音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/5/18

ハッテン場の男(1)  思い出の人達

これは私が独身時代に偶然会った男の話である。
当時、私は会社勤めをしていてその日は仕事の帰りに、
「たまにはサウナでリフレッシュしてみるか。」
と名古屋市千種区の繁華街、今池にあるサウナ「S]へ出かけた。
サウナ「S]は私の自宅からわりと近い所にあるが、入ったのはこの時が初めてであった。
大浴場でどっぷり湯に浸かっていると、突然隣にいる男が、
「ここへは、よく来るの?」
と話かけてきた。
「いや初めてなんですが、元々旅行や温泉が好きだから、たまにはこういう所によってみるのも良いかな、と思いましてやって来たわけなんですよ。」
と私は気さくに答えた。
旅先で見ず知らずの人とこのような会話をするのは、私にとってはよくあることである。
この時も旅行中の時と同じノリで会話をしたのだが、今にして思えば相手は私が自分の事を好意的に見ていたと勘違いしたのかもしれない。
「今日は一人で来たの?
オレも一人だけど、よかったら一緒に話でもしようよ。」
男はあきらかに私より年上の中年でサーファー・カットの髪型、ずんぐりむっくりの体型で身長は私より背が低かった。
この時私は、彼のことを物怖じしない社交的な人間としか見ていなかった。
男はKといって名古屋市の南部に一人で暮らしていると言う。
Kは、私に君は学生時代に何かスポーツでもやっていたかとか、いろいろ聞いてきた。
そしてKは学生時代に柔道をやっていたことを語り始めたのである。
その柔道部の合宿では、稽古の後、風呂場で後輩が先輩の背中を洗うのが恒例行事だったそうである。
Kもご他聞に漏れずある先輩の背中を流した。
すると何を思ったのか、突然その先輩は、
「あっ、うっ、うっ。」
と体をくねらせるようにもだえる始めると、いきなりKの前で仰向けになり、
「K,も、もうがまんできん、は、早くしてくれ!」
と叫んだという。
Kが見るとなんとその先輩の下半身はギンギンに直立していたそうである。
Kは、さすがに驚いて、
「先輩、どうすればいいんですか。」
と聞くと先輩は、
「K、すまんが、早くすっきりさせてくれ!」
と真剣な眼差しで相当、興奮した様子でKに命令したという。
私は唖然とした表情で、
「ははあ、それでKさんは風呂場から逃げ出したのですか。」
と聞くとKは、
「とんでもない。
俺達の時代、運動部の中で先輩の命令は絶対的なものだったから、オレは先輩のモノをちゃんと、しごいてスッキリさせてやったよ。
若いから、最後にイク時はすごい勢いでなあ。
発射したやつが、オレの目の中に入っちゃったよ。」
と言って、なおかつ、
「ドピュッ!う、目ん中、入っちゃった。」
というリアクションを何度も私の前でして見せたのである。
私は目が点になって見ていると、Kは私の顔をまじまじと見ながらこう言った。
「その先輩がね、背格好から雰囲気まで君にそっくりなんだよ。
こうして君を見てると、なんだか初めて会った気がしないんだ。」
初めは面白く聞いていた私も、最後のその一言には思わず、
「冗談じゃない。
そいつと一緒にしてくれるな。」
と言いたい気分だった。
私がそろそろこの場から離れようかな、と思った瞬間、Kは、
「この店の名物は塩サウナなんだよ。
やってみたことがあるかい。」
と聞いてきた。
「いや、まだですけど。」
するとKは、
「折角、ここに来たんだから、ちょっとやっていこうよ。
いいだろ。」
としつこく勧めてきた。
いきなり邪険にするのも失礼だから、塩サウナに入ったら帰るつもりで、私は渋々承諾した。
塩サウナでは自分の体に塩をこすりつけて入るのであるが、Kはいきなり私の体に塩を擦りつけてきた。
「あっ、自分でやりますからいいですよ。」
私はホモっ気が全くないので、男に体を触られるなんてことは絶対イヤだったが、Kは、
「いいから、オレがやってやるから。
君はじっとしてればいいんだよ。」
すると今度は私に抱きつくようにKは自分の体をくっつけてきたではないか。
「やめろ、気持ちの悪い。
ええかげんにせえよ!」
さすがに私はキレてきた。
Kはびっくりして、
「何でそんなに嫌がるんだ。」
とぬかしやがった。
「あたりまえだろ。
ソープランドで綺麗なオネエ様にしてもらうならまだしも、冗談じゃないぞ。」
「でも君は快くオレの誘いに応じてくれたじゃないか。」
「アホか。
こっちはそんな気はさらさらないわ。
話をしようかって言うから、こっちは当然、話だけと思うやないか。」
するとKは、
「一ヶ月前ここで始めて会った○君は、君みたいに拒否しなかったぞ。」
「そいつはきっとホモなんだ。
でもワシは違う。
一緒にしないでほしい。」
するとKは、よりいっそう真剣な表情になってまるで教師が横着な生徒を諭すような口調で語り始めた。
「君はホモが気持ち悪いとか、女でなければダメだとか、常識の枠にとらわれ過ぎていないか。
心の壁を取り除いてもっと自由な発想で人と接するようにしなければ、ダメじゃないか。」
まるでこっちが間違っているみたいに、Kは懇々と言って聞かせるように説教を始めたのである。
人間、あまりにも予測不可能な大胆な目に遭うと、今自分は現実の中にいるのではなく、悪い夢をみてるんではないだろうか、いや、夢であって欲しいと思うことがあるが、この時の私はまさにその状態であったと言えた。
しかし、ここで負けてはいかん、と私はKの気迫に負けじと、気持ちを奮い立たせて応戦した。
「なんでそんなことで、アンタに説教されなけりゃならんねん?
普通に会話をしたり酒を飲むならまだしも、汚らわしいことは一切、お断りだ。」
「でも君はオレの先輩にそっくりなんだ。
だから単なる男同士の付き合いだけでは、オレは満足できないんだ。」
「そんなこと、ワシの知ったことではないわい!」
なかなか折れない私に、Kは、
「まあ、こういう経験が今迄無いから、拒否したくなるのも無理は無い。
また今度会って、またじっくり話でもしようや。」
「また会おうって、どうせまた気持ちの悪いことすんでしょ。」
「君の気持ちが打ち解けてくるまで、オレは諦めないよ。」
「もうけっこうです。」
「そんなこと言わずに、今度いつ会える?」
会話だけ聞いているとまるで男が必死で彼女を口説き落としているみたいだが、悲しいことに男同士の会話であった。
Kがあまりにしつこいので、私は次の土曜日の夜に、このサウナで再び会う約束をした。
するとKは、やっと安心したように、
「次会えるのが楽しみだね。
今日は楽しかったよ。」
と言って、ようやく私を解放してくれたのである。
精神的に疲れきった私は、逃げるようにこのサウナから出て行った。

・・・
その後、私は二度とこのサウナへ足を運ぶことはなかった。
もう、あんな経験は懲り懲りだったし、ちょうどその頃私は親に勧められてお見合いを重ねていた。
しかし、なかなか良い女性と巡り合えないどころか、Kのような男に迫られて大変な目に会っていたので、
「なんでワシだけがこんな目に会わなあかんのや。」
と、今思い起こすと、この時期の私の気持ちは相当に荒れていた。
Kに触られて体がけがれたような気分になったので、名古屋市中村区のソープランドにも何度か行った。
でも人間、地道に生きて行けばいつかは運が良くなってくる時があるもので、それから数ヵ月後、現在の妻と出会い現在に到っているのである。(続く)
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タグ: 人生 風俗

2011/2/18

京都人は「いけず」?  思い出の人達

私が20代で京都に引っ越して間もない頃、職場に溶け込もうと必死でがんばった記憶がある。
新聞も地元の京都新聞を購読し、休みは観光名所以外にも様々な所に出かけ、一日も早く京都の生活に慣れようとしたのである。
日常の言葉も努めて関西弁でしゃべるようにしていたし、名古屋にいた頃のことを忘れようと努力さえしていた。
関西弁を体に沁み込ませようと努力していた頃、彼ら京都人の日常話す言葉で意味のわかりにくいもので「いけず」という言葉があった。
「いけず」とは意地悪・性悪という意味だが、そんなにきつい意味ではなく悪ふざけした時や相手にちょっとからかわれた時などに使うのである。
当時、勤め先の女子社員が時々、
「うち、いけずやでえ。」
等と自分のことを言ってるのを聞いて、私は初め意味がよくわからなかった。
だがその時、たまたま自分のことを「いけず」と言っていた女子社員Oさんが私より年上だったので、私は別の意味と勘違いして彼女をヨイショするつもりでこう言った。
「Oさん、自分のことを謙遜してそんな風に言わなくても。
Oさんは綺麗だからいけずじゃなくて、絶対ええ人と結婚できまっせ。」
「そう、おおきに。
でもせつださん、なんで急にウチと結婚の話と結びつけるん?」
「だってOさん、さっきから自分のことをいけず、いけずって言うてはるから、そんなことない、いつかちゃんと嫁にいけるって言ってるんやないですか。」
「・・・せつださん、名古屋の人だけどいけずってどういう意味かわかってんの。」
私は一瞬、間をおいて、
「いけずっちゅうのは、なかなか結婚できへん人のこというんとちゃいますの。
いつまでたっても、嫁にイケズ、なんちゃって。」
「・・・アホか、ほんまに。」
そういってOさんは笑いながら、「いけず」の本当の意味を説明してくれた。
私は自分が思い描いていた意味と違うなあ、と思ったが、正しい意味を理解することができて、また一歩、京都人に近づくことができたと、うれしく思った。
そう思ってふっとOさんを見ると、なんとOさんが落ち込んだように下を向いていた。
「Oさん、どないしはったん?
急にさみしそうな顔して。」
「ううん、何でもない、何でもないわ。
どうせ、うちは売れ残りなんや。」
「そ、そんなことないでえ。
ん、そうか、誰かOさんにいけずなことを言うたやつがおるんやな。
そんなやつはワシがイワしたるさかい、いつでもそう言ってや。」
するとOさんはあきれたような顔で苦笑いをしながら、私をじっと見ていた。
・・・
当時の事を思い出すと京都の人から見たら、この私が最も「いけず」だったのかもしれない。
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タグ: 京都 方言

2011/2/11

京都市南区東九条の思い出  思い出の人達

京都というと多くの人は世界遺産にもなった雅な町、同じ関西でも大阪よりもはるかに洗練されたイメージを持っているだろう。
だが、実際住んでみた方ならご存知だろうが、京都駅より南の地域、即ち京都市南区界隈は東寺の五重塔が見えなかったら、どこから見ても大阪の下町にしか見えないだろう。
だが、そんな南区も去年の夏に長崎へ旅行した時、駅から見た京都(南区)の町並みを見て、
「ああ、ここも変わったのう。」
と、私は感慨深げに思ったのである。
京都駅の八条口からすぐ南にイオンのショッピング・モール(イオンモールKYOTO)ができていた。
名古屋もそうだが、
「ここにもイオン、そこにもイオン
ああ、そこにも、ここにも。」
という感じである。
実際、私の家から300メートル程歩くとイオン千種若宮通店があるので、新幹線を下車したら自宅近くに着いてしまったような錯覚に陥るかもしれない。
私が20代前半だった頃、約2年の京都生活で4回も引越ししたが、そのうち1回は南区東九条という所に住んでいた。
当時、そこは家賃2万円、トイレは共同、風呂無しで8畳1間のアパートであった。
その頃私は以前書いた、あのチーフK・Tさんがいた木屋町のスナックで働いていた。
夜の仕事なので昼に起き、3時に近くの銭湯へ行ってから出勤するのが日々の習慣であった。
開店間際の銭湯は客がいなくて、さぞかしのびのびと入れると思ってガラッと男湯に入ると、中で全身刺青の893屋さんが数人、背中を流しているのを見るのが常であった。
今思えば、彼らも客のほとんどいないこの時間を見計らって来ていたのかもしれないが、やっぱり始めはびっくりしたものだ。
そして風呂から出ると、番台前の休憩所にはどう見ても小学生にしか見えない近所のガキ共がなんとタバコを吹かしながら、インベーダーゲームに夢中になっているのを、何度も見たものである。
この界隈の近くには、あの映画「パッチギ!」の舞台にもなった鴨川下流の区域がある。
このあたりも休日に自転車でよく散策したものだ。
私のいた頃はまだバラックやトタン屋根の家が密集しており、独特の雰囲気を持っていた。
時折、魚屋のような小さな店があるかと思って覗き込むと、ショーケースの中は牛や豚の内臓がいっぱい入って売られていた。
以外にも住んでいた当時は知らなかったが、この界隈は京都最大のコリアタウンだそうである。
しかもこの頃、職場の人達からよく、
「ええーっ、じぶん、東九条に住んどんのかあ。」
と驚かれたものだが、名古屋から来た私にはただ単に少しでも家賃の安い所に引越してきたにすぎなかった。
・・・
あれから25年以上経ったが、当然のことながら京都の町もあのころから変わった。
あの頃、銭湯でタバコを吹かしながらゲームをやっていたガキ共も今では立派な中年になっているだろう。
そして今度は、彼らの子供達が新しくできたイオンモールKYOTOでタバコを吹かしながらたむろしている処を補導されているのかもしれない。
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タグ: 京都 下町

2011/2/1

ぼろアパートの夫婦  思い出の人達

私が20代前半に京都にいた頃の話である。
23歳の頃、私は京都市山科区日ノ岡というところにある木造2階建てのアパートの1階に住んでいた。
同じアパートの2階には夫婦が住んでいたが、困ったのはこの夫婦がたびたび凄まじい夫婦喧嘩をすることだった。
夫は一見、遊び人風、妻は髪は長いが横綱のような体系をしたおばちゃんであった。
この2人が喧嘩を始めると、このアパートの床が抜けて崩れ落ちるんではないか、というくらい激しく取っ組み合うのである。
あまりの激しさに隣の人が退去する程であったし、私も最初はびっくりしたが慣れというのは恐ろしいもので次第に、
「ああ、今日も元気良くやっとるのう。」
と、余裕で感じられるようになった。
そして夫婦喧嘩が始まると、どんな理由でおっぱじめるのか聞き耳を立てて分析できるようにもなったのである。
原因は大抵、経済的な理由によるもののようであった。
「なんやぁ、おどれ、誰に向かってそんな口きいとんじゃあ。」
「なんやね、エラそうにしとりたかったら、たまには仕事しいや。」
夫は口先だけでなくすぐに暴力を振るうようで、1階に住む私の部屋の中からでも妻を殴る音と、
「ぎゃあぁ!」
という、妻の叫び声が聞こえる程であった。
そして一瞬、静まり返ると私は、
「あの野郎、とうとう自分の女房を殺っちまったかな。」
と思ったが暫くすると今度は、
「アァ、アァ。」
という、あのビア樽のような妻の喘ぎ声が聞こえるのであった。
そして暫くは静かな日々が続くが1週間程すると、2人はまた凄まじい夫婦喧嘩をおっぱじめる、というパターンが続くのであった。
私は次第に、男があのビア樽女のヒモで、暴力とSEXで女を縛っていることに気がついたのであった。
2人の間には愛が感じられなかったが、そうかと言って別れる気配もなかったのである。
当時、私は彼女も無く1人で寂しく暮らしていたが、上の階に住むあの夫婦を見て、
「なんでこんなやつらでも結婚できるんやろ。
なんでワシには彼女がいいへんのやろ(いないのだろう)。」
と、思ったものである。  
だが同時に、
「こんな低レベルの関係なら1人でいる方がマシや。」
と思ったことも事実である。
このアパートでの生活に慣れ始めたある日、私は休みの日に夜の河原町(京都の代表的な街)にくり出した。
安い飲み屋を探していたら、表通りの1本奥の通にピンサロがあった。
その店の勝手口になにやら図体の大きな女が出てきたと思ってよく見たら、なんと、あのビア樽女だったのである。
私は、あの亭主が自分の女房をこんな所で働かせていたのか、と思うと同時に、この店に来る客は安くもない金を払ってあんなビア樽女と相手をせにゃあかんのか、と思って複雑な気分になった。
・・・
それから20年程経って久し振りに京都に帰った時、私はあのぼろアパートのある場所へ行った。
ぼろアパートは既に無く、更地になっていた。
私は自分の人生を振り返りながら暫く、ぼろアパートの跡地に佇んでいた。
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タグ: 京都 アパート

2010/11/3

駄菓子屋の老夫婦  思い出の人達

私の家から数キロ離れたところにある、名古屋市東区のある町に小さな駄菓子屋があった。
10年程前、家族で出かけている時偶然見つけたのだが、それこそ「昭和のレトロ」を感じさせる古い木造平屋建ての小さな駄菓子屋であった。
当時、まだ小さかったうちの子供達は物珍しそうに、そして夢中になってケースから駄菓子を次から次と取っていた。
その時、店をよく見ると、いかにも高齢といったかんじのお婆さんが店の奥に座っていた。
お婆さんはまったく無表情で、まるで仏像のようにピクリとも動いていなかった。
私はそのお婆さんをじっと見ていたのだが、本当にその間、まったく動きがない。
ひょっとして、息をしていないんじゃないか、と思うほどだった。
私は、つい調子にのって我が子達の前で、
「このお婆さん、生きてるのかなあ。」
と、お婆さんの前で手をちらつかせたりしてワルノリをはじめた。
子供達も面白がって、
「あ、さっきから全然動いていない。
生きてるのかなあ。
死んでるのかなあ。」
と、一緒にふざけはじめた。
今から思うと相手様に対して随分失礼な話だが、子供といると自分も童心に帰ってつい、おふざけをしてしまったわけである。
まったく親も親なら子も子である。
その時、ふっと後ろに視線を感じたので振り向くと、この店の店主らしきおじいさんが、私達を見て苦笑いをして立っていた。
「あっ、こ、こんちは・・・。
これこれ、よその人に失礼なことをしちゃいかんよ。」
私は自分が事の火付け役なのを棚に上げて、そしらぬ顔で子供達を注意した。
そして何食わぬ顔で駄菓子の代金を払い、
「昔と違って、今ではこういうお店が少なくなりましたねえ。
それで今の子供達にも経験させてやろうと思いましてね。」
と、私は店のおじいさんに言った。
おじいさんは、
「こんな商売、全然儲からんけどよう、ほいでも子供達が毎日のように買いに来てくれるもんだで、やめれえせんでかんわ。」
と、まるでタレントの宮地佑紀生がしゃべるような名古屋弁で話した。
さらに、あの仏像のようなお婆さんをチラ、と見ながら、
「うちの婆さんもこれでもああやって、店番やってくれとるもんだで、ワシもちったあ(多少は)、助かっとるんだわ。」
私はそれまでの態度とはうって変わって、
「そうですねえ。
お婆さんがこんなにしっかりしてらっしゃるから、このお店も安泰ですねえ。」
と、にこやかに相槌を打った。
この時、初めてお婆さんが一瞬、ピクっと顔の表情が動いた気がした。
買い物を済ませて車に乗ると、妻が、
「よくもまあ、すました顔であんなせりふがヌケヌケと言えるわねえ。
私、あきれたけど、笑いをこらえるのに必死だったわ。」
と語った。
「まあ、それが人生を生き抜く知恵というもんや。」
と、私は真面目くさった顔で答えた。
・・・
あれから年月が経ち、子供も大きくなった。
ある日、たまたま例の駄菓子屋の近くを通りかかったので、急に思い出したようにあの店へ行って見た。
店は閉じていて、何年も空家になっているような感じだった。
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タグ: 思い出 人生

2010/10/19

ドロボウ猫と呼ばれた女  思い出の人達

この話は名古屋市内でマンション経営を行っている知人の大家Xから聞いた実話である。
今から20年程前のことだそうである。
大家Xが所有しているマンションにNという風俗嬢が住んでいた。
Nは非常に長い顔で、大家Xやまわりの人達は陰でいつもNのことを「ブス」と呼んでいた。
あまりに身体的特徴をけなすのは今なら問題だが、当時はみんなあまり悪意もなく、ただ彼女がブスだからありのままに自然にそう呼んでいたのである。
Nは名古屋の繁華街、今池のとある店に勤めていた。
そんな近所でも評判になるほどの「ブス」が使ってもらえるのだろうかと思いきや、その店は営業中は店内は真っ暗でソファーのある各ブース内で、交渉次第で客は風俗嬢から様々なサービスを受ける、というものだった。
しかもNは顔に似合わず(?)、すごくかわいい声の持ち主だったそうである。
そんな暗い店内で顔も見えずにかわいい声で客にたっぷり尽くすので、Nは固定客が意外と多かったようだ。
まさに「適材適所」というべきか。
そのNの固定客の中にAという男がいた。
Aはよりによって、相当Nに入れ込んでいたようである。
後日、Nは大家XにこっそりAからのラブレターを見せてくれたそうである。
そこには、
「今迄○十年の人生の中で、あなたのようなすばらしい女性に会ったのは、初めてです。
いつか店以外の所であなたと2人だけで、ゆっくりとすごしたい。」
といった内容が書かれていたそうである。
Nは、
「私だってこんなにモテるのよ。」
と言わんばかりに、得意げにそのラブレターを見せていたそうであるが大家Xは、
「2人が日の当たるところで会ったら、100年の恋もそこで終わる。」
と思ったそうである。
それから暫くすると、大家Xはとんでもないことに気がついた。
Nが身ごもったのである。
大家XがNにそれとなく聞くと、どうやら相手の男はあの固定客のAだとわかったのであった。
NがAと会うのは、あの暗いピンサロの店内のみ。
つまり、NはAと店内で本番行為をやっていたことになるわけである。
その後、Nはおなかがどんどん大きくなっていったので、店を休むようになった。
そして暫く経ったある日、Nの部屋の前で女どうしの罵声が飛び交っているのが聞こえたので大家Xが見に行くと、Nが見知らぬ中年女性と取っ組み合いのケンカをしていたのだった。
中年女性はものすごい形相で、
「このドロボウ猫!!」
と、盛んにNをののしっていた。
大家Xがびっくりして仲裁に入り事情を聞いてみると、その中年女性はなんと、例のラブレターを書いたAの奥さんだというのである。
どうやってAの奥さんは、AとNの関係を見抜いたかはわからない。
しかし、Aの奥さんは女の執念でNの住まいを探し当て、かくの如き結果になったようである。
その後、NはAと別れ、勤めていた風俗店も辞め、大家Xのマンションからも出て行った。
そして風の噂によると、Nは小さなボロアパートに引越した後、無事赤ちゃんを産み生活保護を受けながら暮らしていた、とのことである。
Nの子供も今頃、成人に達しているだろう。
そして親子とも、どんな人生をおくっているのだろうか。
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タグ: 人生 出会い



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