衆院選は民主党が308議席獲得で圧勝。これだけあればどんな法律でも作れるだろう。
改選前の自民も300あったのだが、民主党の場合自民と違うのは、
(イ)社民・共産などの左翼党派が敵に回っていないこと、
(ロ)マスコミがこぞって味方してくれていること(民主党に不利なことは報道しないか、扱いを小さくする)、
(ハ)党内事情が外部に伝わってこず不透明であること、
である。
他の法案の合間に国益に関わる重要法案(マニフェストからは選挙前に削除しておいた)をこそこそと通してしまって、それをマスコミがニュースにはしないなんてことすらありうる。民主党を批判する者を暴力で封じ込める「親衛隊」(多分主力はある種の外国人)ができて我が物顔にのし歩くようになっても、そういうものが存在するということすら国民に知らせようとしないだろう。あまりにも徹底的に隠すので、事実と妄想・ネット上の都市伝説との区別がつけにくくなり、「ネトウヨ」は煽られ自爆しやすくなって失態が多くなり、当然のようにキチガイ扱いされ誰からも相手にされなくなるだろう。
さて。
自民の「敗因」のひとつについて、産経新聞が前々から言っていることがある。
首相が靖国神社参拝をしないなどの「ブレ」をみて、保守層・自民支持層が愛想を尽かした、と。
本当だろうか。
そうだとすると、そうした「保守層」は、
(a)自民党の保守としての煮えきらなさに失望して、
(b)民主党支持に流れた、
ことになるが、そんなことってあるのか。
(a)はわかるとして、その結果が(b)というのはあまりにもトンチンカン、斜め上過ぎないか。
本当にそういう投票行動をとった人が相当数あったとして、そういう人たちが期待したものは何なのであろう。
思うに、民主党が単独過半数を獲得するまでには至らないとの見通しの上に、
(α)「自民・民主大連立」を期待したのか、
(β)自民と民主の双方が分裂して「真の保守政党」と「左翼リベラル政党」に政界再編されることを期待した、のか。
だが現実はどうかというと、民主党は絶対安定多数を遙かに超える議席数(単一の政党の獲得した議席数としては戦後最大という)。しかも社民との連立が視野に入り、また共産は多分(連立には加わらないが反自民という意味で)「好意的中立」を保つだろう。
社民党など左派政党との協調路線・連立構想は選挙前から十分わかっていたことであるのに、「自民に失望したから民主」などという選択があるものなのだろうか。
上記の(α)は、それこそ民主党自身が分裂しなければありえない。
以前私は「公明抜き自(民)自(由)連立」が理想だと書いたことがある(森政権時代に)。それですら、単なる願望であって、実現は困難であった。当時の小沢一郎のメールマガジンを読めば、自民党と組む気はもう全くなく、「打倒自民・政権交代」だけを叫び始めていることがわかる。自由党が民主党に吸収されるに及んで、小沢らと自民の協力の可能性は完全になくなった。
(β)について。「分裂」は常に自民の側だけで起こっている。しかも常に小規模である。新自由クラブの時代からみんなの党に至るまで、泡沫政党ができては消える。民主党は例外的に大きくなったが、社民党出身者が合流したキメラである。
一方左翼党派は分裂どころか、近年とみに小異を捨てて大同につく反体制・反自民大連合志向の傾きがあり、事実上の社共共闘路線すら存在しているといってよいであろう。内部にどれほど意見の違いがあろうとも、それは決して表に出さず、いざ行動となれば一糸乱れぬみごとな隊列を見せつけるのが彼らだ。
また、「保守派」の装いを取り除いた純粋左翼政党はどう考えても選挙で勝てる見込みがないため、民主党から「左派」が出て行く可能性などない。また政権与党となった時点では、民主党の保守派が(そんなものがいるのならだが・・・)わざわざ党を割って、下野した自民に接近する動機もメリットもない。理念ではなく、メリットの点から、民主党は分裂などしないのだ。日教組系は小沢を必要とし、小沢にとっても日教組でも何でも「数」は「数」だから、切って小さくなるよりはいいだろう。
「民主党がいくらなんでも単独で安定多数獲得はあるまい」と思った人がいても誰も責めることなどできないだろう。
しかし民主に投票して、それで勝たせて、その後どうするつもりだったのか。何を期待したのか。
「自民に失望して民主党に投票した保守層」とやらが、かりに、実在したとして、かれらはいわば勝手読みをしていたのではないか。勝手な政界再編への期待を持ったのではないのか。
それとも、本当に、単に「自民にお灸をすえる」つもりだったのだろうか。
実際、NHKなどが行った調査では最後まで「大連立」を望む人々がいた。
それもよかろう。しかし、現実に可能性などあったのか。
ありはしない。もともと民主党がやりたかったのは「宿敵自民と組んででも国難を乗り切る」ではなく、「自民の替わりに(できれば単独で、そうでなくとも少なくとも非自民で)政権の座につける勢力になる」ことだったろう。前者なら自民の補完勢力で終わってしまう可能性が高いのだから、そうでなくて「自民の替わりになれる政党」であろうとするのは当然だろう。

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