音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/9/17

著述家としてのピーター・バウマン  タンジェリン・ドリーム

以前から何度も書いたように、70年代のタンジェリン・ドリームのメンバーとして音楽家としての名声を得た後、米国で実業家として成功を収めたピーター・バウマン氏ですが、50代に入ってから一変して哲学の道へ進むようになったのでございます。
そのきっかけは彼が40代後半の時に、
「自分はここまで生きてきてこの地球上にあと1万日生きれるとすると、残りの人生をどうすればできるだけ有意義に満足しながら過ごすことができるだろうか。」
と、自分に問いかけるようになったからであります。
そして、この課題に取り組む為に哲学思想の研究団体であるバウマン財団(The Baumann Foundation)まで創設したわけでございます。
この人はやるとなったら徹底的に物事に打ち込むタイプの方のようです。
経済的にも成功したし家庭にも恵まれているので、老後はのんびりすごそうというどころか、また次の人生の課題に取り組んでおられるのです。
凡人なら定年まで働いたら年金を貰っても、住宅ローンがまだ残ってるからどないしよう、かあちゃんと年1回旅行へ行って普段は週2,3回居酒屋へいけたらええなあ、ぐらいしか考えないじゃないでしょうか。
しかもバウマン氏は若い時にミュージシャンとしてすばらしい成功をおさめました。
根っからの芸人なら50歳すぎても、
「夢をもう一度。」
と再び音楽の世界へ挑戦することも考えられるでしょう。
しかし彼はそうしませんでした。
90年代の初めに他のミュージシャンと「BlueRoom」というプロジェクトを立ち上げ、久々にアルバムデビューするつもりが挫折してしまったので、自分が経営していたレコード会社も売り払い、音楽業界から去ったのです。
その後、音楽とは全く関係のない不動産関係の仕事等で実業家に転身したわけですが、財産もできて生活に余裕ができてくれば、もう一度ソロ活動でもいいから音楽の道へ進むということも考えられます。
だが彼が進んだ道は哲学者への道でした。
彼はこの時、
「自分が音楽の世界でやりたいことはもう何もない。」
と思ったのかもしれません。
即ち、若い頃からタンジェリン・ドリームのメンバーとして、あるいはソロ活動や音楽プロデューサーとして様々なミュージシャンとも仕事をしてきたので、音楽に関することはもはや、やりつくしてしまったしこの業界の表と裏の部分も全て知り尽くしたので、もう未練はないという心境だったのでしょう。
前回のブログで書いたようにバウマン氏は、
「音楽家は男子一生の仕事にあらず。」
と思ったのかもしれません。
多くの専門職のように一度決めた道を一生追求して人生を全うする人もいれば、1つの道に登りつめると今度は別の目標へ向って進む人もいます。
バウマン氏はまさしく後者でしょう。

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・・・
バウマン氏のように前職とは全く違う世界で生きている人を、昔TVで見たことがございます。
NHK特集で福井県の永平寺で修行に打ち込む雲水達の生活を取材した番組を見たことがあります。
修行僧のインタビューで一人、今で言うイケメンの雲水様がいました。
取材記者は彼に、
「どんな理由でこの世界に入ったのですか。」
と聞きました。
するとイケメンの雲水様は、
「前職は水商売の関係の仕事をしておりました。
毎晩、酒と女に明け暮れてなおかつ、月に何百万ものお金を稼いだこともありました。
しかしそんな生き方に”このままでいいのか”と、ふと疑問が湧いてきたのでそれまでの人生を断ち切って仏門に入ったわけでございます。」
と答えたのであります。
まだいかにも若いそのイケメンの雲水様は、普通の男が一生の内に経験する、その何倍もの女性経験を既にやってきたような感じがしました。
ゲイやバイセクシャルになる方の中には、
「もう、ボク女に飽きちゃったあ〜。」
と言ってその道に走る人もいるそうでございます。
しかしイケメンの雲水様は男に走らずに仏門に走ったという点では正解だったのかもしれません。
・・・
最後はアホくさいオチになってしまいました。
読者の皆様もこれから先もどうか悔いの無い人生をお過ごし下さい。
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2011/9/15

ピーター・バウマン待望の新作  タンジェリン・ドリーム

元タンジェリン・ドリームのメンバーで現在、実業家で哲学思想の研究団体であるバウマン財団(The Baumann Foundation)の創設者であるピーター・バウマン氏がようやく新作を発表いたしました。
と言っても、音楽のことではありません。
マイケル・タフトという人物との共著で「EGO]という著書を共同執筆したのでございます。

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この本には、「ツインタワーの崩壊と啓発された人類の進化」という副題がついています。
本の内容についてはいささか頼りない話で恐縮ですが、私の拙い翻訳で内容の詳細や真意が誤解される恐れがあるので、あえて書きません。
また、この本が日本で出版される予定も今のところ無いようです。
しかし、バウマン氏が音楽から著作の道へ進んだことは間違いないのでございます。
以前、村西とおる監督のブログで故石原裕次郎氏が、
「俳優は男子一生の仕事にあらず。」
と語っていたと書かれておりました。
バウマン氏もミュージシャンの仕事は、
「男子一生の仕事にあらず。」
と思ったのでしょうか。
その辺の見解は今も現役で活動しているフローゼ御大やフランケ氏とは違うようです。
でも、どんな道へ進もうと私がバウマン氏によせる尊敬の念は、今も変わる事はないのでございます。

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(今年で58歳になった現在のピーター・バウマン氏)
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2011/9/9

プリペアド・ピアノ  楽器

芸術とは、理解しがたいことや気難しいことを鑑賞者に無理やり押し付ける事では決してありませんし、そうあってはならないことだと思います。
芸術を創造するうえで大切な事、それは「遊び心」ではないかと思うのです。
1940年ごろにジョン・ケージが発明したピアノの新しい音の開発法であるプリペアド・ピアノはまさに、「遊び心」がなければ生まれなかった産物と言えるでしょう。
プリペアド・ピアノとはグランド・ピアノの弦にねじ、ゴム、金具等、様々な異物を取り付けて弦の音程や音色を変える方法で、演奏は通常のピアノのように鍵盤を弾いたり、弦を直接指や棒等で弾いたり叩いたり(内部奏法と言います)します。
プリペアド・ピアノにすると、あら不思議というか、元々のピアノの音からは似ても似つかぬようなエキゾチックで不思議な音になります。
ジョン・ケージという人は代表作があの、”4分33秒”であることからもわかるように、作曲家というよりは発明家に近いキャラを持った人だといえます。
そしてプリペアド・ピアノを使った彼の作品を聴くと、現代音楽にありがちな気難しさとは無縁な、無邪気でまさに遊び心たっぷりな音楽だと、誰もが思うに違いありません。
ジョン・ケージとエリック・サティが残したものは、まさに20世紀に生まれたすぐれた文化遺産の1つと言えると思います。



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2011/9/7

衣笠丼(きぬがさどんぶり)part2  グルメ

去る2010年9月3日のブログで、京都のB級グルメである衣笠丼(きぬがさどんぶり)について書きました。
衣笠丼とは、細かく切った油揚げの入った卵とじのかかった丼飯のことでございます。
今日はどういうわけか、我が女房ドノがわざわざ作ってくれたのでございます。
妻は岐阜県飛騨地方出身の両親の間に生まれた、名古屋生まれの名古屋育ちでございます。
私と違って京都へは、旅行でしか行ったことがありません。
ですから、私が教えるまで彼女は衣笠丼のことを知りませんでした。
しかし妻は以前、私の説明を聞いていたので今日、突然ながらわざわざ作ってくれたのです。
確かに地味でシンプルなB級グルメであります。
でも私は妻の好意にとても嬉しかったし、京都時代のことを思い出してちょっと懐かしい気持ちにもなったのでございます。
勿論、妻の作った衣笠丼は京都で食べたものと100%同じというわけではありません。
妻が作ったものは卵とじに天かすが入っていて、いっそうコクを出しています。
そして出来上がった時点で、表面に七味がかかっております。
しかし本場の京都でもそれぞれの家庭の味があるから、このようなアレンジはむしろナイスでございます。
夢中で衣笠丼をかき込んでいると、昔、年季の入った椅子とテーブルが並んだ古い京都の下町の大衆食堂で食べていた時の頃を思い出します。
でもあれから長い月日が経っているので、当事の店はもう残っていないのかもしれません。
でも妻の真心に対しては、妻にむかって顔射じゃなかった、感謝の気持ちでいっぱいなのでございます。

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2011/9/7

エドガー・フローゼ”Kamikaze 1989”  タンジェリン・ドリーム



この作品はタンジェリン・ドリームの中心人物エドガー・フローゼが1982年に発表した同名映画のサウンド・トラック・アルバムです。
この映画は1982年公開の刑事アクションもので、ウォルフ・グレム(wolf gremm)監督、そして主演は当事のドイツで名優で映画監督、脚本家でもあったライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(Rainer Werner Fassbinder 1945年5月31日- 1982年6月10日)であります。
ファスビンダーは映画監督としても有名で、多くの作品を創りました。
(この映画ではあくまでも俳優として出ているようです。)
私生活では両刀使いでジャンキーであったファスビンダーは、この年にコカインの過剰摂取によって37歳の若さで死去しましたが、そういう意味ではこの映画は彼の遺作のようなものでもあります。
一方、エドガー・フローゼの手による”Kamikaze 1989”は彼のソロアルバムの中でも唯一のサウンド・トラック・アルバムであります。
80年代以降、彼のグループであるタンジェリン・ドリームは既に自己の音楽スタイルを確立し、著名度も増して徐々に映画音楽の製作の依頼も増えてくるようになりました。
後にクリス・フランケは、
「あの頃、我々はワーカホリックになっていた。」
と語っていたように、この時期の彼らはまさに映画音楽の量産工場と化していたのです。
勿論、こうした事情の背景には電子楽器の技術の進歩も上げられます。
ディジタル・シンセが市販化されるようになったのもこの頃であったし、シーケンサーによる演奏情報の打ち込みや自動演奏に関する性能も格段に向上し、
「70年代に3ヶ月かけて創った曲創りが3週間でできるようになった。(フランケ談)」
ということも、理由にあげられます。
しかし、このアルバムのみ、どういう理由でグループでの作業ではなく、フローゼ個人で製作したのかは定かではありません。
さて、このサントラに収められている曲についてですが、80年代に輸入LPで初めて聴いた時は、単調なリズムの上にこれまた単調なメロディやフレーズを乗せた感じで、同じ彼のソロアルバムである”Aqua”や”Macula Transfer”に比べると正直言って退屈な印象を持ったものです。
そして暫くして中古レコード屋に売ってしまったのですが、今、改めて聴きなおしてみると時代を先取りしたというか、世に出るのが20年早すぎた感じがしました。
今頃になってようやく良さがわかってきたわけですが、フローゼ御大と凡人である自分との違いが身にしめて感じた次第でございます。
”Aqua”の頃のフローゼ御大は、様々な現代音楽の影響を受けていましたが、このアルバムでは同じシンセ・ミュージックでも同時期のクラフトワークやピーター・バウマンとも違い、そして自らのグループであるタンジェリン・ドリームの70年代の頃とも違う、独自の音楽を確立していったのです。
さすがは御大でございます。
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