音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2015/12/4

薬局のお婆さん  思い出の人達

私の家の近くにある駐車場には、かつて老夫婦が営んでいた薬局がありました。
旦那の方は似ても焼いても食えないような男でしたが、奥さんは風流な名古屋弁を話す気さくなお婆さんでした。
今から20年程前のことでしょうか、そこの老夫婦が高齢のため、ついに薬局を廃業することになりました。
その頃、私達夫婦は結婚したばかりでした。
ある日のことでございます。
私がたまたま道で、お婆さんに突然、声をかけられました。
「ちょっと、せつださん。」
お婆さんは、なにやらいっぱい物が入った大きな紙袋を持っていました。
「おや、Eさん。どうしましたか。」
「せつださん、実はうちはもう、店をやめることになったんだわ。
ほんだけど(しかし、それでも)、まんだ(まだ)こんなにぎょうさん、余っとるもんだで(そこでお婆さんはニヤっと含み笑いをしながら)、あんたんところ、まんだ若いもんだで、よかったらこれ全部あげるで使ってちょうすか。」
と、私に紙袋を差し出しました。
なんと、袋の中は全部コンドームでございます。
私はびっくりして、
「はあ、いくらなんでもこんなにたくさん、、、。
それに、なんでこの僕に?」
「あんたなら気い良くもらってくれると思ったから、あげるんだがね。
遠慮せんでええよ。」
「はあ、それにしてもEさんは気さくな方ですね。
普通、他人にこういうものを渡すのは、気が引けるじゃないですか。
僕はEさんから見たら、そんなに話しやすい感じに見えるんですかね。」
すると、Eさんは大きな口を開けて笑いながら、
「あんたは(そういうことが)すごく言いやすいんだわ。
それにあんたなら、これくらいじきに使い切ってまうわ。
うん、この町内でこれだけのものを見事に使い切る人は、あんたしかおらん。」
まるで確信を得たような言い方でございます。
褒められているのか、余程のスキモノと思われているのか、心に引っかかるのを感じながらも、私はお婆さんに深くお礼をしながら袋をいただいて帰りました。
それからしばらくして、お婆さんは息子夫婦の元へ引っ越していきました。
例の袋に入っていたものは、貰った当初はこんなに沢山あっても、どないしようかと夫婦で悩んでおりました。
しかし、お婆さんはさすが人生の先輩であります。
お婆さんの読みのとおり、私達夫婦は「じきに」使い切ってしまったのでございます。
それからしばらくして、お婆さんが亡くなった、という知らせを聞きました。
薬局は取り壊され、現在は青空駐車場になっております。
しかし、私は今でもそこの前を通るとあの気さくな薬局のお婆さんのことを時々思い出すのでございます。
お婆さんだけでなく、そこにあった古びた薬局のことまではっきりと覚えております。
当時、薬局の前には、開店中はいつも店の前に立て看板がありました。
その立て看板にはこう書かれておりました。
「産制コンドーム 家庭の必需品」
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タグ: 人生 思い出

2014/10/18

去っていった友  思い出の人達

御蔭様でFACEBOOKの友達は今も順調に増えております。
もちろん、増えるばかりではなく時には減っていったこともあります。
その友達がいなくなる時は知らぬ間にそうなってる場合もあれば、ある事情でこちらから削除してやったこともあります。
或いは、むこうの事情で突然、友達リストからいなくなる場合もあります。

ドイツ南部に住む私より少し年下の男性Eもそうでした。
とても気さくな奴でした。
現在は無職で失業手当をもらいながら暮らしていること、家族はみんなこの世を去って自分は天涯孤独なのだと、あって間もない頃から、なんでもチャットで私に話してくれました。
私は内心、他のFACEBOOKの記事を読むことや早く作曲に取り組みたい気持ちを抱えながらも、折角、話に来てくれた彼の行為を無にしたくないので、できる限りつき合うようにしておりました。
会話はお互い片言の英語でございます。
彼は職を失った頃は絶望の毎日でしたが、FACEBOOKにのめりこむようになったら毎日が楽しくなったと語っていました。
そして、「FACEBOOKの友達なら国籍、人種、職業に関係なく気軽につき合える。
そこがすばらしい。」
と言ってました。
どうも初の外国人の友達は私のようで、それ以降はまるで勢いに乗ったように瞬く間に彼の友達は何百人にも増えていきました。
ある日、Eがチャットでこう話しかけてきました。
「今度、運送関係の会社に面接に行ってくる。」
ここで採用されれば長い失業生活とオサラバできる、と彼は意気揚々でした。
私も過去に転職やリストラの経験があるので、彼の成功を祈っていました。
その後もEは時折、話しかけてきました。
私は内心、就職の方はどうなったのか気になってはいましたが、こちらから根掘り葉掘り聞くのは失礼だと思って、彼の方から話してくれるのを待っておりました。
そう思った頃、やっと彼の口から結果が出てきました。
「実は例の件、うまくいかなかったよ。
やっぱりドイツでは50歳過ぎると、どこもかしこも雇ってなんかくれないのさ。」
私は、下手な英語を駆使して彼にこう言いました。
「心配するな。今は世界中が不況だから、どこで誰がどうなってもおかしくない時代だ。
それよりも、絶対に自分の人生を諦めてはいけない。
今はうまくいかなくても将来、チャンスが回ってくるかもしれないから。」
Eは、「Danke!(ありがとう)」と言ってくれました。

それから、しばらく月日が経ちました。
ある日、久し振りにEからチャットが来ました。
「Dear my Friend! 実は俺はFACEBOOKのアカウントを廃止しなくては、ならなくなった。
I am very sorry.いつまでも元気でな。」
突然のことで驚きましたが、かと言って彼に悪気があるようにも思えませんでした。
なにか事情があるに違いない、今は彼がまたいつかFACEBOOKに戻ってくるのを待つよりしょうがないと思いました。
何より、お互い遠く離れた所にいるのだから、事情を聞いたところでどうすることもできません。
暫くすると、もうEにアクセスすることができない状態になっていました。

それからまた何日か経った頃です。
以前から私とEと共通のFACEBOOKの友達でEと同じ街に住むWから連絡がありました。
Wは最近、Eに会ったことを話してくれました。
「Eは今どうしてる?元気でいるのかね?」
私はあわてて尋ねました。
少し間があってから、Wは答えました。
「He is in the school.(彼は学校にいる)」
私はその返答を読んだ時、全てを悟りました。
SNSが利用が許されない生活環境の中での学校とは、、、。
しかし私は、勿論Wに根掘り葉掘り聞くつもりはなく、こう答えました。
「成る程。私はいつかまた彼がFACEBOOKに戻ってくることを楽しみにしているよ。」
これは社交辞令でなく、本当の私の気持ちに他ならない言葉でした。
人生いろんなことがあるものでございます。
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タグ: FACEBOOK 人生 友達

2014/3/1

友は無事、成仏したと思うのでございます。  思い出の人達

昨年まで、私は毎月16日には必ず亡き友、Shannon Andrew Wakeの月命日として、神棚といっしょに飾っていた彼の写真に大好きだったコーラをお供えしてお参りしておりました。
彼が亡くなったのは2012年の12月であり、1年間欠かさず毎月お参りしていたのでございます。
彼からは本当に多くの恩恵を授かりました。
だから、死んでからお参りという形でしか恩を返せない自分に対してもどかしい気持ちがしたこともありましたが、それでも、せめてものという気持ちで1年間続けてきたのであります。
そして今年の正月、私は初詣の時に古い神札といっしょに飾ってあった彼の写真を神社に納めました。
彼の写真も納めたのは、人生の1つの区切りとして行ったわけであります。
私がこのような心境になったのは、実はこれより暫く前、彼のFACEBOOKのページが閉鎖になっていたことがあげられます。
彼の死後、彼のHPは彼の妹が管理していました。
しかし長い間、悲しみにくれていた妹さんも、ようやく気持ちが吹っ切れて彼のHPを整理したのだと思います。
それで私も今年の初参りに彼の写真もついでに整理したのでございます。
私も男である以上、いつまでも過去の悲しみを引きずっていてもしょうがないし、彼もそれではかえって成仏できないと思ったわけです。
それで今年に入ってから、もう月命日にお参りをしなくなりましたし、命日が近づいても彼のことを意識しなくなりました。
しかし、彼に対する感謝の念は一生、消えることはないでしょう。
彼がいなかったら、私はFACEBOOKで多くの外国人と友達になることはできなかったし、現在も無気力で失意と無為の日々をおくっているに違いないのであります。
せめて今は彼が完全に成仏している事を願うばかりでございます。
今回の話は、自分さえ良ければいい、他人の事等、どうでもいいという人間には理解できないものでしょうが、読者の皆様方がそんな人ではない事を願って、今回はこれで筆を置く次第でございます。

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タグ: 人生 友人 FACEBOOK

2013/1/10

さよなら、Shannon(シャノン)第3話  思い出の人達

シャノンの妹さんから彼の死を知らされて、ようやく気を取り直した私は彼のFACEBOOKのウォールを見ました。
皮肉な事に毎日FBを見ているのに関わらず、最近の私は作曲に忙しいのと友達が300人以上になったために個人のウォールを見ている暇がなくなりました。
それでここ数ヶ月、シャノンのウォールも見ていなかったのでございます。
あらためて見ると、昨年の12月16日以降から複数の身内や地元の友人からお悔やみの記事の投稿がなされていました。
「RIP Shannon.」
という文があちこちにありました。
RIP=Rest in Peace(安らかに眠れ)という意味であります。
やはり、彼は本当にこの世を去ってしまったのです。
信じたくないが、事実を受け入れるしかありませんでした。
そして、2週間近くもこの事実に気がつかなかった自分を悔やみました。
私はシャノンのウォールにお悔やみのメッセージ、それに自分のウォールに今回のことをブログ風に書きました。
私のサイトには多くの友人がお悔やみのメッセージをおくってくれました。
みんな本当にいい人達ばかりでこれだけでも、嬉し涙が止まらない程でした。
それから1日経ってからも、私はぼんやりとシャノンのことを考えていました。
「もうあいつには会えんし、いろいろ世話になったのにとうとう、なんの恩返しもできなんだ。
ワシはどうしたらええんやろう。」
私は悶々と考えましたが、1月6日の自己のFBのぺージには遂にこう書きました。

「I should not be sad forever the death of my friend.
Maybe,the friend in heaven think so too.
From today,I will refresh my mind. 」
(私はいつまでも彼の死を悲しんではいられない。
おそらく、天国の彼もそう思っているだろう。
今日から、私は自分の心を生まれ変わらせるのだ。)

まるでドラマの主人公になったようなつもりで、自分で自分のやってることに酔いしれているようにも見えて、読者の方から見たら失笑ものかもしれませんが、これでも私は真剣にそう書いたのでございます。
そして次の日からはいつもどうりの音楽やギャグの記事満載のページに戻ったのでございます。
そう言えば、シャノンはいつもニコニコで怒ったり泣いたりしているところを見たことがありませんでした。
私自身もお涙頂戴みたいなことは大嫌いでございます。
だから、シャノンも私がいつまでも悲しんでいるよりもアホなことやってる方がきっと天国で喜んでいるに違いない、と思っているのでございます。
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タグ: FACEBOOK 友達 人生

2013/1/9

さよなら、Shannon(シャノン)第2話  思い出の人達

シャノンが帰国してから何年か経ったある日の夜の事です。
相変わらず私は、生活に追われながら自分の夢と現実の間でくすぶり続けるような日々を送っていました。
その日の仕事を終える準備をしていた頃、突然、母が私を呼びました。
母は両手を広げて、
「こんな大きな外人が来て、あんたに用があるって言ってるんやさ。」
と飛騨弁で言うのです。
「外人?いったい誰やねん。」
不審に思って店に向かうと、大きな男が立っていました。
「Hey.Man!」
男はにこやかに声をかけてきました。
シャノンでした。
「おおっ!また日本に来てたんやな。」
私達は突然の再会を喜びました。
しかも何のために来日したかというと、なんと私に会いたかったからだというのです。
せっかくの再会なので、どこかいっしょに食事でも行こうという話になりました。
そして、近所に住むMさんご夫妻と4人で会食をしたのでございます。
誰とでも人懐こいシャノンはMさんとも知り合いだったのを、この時始めて知りました。
再会を喜んだ私達は、たまたまみんながFACEBOOKをやっているということがわかったので、これを機会にみんな友達になったわけでございます。
・・・
その後もシャノンはチャットでよく話しかけてきました。
英語のできない私は正直に、
「私はチャットをする時は必ず、Google Translatorを使っている。
でもいつか英語が上手に話せるようになりたい。」
と、答えました。
するとシャノンは、
「じゃあ、ぼくが英会話の先生になってあげるよ。
勉強すれば必ず話せるようになるよ。」
と言ってくれ、それ以降、彼とチャットする時は英会話の授業をも兼ねるようになったのです。
私にとっては、無料で英会話の先生がついてくれたようなもので、ホンマにありがたいことでございました。
おかげで、1年前に比べたらこれでも少しは英語がわかるようになりました。
それに平行して、シャノンとFacebookの友人になったのをきっかけに、私はどんどん外国の友達を作るようになりました。
前にも書いたように、私が多くの外国の友達をつくるようになったきっかけは、シャノンやMさんの友達リストを見て触発されたことによります。
「英語もしゃべれんのに外国人と友達になってどないすんねん。」
と、私も初めは思ったのですが、シャノンとの出会いが私の気持ちをいつのまにか大きくしてくれたようであります。
それで現在、私は9割以上の友達が外国人なのでございます。
もちろん、最初の頃はチンプンカンプンの英語で相手を困惑させたことも一度や二度ではありませんでした。
その困惑させられた被害者の中には、クラウス・シュルツェのアシスタントであるGeorg StettnerさんやクラスターのHans Joachim Roedeliusさん達のような超有名人までもがいらっしゃったので、今思い出しても申し訳なくて冷や汗ものでございますが。
・・・
英会話のチャットをしながら、シャノンはよくこう言いました。
「もしあなたがオーストラリアへ来たら、いつでもぼくがガイドをしてあげるよ。」
新婚旅行以来、外国へ行った事のない私にとって、心強いことでした。
オーストラリアも、もちろん生涯のうちに一度は訪れたいと思っていたからです。
夢がふくらみました。
逆にシャノンが日本にまた来たら、自分がいろんなところに連れて行ってやろうと思いました。
何度も無料で英会話を教えてくれたことも含めて、なんとしても彼に何か恩返しをしてやりたい、という思いもあったからでございます。
そして、昨年の秋にシャノンはこう言ってました。
「来年(2013年)になったら、僕はまた名古屋へ行ってあなた達に会いに行きます。
今、僕は本屋でアルバイトをして日本へ行くためのお金を稼いでいます。
あなた達に会える日が来るのが、とても楽しみです。」
私も同感でした。
これまで結婚を除いて挫折と絶望ばかり経験してきた私にとって、久しぶりに希望に胸躍るような感覚でした。
しかし年明けそうそう、その夢があのような形で破れるとは思いもしなかったのでございます。
(続く)
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タグ: FACEBOOK 人生 友達

2013/1/8

さよなら、Shannon(シャノン)第1話  思い出の人達

その知らせを受けたのは、1月3日のことでした。
Facebookの画面を開いていた私のところに突然、久しぶりにオーストラリアのS君からチャットが来たのでございます。
ここ1ヶ月程、音沙汰が無かったので初めは多忙だったのかな、くらいしか思っていませんでした。
しかし、チャットの主はS君ではなく彼の妹さんでした。
「実は悪い知らせがあります。」
妹さんは、まずこう切り出してきました。
「私のBig Brother,Shannon(シャノン、S君のことです。以降、シャノンと書きます。)が去年の12月に亡くなりました。」
「ええっ!」
私は絶句しました。
そして、あまりのことに目の前が真っ白になりましたが、気を取り直して、
「私にはとても信じられません。」
と答えました。
すると妹さんからすぐに、
「私たちもそうです。
両親も今も、とても悲しんでいます。
でも彼は生前、いつも私達に早く日本へ行ってあなたに会いたい、と言っていました。
それで今こうしてあなたに連絡したのです。」
と、返事がきたのです。
私はすぐにお悔やみの返事を書きましたが、妹さんとのチャットが終わった後もしばらく呆然としていました。
目の前が真っ白になる、という経験は今までにも何度かありました。
昔、つきあっていた彼女に別れを言い渡された時、昔勤めていた会社でリストラにあった時、その他いろいろ・・・。
今回も同じくらい、ショックでした。
・・・
思えばシャノンとの出会いも運命的なものでした。
名古屋のあるひなびたシャッター商店街に私の生家があります。
何年か前のある日、私の実家の家電店に巨漢の白人がふらりと入ってきました。
男はニコニコしながら、電子レンジを買ってくれました。
店を手伝っていた私は、彼の住む木造アパートへ配達に行ったのでございます。
男は巨漢に似合わず、笑顔を絶やさず愛嬌がありました。
その男がシャノンなのであります。
当時、全く英語ができなかった私は必死で片言の英語で電子レンジの使い方を説明しました。
彼は理解できたのかどうかわからないが、始終ニコニコしておりました。
すると彼はカップ麺に水を注いで電子レンジの中に入れ、稼動させました。
やがてカップ麺ができあがると、シャノンはおいしそうに麺をすすりながらコーラを飲んでいました。
オーストラリアから来たと言ったシャノンは日本での生活が慣れてないのか、私は彼の生活ぶりを見て目が点になることが多かったのでございます。
住んでいた所は、全く日本風の木造アパートだったのですが、台所やトイレは靴履きのままでした。
ただ、万年床の布団をしいた和室のみ、靴を脱いでいました。
しかし大らかな彼は、細かいことは気にせずいつも楽しそうに暮らしていました。
日々の生活は英会話のアルバイトで稼いでいるようでした。
その後も、街で偶然出会った時もシャノンは、とても人懐こく、まるで旧知の友のように私に声をかけてくれました。
そしてしばらくして偶然会った時、彼はこう言いました。
「もうすぐオーストラリアへ帰る。」
この時私は一瞬、寂しい気もしましたが、
「ビザの事もあるし、そういつまでもここに住んでいるわけにもいかんやろう。」
と思いました。
「家族が待ってるだろうから、それがいい。」
と私は答えましたが、この時はその後また再会するとは夢にも思いませんでした。
(続く)
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タグ: 友人 FACEBOOK 思いで



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