◆(a)白川静『字統』(平凡社)
◆(b)白川静『常用字解』(平凡社)
◆(c)白川静・津崎幸博『人名字解』(平凡社)
(a)『字統』
おもしろい字書ではあるのだが、これは尋常の漢和辞典ではない。実物を手にとって見てみたら驚くこと請け合いだ。
何が驚きって、字の排列が「音読みの五十音順」であることだ。これは革命的と言ってよいであろう。漢字の辞典は普通部首別に見出し語を並べる。
白川がこういう方法をあえてとったのは、漢字を国語の一部として内在化されたものとみるからである。
いずれにしても、音読みを知っている字ならば比類のない早さで引けるのでw世話が焼けない。
内容は、可能ならば甲骨文字や金文まで遡って字形の起源を説明しようとしたもの。篆文までしか遡れなくても、後漢の字書『説文解字』の字解を全面的に見直すものとなっている。『説文』は甲骨文・金文を知ることなく書かれたものである。
諸橋轍次や藤堂明保の字源説は『説文』そのままである場合が多いため、白川説はそれらと大きく異なることが少なくない。
そのためであろう、白川には「信者」とも揶揄される熱心なフォロワーがいる一方、強烈なアンチもいる。Amazon.co.jpで『常用字解』のカストマーレビューをみると、みんな星5つなのに一人だけ2つぐらいの人がいた。そういう人が言うには、《白川説を述べただけの本。白川信者以外の人にはお勧めできません》ということになる
[※]。
白川だけが際立って異なった字解をしており、それも死や呪術や生贄や刑罰に結びついた
薄気味悪いものが多いのでw、アンチがいるのもわからないことはない。
教師とか研究者ではない普通の人が持っても、あまり効率はよくないと思う。単なる字調べであれば、ごく普通の「漢和辞典」を持っていてそれを使う方がずっとよろしい。白川の文字学のエッセンスを味わいたければ、実のところ、次項の『常用字解』一冊で十二分に得るところがある。
(b)『常用字解』
(a)のエッセンスがこれ。常用漢字1945字+1(「曰」の字が字解に不可欠なので加えた)の解説。普通の人が白川説によって漢字の成り立ちを学んでみたいと思うならばこれで十分であろう。2940円はその値打ちからすれば大変なお買い得であって、持っていて損はない。
ただ、(a)の項でも指摘したが、普通の漢和辞典とは字解が大きく異なる。甲骨文字や金文の研究の基礎の上に、一貫した文字学を作ろうとした白川の仕事は大いに評価さるべきだと思うけれども、実際問題ほかの辞典と解説が違いすぎるので、引用する場合「白川説」であるということは一応断っておくのが無難であろう。
(c)『人名字解』
人名漢字983字の解説。これはいわば(b)の補遺であって、これだけで独立した字書とはなっていない。これを持つのならまず(b)をすでに持っていることが前提となる。そうでないと意味がない。
子供に名前を付ける上で参考にしようと思う人は、だから、(c)だけを買ってはいけない。(b)と(c)揃いで求めるか、(b)だけにしておくか、どっちかがよろしい。
結論を言えば、漢字に興味のある普通の人が持つならまずは(b)『常用字解』、この一冊で決まりだ。
ところで、形声文字の音符(声符)が共通の字は大抵その音が同じか似ているが、一見かけはなれたものも多い。こうしたものは上古漢語まで遡ると共通点があることがよくわかる。
上古漢語−中古漢語の流れを手軽にみることができるのは
藤堂明保編『学研漢和大字典』である。これを白川の字書と併せ用いると大変得るものがある。普通の人はそこまでやる必要はあるまいが、国語教師や言語学者の場合は、ぜひとも両者を併用されることをおすすめする。
上古・中古の推定形はあくまでも藤堂の説であって研究者によりさまざまな異説もあり、またどんな分野もそうだがこの領域も生きて動いており、今現在も絶えず修正され続けている。が、いきなりそういう細かいことをつべこべ言わずに、とにかく参考にしてみることをすすめる。
なお、『学研漢和大字典』を引くのがメンドクセエと思う人は、同じ藤堂編の小学生向け辞書
『例解学習漢字辞典 第六版』(小学館)をコドモからかっぱらって読むといい。藤堂式の解説が小学生にもわかるように書かれた得難い字引だ。ていうか、こんなものがわずか1800円で入手できるとは、日本はやはり文化国家じゃわい。
ところで本項で「普通の人」という言葉を何回も使っているが、これは言語学者が素人を見下すような意味合いを込めているのではまったくない。「
言葉調べを職業にしてるようなキチガイではなく、ほかに職業や人生においてなすべきことがあって当然にもそれで忙しい、カタギの、正気の人」という意味である。
注
[※]:拙著『5分でできるド定番モノマネ100』(小学館)のAmazon.co.jpのカストマーレビューで、「
おんなじ説明を何十回も読まされます」と書いて星一つしかくれなかった人がいた。それをみた時は、「オイオイ、こういう人は
白川静の字書にも同じ文句を言うつもりなのかw」と思ったものだが、白川本に文句を言う人はここで触れたように
実際にいたわけだ・・・。

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