”我々も核武装すべきか?”
今日はこの問題に答えてみようと思う。
核兵器は非戦闘員を大量に殺傷する。これは
過剰であり不必要だ。
そうしたものは
民主的な(かつ臆病−つまり物事を決められず決心もできずツカエナイ…真面目に生存しようとする意志や覚悟に欠けた、駄目な)
国民を脅して屈服させるのには向いているだろうが、
権力のありかが「国民」でなく独裁者であるような国を相手にしたとき意味がない。大規模な「空爆」も同じ理由でだめである。
ところで日本に敵意を持っている国が三つほどあるが、これらはすべて非民主的な国である(うち一つは民主主義を標榜しているが、そんなことはない)。
したがって必要なのは「非戦闘員を大量に殺戮できる兵器」ではなくて、「
敵の権力者をピンポイントで無力化できる手段」だ。
核兵器は「敵の権力者を確実に無力化」することが可能であって十分ではあるだろうが、不必要かつ
過剰である。
我々が真面目に考え、開発すべきなのは、「
非民主的な国の独裁的なリーダーをピンポイントで排除できる適正な規模の(そしてかれらからは対抗不能の)手段」なのだ。
「核」にこだわるのは、したがって、いささかズボラといえる。
ズボラというか、
他の可能性をそもそも考えないように誘導されてるのかもしれないね、我々。
それどころか、「核ミサイルが飛んできたらどうするか」みたいな話に限定しようとしてるよな。「向こうが」「先に」撃つ、とか、すでに撃たれちゃってる、という前提になっちゃってて、「撃たれてから」何とかするっていう話になってんだよな。いいんか、これ。
必要なのは、「
ポスト核兵器」の構想、開発、配備である。
それによって既存の核兵器を決定的に時代遅れにしてしまうことができたとしたら、結果的に(結果的に、だが−)核兵器の発展的な解消(つまり、いわゆる「廃絶」)も見えてくるかもわからんね。
あとけっこう
巨大な新ビジネスになるかもな。日本の、その国柄、その国民、そのありかたにふさわしいようなさ。
【今週の結論】
我々も核武装すべきか?−否である。
必要なのは、「ポスト核兵器」の構想、開発、配備である。

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