「憎しみは何も生まない」とか、シッタカこく馬鹿がいる(例:日本の著名なアニメーター3人を任意に選ぶとそのうちの少なくとも2人)。
とんでもない。
事実は、「何も生まないたぐいの憎しみもありうる」というだけのことである。
私に言わせると、
・怒るべき時に怒らず
・憎むべきものを憎まず
・泣くべき時に泣かず
・戦うべき時に戦わない
者は、道徳や正義感に、何より豊かな感情に、乏しいがゆえに、それこそろくなものを生めやしない。大体、
人間らしくなかろ、そんなの。
ニーチェはそういうたぐいの卑怯者に対する軽蔑と嫌悪を隠そうとしなかった。
ニーチェがやってよくて、吾輩がやっちゃいけない理由が思いつかない。また理由を挙げられる人がかりにどこかにいたとしても、賛成できないか理解できないか、そいつ自身が嗤うべき馬鹿に見えるか、どれかであろうと思われるので、無視するか嘲笑することにする。
喜怒哀楽は四つとも揃っていて初めて人間らしいのだ。
喜と楽だけを無定見に推奨し煽動し鼓舞し、怒と哀は問答無用で抑圧してへらへら生きたとして、人生において解決さるべき問題が遠のいたり消えてなくなったりするわけではない。
苦い薬は自分で飲むしかない。宿題も自分でやるしかない。夜のうちにかわりにやっといてくれる小人さんなどいないのだ。
ネガティブな感情を抑圧したり、なかったことにしたりするのは、向き合うべき現実に正しく向き合う活力を人から奪う。
怒るべき時には怒るべきなのだ。
憎むべきものは憎むべきなのだ。
悪徳を憎まない者はまともな人ではない。
どう考えても正しくないと思われるものに対してネガティブな感情をあらわにする人を
諫めようとする小利口な馬鹿が常に口にするフレーズは、
・「そういうことを言うのは
損だよ」
・「あなた[自身]の[将来の]ためによくない」
である。
しゃらくせえ。
「それは正しくない」とまでは言えないもんだから「損得」を突きつけてきやがんの。
自分はなんて他人思いのイイヒトなんだろうと思ってうっとりしたいもんだから「貴方のためを思う」だってやがんの。
しゃらなことをぬかすな。ぶっ飛ばすぞ、コラ。
怒って何が悪い。
それが怒るべき対象でないから怒るのは正しくないというならわかる。
「怒りをあらわにしない方がうまく解決する」というのもわかる。
だが、そうしたこと一切を抜きにして、ひたすら、「損だから怒るな」とは何事であるのか。
なるほど、「損」だと言うか。では聞こう、そこで怒りを抑えて「得」をしたなにものかを、君は取っておいて何に使うつもりだ。何に使ってきた。
んーにゃ。何にも使っていない。ひたすら、対立の当事者になることを避けてきただけだ。
旗色を鮮明にしないことで、君は誰とも対立することのない不偏不党の人間であろうとした。だがそれは要するに
「無責任」だった。
何にも誰にも怒りを表明しないことで、君は円満で穏やかな人間であろうとした。だがそれは、不正義に怒らない
「不道徳」であり、悲しむ人のためにともに悲しむことを知らない
「冷血」だった。
そんな「イイヒト」になりたい
ニセ紳士たちが、(ルール違反をしでかした者、例えば自分や自分の依頼人や自分の党派、に対して、しかし自分たち以外の他者は同じルールを厳格に守って寛容であるべきである、と臆面もなく主張するといったたぐいの)屁理屈を声高にこねる
無法者たちの跳梁を許してきた。
もう沢山だ。
俺は今後怒りと憎しみを隠さない。軽蔑と嫌悪を隠さない。
怒るべき時に怒り、憎むべきものを憎み、悲しむべき時に悲しむことにする。
そして、殴るべき時に、殴るべき奴を、断固殴ることにする。
いやいや、もちろん、ペンでっていう話だよw一応ねw

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