日本人は物語に「是非善悪を糺す」「善を勧め悪を懲らす」という役割を担わせることを好まずにきた。
そのかわりに、道徳的な良し悪しを超えて、人間ならばいかにもありそうなこと、いかにもしてしまいがちな(あるいは、したとしても無理もない)こと、いかにも悩みそうなこと、を語ってきた。
そこに人の世のありのままの姿を見ようとした。のちには仏教の影響を受け、人の世のはかなさを見ようとした。
道徳とは無関係に、ものごとのありのままを見ようとし、本質を観じようとすること、これを「物の心を知る」といった。
それゆえに日本の物語は道徳を超越したものになった。したがって、しばしば不道徳でスキャンダラスなものにみえる。
不倫、近親相姦、殺人、裏切りなどは、もちろん社会的に許容されていたわけではなかったが、物語にはよく登場した。日本人が不道徳で未開な、禽獣のごとき民族だから、なのではなく、残酷で卑猥なものに刺激を求める民族だから、なのでもない。物語作りに際して、「道徳的なテーマに限る」ことをしなかったからである。
日本ではエロティカ(エロティックな表現をその不可欠な部分としてもつ文芸)は、それゆえ、早くから発達した。
西欧ではこれとは別に、ポルノグラフィ(煽情を直接の目的とする文芸)が、煽情とは別の、ある役割を担うようになっていた。
それは「涜聖」である。
王侯貴族や聖職者の不品行を題材とする艶笑譚は、現体制の何が悪くどこが腐っているのかを啓蒙するためのプロパガンダであった。
日本ではそうではない。『源氏物語』の主人公はやんごとなき血筋の人なのに、人妻(それも、親友の妻)を真夜中に外へ連れ出したり(その人妻−”夕顔”−は連れ出した先の寺で、生き霊のせいで急死!!)、その翌朝無断欠勤したりしてメチャクチャだが、著者の意図は皇室の権威への挑戦にはなかったし、そう受け取った人は古今誰一人いなかった。
さて、「もののあはれ」とは関係のない、日本的伝統からすると奇形の「文学」の一つが「プロレタリア文学」である。
これは現体制の何が悪く、なにゆえに打倒されなければならないかを啓蒙するための「文芸」もどきである。
つまり、文学上の表現の追求よりも、党派性や階級性、人民性を上に置いているという点で完全にエセの文学であり、文学の皮を被ったアジビラであるといってさしつかえない。この意味においてマルキ・ド・サドの「文学」と同じなのだ。
「蟹工船」が今さらのように読まれているというのは、「格差社会」とやら(私はそんな物言いを信じない。大学院修了者と高卒者の給与の格差はせいぜい3倍程度である。これはおそらく、世界は言うにや及ぶ、G8諸国の中ですら最小レベルであろう。きみらは本物の格差社会を見たことあるのかと聞きたい。日本は格差社会どころか、「学歴社会」ですらないのだ。あるいは、私−教職員−が不当に逆搾取されているだけなのか?)が背景にあるというより、「もののあはれ」がわからなくなった時代に、「社会の悪を告発する」という邪道の文芸が表舞台にしゃしゃり出てしまったということなのだと思う。
ちなみにプロレタリア文学を戦後において継承したのは松本清張と森村誠一である。
日本のマンガ・アニメ・エロゲ文化の中では近親相姦や小児性愛や同性愛・レイプ・SM・乱交・露出症・窃視症などは(しかし、よくもまあいろいろとw)物語のモチーフとして(拡大されたw)「もののあはれ」の伝統の上にエンタテインメントとアートの融合した形で受け継がれていったが、欧米社会ではしばしばこれが「正しい信仰(=キリスト教)をもたないがゆえに道徳そのものをもたない社会」としての、歪められた「日本」像と重ね合わされた。欧米というよりむしろ、日本のキリスト教会などの、国内の反日勢力が、欧米社会に媚びる形で発信する、悪意に満ちた情報の一環であった。
毎日新聞の「変態報道」のモトネタはゴシップ雑誌のポルノ読み物である。それはそれで「もののあはれ」としてのエロティカもしくはポルノグラフィであったかもしれないが、一旦出所から切り離され、大新聞のブランドで翻案され翻訳され世界に発信されたとき、「もののあはれ」もヘッタクレもなくなり、日本人の「不道徳性」「獣性」「悪魔性」だけが喧伝されたのだった。(この件で毎日新聞に対して怒ったカトリックの日本人司祭を、まだただの一人もみたことがない。彼らの日本観、彼らの伝道の目的に、毎日の変態報道が合致するからであろう)
と、いうわけで、【今週の結論】。
かたや日本的な「物語」のありかたの伝統から外れたものが大きな顔をして出てきて日本の現状批判に利用されているということ、こなた「文脈」から切り離されたエロティックな「物語」が、その強烈な不道徳性をムリヤリ現実の日本人と重ね合わされ、誹謗の目的で悪用されているということ、において−《蟹工船ブームと毎日変態報道はつながっている》わけである。
くそくらわっしゃい。

1