いろいろと不手際や不都合があっても、地震のせいにすれば大概ごまかせる。
これは、すべてを民主党のせいにするより人を納得させやすい。
民主党には党員と支持者がいるから、民主党のせいにすると反発されることがあるが、
地震を支持する人はいないので誰からも反発されないからである。
「悪魔化」とはこういうことだ。
地震には
支持者も味方もいないから叩き放題なのだ。
「少数民族」ではなくて「吸血鬼」だったら、その「民族浄化」に反対する人はぐっと少なくなるにちがいない。
吸血鬼が危険で有害なのは間違いない。ただ、人の形をしていて人語を解するものを、人の血を吸うからといって胸に杭を打ち込んで、口にニンニクを詰め込み首を切り落として滅ぼす、などということは常人には平然となしうるものではないというにすぎない。
ただ、それを強く促す因子があれば話は別だ。
倫理や道徳によってそれが正当化された場合だ。
「殺してもよい」どころか、「殺すのが正しい(殺さないのはむしろ悪である)」とされればなおさらだ。
こういうことの重大さにくらべれば、「恐怖」「怒り」「怨念」「実利」などは副次的な重みしかもたないであろう。
憎いからとか腹が立つからとかいうことで、人はやすやすと人を殺したりはできない。
そうではなく、
「殺すのが正しい」ことが保証されたとき、人は大虐殺を行うのだ。
したがって問題は憎しみや怒りよりも、
正当化のメカニズムの方なのである。
すなわち、道徳や倫理や戒律や正義の暴走(誤作動)の方なのである。
もっとも−
・憎しみが先にあってそれによる殺しを正当化する理論が生み出されるのか、
・理詰めの殺しを実行に移すにあたって憎しみという感情の物語が必要なのか、
は定めがたい。

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