広瀬香美に「日付変更線」という曲があって、日本語の他に中国語、韓国語バージョンがあるんです。
なんでそんなことする必要あるんだか、私にゃよくわかりません。
クイーンの「手をとりあって」みたいな、一種のファンサービスだってのならば、わからんこともないですが、そんなこと各国語でいちいちやってた日にゃあ、広瀬さん、ひと夏いっぱい訳詞でつぶれちゃうでしょう。
だいたい、英語バージョン一つ作っときゃ、本当にいい曲ならば全世界で売り込めるでしょ。ま、アメリカで売ろうと思ったら、プロモーションで全米を回ってウンザリするほどテレビにも出る必要ありますが。「アジアの」言語で歌っても「アジア」でしか売れませんやね。それに、ほっといたって広瀬の(日本語の)歌は中国でも香港でも韓国でも台湾でも、買われて聴かれて、いいものならパクられて勝手に現地化wするんじゃないでしょうか?
さて、ここからが本題です。
いちいち相手方の言語を使うな、という件について。
私の住んでる秋田県男鹿市には、中古車やら古タイヤ(?)やら、買い付けに来て自転車であちこち精力的に回ってるロシア人の男どもがいるわけです。そいで、スーパーのレジのねえちゃんが、コトバわかんなくてまごついたりしてるわけですよ。逆方向から入ってこられて、「そっち回って下さい」すら言えずに譲歩したりしてw
ウチのカミさん、「男鹿市はロシア語教室開くべきだ」と、言うのですが−−
それ、間違った考え方よ。ひいき目に見ても、半分しか正しくない。
「相手方の言語を一々律儀に使う」。これ、間違い。
言語学者も学校の第n外国語(nは2以上の自然数)の先生も、メシの種だからみな正直に言わないのですが、私ここでハッキリ言いましょう。こういう考え方は大間違いです。こんなもの国際理解でも何でもありません。迎合と譲歩です。それも、ただの、ね。
向こうは母語で、こっちはにわか仕込みの外国語なのに、それで交渉やら談判なんかしてオイソレと勝てるわけないでしょうが。
そういう時は、こっちがこっちの言語で通す[掛け値]か、それがダメならなるたけ等距離の第三国語にする[相場値]べきです。
つまりこの場合、ロシア人相手に商売や交渉や談判するのなら、英語で正解、英語が正解、なんですよ。
小村寿太郎だって、ポーツマスでウィッテとガンガンやり合うのに使った言語はフランス語なわけで、これがドイツ語[ウィッテはバルト・ドイツ系]やロシア語だったら向こうに著しく有利になっちゃうでしょ。
乃木とステッセルが水師営で、交渉じゃなく「交流」するだけならば、乃木も得意だというけどステッセルにとっては(多分)母語の、ドイツ語でかまわないわけです。
戦後しばらく韓国の外交官は、海外で日本政府の役人と接触しても日本語を使おうとせず、たとえ下手でも英語で通そうとしたそうですが(岩見隆夫『陛下の御質問』文春文庫、p.93-94参照)、これは単なる意地ではなくて、せめても日本側の言語的優位を目減りさせようとしてることでもあるわけで、それなりに合理性はあるんですよ。当時の韓国人がそこまで意図したかどうかはともかく。ま、実際、英語力だって向こうの方が上ってこたぁ別にないんですが、ネ。
そんなわけで、北朝鮮と交渉するのに、朝鮮語の通訳連れて行って向こうの言語でやるなんて実にばかげたこと。やるなら英語でやるべし。
ただし、朝鮮語のできる外交・軍事・北朝鮮専門家はやっぱり同席させる必要があります。
それも、超のつくクラスのエキスパートをね。
朝鮮語皆目わからんフリをしてそいつに向こう側高官同士の私語を全て聴き取らせ、分析するんですよ。そこまでやんなきゃダメです。ていうか、向こうはシレーッとやってるでしょう。
外交の場で語学自慢は致命的。「オヒュ、みなさんぢょうせんごおじょじゅでっすねー」とか、おだてられて、振り回されてそんでオシマイです。
相手側の言語は徹底的に学ぶべし、されど、相手の前ではできない振りをすべし。
学ぶこと自体は大いに結構。しかし、それいきなり使って相手と交渉しようってのがマチガイのもと。
なんで相手の土俵に律儀に上がっちゃう必要あるですか?
さて、ここまで話してきて、現代社会のっつーか、現代日本の外交の、大問題が見えてきましたね、みなさん。
そうなんスよ、アメリカと交渉するのに英語使うほかないってことが、いかにも大問題なんですよ。
《言語的ブレトンウッズ体制》っつーかなんつーかw

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