とにかく、なんだかバタバタと旅立って行きましたよ、うちの母は。
一年間の闘病生活を彼女なりに色々と感じながら、
がんばってくれました。
泣きの言葉を書いても良いとは思うのですが、
にぎやかなことが好きで、あまりにも面白い人だったのでそれを紹介しますよ。
三恵子(母)のお弁当はとてもユニークなものだった。
その被害は僕だけではなく、どうやら妹や弟にも及んでいたらしい。
まあ、僕の「チクワ弁当」(チクワ二本とご飯のみ)も相当なインパクトがあったけど、
妹の「キュウイサンド」(キュウイにチーズを挟んだやつ?)も素晴らしい。
キュウイがチーズを分解し、見事に溶け合っているらしい。。
弟の「カレーうどん弁当」というものとてもファンタジックな弁当だ、斬新だ。
弁当のふたを開けたらカレーうどんが登場。。
三恵子の行動は誰にも予測が出来ません笑。
行動と言えば、最初に入院した病院から、
「ここは先生があんまり良くない!」(ちなみに彼女は看護婦でした)と言うことで、
脱走!したそうです。
脱走って人生の中でナカナカ出来ない経験だよ笑。
彼女の闘病日記「ファイト!」を亡くなってから初めて読みました。
何か、遺言とかメッセージとか書いてあり、
これを読むのは覚悟がいるなあと思いながら開けました。
うーん、どこをさがしても遺言、メッセージ等々一切なし笑。
それどころか、日記の内容が斬新です。
「今日は鼻くそが出る。」で始まり、
そのあとシャンプーしたとか色々と書いてあり、
文章のシメが「それにしても鼻くそが凄い。」とのこと笑。
なんて鼻くそな日なんでしょう。
そして、他の日を覗いてみると、メールの練習を日記で練習してあり、
携帯の何を何回押すと何になるか見たいなものの例文が書いてあった。
そこには、、
「今日はお父さんが来てくれました。」おお、いいね!涙でそうだねえ。
しかし、そのあとに続く文が、、
「こなくていいです。」
うーん、もやは感動的ですらある笑。
結局、これらの文章から僕は彼女のメッセージを感じなくてはいけない。
要するに、人を楽しませろということでいいでしょうか。お母さん。。
思い出すことっていうのは、案外些細なことだったりする。
なぜだかわからないけど、
僕がまだ幼い頃、ふたりで一緒に近所のラーメン屋さんに行き、
僕のより母親のラーメンの方が多そうに見えたので、
「そっちのラーメンが食べたい!」
と言ったら笑いながら交換してくれたことを僕はよく覚えている。
なんとその笑顔が、今僕の中に残っている母親の姿である。
これから色々な場面で思い出す母親の顔が、その時の顔である。
随分と若い時の印象で残ったね、お母さん笑。
毎回お母さんにはやられます。
色々なことが無事に終わり、東京に帰宅する。
リンちゃんがいつもと変わらずに普通に迎えてくれる。
こういうことってとてもありがたい。
葬式帰りなので、塩を体にまいてもらう。
なんかこう、色がピンクっぽいなあと思っていたら、
よく見ると、「アンデス三億年の岩塩、鉄分ミネラルがたっぷり」と書いてある笑。
リンちゃん、「塩には変わりがない」とのこと笑。
母親に似ている人を好きになるというのは本当だね、お母さん。

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