我がモジャ☆部はつくづくありがたいバンドだと思う。
楽隊のメンバーは「楽隊シップ」にあふれる人格者ばかりだし、相方のスパちゃんにいたっては、相方シップにあふれていて、とても心地よい。
みんなそれぞれが、性格がことなるんだけど、音楽を愛する気持ちだとか、目指すべきライブのスタイルはほぼ同じビジョンを持っているので、回数を重ねるごとに楽しいライブができている。
で、ありがたいというもう一つの理由があって、バンドというのは、時として続けていくことが困難なことがあるのだが、そんな節目を、守ってくれる救世主が必ずいるということだ。
名古屋でライブをしたときのハフタくんしかり、そして、今回ギターでヘルプにはいってくれたけんちゃんもそう。
ライブがしたくてしたくてたまらないのだけど、メンバーが抜けるとどうにもならない。
そこで、けんちゃんはモジャ☆の救世主となってくれた。
ありがたいことに、なんとか短期間で、モジャ☆部サウンドをつくりあげ、見事にサポートをしてくれたものだ。
そんなけんちゃんとの出会いは田町のラフハウスで。
当時わたしはテコビスというアコースティックunitでライブ活動をしていたのだが、けんちゃんもその日のキャストの一員だった。
初めてあったその日に、意気投合し、翌週にはけんちゃんのつとめるジャミングウェイズカフェでのライブに出演することに。
スタッフであると同時に、いつも温かくライブを見守ってくれたけんちゃん。ときには遠くのライブにも駆けつけてくれた
そしてけんちゃんはギターの腕前もなかなかのもの。
アコースティックunitを解散してからも、セッションや単発でのユニットをご一緒してくれたのだが、まぁ、なんとも思いやりのある男らしい音を奏でてくれる。一言で言えば「寛容」
懐の広い、おおらかなプレイが、とても魅力的。
んで、11月をもってモジャ☆部を退くことになってしまったモーリスにかわり、なんとかギターを弾いてくれる人はいないものかと、探していた。
そりゃぁもう、部長をはじめモジャ☆部員たちは相当苦悩していた。
わたしも、心意気のあうギタリストがあまり思いつかない。
でも、けんちゃんならもしかして・・・と思い、ダメもとで電話をしてみた。
「できるかできないか。お返事を一日だけまってくれませんか」
けんちゃんはそういいました。
既に別のギタリストからは「すみません、お断りします」と告げられていた。実はかなりマイっていた。
たとえけんちゃんの返事が確定じゃなくとも、現段階でのその返事に多大なる期待を寄せていたのは言うまでもなく・・・。
そして、その夜、けんちゃんから快諾の連絡が来たとき、(そのときのけんちゃんの名台詞「警察でライブっておもしろそうやし」)もう部長と二人で大はしゃぎ!
だってけんちゃんなんですもの、私たちのギタリストはけんちゃんなんですもの!!
それから、カレンダーをにらめっこし、来る本番まで2ヶ月ほどしか時間がない中、メンバーたちとのスケジュールを調整し、スタジオを予約。
けんちゃんにとっては大変な日々の始まりだったかもしれない。
音源を受け取ってスタジオリハまで2週間で12曲。ほんとうに大変だ。
スタジオ練習と平行して個人的にメンバーを集めての練習。
けんちゃんは、頑張ってくれた。
そのうえ、われわれモジャ☆部のOBKにも果敢にチャレンジしてくれた。
1月30日。
けんちゃんがジャミングウェイズカフェで主催をつづけていたセッションイベントの最終日。
本当に多くのミュージシャンが彼の門出を祝うために駆けつけた。
平日なのに、夜遅くまでジャンルも世代も異なる多くのミュージシャンのギターと歌声が高松の夜空に響いた。
スパちゃんと二人で、けんちゃんがどれだけ多くの人に慕われているのか、愛されているのか。
ただただそれを感じるばかり!
けんちゃんは、音楽を純粋に愛し、奏でる。
いつもバンドメンバーとして一緒に頑張っているけんちゃんが、頼もしくもあり、誇らしくもあった。
けんちゃん、本当にお疲れさま!
けんちゃんと出会えたことは私の音楽生活に大きな影響を与えてくれました。
沢山のチャンス、出会いをつなげてくれてありがとう!(モジャ☆部の前身の半分はけんちゃんの紹介があったからこそなのだよ。)
けんちゃんがいるから、モジャ☆部はがんばれる。
後1回のライブ、ともにすごいものを作り上げようね!!!!!

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