音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2010/9/28

金縛りの部屋  思い出の人達

私の家の周りには、アパートやマンションが多い。
このような集合住宅は築年数が古ければ古い程、奇妙なことが起きるものである。
10年程前のことである。
あるマンションに長年、一人で暮らしていた50代の男性Mが自室で病死した。
マンションでの孤独死というと何ヶ月も発見されない場合が多々あるが、Mはそれまでたびたび他の入居者や大家とトラブルを起こし、絶えず大家に目をつけられていたので独居で身寄りが無いにもかかわらず発見が早かった。
Mのいた部屋はやがて荷物が整理され、室内もきれいになった。
・・・
その後、Mのいた部屋にまだ10代の女性Kが住むようになった。
勿論、Kはかってこの部屋にMが亡くなったことは知らない。
ところが入居まもなくすると、Kは、
「この部屋は気持ち悪い。」
と言い出すようになった、という。
大家が尋ねると、この部屋でほぼ毎日のように金縛りにあうという。
大家が「あまり気にしないように。」と言ってもKはきかない。
暫くするとKは実家に頼んで寺の坊主を呼び、この部屋でお祓いをするようになった。
私は近所に住んでいたので、その様子の一部始終を見ていたのだが、
「こんなんで解決するわけないやろ。
アホちゃうか。」
と内心、思っていたがまさにそのとおりで、その後Kはこの部屋でノイローゼからリストカットをするようになり、遂にはマンションの屋上に上がって自殺未遂をやらかし、退去していったのである。
・・・
それから、この部屋には単身赴任の男性が1年程、さらにその後、若い男性が住んで現在に至るが、Kがいたころのような騒ぎは今のところ起きていない。
私は他人事ながら、あの部屋が落ち着いてよかったと思える反面、どうして若い女性のKの時だけ金縛りにあったんだろう、と思った。
そして、すぐに私はある思い当たることがあるのに気づいた。
それは、Mが亡くなってから大家が部屋の整理をしていた時のことである。
私がたまたまその様子を見ていた時、意外とMが本を持っていたことに気づいた。
「あいつ、意外と読書家だったんやなあ。」
と思って、本の山を見ていたらなんとその中にロリコンマンガの単行本がすごい量であったのである。
生涯独身のMだったが、50ヅラのおっさんにもかかわらずこんな趣味があったとは、と内心驚いたが彼も心の底では寂しい毎日をおくっていただろうことは容易に想像がついた。
だからMは死後、Kが来てから自分の肉体が無いにもかかわらず、夜な夜なKを襲っていたのではないだろうか、と思ったのである。
しかし、Mはホモではないのでその後入居した男性には、何もしなかったんであろう。
ただし私は霊能者ではないので、今でもあの部屋にMの霊がいるかどうかは、わからない。
だがもし将来、あの部屋にまた別の若い女性が入居して金縛りにあうようなら、Mはまだ成仏していないだろう。
私はMが早く成仏してほしいと思っている。
Mの残した本の中には、ロリコンマンガの他に一級建築士のテキストなんかもあった。
一見、無軌道で無教養に見えたMだったが、彼には彼なりの自分の人生に対して夢があったのだ。
そう思うと私は、何ひとつ自分の夢が実現できないまま、孤独の中で死んでいったMのことが不憫でならないと思うのだ。
・・・
そして、私はそんなMと自分自身とを比較してみた。
私はMとちがって貧しいながらも良き家族に恵まれているが、まだ自分の夢を何ひとつ実現できていない。
社会の底辺のような境遇でもがきながら生きていると、人生は運が良くなければ努力しても無駄だということを、イヤでも感じることがある。
だから私は、生前、酒を飲んではひとりで道の真ん中で酔っ払って大声を出していたMの気持ちがわかるのだ。
だが、そういう私は家族を幸福にしながら、自分の夢を実現させることができるのだろうか。
・・・
いや、Mのような人達の分まで自分はビッグに生きてやるのだ。
人生、諦めたら終わりだ。
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タグ: 人生 孤独

2010/9/16

行方不明になった男  思い出の人達

10年程前だっただろうか、私の家の傍のマンションにSという男がいた。
Sは水商売の店に勤めていたが、この業界に入る前はなんと、中部電力にいたという。
しかも彼には妻子がいたが、会社をやめる際にもめて別れたのだと言う。
(そりゃ、そうだろう。)
だが、彼はどうしても飲食店をやりたかったと言っていた。
Sはけっこう、口がうまくマンションの大家とも打ち解け、マンションに空室ができるとうまい具合に友人を紹介しては入居させたりしていたので、大家からも一目おかれていた。
だが私はそんなSがなんとなく胡散臭く感じられ、あまり好印象を持っていなかった。
一度だけSの作った料理を食べさせてもらったことがあるが、いかにもこういうレシピのとおり作りましたよって感じで、本当に、これで自分でオーナーシェフでもやるというのか、というのが率直な感想だった。
勿論、私は友人でもないSに素直な気持ちを言うつもりはなく、単にお礼を言ったにすぎなかった。
その頃の私はSに対して心の中で、
「こいつは、どこまで世の中をナメきっているんだろう。
要領と自分の能力だけで何でもできると思い込んどるんやろか。」
と、常に批判的であったし友人が多いわりには、誰か彼に忠告することができる人間が廻りにいないのか、と疑問に思っていた。
暫くするとSは、
「ある人から店をまかされるようになった。」
と言ってきた。
私はあの程度の腕前で本当にやれるのかとびっくりしたと同時に、彼がとんとん拍子に自分の人生を切り開いていくのを見て、内心羨ましく思った。
生まれてこの方、日の当たるような人生を歩んだことのない私には、一瞬だが彼が自分より運や実力のある人間に思えたものである。
・・・
だが、このころから彼の人生が下降し始めたようだ。
案の定、Sが担当するようになってから、彼の店は閑古鳥が鳴くようになった。
やがてその店は閉め、彼をまかせたオーナーとももめてSは無収入になった。
Sは同時に家賃をため始め、友人からも借金をしまくり大家等、周囲の人達を心配させるようになった。
そして数ヶ月経ったある日、私はとんでもないものを見てしまった。
Sの住んでいるマンションの前で、Sが大勢のスーツ姿の男達に囲まれて無理やり車に乗せられていたのである。
私はそれを見た瞬間、咄嗟に柱の奥に隠れて一部始終を見ていたが、
「とうとう、来る所まで来たか。」
と思った。
そしてこの日がSを見た最後の日となったのである。
勿論、その後Sがどうなったかは定かでない。
それにしてもVシネマやTVドラマではよく見るシーンをまさか、目の前で本当に見るとは思わなかったので、その時は我ながら驚いたものである。
・・・
それから暫くして大家はSが何の音沙汰も無く、連帯保証人であるSの親とも連絡がつかないので、とうとう部屋の強制退去に踏み切った。
そのころに大家にSの部屋を見せてもらったが、足の踏み場もない程、部屋は散乱し、彼の荒んだ生活態度を物語っていた。
その時、私はゴミの山からアルバムを見つけた。
アルバムには彼の今迄の人生を捉えた多くの写真が貼られていた。
・・・
だが、話はここで終わったのではなかった。
彼の部屋に入ってから数日後、夜中に私は突然、金縛りになったのを今でも憶えている。
金縛りにあって私は必死になって、
「お前は誰や。
何でこんなことをする。
言いたいことがあるなら、ハッキリとオレに顔を見せいや。」
と、心の中で叫んだのである。
すると、私の目の前におぼろげに現れたのは(夢の中だったのかもしれない)、Sの顔だったのである。
翌朝、私はその夜のことを思い出してこう思った。
「あいつはもう、この世にはいないかもしれんな。」
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タグ: 人生 サラ金

2010/8/22

京都の生臭坊主達  思い出の人達

私が京都でバーテンダーとして働いていた”メンバーズX”という店には様々な業種のお客が来ていたが、意外と多かったのが僧侶であった。
しかも、有名な寺院の住職クラスの僧侶が多く、いつも羽振りがよかった。
勿論、彼らが来店する時は袈裟や着物を着て来ることはなく、普段着でベレー帽を被ってくることが多かった。
お坊さんだから紳士的な人だろうと言うのは大間違いで、生臭坊主(本来は僧侶が食べることを禁じられていた、魚肉・獣肉などの生臭物を平気で食べる坊主を意味する。そこから転じて、戒律を守らない僧のことや品行の悪い僧のことを言う。 )とは、まさに彼らのことを言うのだと思ったものである。
店の女の子を同伴出勤させて意気揚々と店に来るのは序の口で、女の子が嫌がっているのに、
「店が終わってからワシとつきあえ。」
と閉店までねばってしつこく迫る坊主も何人かいた。
その中には大人しく帰るように促すと、
「ワシを誰やと思っとんじゃあ。」
と逆ギレして店の前で暴れる者もいた。
また、店内で女の子の「キャー。」と言う声が飛び交うと思いきや、気がつくと店のすみでホステスと野球拳をやって自分で勝手にパンツ一丁になっている坊主等、いろいろいた。
そんな時、チーフのK.Tさんは一見、コワモテの外観とは裏腹に、
「せつだくん、わし、かなわんわ、助けてくれえ。」
と言って、1人で頭を抱えてうずくまっているのだった。
・・・
そんな生臭坊主達も多分、昼間は寺や檀家の中では真面目くさった顔で法話を説いたりしているのだろう。
昼の顔と夜の顔と極端に違う多重人格ぶりには、十一面観音も真っ青であるに違いない。
「チーフ、彼らは昼間は木や銅でできた観音様を拝んでいるのに、夜は夜で生の観音様を拝みたくなるというのは、ある意味、強い信仰心の表れなのでしょうか。」
私は生臭坊主の客が去った後、チーフのK.Tさんに真剣な顔をしながら、わざとこう言ってボケたことがある。
「そういやあワシ、M子がN住職と縄手通りの方で歩いてるのを見たことがあるで。」
「あの清純そうな学生アルバイトのM子ちゃんが。
じゃあ今頃、あの不動明王のような形相のN住職によって今まで秘仏だったM子ちゃんの観音様が、御開帳になっているのかもしれませんね。」
私のボケにK.Tさんは引きつったような力の無い笑顔で笑っていた。
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タグ: 京都 思い出

2010/8/14

京都の思い出の人達(7)   思い出の人達

以前、紹介した京都のスナックのチーフ、K.Tさんにはまだまだ思い出がある。
当時の私はK.Tさんにカクテルの作りかたをいろいろ教わったが、初めてさわるバースプーンの使い方に戸惑っていた。
すると見かねたK.Tさんが、私の前で実演をしてくれた。
K.Tさんは右手の指を少し広げてバースプーンをはさみ、手首を軽くまわしながら、
「せつだくん、オメコをなぶるようにやってみいや。」
と説明してくれた。
私はK.Tさんの卑猥な手つきを見て、早速、女性とエッチなことをしてるのを想像しながら実践して、
「チーフ、こんな感じでよろしいですか?」
と聞いてみた。
K.Tさんは私の手つきを真剣な眼差しで見ながら、
「うぅっ、そ、そうや、そういう感じや。
一辺にうまなったやないかぁ。」
と、褒めてくれたのである。そして、
「うぅっ、その調子や。
ええぞ、そのままもっと続けて・・・。
あぁ、ええわ。」
K.Tさんは冗談とも本気ともつかない調子で、私に練習をさせたのであった。
・・・
そしてK.Tさんのおかげでみるみる上達した私に、その後まもなく職歴豊富なK君と大学生のO君という、2人の後輩がやってきた。
「いいかい、バースプーンを使う時は、こうやってオメコをなぶるように手首をまわしながら、やるんやで。」
私がK.Tさん直伝の方法で教えると人生経験豊富なK君は、
「なるほど、せつださんのわかりやすい説明のおかげですぐにコツがつかめました。」
と、うれしそうに1人で手首をまわしながら練習をしていた。
一方、大学生のO君は私がいくら実践しながら教えてもなかなかコツがつかめないようだった。
なぜだろうと思い、私は大学生のO君と身の上話をしていたら、コツがつかめない理由がなんとなくわかってきた。
・・・大学生のO君はこの時、まだ童貞だったのである。
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タグ: 京都 思い出

2010/7/6

京都の思い出の人達(6)  思い出の人達

2年程過ごした京都時代の後半は、前述したように木屋町でバーテンダーをやっていたが、その他にも長岡京市にあるM電気の京都工場でアルバイト工員もやっていた。
ベルトコンベアーで運ばれてくるブラウン管を次々と箱詰めする作業を担当し、週ごとに昼勤、夜勤を繰り返すので大変だったが、一番金にはなった。
その職場の中にO.Yさんという中年の男性がいたが、こういう職場には珍しい物腰の柔らかい人だった。
O.Yさんとは、なんとなく気が合ってよく話をしたが、なんと彼は若い頃、占いの1種である四柱推命を専門の師について学んでいたことがあるという。
無料で見てあげるというので、私は早速O.Yさんに自分の運勢を鑑定してもらった。
すると、結婚運は良いが、女性や父親で苦労する暗示、型破りで目標に向かって積極的に動くが、あまり運が強くないので高望みせず地道に生きるべき、等という結果であった。
聞いた当初は、確かに子供の頃から自分でもあまり運が良いと思ったことがないので、成る程と思ったが心の中ではこれから先はなんとかうまくいくんではないか、という淡い希望があった。
・・・
しかし、その後の人生はまさにO.Yさんの鑑定したとおりの人生だったといってよい。
だからといって、私は決して悲観しているわけではないのだ。
O.Yさんの助言のおかげで、私はこれまでに、将来に起こるいくつかの課題を未然に対処することができたわけだから。
もし私が頑固で「いっこく」な性格だったら、自分の甘い判断で人生の壁にぶち当たって、今頃、もっとひどい目にあっていたかもしれない。
自分の生半可な夢が簡単に実現するほど、人生はあまくない。
しかし、真面目に地道に取り組んでいれば時々、思いがけない幸運が舞い込んでくることもある。
これは、私が今まで生きてきて何度か実感していることだ。
だから、人生は面白いし、人との出会いも面白い。
O.Yさん、今でも私は貴方に感謝してますよ。
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タグ: 四柱推命 京都

2010/7/5

強欲の館  思い出の人達

私の親の知人にN.Nという社長がいた。
N.Nは名古屋市千種区に豪邸を建てて暮らしていた。
その豪邸にはN.N夫妻の他にA.Sという住み込みの家政婦が住んでいた。
N.Nは家政婦A.Sに手を出していて2人はデキていた。
つまり同じ屋根の下で本妻と愛人が一緒に暮らしていたわけである。
本妻である奥さんは私の見た感じでは、金持ちのわりにはエラぶらない気さくな方だった。
N.Nと家政婦A.Sとの関係は本妻公認というわけではなかったろうが、恐らく女の勘で知らない、ということはなかったと思う。
何せ、ここの家を出入りしていたが赤の他人の私達が知ってたくらいだったから。
N.Nの奥さんはN.Nが自分の会社を今日まで大きくするまでにずっと影で支えていたが、N.Nより先に他界してしまった。
すると面白いことに家政婦A.Sが次第に本妻気取りになるようになっていったのである。
ある日、私が仕事でN.Nの家に出入りすると、たまたま家にはA.S1人だった。
するとA.Sは、
「まあ、アンタ1人で来たの。
私、コワイわあ。
主人に見られたら、どうしましょ。」
等と、ホザくのだ。
断っておくが、N.Nは既に相当なババアである。
いくら冗談好きな私でも、たとえ冗談でもこんなことは言ってほしくはなかったものである。
N.Nの社員らの前でも、A.SはN.Nのことを「主人」と言うようになったので、このババアは相当、勘違いしているようだった。
そして当のN.Nはどんな男かというと、小太りで頭はてっぺんがテカテカにハゲてて、俗に言う「ちんぼ頭」のジジイであった。
そのせいかどうかは知らないが、相当な好きものだったようだ。
また、N.Nの豪邸にはO.Gさんという専属の運転手がよく出入りしていた。
O.Gさんは小柄で気の弱そうな感じの初老の方で、運転手のみならず、N.Nの豪邸の細かい雑事までよくこなしていた。
「同じ給料払うなら、チイとでも(少しでも)余分にやれることはやってもらわな、あかんでな。」
と言っては、N.NはよくO.Gさんをこき使っていたが、時々、N.Nが私達のいる前でO.Gさんにあたりちらしているのには、閉口した。
そんな時は手前上、私は後でO.Gさんと顔を合わせた時に、
「ご苦労様です。」
と声をかける以外に術がなかった。
時々N.Nの会社の社員が同様な場に居合わせることがあったが、奴等はO.Gさんに対して冷ややかで時にはせせら笑うこともあった。
そしてこういう奴にかぎって、N.Nの前ではまるで太鼓持ちのように媚を売っているのである。
・・・
だが、どんなに運や力のある人間でも、やがて最期が訪れる。
N.Nは晩年は癌に冒され、病院の豪華な個室の中で寂しく息をひきとった。
彼も息子とはあまり、うまくいってなっかたようである。
そしてN.Nが死んだ後、家政婦であり愛人でもあったA.Sが自分の居場所がなくなって出て行った。
N.Nの豪邸は立派な家だったが、恐らく息子夫婦にはイヤな思い出しかなかったのであろう、やがて取り壊され、新しく息子夫婦の家に建て替えられた。
・・・
それから暫くして、私は近所のスーパーで偶然、O.Gさんを見かけた。
O.Gさんは私に会っても気がつかないようで、ヨボヨボと歩いていた。
N.Nから開放されて平穏な暮らしをしてるかと思いきや、O.Gさんは長年の緊張の糸がほぐれた分、まるで抜け殻のような感じだった。
・・・
運や力のある人間が権力を握ると、周りにいる人間までもが往々に翻弄されていくものである。
私もムツかしい親の元に育ったので、このことは骨身に沁みてよくわかっている。
一族の長の富や地位も大事だが、家族の一人一人が幸福であることが何より重要なことだと思うが、私の考えは甘いだろうか。
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タグ: 人生観



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