ブラック・ジャックはなぜ無免許のままなのか?
本人いわく、「
肩書きってやつが嫌いでね」。
そんなバカな...。
肩書きや既成の価値観や権威は人を窮屈にするだろうか。
それがそうとは限らないのだ。それをとりあえず受容することによって、「一々何かに自力で対処し続ける」煩わしさを免れるのだ。それによって、その他のことをする余裕が生み出される。
当然あるべきものがあっさりあれば、誰も通せんぼをしない。
ブラック・ジャックは無免であるからこそ、(あたりまえだが)行く先々で煩わしい目に遭わされるのだ。
イギリス人とフランス人とイタリア人は、それぞれ違った理由で「流行」に敏感である。
フランス人が流行にうるさいのは、新しいものが好きだからだ。新しいものには何か良いものが宿っている、と見なそうとする。これはアメリカ人もそういうところがある。
イタリア人が流行にうるさいのは、人間ユリカゴからハカバまで、他人(世間)の視線に曝されて生きる以上、みっともない格好はできないからだ。人に見せる「美しき姿」(bella figura)と、自分そのものとを、だから、一致させようとする。
さて、イギリス人が流行にうるさいのは、
人と同じ格好をするためである。今流行っているもの(what's in...これはアメリカ人の言い方だが)を「フツーに」身につけておれば、見た目人と同じになる。すると誰も自分の姿について質問してこない。つまり誰にも「なぜ自分はこういう格好をするのか、したいのか、しなきゃいけないのか」を説明しなくていい。したがって、煩わしさから解放され、真に考えたいことを考え、したい仕事(それこそその人のすべてであると、ボーヴォワールがジョルジュ・サンドへの手紙に書いたのがシャーロック・ホームズに引用されて有名であるところの)をするためにエネルギーと時間(芸術は長く、それは短いとローマ人に言われているところの)を割くことができる。
個性とか自由とかは、個人の頭の中にある。断じて着装や髪型の中になどない。大体、何を着ようかとか一々悩むな、とは、そもそも福音書からして言っていることではないか?
イギリス人の、流行なるものに対するこのような考え方は、今でも一考に値する。というより、その通りだと思う。
そういうわけで、ブラック・ジャック君は、ゴチャゴチャ言わずにだまって免許取った方がよいと余輩は思う。その方がずっと、何物にも煩わされずに生きていけるだろう。少なくとも、世界中の行く先々で、「あなたのような凄腕の医師がなぜまたムメンですか?」と質問されることはなくなり、
せいせいするに違いない。
大体こやつは、医師の免許はもってないくせに、運転免許もパスポートもちゃんと持ってるのだ。そんなに「肩書きが嫌い」ならば、いっそクルマもムメンで乗り回してみたらどうなのか。
医師法(「第二条 医師になろうとする者は、医師国家試験に合格し、厚生大臣の免許を受けなければならない」)には違反しているのに、その他の法律にはちゃんと従っているのはなぜなのか?(ヒント:設定)
ところで無免許といえば...『一本包丁満太郎』の主人公も
無免許で「ふぐ勝負」なんかしていた(しかも、勝っていた)。俺はそんな勝負の審査員になんか、金くれたってならないからな。

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