音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2013/9/28

奈良 率川神社の蛙石  

前回の話で久しぶりに奈良へ訪れたことを書きましたが、寺院のみならず多くの神社にも参拝にまいりました。
同行のリラン君の意向で大神神社や石上神宮は勿論の事、今回は奈良市内にある率川神社(いさがわじんじゃ)へ初めて訪れました。
率川神社は近鉄奈良駅から徒歩で行ける距離にある都心の神社ですが、奈良市内にある神社では最古のもので、あの大神神社の摂社(せっしゃ。本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祭った神社のこと。)であります。
行ってみると、一見、どこにでもあるような街中の神社という感じでした。
境内もけして広いとは言えません。
ところが、境内の片隅に「蛙石」と書かれた立て札の隣に、見ようによっては確かに蛙に似た形の石が、丸い石の台座の上に安置されているのに気がつきました。
立て札に書かれた由来を読むと、ご利益があるというので参拝の後、この石を撫でました。
すると、暫くの間、手に不思議な感触が残りました。
まるで電気風呂に手を入れた時のような軽い振動のような感触なのでございます。
この感触はその後、10分以上、続きました。
リラン君にそのことを話すと、
「あれはパワー・スポットなんだよ。
せつだ君は、たいしたものだね。
あれを触っても何も感じない人が多いのにね。」
と、答えました。
確かに、私は多少は霊感がある方だと自分でも思います。
しかし今迄、波乱万丈の人生を歩んでまいりましたが、自分が他人より幸福だと思ったことは一度もありません。
そのことをボヤキ気味にリラン君に言うと、
「霊感があることと運が良い事とは、また別問題だからね。
でも決して悪いことじゃないよ。」
と、淡々と答えました。
「そうか、あれはパワー・スポットなんだ。
だからあんな不思議な体験をしたわけなんや。」
私は納得して、うなづきました。
・・・
あれから1ヶ月が経とうとしていますが、相変わらず私の生活は貧乏暇無しでございます。
しかしそれでもめげずに、仕事の合間にFacebookで多くの友達と交流を行い、夜や休日は作曲活動に励んでおります。
自分に運が開ける時が来るかどうかわかりませんが、それでも何もしないよりはマシ、と思ってがんばっている次第でございます。
読者の皆様の中でもし興味を持った方がいらっしゃいましたら、率川神社のHPをご覧ください。
そして実際に訪れて蛙石のパワーを戴きに行かれることをお勧めいたします。
私は幸福を独り占めすることなく、多くの皆様と幸せを共有したいと考えております。
これも徳を積むことになる、と秘かに思っている次第でございます。
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2013/9/27

奈良は心の故郷でございます。  

少し前のことになりますが、9月1日に友人のリラン君と日帰りで奈良へ旅してまいりました。
名古屋から比較的近いとは言え、奈良市内の方へ出かけるのは20年振りになります。
久しぶりに訪れて思ったことは、奈良は私にとって京都同様、心の故郷なのだと実感したのでございます。
日本の仏像の中で一番好きな興福寺の阿修羅をはじめとする八部衆にも久しぶりに再会しました。
彼らのあまりにも人間味あふれる表情にしばし見入ってしまい、周りで修学旅行のガキ共が騒いでいても目と心は彼らに釘付けになっておりました。
新薬師寺の十二神将や東大寺戒壇院の四天王の怒りと憂いに満ちた表情、法華時や不退寺の観音像のやさしい表情も最高でした。
柿の葉寿司と彩華ラーメンもうまかったし、奈良の町並みの美しさにも目を奪われました。
奈良公園の鹿達とも戯れてまいりました。
猿沢の池、佐保路の町並み、飛火野・・・。
写真もたくさん撮りました。
撮りながら、「どうして今まで、もっとここに足を運ばなかったんだろう。」とさえ思いました。
なにせ、本業もあるし休みも少なく、作曲等、他にやりたいことがいっぱいあるのです。
他のそこらへんに住む名古屋人のように近所のうわさや情報集めに精をだしたり、パチンコで時間をつぶす等、以ての外ですし、そんな気もさらさらありません。
しかし、これからはこれを機会に時々遠くへ出かけて、新たな感動を身につけてまいりたいと強く思った次第でございます。
その日の夕方は、明日からまた仕事があるとは思いつつも、奈良から立ち去りがたい気持ちでいっぱいでした。
そして今は、この日の感動を曲に反映させるべく、作曲にも全力で取り組む所存でございます。

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不退寺

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奈良公園、飛火野の鹿達
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タグ: 奈良 旅行 写真

2013/9/18

友の月命日でございます(5)  つれづれ日記

なんだかんだと言いながら、今も月命日になると私はオーストラリア人の亡き友、Shannon Andrew Wakeのために神棚に彼の大好きだったコーラをお供えしてお参りしております。
一生懸命、地道に努力して生きていても人生の中で突然思わぬ方向へ、それも幸運な方へ変わっていくということは、生まれつき運のいい人でないかぎり極めて稀なことでございます。
私は不幸自慢をする気は、さらさらありませんが、子供の頃を振り返ってみても突然の不運や失意、絶望は何度も経験しているが、人が羨むような経験というのは全くありません。
対人運も良くなくて、今でも思い出すと殺してやりたい程、憎い奴というのはたくさんいるのでございます。
その憎い奴らの内訳は、肉親、学校時代の同級生や教師、サラリーマン時代の同僚等、枚挙にいとまがありません。
そんな私にとって、シャノンとの出会いは、逆に「運命のいたずら」ではないか、と思える程、私の人生を良い方向に変えてくれたのでございます。
あ、それから念のために申しますが、私はゲイでも両刀使いでもない、その世界で言う所謂「ノンケ」でございます。
シャノンとは、あくまで友達の関係だったのであります。
その道の方々に対して偏見や差別意識があるわけではありませんが、誤解してほしくないので一応、申し上げる次第でございます。
さて、シャノンとFacebookの中でも友達になったことによって、私は何の躊躇もなく多くの外国人と知り合いになることができるようになりました。
1つのきっかけが大きく膨らんで今の状況になったわけであります。
確かに人脈作りを実行していったのは私自身なのですが、私がここまでやる気が出るように導いてくれたのは彼のおかげに他なりません。
それまでの私の人生は、何かを自分で始めようとするといつも周りから次々に妨害されたりしたものです。
愛知や岐阜は昔から「文化不毛の地」と言われますが、芸術的なことや人とはちょっと違ったことをやろうとすると、必ず周りの者が横槍を入れたり嫌がらせをしたりします。
個人の個性や思想を尊重しようという発想は微塵もありません。
とにかく、閉鎖的で排他的なのであります。
それにひきかえシャノンをはじめとする海外の人達は、特定の宗教にハマっている人を除いて本当に大らかで思考も柔軟、また、ギャグやユーモアに対しても寛大であります。
私は彼らから、生きがいを持つ事の大切さ、諦めずに最後まで自分の夢の実現のために努力することのすばらしさを学びました。
私にとって、シャノンはまさに「救いの神」である、という気持ちは今でも変わりません。
私は8月で54歳になりましたが、自分の本当の人生は今やっと始まったような気がするのでございます。
そして、私を生まれ変わらせてくれたシャノンへの恩を、一生、忘れる事はないでしょう。
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タグ: 友情 人生 FACEBOOK



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