっているが、この地では面白い思い出がある。
ツァー客みんなで地元のレストランで食事をした時、デザートに洋ナシの赤ワイン煮がでた。
デザートは他の料理同様、大皿に盛られ客が自分で好きなだけ小皿により分けて食べるやり方であった。
それがけっこう、うまかったので私は大皿に残った分も、もったいないと思って全部たいらげた。
すると、店の奥からヴィンス・クラークそっくりの支配人らしきオジサンが出てきて、
「You ate it clean. The taste was good you?
(きれいに食ったやないか。味の方はどうやねん)」
と、聞いてきた。
「Extremely delicious!Thanks.
(おおきに、めっちゃめちゃ、うみゃあでかんわ。)」
と私が言うと、オジサンは、
「You're a funny guy.
If you like so much, I'm going to have another one.
Waiting for me.
(あんた、オモロイわ。
そんな気に入ったんやったら、まあ1杯持ってくるさかい、待っててえな。)」
と言って、間もなく大皿1杯の洋ナシの赤ワイン煮を私の前にデンと置いたのである。
びっくりした私は、
「This is too much!
(メッチャ、多すぎるで!)」
と言うと、オジサンは私の肩をポンポンと叩いて笑いながら、
「All right, if you will eat it.
You don't have to hold back.
(大丈夫、あんたなら食えるわ。
遠慮せんでもええで。)」
と勧めるのであった。
私はオジサンの好意(?)を無駄にしたくない思いと、多少の意地もあって必死でデザートを平らげたのであった。
その量、7〜8人前で勿論、その前にスープ、パン、メイン・ディッシュを一通り食べている。
苦しそうに腹をさすりながら、私はオジサンとお互い、
「Thank you!」
と笑顔で声を掛け合いながら、店を出たのであった。
店を出ると歩いてすぐ、スフェベニンゲンの広大な砂浜にたどり着く。
この時、季節は3月の下旬で風がとても強くて冷たかったが、生まれて初めて見るヨーロッパの北海を眺めながら雄大な浜辺を歩くことができて私は、
「今迄、生きてて良かったなあ。」
と、しみじみと思ったのであった。
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テオ・ヤンセンの話から、かなり脱線してしまった。
旅の好きな私はいつかまた、オランダにも行きたいと思っている。
もしその時スフェベニンゲンに寄ったら、たまたまテオ・ヤンセンの作品のイベントでもやってて、彼のストランドビーストと砂浜を歩くことができたら楽しいだろうな、と思う。
(注)私の頭の翻訳機能には、標準語で和訳することができないようです!?
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2011/5/9

Erdinger Urweiss(エルディンガー・ウーアヴァイス)  

私はヨーロッパの輸入ビールをよく買って飲むのが好きで、これまでベルギー・ビールをいくつか取り上げてきたが、ヨーロッパ1のビール大国ドイツのビールも、勿論大好きである。
昨日の母の日に我が家の「お母ちゃん」である妻への感謝も込めて、名古屋市内の成城石井で奮発して買ったビールの1つがこの、Erdinger Urweiss(エルディンガー・ウーアヴァイス)である。

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エルディンガーのビールは、ヴァイツェン、ヴァイツェン・ドゥンケルといった定番商品なら名古屋市内の酒の量販店で普通に買うことができるが、このウーア・ヴァイスは限定醸造商品のようで、私も今回初めて目にしたものである。
始めてみる新製品で本場の物ときたら、こりゃもう買わないわけにいかないでしょう。
日頃あれ程ケチな私が、こういう時は一気に財布のひもがゆるむのである。
そして、この日買ったウーア・ヴァイスは早速、晩酌でいただいたわけである。
妻のおいしそうな顔を見たら、やっぱり買って良かったと思う私であった。
「んで、味の方はどないやねん。」
と思われるでしょうが、勿論、ごっつう、うまいに決まってますやないか。
多少、酸味を含んだまろやかな味わいで、飲んだ後に鼻の奥にフワーッと花のような香りが通るのが、たまりません。
ビールのタイプとしては、南ドイツでよく飲まれる、ヴァイツェン・ヘーフェ(酵母入り小麦ビール)で、日本の地ビールである銀河高原ビールもこのタイプである。
えがったなあ〜。
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2011/5/8

下元克巳「五里くん万歳!!」  マンガ

このマンガは、前回紹介した”下元克己「欲望」”と同時期に購入した貸本「学園ロマン誌”青春No.29”」に掲載されたものである。
この本は、なんと220円で購入した。

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古本に限らずリサイクルや古物は、物や時期によって相場が変わるものであるが、勿論、安ければ安い程有り難いものはない。
・・・ 
物語は五里一平が憧れの人である泉澄美と結婚し、デレデレの新婚生活を送るが、気がついたらただの夢だったという他愛の無いものである。

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1968年に少年マガジンに連載される前から、「快男児ゴリ一平」の一連のキャラクターは全て揃っていたのがよくわかるが、子供(小学生)の頃、リアルタイムで「快男児ゴリ一平」を愛読していた私は、なんとゴリとヒロインの泉澄美はいつか結ばれるのではないか、と思っていた。
結局、少年マガジン連載版の方のゴリ一平も、泉澄美との恋が成就することはなかったが、読者にそこまで主人公に対して感情移入させる程、このマンガは印象深いものであったと言って良いだろう。
下元克巳のマンガは登場人物にどれも流れるような動きを感じる。
劇画チックと言っても良いし、アメリカン・コミックに通じるような躍動感があるのだ。
小学生だった当時、私は彼のマンガを、
白土三平+モンキー・パンチ÷2=下元克巳
という、勝手な解釈をしていたものである。
大人になった今もその考えは変わりが無いが、マンガに限らず、40年以上経っても愛着を感じる作品に出会えたことは、ある意味、人生の収穫と言っても過言ではないと思う。
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