音楽、旅、人生観等、好きな事を好きなだけ書き連ねてまいります。 当ブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。

2011/10/25

Tangerine Dream - Live at Conventry Cathedral 1975  タンジェリン・ドリーム

今迄私のブログを読んでくれた方の中には、
「なんでそんなにタンジェリン・ドリームが好きなの?」
って、思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方にはこの動画を見ていただければ、少しは納得して貰えるではないかと思います。
古い大型のアナログ・シンセに囲まれたロンゲのメンバー達の姿が時代を感じさせますが、厳粛でしかもかっこいいではありませんか。
勿論、音楽の方も今聴いても全然古さを感じさせません。
彼らの演奏形態は既製のロックバンドの形を越えてましたし、音楽はまさに「プログレッシブ」でした。
当事の彼らの音楽はあまりにも独創的だったため、その後出たジャン・ミシェル・ジャール、喜多郎、そしてクラフトワークでさえも彼らの亜流に見えたものでした。
そんな彼らも、ピーター・バウマンが脱退してからは低迷した時期が続きましたが、21世紀に入ってもタンジェリン・ドリームを越えたアーティストが現れたか、と言えばまだ、と言わざるをえません。
それでも70年代のタンジェリンの音楽性はロックよりも、テクノ、トランス、アンビエントといったジャンルの音楽に取り組んでいる人達に、受け継がれているようです。
むしろ現在のタンジェリンはメンバーに専任のギターやパーカッションの奏者がいて、かなりロックっぽくなっています。
それを変化とみるか退化と見るかは、歴史に委ねるしかないかもしれません。
しかし、フローゼ、フランケ、バウマンの3人がいた黄金期のタンジェリン・ドリームの音楽は、これからも永遠に色あせることはないでしょう。



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2011/9/17

著述家としてのピーター・バウマン  タンジェリン・ドリーム

以前から何度も書いたように、70年代のタンジェリン・ドリームのメンバーとして音楽家としての名声を得た後、米国で実業家として成功を収めたピーター・バウマン氏ですが、50代に入ってから一変して哲学の道へ進むようになったのでございます。
そのきっかけは彼が40代後半の時に、
「自分はここまで生きてきてこの地球上にあと1万日生きれるとすると、残りの人生をどうすればできるだけ有意義に満足しながら過ごすことができるだろうか。」
と、自分に問いかけるようになったからであります。
そして、この課題に取り組む為に哲学思想の研究団体であるバウマン財団(The Baumann Foundation)まで創設したわけでございます。
この人はやるとなったら徹底的に物事に打ち込むタイプの方のようです。
経済的にも成功したし家庭にも恵まれているので、老後はのんびりすごそうというどころか、また次の人生の課題に取り組んでおられるのです。
凡人なら定年まで働いたら年金を貰っても、住宅ローンがまだ残ってるからどないしよう、かあちゃんと年1回旅行へ行って普段は週2,3回居酒屋へいけたらええなあ、ぐらいしか考えないじゃないでしょうか。
しかもバウマン氏は若い時にミュージシャンとしてすばらしい成功をおさめました。
根っからの芸人なら50歳すぎても、
「夢をもう一度。」
と再び音楽の世界へ挑戦することも考えられるでしょう。
しかし彼はそうしませんでした。
90年代の初めに他のミュージシャンと「BlueRoom」というプロジェクトを立ち上げ、久々にアルバムデビューするつもりが挫折してしまったので、自分が経営していたレコード会社も売り払い、音楽業界から去ったのです。
その後、音楽とは全く関係のない不動産関係の仕事等で実業家に転身したわけですが、財産もできて生活に余裕ができてくれば、もう一度ソロ活動でもいいから音楽の道へ進むということも考えられます。
だが彼が進んだ道は哲学者への道でした。
彼はこの時、
「自分が音楽の世界でやりたいことはもう何もない。」
と思ったのかもしれません。
即ち、若い頃からタンジェリン・ドリームのメンバーとして、あるいはソロ活動や音楽プロデューサーとして様々なミュージシャンとも仕事をしてきたので、音楽に関することはもはや、やりつくしてしまったしこの業界の表と裏の部分も全て知り尽くしたので、もう未練はないという心境だったのでしょう。
前回のブログで書いたようにバウマン氏は、
「音楽家は男子一生の仕事にあらず。」
と思ったのかもしれません。
多くの専門職のように一度決めた道を一生追求して人生を全うする人もいれば、1つの道に登りつめると今度は別の目標へ向って進む人もいます。
バウマン氏はまさしく後者でしょう。

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・・・
バウマン氏のように前職とは全く違う世界で生きている人を、昔TVで見たことがございます。
NHK特集で福井県の永平寺で修行に打ち込む雲水達の生活を取材した番組を見たことがあります。
修行僧のインタビューで一人、今で言うイケメンの雲水様がいました。
取材記者は彼に、
「どんな理由でこの世界に入ったのですか。」
と聞きました。
するとイケメンの雲水様は、
「前職は水商売の関係の仕事をしておりました。
毎晩、酒と女に明け暮れてなおかつ、月に何百万ものお金を稼いだこともありました。
しかしそんな生き方に”このままでいいのか”と、ふと疑問が湧いてきたのでそれまでの人生を断ち切って仏門に入ったわけでございます。」
と答えたのであります。
まだいかにも若いそのイケメンの雲水様は、普通の男が一生の内に経験する、その何倍もの女性経験を既にやってきたような感じがしました。
ゲイやバイセクシャルになる方の中には、
「もう、ボク女に飽きちゃったあ〜。」
と言ってその道に走る人もいるそうでございます。
しかしイケメンの雲水様は男に走らずに仏門に走ったという点では正解だったのかもしれません。
・・・
最後はアホくさいオチになってしまいました。
読者の皆様もこれから先もどうか悔いの無い人生をお過ごし下さい。
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2011/9/15

ピーター・バウマン待望の新作  タンジェリン・ドリーム

元タンジェリン・ドリームのメンバーで現在、実業家で哲学思想の研究団体であるバウマン財団(The Baumann Foundation)の創設者であるピーター・バウマン氏がようやく新作を発表いたしました。
と言っても、音楽のことではありません。
マイケル・タフトという人物との共著で「EGO]という著書を共同執筆したのでございます。

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この本には、「ツインタワーの崩壊と啓発された人類の進化」という副題がついています。
本の内容についてはいささか頼りない話で恐縮ですが、私の拙い翻訳で内容の詳細や真意が誤解される恐れがあるので、あえて書きません。
また、この本が日本で出版される予定も今のところ無いようです。
しかし、バウマン氏が音楽から著作の道へ進んだことは間違いないのでございます。
以前、村西とおる監督のブログで故石原裕次郎氏が、
「俳優は男子一生の仕事にあらず。」
と語っていたと書かれておりました。
バウマン氏もミュージシャンの仕事は、
「男子一生の仕事にあらず。」
と思ったのでしょうか。
その辺の見解は今も現役で活動しているフローゼ御大やフランケ氏とは違うようです。
でも、どんな道へ進もうと私がバウマン氏によせる尊敬の念は、今も変わる事はないのでございます。

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(今年で58歳になった現在のピーター・バウマン氏)
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2011/9/7

エドガー・フローゼ”Kamikaze 1989”  タンジェリン・ドリーム



この作品はタンジェリン・ドリームの中心人物エドガー・フローゼが1982年に発表した同名映画のサウンド・トラック・アルバムです。
この映画は1982年公開の刑事アクションもので、ウォルフ・グレム(wolf gremm)監督、そして主演は当事のドイツで名優で映画監督、脚本家でもあったライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(Rainer Werner Fassbinder 1945年5月31日- 1982年6月10日)であります。
ファスビンダーは映画監督としても有名で、多くの作品を創りました。
(この映画ではあくまでも俳優として出ているようです。)
私生活では両刀使いでジャンキーであったファスビンダーは、この年にコカインの過剰摂取によって37歳の若さで死去しましたが、そういう意味ではこの映画は彼の遺作のようなものでもあります。
一方、エドガー・フローゼの手による”Kamikaze 1989”は彼のソロアルバムの中でも唯一のサウンド・トラック・アルバムであります。
80年代以降、彼のグループであるタンジェリン・ドリームは既に自己の音楽スタイルを確立し、著名度も増して徐々に映画音楽の製作の依頼も増えてくるようになりました。
後にクリス・フランケは、
「あの頃、我々はワーカホリックになっていた。」
と語っていたように、この時期の彼らはまさに映画音楽の量産工場と化していたのです。
勿論、こうした事情の背景には電子楽器の技術の進歩も上げられます。
ディジタル・シンセが市販化されるようになったのもこの頃であったし、シーケンサーによる演奏情報の打ち込みや自動演奏に関する性能も格段に向上し、
「70年代に3ヶ月かけて創った曲創りが3週間でできるようになった。(フランケ談)」
ということも、理由にあげられます。
しかし、このアルバムのみ、どういう理由でグループでの作業ではなく、フローゼ個人で製作したのかは定かではありません。
さて、このサントラに収められている曲についてですが、80年代に輸入LPで初めて聴いた時は、単調なリズムの上にこれまた単調なメロディやフレーズを乗せた感じで、同じ彼のソロアルバムである”Aqua”や”Macula Transfer”に比べると正直言って退屈な印象を持ったものです。
そして暫くして中古レコード屋に売ってしまったのですが、今、改めて聴きなおしてみると時代を先取りしたというか、世に出るのが20年早すぎた感じがしました。
今頃になってようやく良さがわかってきたわけですが、フローゼ御大と凡人である自分との違いが身にしめて感じた次第でございます。
”Aqua”の頃のフローゼ御大は、様々な現代音楽の影響を受けていましたが、このアルバムでは同じシンセ・ミュージックでも同時期のクラフトワークやピーター・バウマンとも違い、そして自らのグループであるタンジェリン・ドリームの70年代の頃とも違う、独自の音楽を確立していったのです。
さすがは御大でございます。
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2011/5/23

クリス・フランケからクリストファー・フランクへ  タンジェリン・ドリーム

初期のタンジェリン・ドリームというと、巨大なモーグ・シンセの前で座って演奏しているクリス・フランケの姿を思い浮かべる人が多いと思う。

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ある意味でこの人は歴代のメンバーの中で最もタンジェリン・ドリームのイメージを背負った人だと言えるかもしれない。
クリス・フランケは1953年4月6日にベルリンで音楽家の家庭に生まれた。
風貌といい髭面といい、おそらくユダヤ系だと思う。
4歳で音楽を始め、13歳でアジテーション・フリーを結成してドラムスを担当、その後ストラスブール・パーカッション・アンサンブルにも加入していたというから、相当に恵まれた環境の元に生まれ育った強運の持ち主と言えるだろう。
したがって1971年にタンジェリン・ドリームに加入した時は、まだ18歳だったわけだから、早熟な若き天才だったわけである。
そんなフランケも、1988年にはグループを脱退する。
その理由について彼はこう語っている。
「80年代に入ると、グループはライブやアルバムと映画のサントラの製作といった仕事に追われるようになり、斬新なアイディアを作曲に生かしたり機材の可能性について追求する時間がなかった。
私はこの状況をなんとか打破したい、そして新しい音楽の可能性について追求していきたいと思うようになった。
また、グループの活動拠点をより国際的な場に移したいと思うようにもなり、そのためにアメリカへの移住を検討したのだが、他のメンバーはドイツに留まる事を望んでいた。
それで私はグループから抜けることにした。」
その後、彼はアメリカの永住権を獲得し、クリス・フランケから米国人クリストファー・フランクになったのである。
彼は今でもロサンゼルスに住居権スタジオである立派な邸宅に住み、作曲活動に励んでいる。
今日、彼が創っている音楽はジャンルで言えばニュー・エイジに属するであろう。
私が今でも時折、愛聴している彼の1stソロアルバム”Pacific Coast Highway”はすごく綺麗で聴き易い音楽だが、アルバムに彼の名前と写真が無かったら、始めはフランケの曲とは思えないくらいだった。
”ルビコン”や”リコシェ”でモーグのアナログ・シーケンサーを使って、次々とフレーズを作り出していく「元祖テクノ」のイメージが今迄あまりにも強かったせいだろう。
でも彼は、今ではハリウッドの映画音楽作曲家クリストファー・フランク氏なのである。

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タンジェリン・ドリームにいた頃

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因みにメガネを取るとこんなお顔です。

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2008年のクリストファー


アメリカ移住後の作品の1つ。
美しいメロディですな。
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2011/4/8

Edgar Froese "Sobornost (1981) - Solo TV performance in Germany"  タンジェリン・ドリーム

これは長年のタンジェリン・ファンの私にとっては懐かしい映像である。
この時期より暫く経ってようやくMIDI企画が生まれるのだが、フローゼ御大の機材なら1人パフォーマンスですでにこれだけのサウンドが出せたわけである。



そういえば、1983年の初来日のタンジェリン・ドリームのステージでは、フローゼ御大は動画に映っている機材の他にRoland Jupiter8とMinimoogを弾いていた記憶がある。
当時の私には、あれだけの機材を所有するなんてことは夢のような ことであったが、今でもやはり夢のようなことである。
しかし現在、既に私はKorgのM3シンセサイザーやハードディスクレコーダー等を持っているので、このような音楽を創ることが現在できない訳ではない。
仕事や生活に追われて、だんだんやる気が失せてきたのが最大の原因なのだが、なんとかこの状況を変えなければならないと思う、今日この頃である。
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