音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/11/23

スパカツ(カツスパゲティ)  グルメ

一週間以上、更新が途絶えていました。
ちょっとこの間多忙だった為でして。
その間に読者の方からも激励のコメントを戴き、やる気まんまんだったんですが、昨晩は仕事の疲れで9時半には寝てしまいました。
今日は久々に書かせていただきますので、一読の程をよろしくお願いします。
・・・
さて、20日の日曜日の晩はスパカツ(カツスパゲティ)を女房殿にお願いして作ってもらいました。
スパカツと言っても、ただ単にスパゲティの上にトンカツがのってるだけなんですが、これは私にとって思い出深い料理なのでございます。
子供の頃、夏休みや冬休みになると母の故郷である岐阜県の下呂市へ親子で帰省したものです。
母の実家にいる時は、母の兄にあたるM叔父さんが私達を高山や川遊びに連れていってくれました。
夏には高山市営プールや小坂川で泳ぎまくったり、他には高山や下呂で観光巡りをしたりして、私の少年時代では数少ない楽しい思い出でした。
そして一通り遊んだ後、更にM叔父さんは食事にも連れていってくれたのですが、その頃ご馳走になったメニューで今でも覚えているのが、スパカツでした。
勿論、そんなB級グルメばかりではなく高山市内の高級中華にも何度かご馳走してくれたのですが、それでも一番印象に残っているのが何故かスパカツなのでございます。
もう場所は覚えていないのですが、国道41号線沿いのM叔父さん行きつけの喫茶店に入ったことがあります。
私達は仰々しく席に座っていて、注文はM叔父さんにお任せしておりました。
ママさんが注文を聞くと、M叔父さんは、
「スパカツくれや。」
と言いました。
私は聞き慣れない料理名なのでメニューを隅まで見ましたが、そんなメニューはどこにも書いてありません。
狐につままれた気分で待っていたら、やがて出たのはトンカツがのったナポリタンのスパゲッティでした。
けっこうおいしくて満足したのですが、どうしてメニューに書かれていないものが出されたのか子供心に腑に落ちません。
私はM叔父さんに聞いてみると、
「これはオレだけの特別メニューなんや。
ワハハハ。」
と豪快に笑って答えてくれました。
この時、私は初めて裏メニューなるものがあることを知ったのであります。
その後もM叔父さんは私達の面倒をいろいろとみてくれました。
何と言っても、身内の中で最も叔父さんらしいことをしてくれたのは、M叔父さんです。
しかし、その後私が30代になってからはいろいろ事情があって、段々付き合いが途絶えてきました。
私が結婚して数年後のことです。
M叔父さんが末期がんでG病院で入院していると聞き、私は母や妻とお見舞いに駆けつけました。
久々に見たM叔父さんはミイラのように痩せこけ、別人に変わっておりました。
私は子供の頃の思い出が頭の中で走馬灯のようにぐるぐる廻りだし、ただ呆然として立ち尽くすしかありませんでした。
横では母が泣いております。
私は一目見て、
「叔父さんはもうお終いや。」
と思いました。
私はせめて今までのお礼を伝えるつもりで、M叔父さんと握手をしました。
とても長く会話できる状態ではなかったし、握手を通じて自分の感謝の気持ちをM叔父さんに伝えるのが精一杯だったのです。
それから間もなく、M叔父さんは他界しました。
やはりあれは最後の握手だったのでございます。
・・・
あれから10年以上経ちました。
この日、また私はM叔父さんのことを思い出して、妻にスパカツを作ってもらったのでございます。
M叔父さんに感謝の気持ちを込めて合掌してから、いただきました。
一緒に飲んだビールは、埼玉県の地ビール、小江戸ブルワリーの漆黒という黒ビールです。
閉鎖的で根暗な土地柄である飛騨地方南部の人間には珍しい、M叔父さんのような豪快で重厚な味のビールでございます。
今回はガラにもなく湿っぽい話になってしまいましたが、私の思い出のグルメの話でございます。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2011/11/1

幻のラーメンライス  グルメ

我が家は自営業なので昼食も自宅で食べるのですが、妻が用事でいない時等、私が自炊する時は大抵、ラーメンライスでございます。
ラーメンはいつも辛ラーメンという、韓国産の真っ赤なスープのものです。
このラーメンライスを食べていて時折思い出すのが、うちと取引のある内装屋のOさんの話です。
むかし、うちの近所に韓国人女性が経営する喫茶店がありました。
その韓国人のママさんは舌足らずな日本語を話すので、在日ではなく半島からやって来た方のようでした。
ある日、内装屋のOさんがうちで管理しているマンションのある1室でクロス張替え工事をやっていた時、その喫茶店へ昼食を食べに行きました。
そこでOさんはラーメンライスを注文したのですが、暫く待っているとなんと下の写真のようなセットメニューが目の前にデーンと置かれたのでした。
(写真はその時のメニューを我が家で再現したものです。)

クリックすると元のサイズで表示します

実際には更にこれに、小皿に入ったキムチがついていたそうですが、ラーメンはインスタントでこの写真のように鍋に入ったまま出されたそうです。
Oさんは一目見て思わずのけぞったそうですが、暫くしてようやく気を取り直し、
「これは日本と韓国との文化の違いなんだ。
オレにとってはビックリすることだが、向こうの人にとってはこれが普通のことなんだ。」
と自分に言い聞かせながら完食した、とのことでございます。
このような事態に遭遇すると、もし、一部の首都圏から名古屋に出張に来た人間なら、
「こんなもの出しやがって、お前ら東京の人間をバカにしとんのか!」
と店内で荒びる者もでてくるかもしれませんが、この時Oさんは、
「あまりに想定外のことが起きたので、かえって笑えてきましたよ。」
と、語っておりました。
私はその話を聞いてからいろいろ調べてみると、今はどうか知りませんが韓国ではラーメンというとまずインスタント麺のことをさし、冷麺やビビン麺を売る店はあっても日本や中国のようにラーメンを店内で作って客に食べさせる店はほとんど無いそうです。
またその反面、今、中国や台湾では日本のラーメン「出前一丁」が人気で、なんと店のメニューにもあって客に食べさせる店もあります。
(ただし、ちゃんと丼に入った状態で客に出されます。)
韓国人のママさんは日本でも客がラーメンライスを注文すれば、インスタント麺を出せば良いと思ったのかもしれません。
その後、Oさんは話のタネに知人を連れて再び例の韓国喫茶へ行ったのですが、その時にはもう、店はつぶれていたのでした。
「世の中にはこういう変わったものを出す店がある、ということをツレに教えてやりたかったんですが、残念ですわ。」
とOさんは語っていました。
私はひととおり話を聞いて、ぽつりと答えました。
「やっぱ、インスタントを鍋ごと出したんは、まずかったんちゃうか。」
・・・
かくして、Oさんにとってあのメニューは「幻のラーメンライス」となったのでした。
しかし、その幻のメニューは今でも時折、我が家で食されております。
ただ、あの韓国喫茶のママさんが今どうしているかは、勿論わかりません。
0
タグ: ラーメン 韓国

2011/10/21

バイキングレストラン山科  グルメ

ブログを書いているとよく思い出すのが、京都で1人暮らしをしていた頃のことでございます。
もうかなり昔の事であるというのに、今でもついこの間のように思い出すのです。
ただ誤解して欲しくないのは、私はけっして回顧主義者ではない、ということです。
気持ちはいつも未来に向っております。
妻や子供もいるのです。
過去の感傷に浸っている暇はないのです。
しかし、京都時代で経験したさまざまな思い出が今の自分を形成しているのは事実でありますし、あそこで遅咲きの青春時代がなかったら、今頃私は発狂して命を落としていたんではないか、と思います。
大袈裟なことを書くようですが、今はこれ以上書きません。
あまりにも個人的な事ですし、書いても読者には私の気持ちが伝わらないかもしれないからです。
さて、今日もグルメの話でございます。
京都時代で一番最高のグルメは最初の会社に勤めていた頃、当事の社長の息子さんにあたるR専務に突然、仕事帰りに連れていってもらった高級フレンチレストランでした。
そこで初めてシャンソンの生演奏を聴きながら、フルコースをおいしく味わったのでございます。
勿論、食事の料金は全て、R専務のおごりでした。
その会社をやめて木屋町の、とあるスナックのバーテンダーになった時の一番のご馳走は当事住んでいたアパートと同じ山科区にあったMKタクシーの社員食堂で1人400円(現在は500円)で食べ放題のバイキングでございました。
現在この店はバイキングレストラン山科と名前を変えていますが、元々はタクシー運転手の為の社員食堂で当事も社員のみならず一般人も気軽に利用することができました。
休日はここで思いっきり食べて、英気を養ったものでございます。
もっとも今にして思うと、目の前に出された料理を片っ端から食べる癖がついたのは、この頃の経験が原因だと思うのであります。
そしてバイキングレストラン山科のHPを見ると今も昔も変わらないのが、
「食べ残しは倍額いただきます。」
という店の方針でございます。
これは私も感心しております。
食べ物を無駄にしないで欲しいものだけを欲しいだけいただく、ということは食料自給率の低い日本にとって大事なことであります。
金を払ったのはオレだから残すのは勝手だ、とほざくのは非国民の言う事でございます。
それにしても、京都は観光地であると同時に学生の街でもあります。
名所旧跡に隣立する1人前何千円もする湯豆腐や懐石料理の店ばかりではありません。
このバイキングレストラン山科のように腹いっぱい食えて財布にもやさしい店もたくさんあるのでございます。
0

2011/10/20

はいから丼  グルメ

今日の昼食は妻のオリジナル料理でございます。
我が家は自営業なので平日も自宅で昼食をとるのでございます。
勿論、午後からも仕事ですから、昨日の夕食のおかずの残り以外はすぐに調理できてすぐに食べれるものに限ります。
オリジナル料理といっても大したものではありません。
以前紹介した衣笠丼に似たもので、天かすの入った卵とじ(天かすを完成した卵丼にかけるのではなく、天かすと卵といっしょに煮る)をご飯にかけた「はいから丼」と言える料理でございます。
一般的には、天かすのかかったうどんを「たぬきうどん」というので、たぬき丼と呼んでも良いでしょう。
あるいは、単純に「揚げ玉丼」という言い方も良いかもしれません。
しかし関西(特に京都)ではたぬきというと、刻んだ油揚げの上から葛餡をかけたものを言い、単に天かすのかかったうどんを「はいからうどん」というので、このように命名させていただきました。
シンプルですが、コクがあってなかなかうまいものでございます。
普段、これだけ始末にしているからさぞかし金も貯まるだろうと思われるかもしれませんが、現実は厳しゅうございます。
元々の収入が少ないせいか、これでもエンゲル係数が高いのであります。
しかし、妻の愛情は金では買えないのでございます。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2011/10/18

パンの耳  グルメ

今でこそ私は体重90キロにまで太り、通風まで患うようになってしまいましたが、28年前に京都で1人暮らしをしていた頃は体重が64キロしかありませんでした。
この京都時代に仕事を3回変わりましたが、いずれの仕事も日払いではなく給料制でしたので当然、月の〆日を過ぎた給料日までお金をもらえることはありませんでした。
その間、よくパンの耳と牛乳で耐えしのいだものです。
今ではコンビ二やスーパーばかりの時代になりましたが、当事、街には小売店のパン屋が何軒かあり、閉店の頃になると時々、店のシャッターの前に袋に詰められたパンの耳がデンと置いてありました。
私はそれを見つけると店の人に貰えないか聞いてみましたが、いつもタダでもらえました。
パンの耳を貰った私は喜んで当時住んでいたボロアパートへ帰り、その日の食事に有り付いたわけでございます。
そんな生活しとって惨めだったやろって思われるかもしれませんが、当時の私は別にそうは思いませんでした。
金が無い時は無いなりの生活をする、一生懸命働いて金を貯めていつか今よりもっと良い暮らしをしてやる、昨日より今日、今日よりも明日が良い日であるように、と思って暮らしておりました。
だから毎日が惨めと思うどころか、むしろ今より気持ちが前向きだったと思います。
若いから辛抱すればどんな仕事でも雇ってもらえる、という気持ちがあったというのも事実ですが。
むしろ、辛かったというより懐かしいとさえ感じます。
自分の子供達に同じ経験をしろ、とは言いませんが、将来日本に危機的状況が起こって再びあの頃のような境遇になっても私は生き抜いてみせる、と思います。
当事は生まれて初めて故郷から離れた所で1人暮らしを始めたわけですが、寂しいどころか、多くのオモロイ人達に出会う事ができました。
今でも私は思うのです。
「あのころ、ワシは京都の町や人々に生かされておったんやな。」
0
タグ: 食生活 思い出

2011/9/7

衣笠丼(きぬがさどんぶり)part2  グルメ

去る2010年9月3日のブログで、京都のB級グルメである衣笠丼(きぬがさどんぶり)について書きました。
衣笠丼とは、細かく切った油揚げの入った卵とじのかかった丼飯のことでございます。
今日はどういうわけか、我が女房ドノがわざわざ作ってくれたのでございます。
妻は岐阜県飛騨地方出身の両親の間に生まれた、名古屋生まれの名古屋育ちでございます。
私と違って京都へは、旅行でしか行ったことがありません。
ですから、私が教えるまで彼女は衣笠丼のことを知りませんでした。
しかし妻は以前、私の説明を聞いていたので今日、突然ながらわざわざ作ってくれたのです。
確かに地味でシンプルなB級グルメであります。
でも私は妻の好意にとても嬉しかったし、京都時代のことを思い出してちょっと懐かしい気持ちにもなったのでございます。
勿論、妻の作った衣笠丼は京都で食べたものと100%同じというわけではありません。
妻が作ったものは卵とじに天かすが入っていて、いっそうコクを出しています。
そして出来上がった時点で、表面に七味がかかっております。
しかし本場の京都でもそれぞれの家庭の味があるから、このようなアレンジはむしろナイスでございます。
夢中で衣笠丼をかき込んでいると、昔、年季の入った椅子とテーブルが並んだ古い京都の下町の大衆食堂で食べていた時の頃を思い出します。
でもあれから長い月日が経っているので、当事の店はもう残っていないのかもしれません。
でも妻の真心に対しては、妻にむかって顔射じゃなかった、感謝の気持ちでいっぱいなのでございます。

クリックすると元のサイズで表示します
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ