音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/11/30

SOFT BALLET(ソフト・バレエ)  ロック&ポップス

歴史は繰り返す、と昔から言います。
私の高校生の息子が言うには、今ビジュアル系のバンドがはやっているそうです。
彼の同級生の中には、メイクして学校に来る男子もいるそうでございます。
今も昔も音楽好きな子は多いもので、私自身は微笑ましく思っております。
私の少年時代は、親も周りの者も音楽に熱中すること自体、理解してくれる者がおらずかなり不遇な経験をしているので、彼らには好きな事をやって楽しい青春時代をおくってくれればいい、と思っています。
私がつらい思いをしたから、こいつらばかり楽しそうにしやがって、と息子達につらくあたるような人間には決してなりません。
そんな事をしたら私は人生の敗北者であり、文化不毛の地と言われるA県かG県あたりに住んでる民度の低いバカ者といっしょであります。
むしろ彼らの為に、私は日頃から自分にできる事であるなら、できるだけ協力してやっているのであります。
さて、少年時代からプログレやテクノが好きだった私は、年の差というか、音楽的嗜好というか、ビジュアル系というと自分の娘が最近気に入っているゴールデン・ボンバーのようなのではなく、SOFT BALLET(ソフト・バレエ)を思い浮かべます。
勿論ソフト・バレエは元来、ビジュアル系ではなくエレクトロニック・ポップのバンドなのですが、これらの動画をご覧下さい。
10〜20年程前の映像ですが、今聴いても凄く新鮮だし、ルックスもすばらしいではありませんか。
サウンドはディペッシュ・モードやヴィサージの影響を感じますが、ちゃんと独自のものになっております。
かっこよすぎて妖しいルックスもすばらしいし、特にメンバーの森岡賢氏のクネクネ踊りながらシンセを弾く姿もたまりません。
そして、遠藤遼一氏の渋いヴォーカルも実にいい味を出していると思います。
テスト週間が過ぎたら、息子達にソフト・バレエの動画を見せて感想を聞いてみたいと秘かに思う私でございます。



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2011/11/25

Jerome Froese(ジェローム・フローゼ)  タンジェリン・ドリーム

ジェローム・フローゼはタンジェリン・ドリームのファンなら大概知ってる、あのエドガー・フローゼ御大の御子息でございます。

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彼は1970年11月24日にベルリンで生まれました。
私のようなファンにとって、ジェロームはある意味、身近な存在でした。
なぜなら、70年代のタンジェリン・ドリームのアルバム・ジャケットのデザインの中には必ずと言っていいほど、幼少期の彼の姿が写っていましたから。
これはエドガー御大のアイディアなのか、今は亡きジェロームの母親モニカ・フローゼのアイディアなのかわかりませんが、当時、タンジェリン・ドリームのアルバムに接する時、音楽を聴くのみならず、アルバムのデザインを眺めるのも楽しみの1つでした。
デザインの中に幼いジェロームの姿が見えると、まるで遠い海の向こうにいる友人の子供を見つけたような気分になったものです。
そして彼らの創る音楽は宇宙的なサウンドだが、素顔の彼らはきっとすごく人間くさい人物なんだろうな、と思ったものであります。
そんなジェロームも大人になり、90年代には父親とともにグループのメンバーになりました。
ジェロームが加入した時、父親のエドガー御大は、
「嬉しい反面、音楽業界の良い面も汚い面も知ってるから、息子がメンバーになる、と言った時は内心、複雑な気分だった。」
と語っていたそうです。
それでも、親子バンドとして10年程は活動したでしょうか。
近年、ジェロームはソロ活動に入り、また最近ではなんと、80年代のタンジェリンのメンバーだったヨハネス・シュメーリングと共同で演奏を行なったりしています。
今後の彼の動向も目が離せません。


ソロ作品。


ヨハネス・シュメーリング、ロバート・ウォーターズとのコラボ。
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2011/11/23

平和公園にて、晩秋の散策  つれづれ日記

本日23日は、名古屋市千種区の平和公園で散策を楽しみました。
11月下旬のわりには紅葉が遅いように感じますが、それでも確実に秋の気配を感じる次第でございます。
いつも見慣れた風景ですが、季節によって徐々に変わっていくさまは自然の変化と時の流れを実感いたします。
そしてここ平和公園では、ささやかですがこの季節に珍しいものがあります。
春ではなく、この時期に咲く子福桜でございます。
枯れゆく木々の風景の中に思わぬアクセントを添えてくれます。

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しかし変わりゆく物もあれば、変わらぬ物もあります。
6月27日のブログで書いたあの、ベンチの落書きは今もあのまま残っているのでございます。
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そしてこれは今日撮った写真です。

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「セ ン ズ リ カ ク」
・・・市民が集う憩いの場所になんと風流な言葉が刻まれていることでしょう。
公共の備品に傷をつけるのは、いただけませんが初めてこれを見た時、私は思わず爆笑しそうになってしまいました。
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読者の中には、
「こんなアホなオチをわざわざ2度も書いて、ホンマにもう。」
と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ただ私は世の中には、変わり行くものもあれば変わらぬものもある、ということを書きたかっただけでございます。
これを風流と感じるか単なるウケ狙いと感じるかは、読者の皆様方のご判断におまかせいたします。
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タグ: 散策 自然

2011/11/23

スパカツ(カツスパゲティ)  グルメ

一週間以上、更新が途絶えていました。
ちょっとこの間多忙だった為でして。
その間に読者の方からも激励のコメントを戴き、やる気まんまんだったんですが、昨晩は仕事の疲れで9時半には寝てしまいました。
今日は久々に書かせていただきますので、一読の程をよろしくお願いします。
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さて、20日の日曜日の晩はスパカツ(カツスパゲティ)を女房殿にお願いして作ってもらいました。
スパカツと言っても、ただ単にスパゲティの上にトンカツがのってるだけなんですが、これは私にとって思い出深い料理なのでございます。
子供の頃、夏休みや冬休みになると母の故郷である岐阜県の下呂市へ親子で帰省したものです。
母の実家にいる時は、母の兄にあたるM叔父さんが私達を高山や川遊びに連れていってくれました。
夏には高山市営プールや小坂川で泳ぎまくったり、他には高山や下呂で観光巡りをしたりして、私の少年時代では数少ない楽しい思い出でした。
そして一通り遊んだ後、更にM叔父さんは食事にも連れていってくれたのですが、その頃ご馳走になったメニューで今でも覚えているのが、スパカツでした。
勿論、そんなB級グルメばかりではなく高山市内の高級中華にも何度かご馳走してくれたのですが、それでも一番印象に残っているのが何故かスパカツなのでございます。
もう場所は覚えていないのですが、国道41号線沿いのM叔父さん行きつけの喫茶店に入ったことがあります。
私達は仰々しく席に座っていて、注文はM叔父さんにお任せしておりました。
ママさんが注文を聞くと、M叔父さんは、
「スパカツくれや。」
と言いました。
私は聞き慣れない料理名なのでメニューを隅まで見ましたが、そんなメニューはどこにも書いてありません。
狐につままれた気分で待っていたら、やがて出たのはトンカツがのったナポリタンのスパゲッティでした。
けっこうおいしくて満足したのですが、どうしてメニューに書かれていないものが出されたのか子供心に腑に落ちません。
私はM叔父さんに聞いてみると、
「これはオレだけの特別メニューなんや。
ワハハハ。」
と豪快に笑って答えてくれました。
この時、私は初めて裏メニューなるものがあることを知ったのであります。
その後もM叔父さんは私達の面倒をいろいろとみてくれました。
何と言っても、身内の中で最も叔父さんらしいことをしてくれたのは、M叔父さんです。
しかし、その後私が30代になってからはいろいろ事情があって、段々付き合いが途絶えてきました。
私が結婚して数年後のことです。
M叔父さんが末期がんでG病院で入院していると聞き、私は母や妻とお見舞いに駆けつけました。
久々に見たM叔父さんはミイラのように痩せこけ、別人に変わっておりました。
私は子供の頃の思い出が頭の中で走馬灯のようにぐるぐる廻りだし、ただ呆然として立ち尽くすしかありませんでした。
横では母が泣いております。
私は一目見て、
「叔父さんはもうお終いや。」
と思いました。
私はせめて今までのお礼を伝えるつもりで、M叔父さんと握手をしました。
とても長く会話できる状態ではなかったし、握手を通じて自分の感謝の気持ちをM叔父さんに伝えるのが精一杯だったのです。
それから間もなく、M叔父さんは他界しました。
やはりあれは最後の握手だったのでございます。
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あれから10年以上経ちました。
この日、また私はM叔父さんのことを思い出して、妻にスパカツを作ってもらったのでございます。
M叔父さんに感謝の気持ちを込めて合掌してから、いただきました。
一緒に飲んだビールは、埼玉県の地ビール、小江戸ブルワリーの漆黒という黒ビールです。
閉鎖的で根暗な土地柄である飛騨地方南部の人間には珍しい、M叔父さんのような豪快で重厚な味のビールでございます。
今回はガラにもなく湿っぽい話になってしまいましたが、私の思い出のグルメの話でございます。

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2011/11/12

EAST BIONIC SYMPHONIA  現代音楽

変わった音楽が好きな方にはオススメの動画を見つけました。
EAST BIONIC SYMPHONIAというのは、70年代に活動していた「タージマハール旅行団」という即興音楽グループの中心人物、小杉武久の弟子達が中心になって活動したグループです。
即興音楽というと、ロックやジャズ、民俗音楽のインプロヴィゼーションやジャム・セッション(複数のミュージシャンでやる場合)を思い浮かべますが、こちらは現代音楽サイドの即興演奏であります。
既製の楽器や自作の楽器まで様々な音が飛び交う様は、曲の展開が予測不能(おそらく演奏者本人も勢いにまかせてやっているのでわからないでしょう)でスリリングです。
こういう音楽は好きな人には面白く感じるが、そうでない人は全く受け付けないでしょうが、私は好きです。
むしろ、16小節の4拍子で決まりきったコード進行やメロディで作られた音楽だけが良い音楽だと思う人は視野が狭くてつまらない人間だと思います。
こういう人は、人よりいい車を持ち、いい家に住んで自分の子供には今時最も人気のある名前を付けて、今世間で注目されている話題は何かだけに関心を注いでいる人かもしれません。
批判めいた事を書いて恐縮ですが、私はそういうタイプの人間とは180度違うタイプに人間であることは間違いないようです。
このような音楽同様、私も一部の人にはとても好かれる反面、またある人にはとても嫌われるという経験をイヤという程、味わってきました。
名古屋に生まれ育っていながら、大半の生粋の愛知県人や岐阜県人とは身内を含めて気が合わないのは、ここが保守的で閉鎖的な土地柄だからだと思うのであります。
それで子供の頃から幾分、対人恐怖症ぎみの性格になってしまいましたが、それでも限られた一生の中でできるだけ多くの経験をしてみたい、いろんな分野に挑戦したい、独自の観念を持ち、あるいは普通の人がなかなかできないような人生経験をしている人と交流を持ちたい、という気持ちはこれからも変わることはないでしょう。



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2011/11/7

Pater Lieven Wit-Blanche(パーテル・リーヴェン・ウィット・ブランシェ)  

11月3日はせっかくの祝日だというのに、痛風が再発した為しんどい日でした。
しかし、安静にしていたら以外に早く痛みが治まり、ほっとした次第でございます。
そこでその日の晩はパーテル・リーヴェンのホワイト・エールである、ウィット・ブランシェを飲みました。
タイプとしては、あのヒューガルテン・ホワイトと同じベルジャン・ホワイトです。
同じ小麦ビールでもドイツのヴァイツェンよりも爽やかな風味がします。
それにしても、痛風の快気祝いだと言ってその日の晩に飲むのがベルギー・ビールというわけですから、酒を飲まない人から見たら、
「こいつ、どこまでアホやねん。」
の世界でございます。
しかし4日ぶりに飲む、しかも世界中でその旨さを認められているベルギー・ビールを飲んだわけですから、飲んだ瞬間はそれこそ五臓六腑に染み渡るのを体感した次第でございます。

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