先週末に用事で沖縄に行ってきた。アマチュアの方言研究家の会に招かれて講演しに行ったのだ。
《沖縄は日本の厳格なところと、私が人生の長い時間を過ごした
アフリカのリラックスした部分が入り混じっている。…私としては[FC琉球の監督として]日本とアフリカの
両方の経験を活かせるし、…》−フィリップ・トルシエ『トルシエの眼力』徳間書店、pp.208-209
「
リラックスした」。トルシエの、その慎重に
言葉を選ぶ能力に驚嘆するしかない。私ならもっと酷い書き方をしたと思う。
沖縄でまず驚いたのが交通マナーの大ざっぱさだ。裏路地の異常な狭さなど、本土で見かけない光景と相俟って大変に怖い。助手席に乗って街を流していると「カイジ」のように嫌な脂汗をかき、
瞳孔開きっぱなしになる。あれを経験したらスターツアーズだのスペースマウンテンなど児戯に等しい。
これは人によるだろうが、「わりと最近日本に編入された」としか言いようのない町並みがチグハグでまったく落ち着かなかった。日本語の看板があるのが不思議なぐらいだ。個人的には釜山の方が落ち着く。
で、いろいろな人たちと話してみて、この人たちの日本語は「訛っている」というより「
国語が不自由」なのだということがわかり、愕然とした。
現地の新聞に載ってる中学生の投書が内容はともかく文体が幼稚で、小学生の作文のようだったのにもたまげた。
そして、
年配の人たちと若年層のあいだに、ものすごい断絶があるようだ。
若い者は年配の人の言うことをヘラヘラ聞き流していて、真面目に応対しない。年寄りが琉球語で話しかけてもキョトンとしていたり、若い者の当世風の(というか、マスコミ製のあるいは観光用の)琉球語が不正確だと小言を言うと「あーそーですかハイハイ」的な慇懃無礼な態度をとるのを幾度も見た。とりわけひどかったのが首里城公園の、琉装をした従業員たちだった。
年寄りたちは年寄りたちで、自説(すべてにおいて何かしら自説があり一家言ある人が多い)を一方的にまくし立てるだけでちっとも
人の話を聞かない人がよくいる。相手が何か言っても「そうですか。でも…」と自分の話の続きに戻ってしまい、コミュニケーションになっていない。そして
冗談が通じずこちらの言葉をすべて真に受けてマジレスしてくる人がたくさんいて、疲れることおびただしい。
年輩の人は
プライド高く、そのプライドの元は
士族意識であり、「先祖は科挙に合格して中国に留学する四人の内に選ばれた」とかが自慢なのだが、それが自立でなく対中隷属の歴史であるということを意識していない。
若い者はアイデンティティが定まらず年輩の人を宇宙人扱いしていて、言語も教養も日本国民として非常にお粗末であり、琉球人としても中途半端。
観光用の資源として「琉球の歴史と文化」を食いつぶしていて、それでいて本土の観光客を小馬鹿にしているし、「観光用にアレンジされたつくりものの沖縄」を憎んでいる。
張りぼて・書き割りの観光用「美ら島」。そして基地。その両方を憎みながら、それで食っていくしかない。
アメリカと日本の両方を軽蔑し嫌っていながら、それらを相手に商売するしかない。
かれらが屈折するのも無理ないことであろう。
思うに、かれらがものすごく下手な日本語しか話さないのは、日本語と日本文化をわがものとして愛したり尊重したりしてないからなのだ。
「お前ら日本人には琉球語は高級すぎてわからないよ。だから我々がお前たちの言葉を使ってやるよ。野蛮なお前たちヤマトの奴らにもわかるように」と。憎しみ、嘲笑、軽蔑と共に、あくまで当座の間に合わせに使ってきた。
しかしそれを代を重ねてやってたら、子供の世代は「琉球語はわからん、日本語は中途半端」の、始末に困るものができちまいましたとさ。
それにくらべたらわが東北地方は、いくら言葉が訛ってるったって本土だけのことはあるんだなと今回しみじみ実感したことであったw
さて今回何が腹が立ったと言って、もっとも腹が立ったのは「ひめゆりの塔」周辺が完全に「巨大おみやげ売り場」(でしかないもの)と化していたことだ。「日本一ふざけたTシャツ屋(自称)」の店をこんなとこにまで出すか?こいつらは、戦争で死んだ同胞を単なるメシの種にしてるのか?日本中から中高生集めて土下座させておいて土産物売りつけるのかよ。
あと、不動産関連の物件にはブラックな匂いというか、「食い物にされてる感」がかなりプンプンしていて、ヤバイ感じがした。
と、いうわけで、ムチャクチャに疲れた沖縄行だった。
【今週の結論】また行きたいとは思わん。
写真は那覇バスターミナルから国際通りに折れる角のコンビニにあった張り紙。「求人募集」はおかしいだろ。「求人」か「従業員募集」のどっちかだろ。


2