音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/10/25

Tangerine Dream - Live at Conventry Cathedral 1975  タンジェリン・ドリーム

今迄私のブログを読んでくれた方の中には、
「なんでそんなにタンジェリン・ドリームが好きなの?」
って、思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方にはこの動画を見ていただければ、少しは納得して貰えるではないかと思います。
古い大型のアナログ・シンセに囲まれたロンゲのメンバー達の姿が時代を感じさせますが、厳粛でしかもかっこいいではありませんか。
勿論、音楽の方も今聴いても全然古さを感じさせません。
彼らの演奏形態は既製のロックバンドの形を越えてましたし、音楽はまさに「プログレッシブ」でした。
当事の彼らの音楽はあまりにも独創的だったため、その後出たジャン・ミシェル・ジャール、喜多郎、そしてクラフトワークでさえも彼らの亜流に見えたものでした。
そんな彼らも、ピーター・バウマンが脱退してからは低迷した時期が続きましたが、21世紀に入ってもタンジェリン・ドリームを越えたアーティストが現れたか、と言えばまだ、と言わざるをえません。
それでも70年代のタンジェリンの音楽性はロックよりも、テクノ、トランス、アンビエントといったジャンルの音楽に取り組んでいる人達に、受け継がれているようです。
むしろ現在のタンジェリンはメンバーに専任のギターやパーカッションの奏者がいて、かなりロックっぽくなっています。
それを変化とみるか退化と見るかは、歴史に委ねるしかないかもしれません。
しかし、フローゼ、フランケ、バウマンの3人がいた黄金期のタンジェリン・ドリームの音楽は、これからも永遠に色あせることはないでしょう。



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2011/10/22

Franziskaner Dunkel(フランツィスカナー・デュンケル)  

週末は恒例のビールの宴でございます。
今夜飲むのは、私も初めてであるフランツィスカナーのヴァイツェン・デュンケルです。
ヴァイツェン・デュンケルは原料に大麦麦芽と小麦麦芽を使った上面発酵ビールです。
焦がした麦芽を加えているので他の黒ビール同様、焦げ茶色で味にコクがあります。
そして、ラベルにHefe(ヘーフェ、酵母の意味)と表記してあるので、酵母を濾過せずにそのまま瓶詰めしてあります。
修道士がいかにも美味しそうに飲んでいるラベルの絵柄を見ているだけでも、ビールのうまさが伝わってきそうではありませんか。
まずは、ジョッキになみなみとついでみます。
一般的なピルスナーと違って、ガラスの向こうが全く見えません。
しかも瓶とジョッキの底には酵母の澱が沈んでいます。
色と香りを楽しんだら、いよいよ口に流し込みます。
麦芽と酵母とホップが織り成す自然の味わい。
重厚なのど越し。
これぞ本物のビールでございます。
これまで飲んだことのあるエルディンガーやヴェルテンブルガー等の同種のビールとも引けをとりません。
こんな素晴らしいビールを自社輸入して消費者に安く提供してくれるリカマンさんに感謝でございます。

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2011/10/21

Nick Didkovsky"Prepared guitar and computer"  エレクトロニック・ミュージック

前回であの美しい音楽を奏でるジョン・ドーンのギターのことを変態ギターと書いてしまいましたが、今回はまさに変態サウンドと言ってもよいくらい、変わった音楽を紹介します。
Nick Didkovsky(1958年アメリカ生まれ、Doctor Nerveというバンドのギタリストでもある。)というミュージシャンによるプリペアド(弦に異物をはさみ、音色や音程を変えたもの)・エレクトリック・ギターの音をコンピューター・ソフトで加工、編集して創った音楽でございます。



まさにアヴァンギャルトな音です。
それに、とてもギター1本で作った音とは思えません。
ここまでくるともはや、現代音楽なのかプログレッシブ・ロックなのか、もうジャンル分けのしようがありません。
でもなかな新鮮でおもしろい曲とも言えます。
ギターの音もここまで加工してしまうと、まるで怪獣の鳴き声みたいです。
そういえば、ゴジラの泣き声はコントラバスの音を加工して作ったそうですが、どうやって作ったのか、いつか調べてみようと思います。
ギター1本で変わった音を作り出すアーティストというと、他にフレッド・フリスが有名ですが、また近々この人についても書いてみようと思っております。
・・・
この手のものは、興味の無い人から見れば大の男が真剣な顔して楽器をひねくりながら訳のわからんことをやっているようにしか、見えないかもしれません。
でも私はこういうの好きですな。
美術の世界でもそうですが、20世紀以降の芸術というのは美の可能性や表現の追求がテーマであると思うのです。
だから様々な芸術家がこれ程、自分の作風について探求していった時代はないと思うのです。
そして勿論、その精神は21世紀になっても受け継がれていると言えます。
現代は様々なデジタル技術の急速な発展により、もはやあらゆる表現方法が誰でも簡単に可能になった、と言えます。
これほど技術的にも社会的にも恵まれた時代に生まれながら、その恩恵にあずからない手はありません。
芸術分野の評論家の中には、
「もはや、あらゆる表現方法は出し尽くした。」
という人も少なからずいるようですが、私に言わせれば、
「とんでもない。
新たな時代はこれから始まるのだ。」
と声を大にして言いたいのでございます。
あの村西とおる監督をごらんなさい。
今年で御歳63歳になっても「出尽くした」どころか、今でも1日3回はセ○ズリをかいてるというではありませんか。
私はこれからどんな風に時代が、芸術が、ライフスタイルが変わっていくのか、むしろ楽しみなのでございます。
アントニオ猪木さん流に言えば、
「迷わずいけよ。行けばわかるさ。」
でございます。
・・・
しかし今日もなんだか、話が変な方向へ脱線してしまったのでございます。
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2011/10/21

バイキングレストラン山科  グルメ

ブログを書いているとよく思い出すのが、京都で1人暮らしをしていた頃のことでございます。
もうかなり昔の事であるというのに、今でもついこの間のように思い出すのです。
ただ誤解して欲しくないのは、私はけっして回顧主義者ではない、ということです。
気持ちはいつも未来に向っております。
妻や子供もいるのです。
過去の感傷に浸っている暇はないのです。
しかし、京都時代で経験したさまざまな思い出が今の自分を形成しているのは事実でありますし、あそこで遅咲きの青春時代がなかったら、今頃私は発狂して命を落としていたんではないか、と思います。
大袈裟なことを書くようですが、今はこれ以上書きません。
あまりにも個人的な事ですし、書いても読者には私の気持ちが伝わらないかもしれないからです。
さて、今日もグルメの話でございます。
京都時代で一番最高のグルメは最初の会社に勤めていた頃、当事の社長の息子さんにあたるR専務に突然、仕事帰りに連れていってもらった高級フレンチレストランでした。
そこで初めてシャンソンの生演奏を聴きながら、フルコースをおいしく味わったのでございます。
勿論、食事の料金は全て、R専務のおごりでした。
その会社をやめて木屋町の、とあるスナックのバーテンダーになった時の一番のご馳走は当事住んでいたアパートと同じ山科区にあったMKタクシーの社員食堂で1人400円(現在は500円)で食べ放題のバイキングでございました。
現在この店はバイキングレストラン山科と名前を変えていますが、元々はタクシー運転手の為の社員食堂で当事も社員のみならず一般人も気軽に利用することができました。
休日はここで思いっきり食べて、英気を養ったものでございます。
もっとも今にして思うと、目の前に出された料理を片っ端から食べる癖がついたのは、この頃の経験が原因だと思うのであります。
そしてバイキングレストラン山科のHPを見ると今も昔も変わらないのが、
「食べ残しは倍額いただきます。」
という店の方針でございます。
これは私も感心しております。
食べ物を無駄にしないで欲しいものだけを欲しいだけいただく、ということは食料自給率の低い日本にとって大事なことであります。
金を払ったのはオレだから残すのは勝手だ、とほざくのは非国民の言う事でございます。
それにしても、京都は観光地であると同時に学生の街でもあります。
名所旧跡に隣立する1人前何千円もする湯豆腐や懐石料理の店ばかりではありません。
このバイキングレストラン山科のように腹いっぱい食えて財布にもやさしい店もたくさんあるのでございます。
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2011/10/20

はいから丼  グルメ

今日の昼食は妻のオリジナル料理でございます。
我が家は自営業なので平日も自宅で昼食をとるのでございます。
勿論、午後からも仕事ですから、昨日の夕食のおかずの残り以外はすぐに調理できてすぐに食べれるものに限ります。
オリジナル料理といっても大したものではありません。
以前紹介した衣笠丼に似たもので、天かすの入った卵とじ(天かすを完成した卵丼にかけるのではなく、天かすと卵といっしょに煮る)をご飯にかけた「はいから丼」と言える料理でございます。
一般的には、天かすのかかったうどんを「たぬきうどん」というので、たぬき丼と呼んでも良いでしょう。
あるいは、単純に「揚げ玉丼」という言い方も良いかもしれません。
しかし関西(特に京都)ではたぬきというと、刻んだ油揚げの上から葛餡をかけたものを言い、単に天かすのかかったうどんを「はいからうどん」というので、このように命名させていただきました。
シンプルですが、コクがあってなかなかうまいものでございます。
普段、これだけ始末にしているからさぞかし金も貯まるだろうと思われるかもしれませんが、現実は厳しゅうございます。
元々の収入が少ないせいか、これでもエンゲル係数が高いのであります。
しかし、妻の愛情は金では買えないのでございます。

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2011/10/18

パンの耳  グルメ

今でこそ私は体重90キロにまで太り、通風まで患うようになってしまいましたが、28年前に京都で1人暮らしをしていた頃は体重が64キロしかありませんでした。
この京都時代に仕事を3回変わりましたが、いずれの仕事も日払いではなく給料制でしたので当然、月の〆日を過ぎた給料日までお金をもらえることはありませんでした。
その間、よくパンの耳と牛乳で耐えしのいだものです。
今ではコンビ二やスーパーばかりの時代になりましたが、当事、街には小売店のパン屋が何軒かあり、閉店の頃になると時々、店のシャッターの前に袋に詰められたパンの耳がデンと置いてありました。
私はそれを見つけると店の人に貰えないか聞いてみましたが、いつもタダでもらえました。
パンの耳を貰った私は喜んで当時住んでいたボロアパートへ帰り、その日の食事に有り付いたわけでございます。
そんな生活しとって惨めだったやろって思われるかもしれませんが、当時の私は別にそうは思いませんでした。
金が無い時は無いなりの生活をする、一生懸命働いて金を貯めていつか今よりもっと良い暮らしをしてやる、昨日より今日、今日よりも明日が良い日であるように、と思って暮らしておりました。
だから毎日が惨めと思うどころか、むしろ今より気持ちが前向きだったと思います。
若いから辛抱すればどんな仕事でも雇ってもらえる、という気持ちがあったというのも事実ですが。
むしろ、辛かったというより懐かしいとさえ感じます。
自分の子供達に同じ経験をしろ、とは言いませんが、将来日本に危機的状況が起こって再びあの頃のような境遇になっても私は生き抜いてみせる、と思います。
当事は生まれて初めて故郷から離れた所で1人暮らしを始めたわけですが、寂しいどころか、多くのオモロイ人達に出会う事ができました。
今でも私は思うのです。
「あのころ、ワシは京都の町や人々に生かされておったんやな。」
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タグ: 食生活 思い出



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