音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/7/29

冷やしあめ  グルメ

妻がダイエー今池店でなつかしいものを買ってくれました。
冷やしあめでございます。
たまたま見つけたものですが、京都好きの私のためにわざわざ買ってきてくれたのです。
良く気の利く、いい女房であります。
関西ではない名古屋には当然のことながら、あまり冷やしあめを売っているのを見かけることはありません。
特別好きと言う程ではないのですが、それでも見ると嬉しくなります。
濃厚な甘味と生姜の風味が懐かしさを誘います。
このサンガリアの冷やしあめは昔、京都で飲んだものに比べると、甘味が強く色が薄いなと思いました。
冷やしあめも店によって微妙に色、味、香りが違ったものです。
今度、京都に帰ったら冷やしあめの飲み比べをしてみようかとふと、思う今日この頃です。

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タグ: 京都 飲み物 グルメ

2011/7/25

Einbecker Mai Ur Bock(アインベッカー・マイウーァボック)  

アインベッカー・マイウーァボック。
これもまた、ホンマにうまいビールでございます。
ボックは高アルコール(約7%)、高い麦汁濃度のラガー・ビールで力強い味です。
でも、喉越しがよく夏でも何杯でもいけそうです。
こんなにうまいビールを安い値段で飲んでる地元ドイツの人達が羨ましくて仕方がなくなる時もありますが、ベルギーやチェコのすばらしいビールを好きな時に買って飲める日本に住んでることにも感謝している次第でございます。
ビールは料理を引き立てる為に飲むのであって、ビールの味が目だってはいけない、等と言うウンチクを何かの本で読んだことがありますが、そんなのは邪道でございます。
それはヨーロッパの味の濃いビールのうまさを知らない人間の言う言葉でしょうが、私に言わせればそれは、人生の大切な部分を知らぬままに過ぎてしまった浅はかな人間のボヤキと言ってもいいものであります。
私は以前、絶対に味の組み合わせとしてはあわないだろうと思いつつ、キムチや赤味噌を使った炒め物を食べながら、ボックやヴェルテンブルガーのピルスを飲んだことがあります。
結果は思った以上にあいました。
というか、これらの強烈な料理の味に全くビールの味が負けておりませんでした。
そしてビールと料理、双方のおいしさを存分に味わうことができたのです。
ドイツビール恐るべし、でございます。

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2011/7/17

Stockhausen"Japan" (Fur kommende Zeiten)  エレクトロニック・ミュージック

シュトックハウゼンの"Japan(Fur kommende Zeiten)日本(来るべき時のために)1968 - 1970"は、彼の作品の中で私が最も気に入っている曲でございます。



電子楽器の響きがなんだか雅楽みたいだし、パーカッションの音も和太鼓や拍子木のような感じです。
この曲は電子音楽でもあり、即興音楽でもあります。
楽譜はTextと呼ばれ、五線譜ではなく様々な言葉が書かれていて演奏家はその言葉から連想する音を即興で引き出していくのです。
この動画に収録されたヴァージョンの楽器編成は以下のとおりです。

Harald Boje - electronium & woodblock
Christoph Kaskel - percussion
Peter Eotvos - electrochord & woodblock

electroniumというのは、3オクターブの鍵盤のついた初期のシンセサイザーとも言える楽器で、波形をフィルターやリング・モデュレーターで加工し真空管で増幅する、というものです。

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electroniumを演奏するHarald Boje(アラール・ボージェ)

一方electrochordとは、コンタクトマイクの付いたツィターのような弦楽器をEMSのシンセサイザーに接続し、弦を弾いたり弓で弾いた音をシンセで加工して音を創り出す楽器であります。

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electrochordを演奏するPeter Eotvos(ペーター・エートヴェシュ)

これらの楽器の写真を見ると、70年代初期の(特にドイツの)プログレ・バンドがいかにシュトックハウゼンの影響を受けていたか、よくわかります。
ただ曲を聴いていて、パーカッションを除いてどれがどの楽器の音かは、皆目わかりません。
しかし予測不能な電子音が次々と織り成す様は、へたなディジタル・シンセで創った音楽よりもはるかに面白いものだと思います。
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2011/7/15

Surbahar(スールバハール)  楽器

今まで楽器のカテゴリーでいろんな民族楽器を紹介してまいりましたが、驚きました。
まだまだインドにはすばらしい楽器があるんですな。
これはSurbahar(スールバハール)と言って、欧米では”Bass Sitar”とも呼ばれているようです。
私、浅学非才ながらこの楽器のことを知ったのは、つい最近のことです。
確かに普通のシタールより大きいです。
しかもこんなに大きな楽器を抱えるように座って演奏するのですから、かなり大変そうです。
弦も低音部のものはかなり太く、日頃から相当指を鍛えてないと痛めてしまうそうです。
珍しい楽器だけあって、現地でもシタール奏者に比べてスールバハールの奏者というのは数が少ないそうですが、音の素晴らしさはシタールに勝るとも劣らないと思います。

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2011/7/13

Hofblau Maibock(ホフブロイ・マイボック)  

このドイツビールは最近飲んだものの中でもダントツのうまさでございます。
ボックというのは、高濃度、高アルコールのラガー・ビールのことですが、暑い日に飲んでも重厚な風味とその中にほんのりと感じる麦芽の甘味がたまりません。
このビールがどのくらいウマイかと言うと、
関西人なら、
「おいしゅう、どすなあ。」
「ごっつぅ、うまいやんか。」
そして名古屋人なら、
「うみゃぁぁぁぁぁあああああ!!。」
と思わず言いたくなるような、うまさでございます。
もし第3のビールのような激安価格だったら、麦茶感覚でガブガブいっちゃうところであります。
ビールのことを別名、「液体のパン」と呼ぶドイツと違って、日本は大変、酒税の税率が高うございます。
度重なる国の累積赤字のせいで、ビールの税率が下がるなんてことは今後、天地がひっくり返ってもありえないでしょうから、私のような小市民は、わずかな小遣いをやりくりしながら今後もこの手のビールを少しづつ買っては大事に飲んでいくことでしょう。
この写真を撮った日は、このホフブロイ・マイボックとビットブルガー・ピルスを飲みました。
私達夫婦は大変満足した夕食を過ごすことができたのは言うまでもありません。

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2011/7/12

成り上がり夫婦の末路  思い出の人達

私の実家の家電業のお客様の中に、Cという実業家がおりました。
私は昔何度か、Cの自宅や彼の経営する飲食店へ配達や家電取り付け工事の仕事におじゃましたものでした。
Cは所謂、成り上がりと言えるタイプの経営者でした。
私が彼の所に出入りした頃は、既にCは名古屋市千種区の高級住宅街に城のような邸宅に住んでいました。
その邸宅にG県出身の奥さんと2人だけで住んでいて、愛車は大きなベンツでした。
しかし初めから裕福だったわけでなく、奥さんと古い木造アパートに住みながら小さな飲食店を始めたのがスタートだったそうです。
そういう意味で、2人は成り上がりと言えるでしょう。
Cもがむしゃらに働いたようですが、彼の奥さんがまた、働き者でした。
当事の高度成長期の波に乗って、彼らは名古屋駅の地下街等に数店の飲食店を持つようにまでなりました。
ここまで会社が大きくなったのは、私を含めて周囲の者はCよりもむしろCの奥さんの働きぶりによるものだと見ていました。
Cの奥さんは店ではママとして働き、自宅へ帰っても店に出す料理の仕込みやら準備で大忙しでした。
せかせか動く姿を唖然として見ていた私にCの奥さんは、
「いつもこれくらいがんばらにゃ、あんだけの店はやっていけんのよ。」
と言っていました。
当事私はまだ社会経験も少ないヒヨッコでしたが、さすがに、
「ここまで働くと、勤勉というより一種の貧乏性みたいなもんやな。」
と内心では思ったものです。
Cの奥さん(以後、Cママと表記させていただきます。)は夫と2人で築き上げた店を経営していく為に仕事の鬼と化していたようです。
自分達が一度築き上げた物(店)を失いたくないために四六時中、仕事に追われているようでした。
仕込み等の作業にしても、それぞれの店に配属された従業員に全てまかせていればよいものを、こういう頑固で完璧主義者の人間というものはどこでもそうですが、人任せにできないし全てにおいて自分が仕切らないと気がすまないようでした。
Cママは自宅でもこのありさまだから、店の中では絶えずピリピリしていました。
職務中は、いつも険しい表情をしているのが仕事のデキる人間の態度と勘違いをしている輩というのは、時代や場所を選ばずいるものですが、Cママも間違いなくそんなタイプでした。
このような経営者が主導権を握っている店というのは、Cママがいる間、店内の従業員も張り詰めたような感じでしたが、何かの用事で彼女が店を抜けると、従業員達の緊張が一気に解けタガが緩んだようになったものです。

ある日、私がCママの店に配達へ行った時のことです。
店内に入ると偶然、Cママに会いました。
Cママは自分の店を何件も持っていて、掛け持ちで次から次とお店を廻っていたので、以外にも店で顔を合わすという事がこの時初めてだったのです。
私は営業用の愛想笑いを浮かべながら、
「いやあ、奥さん、こんな所で出会うなんて初めてですねえ。」
と、言いました。
すると、Cママは不機嫌そうな顔で、
「こんな所で悪かったわね。
ここは私の店よ。」
と言ったのです。
私は、一瞬驚いたものの、すぐに営業用スマイルに戻って、
「そうですねえ。
これは失礼しました。
ここも、あのB店もC店も、みーんなママさん達が一代で築き上げた城のようなものですからねえ。
ハハハ、大したもんですわ。」
と言って、Cママの顔を見ました。
普通、ここまでヨイショすれば、大抵の人間は頬がゆるんでくるものですが、Cママは依然すわったような目で、張り詰めた硬直したような顔をしていました。
Cママは全国的にも有名な温泉で知られるG県の田舎の生まれで、美人の産地としても名高い所で生まれ育っただけあって、顔立ちは綺麗でした。
しかし、
「いくら真面目で働き者でもあの性格では、いつもいっしょにいる者にしてみたら、シンドいやろなあ。」
と、この時私は、はっきりと思ったものでした。

また、こんなこともありました。
C家に仕事でお邪魔した時、C社長が、
「こんどの週末よう、B店にウン十人の予約ができたけど、店のモンがはりきっとるもんだで、オマエたまには休んだらどうだ。」
とCママをねぎらっていました。
しかしここでも、Cママは私に言った時のような苛立った顔で、
「B店がよくても、他の店があるでしょ!
私がいなかったら、どうすんのよ。」
と吐き捨てるように言いながら、店の仕込みを作っていました。
当然、C社長や私の間には気まずい空気が流れましたが、Cママは自分が苦労している姿を見せつけるように、相変わらず険しい顔で仕事をしていました。
Cママ夫婦の姿を見ているうちに、初めは金持ちで羨ましいと思っていた私もさすがに、
「あれほど富も地位もあっても、果たしてあの人達はあれで幸福なのだろうか。」
と、思うようになりました。

そして、私が疑問に思っていたことが現実になる日がやってきたのでございます。
風の噂でC社長に愛人がいるという話を聞いたのです。
しかもその愛人との間に隠し子までいるということでした。
ところが、肝心のC社長とCママとの間には子供がいませんでした。
まるでリゾートホテルのような邸宅と飲食チェーン店を運営する会社を持ちながら、最も大切な家庭というものに恵まれなかったのです。
C社長はこれらの財産の他に数頭のサラブレッドのオーナーでもあったのですが、ご自身はCママの種馬にはならなかったのでございます。
暫くすると、またCママ夫婦の噂を聞くようになりました。
今度は財産の所有権をめぐって夫婦間で裁判を起こしている、というものでした。
次に、Cママが大病を患い長期入院をしているという情報を聞きました。
長年の過労と飲酒がたたったのが原因だと、彼女を知る多くの人が言いました。
客と飲みまくって店のカウンターの中で酔いつぶれて大の字になって寝てしまったことなど、何度もあったということでした。
その後すぐC社長は、Cママが病院で寝たきりになっているのを幸いに、財産の所有権を全て自分や愛人の名義に替えたとのことです。
「Cママがこれほど身を粉にして働いてきたのに、C社長はなんちゅうヒドい奴やろう。」
と言う人も勿論いましたが私は、このような結果になったのはCママの性格にも原因がある、という気がしました。
いくら働き者でもCママがあのピリピリした性格では、C社長にとって家庭は団欒の場所には、なりえなかったでしょう。
事実、ある情報筋では多くの店を持つようになってから間もなく、C社長には愛人がいたということでございます。
私もCママを見て、
「この人は自分の店が生きがいであるのはわかるが、人生が楽しいと思ったことがあるのだろうか。」
と何度も思ったものでした。
そして結局Cママは病状が悪化して二度とかつて自宅だった邸宅に戻ることはなかったそうでございます。

・・・
この話は村西とおる監督の7月3日のブログを読んで、ふとCママ夫婦のことを思い出して書いたものです。
監督のこの日のブログに出てくるメイクアップアーティストの方は、離婚や会社の乗っ取りにあいながらも見事に立ち直り今では多くのスタッフに恵まれ、これまで以上に幸福な人生を歩んでいる、という話でした。
そのメイクアップアーティストの成功の要因は笑顔である、とのことです。
笑顔があるから、良い友人にもスタッフにも恵まれ、人生のチャンスにも巡り合える、ということです。
確かにそのとおりでしょう。
反面、Cママは笑顔を見せたことは、少なくとも私の前では一度もありませんでした。
Cママは、ことあるたびに、
「私の店が、」
と言っていました。
結局、この人にとって店も夫も従業員も全て自分の所有物のような感覚だったのでしょう。
自分がこんなに努力してるんだから、まわりもそれに見合ってがんばるのが当たり前じゃないの、という発想です。
そんな発想の持ち主で極端な自己中心主義者だから、
「相手が幸福だったら自分も幸福になれる。」
という考えなど出来るわけがないし、周りの者も結局、金でしかついてこなかったでしょう。
本来、努力家で意地であそこまで財産を作り上げることのできたCママですから、メイクさんのような明るい発想で生きていれば今頃もっと多くの人材や財産に恵まれ、幸せな人生をおくっていたかもしれません。
そう考えると、彼女のことが残念にも思うし、私自身にとっても良き人生の勉強になったとも思う次第でございます。
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タグ: 人生 幸福



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